論語詳解104公冶長篇第五(12)夫子の文章は*

論語公冶長篇(12)要約:当時としては万能に近い孔子先生は、天文学や博物学など、理系の知識もありました。しかし古典やお作法など文系の知識とは違い、あまり講義しなかったようです。恐らく先生没後にそれを回想した子貢の発言。

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論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子貢曰、「夫子之文章、可得而聞也。夫子之言性與天道、不可得而聞也*。」

校訂

武内本

清家本により、文末に已矣の二字を補う。唐石経已矣の二字なし。史記世家引、也已に作り、漢書睦宏伝引已矣に作り、外戚伝注引也已矣に作る。

定州竹簡論語

(無し)


→子貢曰、「夫子之文章、可得而聞也。夫子之言性與天道、不可得而聞也。」

復元白文(論語時代での表記)

子 金文江 金文曰 金文 夫 金文子 金文之 金文文 金文章 金文 可 金文得 金文而 金文聞 金文也 金文 夫 金文子 金文之 金文言 金文生 金文与 金文天 金文道 金文 不 金文可 金文得 金文而 金文聞 金文也 金文

※貢→江・矣→以。論語の本章は也の字を断定で用いている。「聴」と「聞」を混同している。本章は後世の儒者による創作である。

書き下し

子貢しこういはく、夫子ふうし文章ぶんしやうなり夫子ふうしせい天道てんだうとをふは、からかな

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

子貢
子貢が言った。「先生の文学と歴史の話は聞いてよく分かることが出来た。先生の生物学と天文学の話は聞いてよく分かることが出来ないで仕舞った。」

意訳

論語 子貢 思いで
子貢「先生の文系の話は良く分かったが、理系の話はよく分からなかった。」

従来訳

下村湖人

子貢がいった。――
「先生のご思想、ご人格の華はなというべき詩書礼楽のお話や、日常生活の実践に関するお話は、いつでもうかがえるが、その根本をなす人間の本質とか、宇宙の原理とかいう哲学的なお話は、容易にはうかがえない。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

子貢說:「老師的文章,可以聽得到;老師有關本性和天道的理論,不是光靠聽就能理解的。」

中国哲学書電子化計画

子貢が言った。「先生の文章は、聞いて分かった。先生の本性や天道の理論は、聞いただけでは理解できなかった。」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

子貢

孔子の弟子。論語の人物:端木賜子貢参照。

曰(エツ)

曰 甲骨文 曰 字解
(甲骨文)

論語で最も多用される、”言う”を意味する言葉。初出は甲骨文。原義は「𠙵」=「口」から声が出て来るさま。詳細は論語語釈「曰」を参照。

夫子(フウシ)

夫 甲骨文 子 甲骨文
(甲骨文)

論語の本章では”孔子先生”。従来「夫子」は「かの人」と訓読され、「夫」は指示詞とされてきた。しかし論語の時代、「夫」に指示詞の語義は無い。同音「父」は甲骨文より存在し、血統・姓氏上の”ちちおや”のみならず、父親と同年代の男性を意味した。従って論語における「夫子」がもし当時の言葉なら、”父の如き人”の意味での敬称。詳細は論語語釈「夫」を参照。

「子」は貴族や知識人に対する敬称。論語語釈「子」を参照。

之(シ)

之 甲骨文 之 字解
(甲骨文)

論語の本章では「の」と読んで”…の”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。字形は”足”+「一」”地面”。足を止めたところ。原義は”これ”。”これ”という指示代名詞に用いるのは、音を借りた仮借文字だが、甲骨文から用例がある。詳細は論語語釈「之」を参照。

文(ブン)

文 甲骨文 文 字解
(甲骨文)

論語の本章では”彫り付けたもの”→”文字”→”文学”。初出は甲骨文。「モン」は呉音。原義は”入れ墨”で、甲骨文や金文では地名・人名の他、”美しい”の例があるが、”文章”の用例は戦国時代の竹簡から。詳細は論語語釈「文」を参照。

章(ショウ)

章 金文 章 字解
(殷代金文)

論語の本章では”記されたもの”→”記録”→”史学”。初出は殷代末期の金文。字形は「䇂」”筆刀”+亀甲で、亀甲に文字を刻むさま。原義は”文章”。「漢語多功能字庫」によると、金文では”玉器”(㒼簋・西周中期)の意に用いた。詳細は論語語釈「章」を参照。

可(カ)

可 甲骨文 可 字解
(甲骨文)

論語の本章では”…できる”。初出は甲骨文。字形は「口」+「屈曲したかぎ型」で、原義は”やっとものを言う”こと。甲骨文から”…できる”を表した。日本語の「よろし」にあたるが、可能”…できる”・勧誘”…のがよい”・当然”…すべきだ”・認定”…に値する”の語義もある。詳細は論語語釈「可」を参照。

得(トク)

得 甲骨文 得 字解
(甲骨文)

論語の本章では”手に入れる”。初出は甲骨文。甲骨文に、すでに「彳」”みち”が加わった字形がある。字形は「貝」”タカラガイ”+「又」”手”で、原義は宝物を得ること。詳細は論語語釈「得」を参照。

而(ジ)

而 甲骨文 而 解字
(甲骨文)

論語の本章では”…かつ…”。初出は甲骨文。原義は”あごひげ”とされるが用例が確認できない。甲骨文から”…と”を意味し、金文になると、二人称や”そして”の意に用いた。英語のandに当たるが、「A而B」は、AとBが分かちがたく一体となっている事を意味し、単なる時間の前後や類似を意味しない。詳細は論語語釈「而」を参照。

可得而(えて…べし)

漢文では”できるようになる”や”してよい(か)”を表すが、論語ではこの言い廻しは本章だけで、孔子とすれ違うように春秋末から戦国を生きた墨子や、孔子没後一世紀に生まれた孟子からよく見られるようになる。少なくとも孔子生前の漢語としては、もったいぶった表現であり、後世「可」→「可得而」に書き換えられた可能性がある。

聞(ブン)

聞 甲骨文 聞 甲骨文
(甲骨文1・2)

論語の本章では”(先生の教えを)聞く”。初出は甲骨文。「モン」は呉音(遣隋使より前に日本に伝わった音)。甲骨文の字形は「耳」+「人」で、字形によっては座って冠をかぶった人が、耳に手を当てているものもある。原義は”聞く”。「耳」+「人」と見える字形も甲骨文にはある。詳細は論語語釈「聞」を参照。

也(ヤ)

也 金文 也 字解
(金文)

論語の本章では、「なり」と読んで断定の意。第四句では「かな」と読んで断定の意に解してもかまわないが、これらの語義は春秋時代では確認できない。初出は事実上春秋時代の金文。字形は口から強く語気を放つさまで、原義は”…こそは”。春秋末期までに句末で詠歎、疑問や反語に用いたが、断定の意が明瞭に確認できるのは、戦国時代末期の金文からで、論語の時代には存在しない。詳細は論語語釈「也」を参照。

言(ゲン)

言 甲骨文 孔子
(甲骨文)

論語の本章では”発言”。初出は甲骨文。字形は諸説あってはっきりしない。「口」+「辛」”ハリ・ナイフ”の組み合わせに見えるが、それがなぜ”ことば”へとつながるかは分からない。原義は”言葉・話”。甲骨文で原義と祭礼名の、金文で”宴会”(伯矩鼎・西周早期)の意があるという。詳細は論語語釈「言」を参照。

性(セイ)

生 金文 性 字解
(金文)

論語の本章では”生物学”。初出は西周中期の金文。ただし「生」と書き分けられていない。りっしんべんが付くようになったのは、後漢の『説文解字』から。「ショウ」は呉音。「生」とは若干音が異なる。同音は「省」「姓」「騂」。字形は「生」”地面から植物が生い育つさま”。原義は”生き物”で、のち”生き物の性質”を表すためりっしんべんが付いた。詳細は論語語釈「性」を参照。

孟子 荀子
伝統的な論語の解釈では、「性」を儒学の一大眼目である「性命論」(天から授けられた、人の持ちまえの性質とは何か、という議論)として捉え、孔子はそれを子貢には言わなかった、とする。しかし性命論がやかましくなったのは戦国時代の孟子と荀子によるもの。

與(ヨ)

与 金文 與 字解
(金文)

論語の本章では、”…と”。新字体は「与」。新字体初出は春秋中期の金文。金文の字形は「牙」”象牙”+「又」”手”四つで、二人の両手で象牙を受け渡す様。人が手に手を取ってともに行動するさま。従って原義は”ともに”・”…と”。詳細は論語語釈「与」を参照。

天(テン)

天 甲骨文 論語 天
(甲骨文)

論語の本章では”天体”。初出は甲骨文。字形は人の正面形「大」の頭部を強調した姿で、原義は”脳天”。高いことから派生して”てん”を意味するようになった。甲骨文では”あたま”、地名・人名に用い、金文では”天の神”を意味し、また「天室」”天の祭祀場”の用例がある。詳細は論語語釈「天」を参照。

道(トウ)

道 甲骨文 道 字解
(甲骨文)

論語の本章では”運行”。初出は甲骨文。「ドウ」は呉音。動詞で用いる場合は”みち”から発展して”導く=治める・従う”の意が戦国時代からある。”言う”の意味もあるが俗語。字形に「首」が含まれるようになったのは金文からで、甲骨文の字形は十字路に立った人の姿。原義は”みち”。”道徳”の語義は戦国時代にならないと現れない。詳細は論語語釈「道」を参照。

天道(テントウ)

論語の本章では”天の運行”→”天文学”。正確なこよみの作成に不可欠で、天文学がいい加減では、古代では例えば饑饉を招き、現代社会も時計が狂えば例えば物流が成り立たない。古代から現在に至るまで、人間社会の盛衰を左右する、極めて重要な学問だった。

渾天儀

渾天儀。中国独自の天体観測機器。

不(フウ)

不 甲骨文 不 字解
(甲骨文)

漢文で最も多用される否定辞。初出は甲骨文。原義は花のがく。否定辞に用いるのは音を借りた派生義。詳細は論語語釈「不」を参照。現代中国語では主に「没」(méi)が使われる。

也已矣(なるのみ)

上掲武内本の言う清家本は14世紀初頭の筆写だから、それによって唐の開成石経(835ごろ)を訂正できるというにはそれなりに手続きが要る。また論語の一般的傾向として、前漢中期の定州竹簡論語に比べ後漢末から南北朝にかけて成立した古注『論語集解義疏』は、やたらと意味なき言葉をつけ加える癖がある。「也」→「也已矣」もその一つで、清家本が伝えたのはそのようなハッタリと断じてよいし、文意は全然変わらない。あえて訳せば、「あるんであるんである」という、晩年になって頭がぼけた大隈重信のような言い廻しとなる。

論語:解説・付記

中国歴代王朝年表

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前漢年表

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論語の本章は、春秋戦国の誰一人引用せず、前漢中期の『史記』の、弟子伝ではなく孔子世家に、子貢の言として記されるのが初出。また前漢中期の終わりごろに埋蔵された定州竹簡論語から漏れている。従って前漢末期以降になって、論語に取り込まれた可能性がある。

また論語の本章を、孟子以降の「性命論」(人間の本質を問う議論)として解する本があるが、賛成しがたい。古代文明にとって天文学や生物学は極めて重要で、農作の結果を左右しその如何で国が栄えも滅びもしたから、性命論のような宗教論議をしている余裕は無かったからだ。

論語 君子 諸君 孔子
諸君は貴族を目指すのだから、迷信に惑わされてはならない。天命を占ったところで、信じるに足りる理由は何もない。他人を納得させるために占いの真似を見せはしても、自分が信じてどうする。(論語衛霊公篇37)

孔子塾とは平民出身の塾生が、君子=貴族に相応しい技能と教養を身につけて身分を格上げする場所であり、貴族の教養とは読み書きと算術、歴史の知識、そして詩を含む音楽だった。歴史を共有する者こそ同じ文明に属する者であり、史学の知識は中華人のあかしでもあった。

算術を必須としたのは、役人として計量と記帳に必要があるからであり、また将校として戦場での部隊編成や作戦立案に不可欠だったからだ。こうした孔子塾の必須科目を六芸と言うが、のこりは戦車の操縦と弓術であり、戦士としての技能だった(論語における「君子」)。

すると論語の本章で子貢が言う生物学や天文学は、いわゆる選択科目ということになる。君子の誰もが天文官や農業技師として仕官するわけではないだろうから。また訳者は自分の数理的無能を痛感するが、理数系の技能教養は、努力だけではどうにもならないところがある。

このようなものを見たら逃げ出すしかない。
数式

孔子時代の天文学については、論語が甲骨文や金文を除けばもっとも古い文献であることから、よくわからない。しかし論語に次いで古いと思われる『春秋』などでは、同時代人が注意深く天文を観察したことが伺えるし、1年が約365+1/4日であるとすでに分かっていた。

しかしそうした科学技術の担い手は、君子=貴族ではなく職人集団だったようで、ひょっとすると職能奴隷階級の技術だったかも。従って君子の教養とは見なされず、孔子塾の必須科目=六芸にも、「数」は入っているが「天道」「性」は入っていない。

孔子自身は「身分が低かったから多芸になった」(論語子罕篇6)と述解しているように、「天道」=天文学、「性」=生物学にも詳しかっただろう。天文学については『左伝』哀公十二年(BC483)の条に記事がある。

冬十二月、暦では寒い季節のはずなのに、夏に出るイナゴの被害が起こった。筆頭家老の季康子が孔子にわけを問うた。

季康子 孔子 キメ
孔子「火星が地平線に隠れてから、イナゴの害は収まるものです。今火星はまだ西の空に上がっています。これは天文官が暦を作り間違えたのです。」

また孔子は月の運行から天気を予報し、弟子の子の生誕を予言した。それについて没後、顔が似ているという理由で後継者に一端据えられた有若は、孔子が予言できた理由を弟弟子に問われて答えられず、ボンクラだとして降ろされた伝説がある(論語の人物:有若子有)。

次に孔子の生物学については、博物の段階を出ていないものの、異様なけものを「麟」だと見抜いたり、越で出土した巨骨や、季氏の屋敷の井戸から出てきた化石のなんたるかについて、それが現代科学の批判に耐えるかはともかく、問う者にうんちくをたれて感心されている。

さて子貢が本章で数理に関わる感慨を述べたのは、彼自身興味があったからだろう。商売や外交といった現実的な才に、弟子の中で最高の業績を残しているからには、いわゆる理数系に興味を持って当然だから。珍しい産物が出たと聞けば、車を飛ばして買い付けに出かけたかも。

珍しい産物と言えば『左伝』の記述によれば、黄河流域の晋国で「龍」が出たと書いてある(昭公二十九年=BC513)。おそらくはワニだろうが、今日でも揚子江にはヨウスコウワニが住んでいる。それだけ当時の華北は温かかったわけ。
ヨウスコウワニ

また論語の時代はサイの皮を武具に用いており、華南にはゾウもいた可能性がある。



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