論語詳解259先進篇第十一(6)季康子問う、弟子°

論語先進篇(6)要約:孔子先生が放浪から帰国して、迎えた若家老が問います。お弟子の中では、誰が一番学問が好きですか、と。先生はすでに世を去った顔回の名を挙げます。その死には、あるいは若家老の責任もあるのですが…。

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論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

季康子問、「弟子孰爲好學。」孔子對曰、「有顏回者好學*、不幸短命死矣。今也則亡*。」

校訂

武内本

清家本により、學の下に不遷怒不貳過の六字を、亡の下に未聞好學者也の六字を補う。二句十二字諸本なし、此本(=清家本)蓋し雍也第三章によって補益する所、削るべし。

定州竹簡論語

……短命死矣,今也a則b。」265

  1. 也、原脱漏、又補加於旁。
  2. 皇本、高麗本”亡”下有”未聞好學者”五字。

復元白文

論語 季 金文論語 康 金文論語 子 金文論語 問 金文 論語 弟 金文論語 子 金文論語 孰 金文論語 為 金文論語 好 金文論語 学 學 金文 論語 孔 金文論語 子 金文論語 対 金文論語 曰 金文 論語 有 金文論語 顔 金文論語 回 金文論語 者 金文 論語 好 金文論語 学 學 金文 論語 不 金文幸 金文斷 金文論語 命 金文論語 死 金文已 金文 論語 今 金文也 金文論語 則 金文論語 亡 金文

※短→斷・矣→已。

書き下し

季康子きかうしふ、弟子ていしたれがくこのむとす。孔子こうしこたへていはく、顏回がんくわいなるものりてがくこのむも、さちならずいのちしじめていますなはしと。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 季康子 論語 孔子
季康子が問うた。「弟子では誰が学問を好むか。」孔子が答えて言った。「顔回という者がおりまして、学問を好みました。不幸にも若死にしました。今はもういません。」

意訳

同上

従来訳

論語 下村湖人

大夫の季康子がたずねた。――
「お弟子のうちで、だれが学問の好きな人でしょう。」
 先師がこたえられた。――
「顔囘というものがおりまして、学問が好きでございましたが、不幸にして若くて死にました。もうこの世にはおりません。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

季康子問:「您的學生中誰好學?」孔子答:「有個叫顏回的好學,不幸短命死了,現在沒有。」

中国哲学書電子化計画

〔若家老の〕季康子が問うた。「あなたのお弟子の中で学問を好む者は?」孔子が答えた、「顔回という者がおりまして学問を好みました。不幸にも短命で死にました。今はもういません。」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

季康子

論語 季 金文 論語 康 金文 論語 子 金文
(金文)

?-BC468。魯国門閥家老筆頭の季氏の当主。孔子よりは一世代下。BC492に父・季桓子(季孫斯)の跡を継いで当主となる。この時孔子59歳。孔子を魯国に呼び戻し、その弟子、子貢冉有を用いて国政に当たった。

今也則亡

論語 今 金文 論語 亡 金文
「今」「亡」(金文)

論語の本章では「顔回が」もういない、と解する立場と、「学を好む者が」もういないとする立場がある。訳者としては原文通り、”学を好んだ顔回がもういない”と解する。”学を好む者”が品切れというのは、儒者のごますりとしか思えないのが理由。

論語雍也篇3と本章は、質問者が哀公になっているだけでほとんど同じで、ただ「未聞好學者也」が末尾についている点のみが違う。

『学研漢和大字典』によると「今」は会意文字で、「亼(シュウ)(ふたで囲んで押さえたことを示す)+一印(とり押さえたものを示す)」で、囲みとじて押さえるの意味をあらわす。のがさずに捕らえ押さえている時間、目前にとり押さえた事態などの意を含む。

また、含(ガン)(周囲をふさぎ口の中に含む)や、吟(ギン)(口をふさいで声だけ出す)などに含まれる。禽(キン)(とり押さえる)と同系のことば、という。詳細は論語語釈「今」を参照。

論語:解説・付記

論語 顔回
顔回が死んだのは魯哀公十四年(BC481)で、孔子は71歳。

BC 魯哀公 孔子 魯国 その他
482 13 70 息子の鯉、死去 呉王夫差、黄池に諸侯を集めて晋・定公と覇者の座を争う。晋・趙鞅、呉を長と認定(晋世家)。呉は本国を越軍に攻められ、大敗
481 14 71 斉を攻めよと哀公に進言、容れられず。弟子の顔回死去。弟子の司馬牛、宋を出奔して斉>呉を放浪したあげく、魯で変死 孟懿子死去。麒麟が捕らわれる 斉・簡公、陳成子(田常)によって徐州で殺され、平公即位。宋・桓魋、反乱を起こして曹>衛>斉に亡命
480 15 72 弟子の子路死去

子服景伯と子貢を斉に遣使

斉、魯に土地を返還、田常、宰相となる。衛、出公亡命して蒯聵=荘公即位。

479 16 73 死去。西暦推定日付3/4。曲阜城北の泗水シスイ河畔に葬られる ギリシア、プラタイアの戦い

前年には孔子の後ろ盾だった呉国が没落を始め、おそらく孔子は即座に閑職に追いやられて、息子の葬儀費用にも事欠く有様となった(論語先進篇7)。もちろん追いやったのは、殿様の哀公と言うより、実権を握っていた論語本章の対話者・季康子である。

そして無位無冠だった顔回の葬儀も父親の顔路が費用に事欠き、孔子に援助を願い出たが、孔子は手元不如意ゆえに、上記論語先進篇7で断っている。「実の親のように見てくれた顔回を、子のように見てやれなかった」と孔子は痛恨の言葉を残している(論語先進篇10)。

従って論語の本章は、穏やかな対話話ではなく、季康子への恨み言と解釈すべきだろう。「不幸、命を縮(しじ)めて」とは、孔子の悔しさが混じった言葉に聞こえる。”お前さんが私を左遷しなければ、顔回は死ななくて済んだのだ!”と。

次に論語雍也篇3との重出についてだが、雍也篇の方は本章より言葉が長くなっており、その結果論語の時代に無い漢字を用いて捏造判定となった。だが本章には捏造を示す証拠は無い。この論語先進篇を編んだ前漢の儒者は、慎重に古い漢字を選んで作文したのだろうか?

彼らに漢字の歴史についての造詣があったとは思えず、ないから、おそらく本章が原本だろう。そして明らかに、雍也篇3は顔回神格化のために作られた章だが、本章は単に、史実としてあり得る対話の記録として「大人しい」。

雍也篇が質問者を孔子と同格の季康子から、考え得る最高権威の国公に取り替えたのも、顔回に履かせた高下駄というものである。雍也篇に於ける顔回ばなしが、前後の章とのつながり無く唐突に現れるのに対し、本章は先進篇で一連の顔回死去ばなしを伝える冒頭にある。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。もし長生きしたいなら、悪いことはせぬものだ。それでもやるなら、覚悟致せ。

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