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論語詳解345憲問篇第十四(13)子路成人を問う*

論語憲問篇(13)要約:弟子の子路が一人前の人を問います。普段弟子には貴族界の新参者として、完璧な人格を求めた孔子先生は、その通りに答えます。でも付き合いの長い子路は、そんな人間いるものか、と反論するのでした。

論語:原文・書き下し

原文

子路問成人。子*曰、「若臧武仲之知*、公綽之不欲、卞莊子之勇、冉求之藝、文之以禮樂、亦可以爲成人矣。」曰、「今之成人者、何必然。見利思義、見危授命、久要不忘平生之言、亦可以爲成人矣。」

校訂

武内本

唐石経、曰の上子の字あり、智知に作る。

定州竹簡論語

……[問]成人。子曰:「若臧[武仲]之知,公綽之不欲,卞373……人矣。」374

復元白文(論語時代での表記)

子 金文路 金文問 金文成 金文人 金文 子 金文曰 金文 若 金文臧 金文武 金文仲 金文之 金文智 金文 公 金文綽 金文之 金文不 金文谷 卞 金文荘 金文子 金文之 金文勇 金文 冉 金文求 金文之 金文芸 金文 文 金文之 金文㠯 以 金文礼 金文楽 金文 亦 金文可 金文㠯 以 金文為 金文成 金文人 金文矣 金文 曰 金文 今 金文之 金文成 金文人 金文者 金文 何 金文必 金文然 金文 見 金文利 金文思 金文義 金文 見 金文危 甲骨文命 金文 要 金文不 金文忘 金文平 金文生 金文之 金文言 金文 亦 金文可 金文㠯 以 金文為 金文成 金文人 金文矣 金文

※欲→谷・危→(甲骨文)。論語の本章は、「久」の字が論語の時代に存在しない。「可以」は戦国中期にならないと確認できない。

書き下し

子路しろ成人せいじんふ。いはく、臧武仲ざうぶちう公綽こうしやく不欲ふよく卞莊子べんさうしゆう冉求ぜんきうげいごとくにして、これかざるに禮樂れいがくもちゐば、おほい成人せいじんなりいはく、いま成人せいじんなんかならずしもしからむ。ためただしきをおもひ、あやふきをいのちさづけ、久要きうえう平生へいぜいことわすれざらば、おほい成人せいじんなり

論語:現代日本語訳

逐語訳

子路 孔子
子路が完成した人間を問うた。先生が言った。「臧武仲ゾウブチュウの智力、(モウ)公綽コウシャクの無欲、卞莊子ベンソウシの勇気、冉求センキュウの多芸を備え、挙措動作を礼法と音楽で整えたら、完成した人と言えるだろう。」子路が言った。「今どきの完成した人とは、どうしてそのようであるでしょう。利益を見て筋が通るかを思い、危機には命をかけ、普段の言葉を忘れないなら、実に立派な完成した人と言えるでしょう。」

意訳

子路「一人前の人間とは?」

孔子 キメ
孔子「臧武仲の智力、孟公綽の無欲、卞莊子の勇気、冉求の多芸を兼ね備え、礼法や音楽で挙措動作を整え終えたら、一人前と言える。」

子路 あきれ
子路「まさか。今どきそんな人いませんよ。”どうぞ”と言われても筋が通らねば断り、危機にあってもは命がけで使命を全うし、普段言い放ったことを、いざとなってコソコソ逃げ回らなければ、一人前と言っていいでしょうよ。」

従来訳

下村湖人

子路が「成人」の資格についてたずねた。先師がいわれた。――
「臧武仲の知、公綽の無欲、卞荘子の勇気、冉求の多芸をかね、更に礼楽をもつて磨きをかけたら、成人といってもいいだろう。」
さらにいわれた。――
「しかし、今のような乱世では、そこまでは望めまい。利得の問題では道義を考え、国家の危急に臨んでは身命をなげうち、古い約束や、平常の誓いを忘れずに実行する、というような人であったら、今ではまずまず成人といえるだろう。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

子路問怎樣算完美的人,孔子說:「如果具有臧武仲的智慧,孟公綽的清心寡欲,卞莊子的勇敢,冉求的才藝;再加上知禮懂樂的修養,就可以算完人了。」又說:「現在的完人就不必這樣了,見到利益時,考慮道義;見到危險時,奮不顧身;長期貧窮也不忘平日的諾言,也可以算完人了。」

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子路がどのような人が完璧な人物かを問うた。孔子が言った。「もし臧武仲の智恵、孟公綽のさっぱりとした無欲、卞莊子の勇敢さ、冉求の多才があり、その上に礼法と音楽の教養があれば、完璧な人物に数えてよい。」さらに言った。「現在の完璧な人物は必ずしもそこまでの必要は無い。利益を前にしたら道義を考え、棄権を前にしたら身を顧みず奮い立ち、長く貧窮しても日頃引き受けた言葉を忘れないなら、完璧な人に数えてよい。」

論語:語釈

成人

成 金文
「成」(金文)
「成」の甲骨文は、『字通』によるとこん。金文(青銅器に鋳込んだ文字)では戈に装飾としての┃が付くという。器物の製作が終わったときに、装飾を加えてお祓いする意で、それが成就の儀礼だったという。
成

一方『学研漢和大字典』では、「成」は戈+丁で、丁は釘のように打ってまとめ固める意といい、「城」=土で固めた城、「誠」=まとまって欠け目のない心と同系のことばで、まとめ上げる意を含むという。

以上から「成人」は、完成された、人としてまとまりのある人。論語語釈「成」も参照。

臧武仲(ゾウブチュウ)

臧 篆書 武 篆書 仲 篆書
(篆書)

孔子が生まれた頃までに活躍した、魯の重臣。別名、臧孫コツ。臧文仲(論語公冶長篇17)の子で、『春秋左氏伝』では成公十八年(BC573。孔子の生誕はBC551)に初めて名が見え、筆頭家老・季氏の当主季文子から出兵の兵数を問われて答えている。

襄公二十三年(BC550)、かねてより嫌われていた門閥三家老家の一家・孟孫氏に追われ、従来好意的だった季孫氏も同調して、国外に追われた。「好意は熱病のようなもの、甘いが却って自分を痛める。悪意は薬石のようなもの、苦くて痛いが自分を癒す」という名言が記されている(『春秋左氏伝』襄公二十三年条)。

この追放によって、門閥三家老家=三桓に次ぐ勢力を魯に持っていた臧氏は没落し、論語にも言及がほとんど無い。

(孟)公綽(モウコウシャク)

魯の重臣。論語前章の語釈を参照。

欲 楚系戦国文字 谷
「欲」(楚系戦国文字)・「谷」(金文)

論語の本章では”欲望”。初出は戦国文字。論語の時代に存在しない。ただし『字通』に、「金文では谷を欲としてもちいる」とある。『学研漢和大字典』によると、谷は「ハ型に流れ出る形+口(あな)」の会意文字で、穴があいた意を含む。欲は「欠(からだをかがめたさま)+(音符)谷」の会意兼形声文字で、心中に空虚な穴があり、腹がへってからだがかがむことを示す。空虚な不満があり、それをうめたい気持ちのこと、という。詳細は論語語釈「欲」を参照。

卞莊子(ベンソウシ)

孔子の弟子・子路の出身地だった卞邑の代官で、虎退治をした武勇伝がある。

宋人 卞荘子刺虎図 国立故宮博物院蔵

※クリックで拡大

「卞」の字は論語では本章のみに登場。初出は西周中期の金文。弁(ベン)の俗字。詳細は論語語釈「卞」を参照。

冉求(ゼンキュウ)

冉 金文 求 金文
(金文)

孔子の弟子。実直な実務家で、武将としても活躍した。詳細は論語の人物:冉求子有を参照。

可以(カイ)

論語の本章では”~できる”。現代中国語でも同義で使われる助動詞「クーイー」。ただし出土史料は戦国中期以降の簡帛書(木や竹の簡、絹に記された文書)に限られ、論語の時代以前からは出土例が無い。春秋時代の漢語は一字一語が原則で、「可以」が存在した可能性は低い。ただし、「もって~すべし」と一字ごとに訓読すれば、一応春秋時代の漢語として通る。

先秦甲骨金文簡牘詞彙庫 可以

「先秦甲骨金文簡牘詞彙庫」

可 甲骨文 可 字解
「可」(甲骨文)

「可」の初出は甲骨文。字形は「口」+「屈曲したかぎ型」で、原義は”やっとものを言う”こと。甲骨文から”~できる”を表した。日本語の「よろし」にあたるが、可能”~できる”・勧誘”…のがよい”・当然”…すべきだ”・認定”…に値する”の語義もある。詳細は論語語釈「可」を参照。

以 甲骨文 以 字解
「以」(甲骨文)

「以」の初出は甲骨文。人が手に道具を持った象形。原義は”手に持つ”。論語の時代までに、名詞(人名)、動詞”用いる”、接続詞”そして”の語義があったが、前置詞”~で”に用いる例は確認できない。ただしほとんどの前置詞の例は、”用いる”と動詞に解せば春秋時代の不在を回避できる。詳細は論語語釈「以」を参照。

久要

久 金文 久 解字
「久」(金文)

武内本に「久要は旧約也、久と旧と要と約と音近くして通借す」とある。古い約束を言う。「久」の初出は秦系戦国文字。原義は人を後ろからつっかい棒で支える姿で、”ひさしい・ながい”という伝統的な語釈は、「旧」と音が通じて後世に生まれた語義。詳細は論語語釈「久」を参照。

「要」の初出は西周早期の金文。原義は細く締まった女性の腰部。詳細は論語語釈「要」を参照。

本章は論語時代の中国語には珍しい、「久要」という熟語が使われていることに加え、「久」を「旧」と解するなど、かなり後世になってからの作文と思われる。

論語:付記

中国歴代王朝年表

中国歴代王朝年表(横幅=800年) クリックで拡大

従来の論語の解説本では、「子曰わく」に加えて二度目の「曰く」以下も、孔子の発言とする。これは論語八佾篇22「管仲の器は…」と同じく、ウンチクはこれ全て孔子の発言としたがる儒者のごますりで、何の根拠もない。発言者が違うから「曰く」が入るとするべきだろう。

子路 言わいでか
「利を見て義を思い、危難には命を投げ出す」というのは真っ直ぐな性格の子路らしい発言で、どちらも孔子の発言とするなら、孔子は偉そうに出来もしない人物像を挙げた後で、言った事を後悔して言い直し、ごまかしていることになる。却って孔子をバカにしていないか?

なお「久」を「旧」を解することから察しうるように、本章は後世の語法が混じっており、加えて講義メモを元にしたにしては、随分長い。一つの可能性として、子路を貶めるために後世の儒者がでっち上げた作文かも知れず、そうなると丁寧に話者を読み解く必要も無いのかも。

なお前漢劉向の『戦国策』は、「卞莊子はマヌケだ」と言いたげな伝説を載せている。

有兩虎諍人而斗者,管莊子將刺之,管與止之曰:「虎者,猁蟲;人者甘餌也。今兩虎諍人而鬥,小者必死,大者必傷。子待傷虎而刺之,則是一舉而兼兩虎也。無刺一虎之勞,而有刺兩虎之名。」

劉向
(楚が斉を滅亡させるべく兵を起こそうとした。楚王に仕えていた陳軫が、故郷の秦に帰り、秦王に言った。)むかし虎が二頭、どちらも人を食おうとして、先に虎同士で食い合いました。管荘子が虎を槍で突こうとすると、管与が言いました。

「お待ちなさい。虎は兇暴この上なく、それに比べたら人間はエサに過ぎません。今二頭が噛み合っていますから、もうすぐ小さい方が食い殺されるでしょう。加えて大きい方も、怪我をするでしょう。その後で手負いの虎を突いた方が、楽ではありませんか? これぞ一挙両得、トラ二頭捕らえ放題です。その上世間には大手を振って、”二頭やったぞ!”と言えますよ?」

(楚と斉が戦って弱ったところで、負けそうな方にお味方なさいませ。たっぷり恩が売れますぞ?)(『戦国策』秦策二2)

『論語』憲問篇:現代語訳・書き下し・原文
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