論語詳解351憲問篇第十四(19)公叔文子の臣°

論語憲問篇(19)要約:記録を読んでいた孔子先生。隣国では、かつて自分の家来の才能に気が付いて、もったいないから君も家老になりなさい、と言い同格に引き上げた賢臣がいました。これこそ私の理解者だと、先生は賞賛するのでした。

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論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

公叔文子之臣大夫僎、與文子同升諸公。子聞之曰、「可以爲文矣。」

校訂

定州竹簡論語

……『文』。」383

復元白文

公 金文叔 金文文 金文子 金文之 金文臣 金文大 金文夫 金文 与 金文文 金文子 金文同 金文升 金文者 金文公 金文 子 金文聞 金文之 金文曰 金文 可 金文㠯 以 金文為 金文文 金文已 矣金文

※矣→已。論語の本章は僎の字が論語の時代に存在しないが、固有名詞のため言葉が存在しなかったとは断じがたい。

書き下し

公叔文子こうしゆくぶんししん大夫僎たいふせん文子ぶんしおなじくこれおほやけのぼる。これいていはく、もつぶんなり

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

公叔文子の家臣、大夫センは、文子と同じく公の地位に上がった。

論語 孔子
先生がそれを聞いて言った。「それを理由に文と名付けてしまっていい。」

意訳

むかし衛国の家老・公叔文子の家臣だった僎は、文子の推薦で、同じ家老格の地位についた。先生がそれを聞いて言った。

論語 孔子 褒める
「なるほど公叔どのには、文というおくり名がふさわしい。」

従来訳

論語 下村湖人

公叔文子の家臣であった僎は、大夫となって文子と同列で朝廷に出仕した。先師はそのことを知っていわれた。―― 「公叔文子は文の名に値する人だ。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

公叔文子推薦一個傭人做了大夫,與他平起平坐。孔子說:「公叔文子可以稱為『文』了。」

中国哲学書電子化計画

公叔文子は召使いの一人を家老に推薦し、共に立ったり座ったりした。孔子が言った。「公叔文子は”文”と呼ばれる資格がある。」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

公叔文子

論語憲問篇14にも登場。論語時代の衛国の家老の一人。名は抜。別名、公叔発。『春秋左氏伝』では、魯の襄公二十九年(BC544)の条に、南方の呉国からやって来た賢者として知られる公子札(季札)により、「君子」と評された一人として名が挙がっており、この時孔子は数えで8歳。

適衛,說蘧瑗,史狗,史鰌,公子荊,公叔發,公子朝,曰,衛多君子,未有患也,

(公子札は)衛に行った。蘧瑗、史狗、史鰌、公子荊、公叔発、公子朝と会談して言った。「衛には素晴らしい君子が多いですなあ。だからこれまで、小国ながら国を保ってきたのですね。」(『春秋左氏伝』襄公二十九年2)

大夫僎(タイフセン)

古来誰だか分からない。中國哲學書電子化計劃で検索してもヒット無し。公叔文子に推薦されて家老格になったというのは、古注に以下の通りあるのが論拠。

文子是衛大夫僎本是家臣見之有才能不將為己之臣恐掩賢才乃薦於衛君衛君用之亦為大夫與文子尊卑使敵恒與文子齊列同班者也

文子は是れ衛の大夫なり。僎は本と是れ家臣にして、之に才能有るを見て、将に己之臣為りて賢才を掩うを恐る。乃ち衛君薦む。衛君之を用いて亦た大夫為らしめる、文子卑を尊びてたぐい恒なら使む。文子與斉しく列びて班を同じくする者也。

論語 古注 皇侃
文子は衛国の家老だった。僎はもともと文子の家臣だったが、才能があるのを文子が見抜いて、自分の家臣のままでは才能が世から隠れてしまうのを恐れた。乃=そう思い当たってやっと、衛国公に推薦した。国公が僎を採用して、文子と同じ家老に任じると、文子は僎を尊重して対等の付き合いをした。かくして僎は文子と並んで同格の家老になった。(『論語集觧義疏』)

つまり家臣の僎が有能なので、自分の家臣では宝の持ち腐れになってしまうと思い、国公に推薦して自分と同格にした、という。

「僎」は論語では本章のみに登場。初出は後漢の説文解字。論語の時代に存在しない。部品の「巽」の初出は戦国早期の金文。『学研漢和大字典』によると会意兼形声。「人+(音符)巽(そろえる)」、という。詳細は論語語釈「僎」を参照。

諸公

論語の本章では”もろもろの大貴族”ではなく、”これを朝廷に”。

古注によると「諸之也」(諸は也である)といい、既存の論語本では吉川本に、「ショ」=「之於シオ」(これを…に)という、論語にもよくある用例という。詳細は論語語釈「諸」を参照。

「公」は”朝廷”の意で、『字通』によると、閣僚級の臣下が国事を論じる、祖先祭殿の前庭の象形という。詳細は論語語釈「公」を参照。

「文」というおくりな。また事実かどうかは別として、『礼記』檀弓下篇によるとおくり名は「文」一文字ではなく「貞恵文子」だったという。論語憲問篇14語釈参照。

論語:解説・付記

論語の本章とよく似た判断を孔子が下した別伝を、すでに論語子路篇20の付記に記した。概要だけ再掲する。

論語 孔子 居直り 論語 子貢 自慢
孔子「業績を残した人と、その人を見出した人と、どっちが偉い?」
子貢「そりゃまあ、見出した人でしょうね。」
孔子「そうだろ。」(『孔子家語』賢君2)

文というおくり名(諡号)は論語公冶長篇14付記の通り、最高のおくり名=死後にその人物を評して付ける呼び名だった。

經緯天地曰文。道德博厚曰文。勤學好問曰文。慈惠愛民曰文。愍民惠禮曰文。錫民爵位曰文。

論語 文 篆書
”天地を知り尽くした人を文という。道徳的で人格者を文という。学問を好みよく調べた人を文という。恵み深くて民を可愛がった人を文という。民を憐れんで丁寧に扱った人を文という。民によい身分を与えた人を文という。”

文の原義は”文様”であり、のち漢字を意味するようになった。漢代に紙が実用化されるまで、文字は甲骨や青銅器、または石や絹に記されたため、費用と手間暇が掛かり、また知識も必要だった。宋代に儒家が官界をほぼ独占すると、文字そのものを崇めるようにさえなった。

これは宋代の儒学が朱子学に代表されるような、オカルト半分の黒魔術だったことも起因しているが、文字を読む者=儒者の権威を一層高め、つまりは利権やワイロを社会から取り尽くす手段でもあった。「敬惜字紙」=字の書かれた紙を敬う、という言葉はこの頃からになる。

それゆえ学校や科挙の試験場の類には、「惜字炉」という、反故紙専用の焼却炉が設置され、一般のゴミと混ぜるなどとんでもない不敬とされた。wikipedia敬惜字紙条に引く「惜字律」=字を敬う規則には、次のようなデタラメが書いてある。

  • 平生偏拾字紙至家,香水浴焚者。萬功。增壽一紀。長享富貴。子孫榮貴。
    ”普段から文字の書かれた反故紙をまちから拾い集め、持ち帰って香水を振り掛け恭しく焚き上げた者には、一万の御利益がある。まず十二年寿命が延び、年齢とともに財産と地位が上がり、子孫が繁栄して栄職に就く。”
  • 見人作踐字紙。能以素紙換焚。或以他物換焚者。五十功。百病不生。轉禍為福。
    ”他人の反故紙を新品の紙やその他の物品と交換し、恭しく焚き上げた者には、五十の御利益がある。病気にかかっても悪化せず、災いが福に転じる。”
  • 生平不輕筆亂寫,塗抹好書者。十功。永無凶事。
    ”普段から文字を尊んで丁寧に書き、見目よく記す者には、十の御利益がある。めったに災難に遭わなくなる。”
  • 字紙糊窗墊,褙屏表書者。定冤枉不明。
    ”字の書いてある紙で窓を張り、ついたての裏打ちに使ったやからは、無実の罪に落とされて助からない。”
  • 己身不敬字紙經書。又不訓教子弟,遞相輕侮者。一百罪。惡瘡遍體。生癡聾暗啞。
    ”文字の書かれた紙や儒教の経典ををバカにして、子供に儒教を教えず、代々儒教を軽んじるやからは、百の天罰が当たる。体じゅうが出来物だらけになり、知能や体に不自由のある子供が生まれる。”

マルセイユ
こういう無神経には怒りを覚える。マルセイユで意識無き人種差別に遭った時を思い出しもする。儒者は人々を脅し、孔子以前の儒=拝み屋に本卦帰りした。そしてこの残忍な滑稽は、海の向こうの話と笑えない。朱子学にイカれた𠮷外儒者が、明治時代に似たことをしたからだ。

内村鑑三不敬事件がそれで、明治帝の名を記した紙を拝まなかった、との理由で袋だたきに遭った。それが通ってしまったから、𠮷外儒者や神主がのさばり、ついには壊滅的な敗戦を迎えることになった。世に𠮷外の種は尽きないだろうが、くれぐれも気を付けるべきだろう。

詳細は日本儒教史を参照して頂きたいが、21世紀の今になっても、𠮷外が国内外の政界でのさばっている。人に生まれつき賢愚の差がある以上、誰にもどうしようもない事ではあるが、誰でも𠮷外を分別し手を貸さないことは出来る。破滅を避けるにはせいぜいそれしかない。

他でもない孔子がすでに、無神論者だったのだから。

詳細は孔子はなぜ偉大なのかを参照されたい。蛇足ながら日本でのフランス観は「おフランス」と言うぐらいよろしいのだが、その本質は日本以上に官僚が威張っている陰険な警察国家だ。戦前の日本で横暴と残虐の限りを尽くした憲兵と特高は、フランスの制度に倣っている。

だが本家は敗戦を経ていないので、今でも町中に憲兵がうろついている。これは官僚天国であり続けている、過去と現在の中国に似ているし、どちらも夜郎自大な中華思想を共有している。フランス人の抜けがたい人種差別は、こういうサド体質から生じた病気に他ならない。

論語憲問篇15付記でジャック=ラカンをクズと断じたが、その理由の一つは、高等師範学校を出るとすぐさまパリ警視庁に就職したあたりから始まっている。いろいろと真っ赤なことを言い回りながら、当人は神父だった弟の伝手で、ローマ法王との謁見を熱望したらしい。

権威主義は人を不幸にする。フランスも中国も、日本でもそれは変わらない。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。覚悟致せ。

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コメント

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