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論語詳解373憲問篇第十四(41)子路石門に宿る°

論語憲問篇(41)要約:孔子先生が自国の魯で行った政策は、庶民に人気どころか不満続出でした。だから庶民の支持を得られず、門閥家老にに追い出されることになったのです。しかしそんな先生を、密かにじっと眺めている人がいました。

    (検証・解説・余話の無い章は未改訂)

論語:原文・書き下し

原文

子路宿於石門。*晨門曰、「奚自。」子路曰、「自孔氏。」曰、「是知其不可而爲之者與。」

校訂

武内本

清家本により、晨門の前に石門の字を補う。唐石経、石門の二字を重ねず。

定州竹簡論語

……石門。晨門曰:404……

復元白文(論語時代での表記)

子 金文路 金文宿 金文於 金文石 金文門 金文 晨 金文門 金文曰 金文 奚 金文自 金文 子 金文路 金文曰 金文 自 金文孔 金文氏 金文 曰 金文 是 金文智 金文其 金文不 金文可 金文而 金文為 金文之 金文者 金文与 金文

書き下し

子路しろ石門せきもん宿やどる。晨門しんもんいはく、いづれりすと。子路しろいはく、孔氏こうしりす。いはく、あたるをこれもの

論語:現代日本語訳

逐語訳

子路
子路が石門に泊まった。朝の門番が言った。「どこから来た。」子路が言った。「孔氏より来た。」門番が言った。「それは出来ない事を知りながら行う者か。」

意訳

子路 喜び 成 字解
子路が石門に泊まった。翌朝、都城に入ろうとして門番に問われた。
門番「どこの人だね。」
子路「孔子先生の一門の者だ。」
門番「ああ、あの出来ないと知りつつやっているお人じゃな。」

従来訳

下村湖人

子路が石門に宿って、翌朝関所を通ろうとすると、門番がたずねた。――
「どちらからおいでですかな。」
子路がこたえた。――
「孔家のものです。」
すると門番がいった。――
「ああ、あの、だめなことがわかっていながら、思いきりわるくまだやっている人のうちの方ですかい。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

子路在石門睡覺,看門的說:「哪來?」子路答:「從孔子那裏來。」問:「是那個明知做不到卻還要去做的人嗎?」

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子路が石門で寝て、門番が言った。「どこから来た?」子路が答えた。「孔子先生の所から来た。」問うた。「というのは、あの明らかに出来ない事をそれでもやろうとしている人か?」

論語:語釈

宿 、「 。」 、「 。」、「 。」


石門(セキモン)

石 金文 門 金文
(金文)

古来どこだか分からない。「石門」と呼ばれた地名は中国全土にあるが、宋代の地理書『太平カン宇記』では、「古しえの魯の城に七門あり。南の次(=順番)で第二門を石門と名づく」と書くが、想像の域を出ない。「宿る」と本文にあるから、魯の都城近くの、石門があるまちだろうとは、訳者個人の感想。

「石」(セキ)の字は論語では本章のみに登場。初出は甲骨文。呉音は「ジャク」、「シャク・コク」は慣用音。『学研漢和大字典』によると象形文字で、がけの下に口型のいしのあるさまを描いたもの、という。詳細は論語語釈「石」を参照。

晨門(シンモン)

晨 金文 門 金文
(金文)

論語の本章では”門番”。

「晨」は”日の出”。論語では本章のみに登場。初出は甲骨文

『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字。辰(シン)は、二枚貝が開いて、ぺらぺらと震える舌を出したさまを描いた象形文字。蜃(シン)(はまぐり)の原字。晨は「日+(音符)辰」で、日がふるいたってのぼってくること。また生気のふるいたって動きはじめるあさ、という。詳細は論語語釈「晨」を参照。

論語時代のまちは、まわりをぐるりと城壁で囲ってあり、日の出と共に開けて、日の入りと共に閉じた。門番の中でも、朝番を務める人物のこと。なお本章の問答から分かるように、この門番はただ者ではない。

論語:付記

中国歴代王朝年表

中国歴代王朝年表(横幅=800年) クリックで拡大

論語の本章は史実を疑えないと同時に、春秋時代の世の中を知る重要な手がかりを提供している。子路は門番の問いに対して「孔氏から来た」と答えている。つまり子路自身も孔氏の一人だと言っているわけで、同じくファミリーネームを示す姓と氏の違いを表している。

姓 甲骨文「姓」とは上掲の甲骨文に見られるように、「女」と「生」の組み合わせで、同じ女性から生まれて始まる一族を意味する。のちに「女」が「亻」に変えられた文字も見られるようになるが、最古の意味は女系の血統を共有する者たちの集まりを示していた。

これは論語の時代に入っても同じで、周王室の姓「姫」を名乗る諸侯が各地に居たのは、周王室から公室の妃を迎え、その子が公位を継いだあとは「姫」姓を名乗れたからに他ならない。同時に「姫」が、いわゆる”お姫様”を意味するようにもなっていった。

氏 金文
これに対して「氏」は、食事に用いるナイフをその淵源とする。これに関しては藤堂説も白川説も変わらない。ただ白川説は、このナイフを用いて共に食事を摂る者の集団を意味するという。藤堂説は「逓=伝わるの字に当てて、代々伝わる」というが、これには賛成しがたい。

「氏」のカールグレン上古音がȡi̯ĕɡ(上)に対して「逓」は不明だが、藤堂上古音は「氏」dhieg:「逓」degという。近音と言えば近音だが、「逓」の字形が見られる初出は、分からないほど新しい。従って逓の字を理由に語源を説くのは無理があるように思うからだ。

ゆえに白川説に従うと、氏は血統を同じくしなくても、共に食卓に着く関係であれば名乗れたことになり、言い換えれば山賊は血統を共有しなくとも、みな同じ氏を名乗り得た。それゆえ氏に職能集団の語義があるのであり、春秋時代の政党である孔子一門も同様だった。

「氏」につき、『学研漢和大字典』もこう記す。

  1. {名詞}うじ(うぢ)。中国で、同じ女性先祖から出たと信じられた古代の部族集団(姓)のうち、住地・職業、または兄弟の序列などによってわかれた小集団のこと。また、その小集団の名の下につけることば。「太史氏」「孟孫氏」。
  2. {名詞}うじ(うぢ)。古代には貴族の家がらの者の家の名の下につけることば。また、のち姓と氏とを混同し、すべて家の血統をあらわす名の下につけることば。
  3. {名詞}王朝名や国名の下につけることば。その王朝や国をたてた家の名の下につけたり、また、王朝名や国名そのものに氏をつけたりして呼ぶ。「劉氏(リュウシ)(漢の王朝)」「李氏(リシ)(唐の王朝)」。

そもそも女系や男系と言った、ローマの氏姓制度が念頭にあるから、かえって中国古代の姓氏が分からないのであって、氏はもとから血統と関係なかったと解すれば、姓氏の違いがはっきりする。氏は共同でなにがしかの作業に当たる集団であり、血統が重なる場合はたまたまだ。

ダメ押しに『字通』の語釈も掲げておく。読み飛ばした方がいいかも知れない。

[象形]小さな把手のある刀の形。共餐のときに用いる肉切り用のナイフ。その共餐にあずかるものが氏族員であったので、氏族の意となる。族はえん(はたあし)と矢に従い、矢は誓約に用い、氏族旗の下で誓約に加わる者の意。氏は祭祀、族は軍事、ともにその氏族儀礼に与るものをいう。〔説文〕十二下に「巴蜀、山岸のむね𠂤たい(堆)、旁箸して落𡐦らくだせんと欲する者を、名づけて氏と曰ふ。氏の崩るる聲、數百里に聞ゆ。象形」(段注本)とし、揚雄の〔解嘲〕「響くこと氏隤したいごとし」の句を引くが、それは氏の本義本訓とも思われず、氏族の意と全く関するところがない。氏の音は是と近く、段玉裁は是を氏の本字とするが、是はさじの象形字。先端がスプーンの形である。氏族共餐の儀礼としては、廟祭に長老が牲肉をわかつのを宰(廟屋の形と、牲肉を切る曲刀の形)というように、共餐の肉を頒つ氏の方がふさわしい。氏の大なるものはけつ、いわゆる剞劂きけつ(ほりもの刀)の劂の初文で、これは彫刻などに用いる。古代の氏族は、王朝との関係において、職能的に組織されることが多く、〔周礼〕の官制には保氏・媒氏・射鳥氏・方相氏のように、氏を官名とするものが多い。その古礼を伝承する氏族の名であろう。

藤堂博士は「氏」の本義に迫るにあたって、「逓」ではなく「是」にしたがった方がよかったのではなかろうか。「氏」のカールグレン上古音がȡi̯ĕɡ(上)に対して「是」もȡi̯ĕɡ(上)であり、ナイフとスプーンを用いて共に会食する一族の意、とするのが妥当に思う。

それは次章の定州竹簡論語が、「孔氏」を「孔是」と書いていることからも言える。

さて中国の隠者には二種類あり、人里離れた土地に独り住む隠者の他に、「市隠」と言ってまちに住みながら隠者生活を送る者があった。中国史上で有名なのは、戦国四君子の一人・信陵君の門客だった侯嬴コウエイで、信陵君のために特に何もするでなく、市隠として門番を勤めていた。

だが信陵君の危機の際には勇士を推薦し、策を授けた後、自殺してその行く末を祈った。詳細は『史記』現代語訳:魏公子列伝を参照。

『論語』憲問篇:現代語訳・書き下し・原文
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