論語:原文・書き下し
原文
子曰、「古之學者爲己、今之學者爲人*。」
校訂
武内本
清家本により、文末に也の字を補う。
復元白文(論語時代での表記)
※論語の本章は文字史上は史実を疑う理由がないが、内容的に後世の創作である可能性が高い。
書き下し
子曰く、古の學ぶ者は己を爲り、今の學ぶ者は人を爲る。
論語:現代日本語訳
逐語訳
先生が言った。「昔の学ぶ者は自分を修養したが、今の学ぶ者は他人をその気にさせる。」
意訳
昔は学んで自分を磨きたいから学んだ。今は学んで人に見せびらかすために学んでいる。
従来訳
先師がいわれた。――
「昔の人は自分を伸ばすために学問をした。今の人は人に見せるために学問をしている。」下村湖人『現代訳論語』
現代中国での解釈例
孔子說:「古人學習是為了提高自己,今人學習是為了炫耀於人。」
孔子が言った。「昔の人は自分を高めるために学んだ。今の人は人をだまくらかすために学ぶ。」
論語:語釈
學(カク)
(甲骨文)
論語の本章では”学ぶ”。「ガク」は呉音(遣隋使より前に日本に伝わった音)。初出は甲骨文。新字体は「学」。原義は”学ぶ”。座学と実技を問わない。上部は「爻」”算木”を両手で操る姿。「爻」は計算にも占いにも用いられる。甲骨文は下部の「子」を欠き、金文より加わる。詳細は論語語釈「学」を参照。
爲(イ)
(甲骨文)
論語の本章では”作り上げる”。”…のために”と解するのは間違いとは言えないが、そうなると本章に動詞が無くなってしまう。新字体は「為」。字形は象を調教するさま。甲骨文の段階で、”ある”や人名を、金文の段階で”作る”・”する”・”~になる”を意味した。詳細は論語語釈「為」を参照。
論語:付記
論語の本章は、孔子が言い出したとは思えない。孔子が魯国の政権中枢に入って後、孔子塾に入れば貴族になれると知った庶民の若者がわんさかと押し寄せ、とうとう三千人もの弟子を抱えることになったが、入門希望者の希望は出世だから、学びたいから学ぶのではない。
学んだことを見せびらかして仕官するのが目的であり、別に古人のような動機ではない。本当に古人にそんな人がいたかどうかは訳者には不明だが、『詩経』などを見るとそう読めなくもない話は沢山あって、一例が論語学而篇15の切磋琢磨がそれと言えるだろう。
だが学而篇の章は後世の創作であり、本章も孔子が具体的に誰を指して「昔の学んだ者」と言っているか分からない。また本章の「人」は「己」に対する”他人”と解するしかないが、漢語の「人」に論語の当時、”他人”の用例があったかどうかは極めて怪しい。
論語の冒頭、学而篇1の「人知らずして」は”ものを知らない人”の意味だった。論語雍也篇30の「己立たんと欲して人を立つ」の章は、後世の贋作である。断じるためには片端から青銅器の銘文を読まねばならぬが、訳者には不可能だから言ってしまおう。本章は贋作である。
一つの補助線は、本章が定州竹簡論語に無いことだ。現存定州竹簡論語に無いからと言って、前漢時代に本章が無かったとは言えないのだが、内容的にいかにも後漢の儒者が言いそうな、偽善と目下へのサディズムがたっぷり含まれていることもある(論語解説「後漢というふざけた帝国」)。
今日の社会でも、勉強が好きで勉強しているというのは珍無類の奇特人で、娯楽が山ほどある現代では、学ぶことに楽しみを見いだすのは暇人のすることと相場が決まっている。だから孔子が嘆くのは無茶というもので、これでは昨今の出来の悪い教師と変わらないではないか。
しかし孔子でない儒者の教説はそれを許さない。学問の最終目的を仁ではなく仁義に置く限り、自己犠牲が弟子の義務であり、仕官目当てで勉強するようでは孟子の言う仁義者ではない。だが孔子の弟子が後世の仁義を目指すわけがないから、本章の論旨には無理がある。
従って論語の本章は、仁と仁義の区別がつかず(→論語における仁)、弟子に威張り散らして下らない承認欲求を満足させたい、後漢儒者の創作と見るべきだろう。もちろん想像力が皆無に近い儒者の、まるまるの創作ではないだろう。取って付けた元ネタの候補を挙げる。
君子之學也,入乎耳,著乎心,布乎四體,形乎動靜。端而言,蝡而動,一可以為法則。小人之學也,入乎耳,出乎口;口耳之間,則四寸耳,曷足以美七尺之軀哉!古之學者為己,今之學者為人。君子之學也,以美其身;小人之學也,以為禽犢。故不問而告謂之傲,問一而告二謂之囋。傲、非也,囋、非也。
君子の学習というものは、耳から入ると、心を整え、次いで体を制御し、自分の動きを整える。言葉を正しくし、行動を活発にする。つまり学びを自分の原則として受け入れる。
対して小人の学びというものは、耳から入るとすぐに口に出して受け売りをする。口と耳の間には、僅かに四寸(周代の一寸は約2cm)の間があるだけだ。これでどうやって七尺(1尺は10寸)の全身をまともに整えられるというのか。
昔の学ぶ人は自分を整え、今の学ぶ人は人をどうにかしようとする。君子の学びは、その身を整える。小人の学びは、自分を家畜にする。だから自分が思い上がっているかどうかを問おうとせず、ひたすらベラベラと人に説教するタネを聞きたがるのだ。思い上がりはもちろんみっともないし、ベラベラ知ったかぶりをするのもみっともない。(『荀子』勧学篇13)
※従来はこの後に「君子如嚮矣」が続くが、省いた理由は論語子張篇8付記を参照。
荀子は戦国時代の最後を飾る著名な儒家で、その教説が孔子よりはかなり異様であることを前漢の儒者は常識として知っていただろう。高校教科書的には、性悪論を唱えて性善論を唱える孟子と対立したとされ、帝国儒教は孟子の系統を主張しているからにはなおさらだ。
だが後漢になると、その違いは大して気にされなくなったらしい。一つには後漢の儒者の、あまりの不真面目がある(論語解説「後漢というふざけた帝国」)。古代人の不真面目をあげつらってもどうにもならないが、書いたものを読むたびうんざりするほどそれはひどい。
訳者はそれなりに漢学の教養を教授されたが、これまで誰一人この後漢儒者のていたらくを指摘する者はいなかった。自分で原文と格闘してやっとわかったことで、つくづく古典の研究には元データに当たることの重要さを思う。
論語の本章:
子曰、「古之學者爲己、今之學者爲人。」
荀子勧学篇:
古之學者為己,今之學者為人。
それはさておき、こうまで字面が似ていることから、論語の本章は後漢の儒者が、何らかの目的で論語を膨らますため、荀子の書き物から取って付けたと断じてよろしい。後漢の正史『後漢書』が編まれた南北朝・宋代には、この言葉は孔子が言ったとして疑われなかった。
劉猛,琅邪人。桓帝時為宗正,直道不容,自免歸家。…論曰…子曰:「古之學者為己,今之學者為人。」
劉猛は、琅邪の出身である。桓帝の時帝室監督官になったが、あまりにはっきりとものを言うので、いびられて自分から官職を辞め、家に帰った。
編者はこう思う。…孔子は言った。「昔の学ぶ者は自分を整えた。今の学ぶ者は他人をどうにかしようとする」と。(『後漢書』桓栄丁鴻伝32)
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