論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす
原文
子曰、「道不行、乘桴浮於*海、從我者、其由*與。」子路聞之喜。子曰、「由也好勇過我、無所取材。」
校訂
武内本
清家本により、由の下に也の字を補う。於、唐石経于に作る。也與、唐石経也の字なし。漢書地理志顔注引也歟に作る。
定州竹簡論語
子曰:「道不行,乘泡a浮於海。從我者,其由b與。」子路□80聞之喜。子曰:「由也,好勇過我,無所取材。」81
- 泡、近本作「桴」、泡誤。古桴、枹同通、枹・泡形近。
- 於、阮本作「于」、皇本作「於」。
復元白文
※桴→付・材→才。
書き下し
子曰く、道行はれず、桴に乗つて海於浮ばむ。我に從ふ者は其れ由與。子路之を聞いて喜ぶ。子曰く、由也勇を好むこと我に過ぎたるも、材を取る所無しと。
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逐語訳
先生が言った。「原則ある政治が行われない。いかだに乗って海に浮かぼう。私に従う者は由(子路)だろう」。子路がそれを伝え聞いて喜んだ。先生が言った。「由は勇気を好む事私以上だが、木材を得る場所がない。」
意訳
孔子「あーあ。ひどい世の中だ。いかだに乗って外国へ行ってしまおう。付いてくるのは子路かな?」子路はこのつぶやきを伝え聞いて喜んだそうだ。そこで言った。
「子路は私以上の武芸者だが、さていかだの材料をどうしよう?」
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従来訳
先師がいわれた。――
「私の説く治国の道も、到底行われそうにないし、そろそろ桴にでも乗って海外に出ようと思うが、いよいよそうなった場合、私について来てくれるのは、由かな。」
子路はそれをきいて大喜びであった。すると先師がまたいわれた。――
「ところで、由は、勇気を愛する点では私以上だが、分別が足りないので、いささか心細いね。」
現代中国での解釈例
孔子說:「理想無法實現了,我準備乘筏漂到海上。會跟我走的,衹有子路吧?」子路聽說後很高興。孔子說:「子路啊,他比我勇敢,但缺乏才能。」
孔子が言った。「理想は実現しそうにない。私はいかだを用意して海上を漂うとしよう。私と共に行ってくれるのは、ただ子路だけかな?」子路は聞き終えてたいそう喜んだ。孔子が言った。「子路はのう、私に比べて勇敢だが、ただし才能に乏しい。」
論語:語釈 →項目を読み飛ばす
桴(フウ)
(金文大篆)
論語の本章では”木製のいかだ”。論語では本章のみに登場。『大漢和辞典』の第一義は”棟木”。竹製のいかだは筏と書く。この文字の初出は戦国時代末期の金文で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はpʰi̯uɡ。同音に孚(卵をかえす)とそれを部品とする漢字群、卜を部品とする漢字群。
ところで漢字で”いかだ”を意味する言葉に柎「フ」があり、カールグレン上古音は部品の「付」と同じでpi̯u。桴pʰi̯uɡと近い。柎は後漢の『説文解字』が初出だが、付は論語時代の金文が存在する。
桴は『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、「木+〔音符〕浮の略体」で、木を組んで水に浮かべるいかだ、という。また打楽器のばちも意味し、その場合は「木+〔音符〕孚(手でかばって持つ)」で、手でもつばち、という。
「泡」のカールグレン上古音は不明。”いかだ”の語釈は『大漢和辞典』に無い。藤堂上古音はp’ǒg(ˇは短い発音の意)で、「桴」は”いかだ”の意味では「敷」と同音でp’ɪuag(ɪはエに近いイ)、”うかぶ”の意味では「浮」と同じでbɪog。音通とは言いがたく、定州論語の校訂に従った。
材
論語の本章では”材料”。論語では本章のみに登場。この文字の初出は戦国文字で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はdzʰəgで、同音に才とそれを部品とする漢字群、載、裁、栽。才につき『大漢和辞典』は『集韻』を引いて、「通じて材に作る」という。
「材」(甲骨文・金文)
一方で「国学大師」は「才」を、「甲骨文…像草木初生之形。草木初生曰才,出而萌芽曰屮」と言い、『大漢和辞典』の第一義も”めばえ”。すると芽生えた草木を意味すると言ってよく、木偏が無くとも木材を意味しうる。
『字通』では「材」を、「才の声義を承け、才と通用する例が多い」といい、「才」について金石文を引き、”存在・材質・質量”の意とする。つまり「材」は、かつて「才」が担っていた語義の一部を示す派生字であり、「才」は「材」を意味しうる。
詳細は論語語釈「才」を参照。また漢字の音通と古代音についても参照されたい。
無所取材
論語の本章では、”材木を取る場所がない”。従来の論語本では従来訳のように、材を子路の性質とし、「材の取る所無し」と読み、”とりえがない”と解する。しかしここでは桴とあることに注目し、材をいかだの材料と解した。
また別の解釈として、「所無くして材を取る」と読み、”どこでも材木を調達できる”とも解せるが、今回は採用を見送った。
論語:解説・付記
三国志の張飛同様、儒者も多くの論語読者も、子路は少し頭が足りないように見たがる。そこで従来訳のように書きたがるのだが、根拠はどこにもない。この点珍しく吉川本は、「いったいどこで、そうした大きないかだをつくる材料をとって来るというのかね」と訳している。
子路はこの公冶長篇を含む、論語の前半に影響力の強い曽子と、その系統を引く後世の孟子にとって、煙たい存在だった。曽子らにとっては一番早く入門した弟子団の棟梁であり、曽子らが不得意とした政治の才を孔子に評価され、武芸の達人だった。
子路は子貢と異なって、隣国の内乱に巻き込まれ孔子より早く世を去ったので、自分の派閥を残さなかったが、存命中は孔子一門の政治派の重鎮であり、曽子や有若とは折り合いが悪かったはず。そうした政治派嫌いは、論語の前半では徹底しており、派閥争いの強さを物語る。
しかし子路は論語や史料を読む限り、努めて善政を行った孔子のよき理解者であり、孔子の政治論を実践してのけた、頼もしい孔子の同志であったことに違いは無い。孔子ははっきりとは言っていないが、子路は論語で最高の徳とされる仁に、顔回を除き最も近かったと思われる。
論語子路篇27にある「剛毅木訥」とは、木訥=寡黙に目をつぶると、子路にふさわしい言葉だからだ。孔子の教説には至る境地に段階があり(論語雍也篇21)、子路は性格が真っ直ぐで勇気にも優れていたから、孔子の教説の高い境地にいたと考えて間違いない。
最後に儒者の感想文を見ておこう。
子曰道不行乗桴浮於海從我者其由也與註馬融曰桴編竹木也大者曰筏小者曰桴也子路聞之喜註孔安國曰喜與已俱行也子曰由也好勇過我無所取材註鄭𤣥曰子路信夫子欲行故言好勇過我也無所取材者言無所取桴材也以子路不解微言故戲之耳一曰子路聞孔子欲乘桴浮海便喜不復顧望故孔子歎其勇曰過我無所復取哉言唯取於己也古字材哉同耳疏子曰至取材 云道不行乗桴浮於海者桴者編竹木也大曰筏小曰桴孔子聖道不行於世故或欲居九夷或欲乘桴泛海故云道不行乘桴浮於海也云從我者其由也與者由子路名也言從我浮海者當時子路也故云其由與云子路聞之喜者子路聞孔子唯將與已俱行所以喜也云子曰由也好勇過我者然孔子本意托秉桴激時俗而子路信之將行既不達微㫖故孔子不復更言其實且先云由好勇過我以戲之也所以云過我者我始有乘桴之言而子路便實欲乘此是勇過我也云無所取材者又言汝勇乃過勝於我然我無所覓取為桴之材也
本文「子曰道不行乗桴浮於海從我者其由也與」
注釈。馬融「桴は編んだ竹や木である。大きなものは筏といい、小さなものは桴という。」
本文「子路聞之喜」。
注釈。孔安国「一緒に行けると聞いて喜んだのである。」
本文「子曰由也好勇過我無所取材」。
注釈。鄭玄「子路は先生を信じて行こうとした。だから先生は”武勇がある”と誉めた。無所取材とは、いかだの材料を取る所が無いということだ。遠回しにものを言ったのを子路が真に受けたので、からかったのだ。一説によると、子路は孔子がいかだで海に出ると聞いて、いそいそとその準備を始めたので、孔子は呆れて”余計な勇気が余っている。取り柄が無い”と歎いた。単に”取る”とだけ言って、”取材”とは言っていない。古くは”材”と”哉”は同じだったからだ。」
付け足し。先生は材を取ることを言い、それが記された。道不行乗桴浮於海とあり、桴とは編んだ竹や木である。大きなのを筏といい、小さなのを桴という。孔子の聖なる道は世間に流行らなかったので、”九夷”の蛮族のところへ行こうとして、あるいはいかだに乗って海に出ようとした。だから「道不行乘桴浮於海」と言った。從我者其由也與とあり、由は子路の名である。從我浮海とは、つまり子路を指す。だから「其由與」と言った。子路聞之喜とは、子路が孔子の話を聞いて、自分だけお供になれると思って喜んだのだ。子曰由也好勇過我とは、そうは言っても孔子の本意は俗世間でいかだのように浮かぶことにあったから、子路が言葉を真に受けて出かけようとし、孔子の遠回りな言い方に気が付かないのに呆れて、違う言葉を重ねて、”しゅごい武勇でちゅねー”と子路をおだてて済ませたのだ。過我とは、孔子が始めに”いかだに乗る”といったのを子路が真に受けたのを言ったのだ。無所取材とは武勇に優れすぎると言い、優れていない自分には竹取りの翁などご免だと言ったのだ。