論語詳解352憲問篇第十四(20)衛の霊公無道°

論語憲問篇(20)要約:年収111億円と聞いて、どんな生活を想像します? 孔子先生は衛の殿様から、何も仕事をしないのにそれほどの俸給を貰いました。それなのに先生は、殿様が無茶な人だと若家老に愚痴ります。なぜでしょうか。

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論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子言*衞靈公之無道*也。康子曰、「夫如是、奚而不喪。」孔子曰、「仲叔圉治賓客、祝鮀治宗廟、王孫賈治軍旅。夫如是、奚其喪。」

校訂

武内本

清家本により、道の下久の字を補う。唐石経曰を言に作る。釋文云、子曰一本言に作る。唐石経久の字なし、此本久の字ある恐らくは衍。

定州竹簡論語

言a衛靈384……治軍旅。夫如385……

  1. 言、皇本、『釋文』作”曰”。

→子言、「衞靈公之無道也。」康子曰、「夫如是、奚而不喪。」孔子曰、「仲叔圉治賓客、祝鮀治宗廟、王孫賈治軍旅。夫如是、奚其喪。」

復元白文

子 金文論語 言 金文 論語 衛 金文論語 霊 金文公 金文之 金文無 金文道 金文也 金文 康 金文子 金文曰 金文 夫 金文如 金文是 金文 論語 奚 金文而 金文不 金文論語 喪 金文 孔 金文子 金文曰 金文 仲 金文叔 金文圉 金文論語 持 金文賓 金文論語 客 金文 祝 金文它 金文論語 持 金文論語 宗 金文論語 廟 金文 王 金文論語 孫 金文賈 金文論語 持 金文論語 軍 金文論語 旅 金文 夫 金文如 金文是 金文 論語 奚 金文其 金文論語 喪 金文

※治→持。

書き下し

いはく、ゑい靈公れいこうこれみちかりしかなと。康子かうしいはく、かくごとくんば、なんぞしうしなはざると。孔子こうしいはく、仲叔圉ちうしゆくぎよ賓客まらうとをさめ、祝鮀しゆくだ宗廟おやのつかをさめ、王孫賈わうそんか軍旅いくさをさむ。かくごとくんば、なんうしなはむと。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 孔子
先生が明瞭に言った。「衛の霊公は、まことに原則の無い殿様でしたよ。」季康子が言った。「その通りなら、どうして失わなかったのか。」孔子が言った。「仲叔ギョが国賓の応対をし、祝が祖先祭祀を司り、王孫が軍事を統制しました。その通りでしたから、どうして失いましょう。」

意訳

論語 孔子 不気味 論語 季康子
孔子「まったく衛の霊公さまは無茶苦茶な殿様で、困ったものでしたよ、本当に。」
季康子「フフフ。そんな暗君なら、なぜ衛国は滅ばない?」

孔子「家臣の出来がよかったからですよ。孔圉どのが外交を、祝鮀どのが祭祀を、王孫賈どのが軍事を司っていました。これで国が滅んだら、不思議というものです。」

従来訳

論語 下村湖人

先師が、衛の霊公は無道な君主だと非難された。すると大夫の季康子がいった。――
「仰しゃるとおりだとしますと、どうして国が亡びないのでしょう。」
先師がいわれた。――
「仲叔圉が外交に任じ、祝駝が内政を司り、王孫賈が国防の責を負っています。これだけの人物がそろっていて、どうして国が亡びましょう。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子說衛靈公之無道,季康子說:「既然如此,為什麽不敗亡呢?」孔子說:「仲叔圉治接待賓客、祝鮀管理宗廟、王孫賈統帥軍隊,像這樣,怎麽會敗亡呢?」

中国哲学書電子化計画

孔子が衛の霊公の無軌道ぶりを言った。季康子が言った。「なるほどその通りなら、なぜ国を滅ぼさなかった?」孔子が言った。「仲叔圉が賓客を接待し、祝鮀が宗廟を管理し、王孫賈が軍隊を統率していたら、どうして国を滅ぼしましょうか。」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

衞(衛)靈(霊)公

論語 衛霊公
BC540-BC493。BC534年即位。論語時代の衛の代9代君主。姓は姫、名は元。妃は南子。太子は蒯聵カイカイ。やり手の君主で、小国の衛を大国・晋の圧力からよく守り抜いた。BC502、晋の家老に辱められたときには晋への反抗を決意したが、その際には都城の市民に意見を聞いてから実行している(『春秋左氏伝』定公八年)。

『史記』孔子世家によると、BC497、孔子が衛国に亡命した際には、特に仕事も与えないのに、粟六万斛(1,200,000リットル、2,568.5人が食費とそれ以外含め一年間生活できる俸給。2018年の日本の平均年収で換算すると、110億9,592万円)をポンと与えている。しかし孔子を政権中枢へ据えようとはせず、それが孔子が「無道」と言っている原因。

政権に就かせなかったのは、孔子の能力に疑問を持ったほかに、論語の本章のような人材が衛国には揃っており、割り込ませる隙間がなかったため。よそ者の孔子を政権に据えたら、当然それらの家老たちが反発するのも必至で、その意味からも孔子は無茶を言っている。

「霊」の初出は春秋早期の金文。おくり名のタネ本、『逸周書』諡法解には次の通り言う。

死而志成曰靈。亂而不損曰靈。極知鬼神曰靈。不勤成名曰靈。死見神能曰靈。好祭鬼神曰靈。

死後に志が達成された者を霊という。暴君だったが国が滅びなかった者を霊という。鬼神を知り尽くした者を霊という。努力もせずに名を挙げた者を霊という。死んで奇跡が起こった者を霊という。鬼神の祭祀を好んだ者を霊という。

文字の詳細は論語語釈「霊」を参照。

無道

「道」の詳細な語釈は、論語語釈「道」を参照。

道がない=原則がない。孔子の価値基準から言って原則がないように見えただけで、傍目から見れば霊公の処置は当然に思えただろう。上記六万もの捨て扶持をくれてやっただけでも、家老たちの反感を誘っただろうが、不満を持った孔子は恐らく衛国内で政治工作を行った。

「孔子様は理想の政治を実現させるため、諸国を巡った」とお行儀の良い論語本は書いているが、すでに確立した政権に政治のやり方を変えろと要求することは、要するにクーデターを企むことであり、身分制社会での政変とは、前政権担当者の処刑や追放が付き物。

孔子は巡った諸国にとり、とんでもない危険人物だったのだ。現代中国でも権力者がその座にしがみつくのは、辞めたら殺されるからで、中国屈指の名君と言われる清の康煕帝でさえ、ひっそり暮らしていた明朝の生き残りを、「謀反の事実は無いが願わなかったはずが無い」という、無道を言い、しかも惨殺し、一族を皆殺しにている。中国の政治は殺すか殺されるかだ。

このため霊公が孔子に監視を付けたことが、『史記』孔子世家に記されている。また家老たちの反発も大きく、霊公に孔子を排除するよう告げたことも記されている。「巨額の金を貰ったのに、政権転覆の工作までしている。出て行って貰おう!」…当然ではなかろうか。

孔子は宿所に特務がうろつきだしたのを見て、特に抗議するでもなく、脱兎の如く衛国から逃げ去っている。仮にお行儀よく過ごしていたなら、武装集団でもある孔子一行は、何らかの抵抗を見せるはずだが、身に覚えがあり過ぎたからこそ、さっさと逃げたのだ。

孔子は恐らく、衛国の民間に巨大なつながりがあり、一つは子貢の実家だった商家で、もう一つは斉・魯・衛に幅広い勢力を持つ任侠団体の首領・顔濁鄒ガンダクスウだった。顔濁鄒は母の同族であり、弟子の子路の義兄。孔子は最初の衛国滞在の際、顔濁鄒の屋敷にわらじを脱いでいる。

衛国政府としては、無視するわけにはいかなかった。

康子

魯国門閥家老家筆頭・季氏の当主、季康子。彼と話していることから、論語の本章は孔子が魯に帰国した後のことと思われる(BC484、哀公十一年、孔子68歳)。季康子は衛での孔子のいきさつを知っているから、無道とは思えなかったわけ。だから”無道なら、なんで衛国は滅ばない?”と反問したわけ。

仲叔圉(チュウシュクギョ)

=孔圉・孔文子。?ーBC480。衛国門閥家老家の当主で、国公の霊公の娘婿、のちに反乱を起こす太子・蒯聵カイカイの姉の夫に当たる。つまりの蒯聵の義兄。息子は孔カイ。死後「文」というおくりなを贈られたことについて、論語公冶長篇14に言及がある。孔子の弟子の子路は孔圉に仕えた。政権奪回を目指す蒯聵に隙を与えず、生前では蒯聵とそれを手引きした姉も手が出せなかった。

「圉」の初出は甲骨文。論語では本章のみに登場。『学研漢和大字典』によると会意。幸の原字は上下から手首をはさむ手かせを描いた象形文字。圉は「囗(かこい)+幸(手かせ)」で、罪人に刑を加え、囲いの中に押しこめることをあらわす。ギョという音は行動を押さえ取り締まる意を含む、という。詳細は論語語釈「圉」を参照。

初出は戦国文字で、論語の時代に存在しないが、同音の「持」に”まもる・たすける・ささえる・たもつ”などの語釈があり、音通する。また近音に「知」があり、語義を共有する。詳細は論語語釈「治」を参照。

賓客

「賓」とは国賓のような身分ある来訪者をいい、「客」は流浪人を含め広く来訪者を言うが、論語の本章では熟語として、現代日本語と同じく”賓客”と解するしかない。論語の当時、国賓を応接するのは、外交を担当することも意味した。

祝鮀(シュクダ)

生没年未詳。論語時代の、衛国の家老の一人。字は子魚。衛国の大神官(大祝)を務めたので氏を祝とした。「口がうまい」と論語雍也篇16で孔子に評されている。

宗廟

国公の先祖の霊魂を祀った祭殿。建物を管理するだけでなく、祝鮀は大祝として祭祀も取り仕切ったのだろう。

王孫賈(オウソンカ)

論語八佾篇13にも登場。孔子と同時代の、衛国の軍事担当家老。晋に辱められた霊公をよく補佐しており、賢臣と言っていい。

論語:解説・付記

論語の本章の対話相手である季康子は、事実上の魯の宰相で、国公の哀公との関係は、こんにちの世界で元首と首相が分かれているのに似ている。上記の通り、孔子は愚痴を季康子に言っているのであり、若くとも政治的には常識的な季康子は呆れて、孔子に反論したわけ。

そして孔子が理由を説明するのに、「家臣の出来がよかったからだ」と言ったのは、孔子の立場を示し、「私のような賢臣がいれば、無道な君主でも国は保つ」と主張した。孔子も人間であり、不平不満がこぼれることもあったわけで、この点からも儒者の注釈は信用できない。

朱子が何と言っているか覗いてみよう。

仲叔圉,即孔文子也。三人皆衛臣,雖未必賢,而其才可用。靈公用之,又各當其才。尹氏曰「衛靈公之無道宜喪也,而能用此三人,猶足以保其國,而況有道之君,能用天下之賢才者乎?詩曰:『無競維人,四方其訓之。』」
仲叔圉は即ち孔文子也。三人皆衛臣にて、未だ必ずしも賢ならずと雖も、し而其の才用う可し。霊公之を用い、又た各の其の才に当つ。尹氏曰く、「衛霊公之無道宜く喪うべき也、し而能く此の三人を用う。猶お以て其の国を保つに足り、し而況んや有道之君ならば、能く天下之賢才を用いる者ならん乎。『詩経』に曰く、『にわか無きの人、四方の其れ之のおしえなり。』」(『論語集注』)

論語 朱子 新注 尹焞
朱子「三人はどれも衛の臣下だが、孔子様ほどの賢者ではない。まあ使い道はあった。霊公は三人を用いて、才能に合った仕事をさせた。」

イントン「衛の霊公の無道は、国が滅んで当然だった。だが三人をうまく使いこなして、国を保てた。もし有道の君主なら、天下の賢才を使いこなせるに決まっているのだが。『詩経』に言う。”努力をやめない人は、天下の手本である”と。」

さすがの朱子も、霊公がやり手だったことは認めざるを得なかったようだ。尹焞の言っていることは良くわからない。ケチを付けようとして付けられないから、詩(『詩経』大雅・抑)でごまかしたのだろう。軍国主義者は官製の軍国スローガンしか言えないのと似ている。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。もし長生きしたいなら、悪いことはせぬものだ。それでもやるなら、覚悟致せ。

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コメント

  1. […] 所以不遇也:”だから不遇なのだ”。「遇」は迎えることで、待遇を与えること。不遇=高給を与えられないと解してもいいが、弟子たちの親分である孔子は、年俸111億円を与えられても、政治の実権を握れなければ文句を言った(論語憲問篇20「子、衛霊公の無道をいう」)。 […]

  2. […] 対して孔子は、誰が旦那でもない。魯の宰相だった時、衛に亡命した時には、孔子は現代換算で111億円の年俸を得ていた(論語憲問篇20)。弟子の数三千という誇大を考え合わせると、別に養って貰わなくても、弟子共々食えたのである。無論、生活の糧に困った時もあった。 […]

  3. […] どのようにやり手だったかは、この論語憲問篇20にある通り。 […]

  4. […] 「知られない」を儒者がうそ泣きするように、どの諸侯も採用しなかったと言うのもウソである。放浪人の孔子を衛の霊公は、現代換算で111億円もの年俸で雇っている(論語憲問篇20)。孔子が一時は衛国乗っ取りを計ったにもかかわらず、再受入までしている優遇ぶりだ。 […]