論語:原文・白文・書き下し
原文・白文
子曰、「道不同、不相爲謀。」
校訂
武内本
塩鉄論云、孔子曰治道不同者不相與謀と、蓋し此章の異文、爲と與古通用。
定州竹簡論語
子曰:「道不同,不相為謀。」458
復元白文(論語時代での表記)
書き下し
子曰く、道同じからざらば、相謀を爲さざれ。
論語:現代日本語訳
逐語訳
先生が言った。「進む道が同じでないなら、互いにはかりごとをするな。」
意訳
志が違う者に、ぺちゃくちゃ自分の志を言ってはならない。
従来訳
先師がいわれた。――
「志す道がちがっている人とは、お互いに助けあわぬがいい。」下村湖人『現代訳論語』
現代中国での解釈例
孔子說:「立場不同、觀點不同,也就不要相互商議了。」
孔子が言った。「立場が違うなら、ものの見方が違うから、つまりは互いに相談してはならない。」
論語:語釈
道(トウ)
(甲骨文)
論語の本章では”志望”。動詞で用いる場合は”みち”から発展して”導く=治める・従う”の意が戦国時代からある。”言う”の意味もあるが俗語。初出は甲骨文。字形に「首」が含まれるようになったのは金文からで、甲骨文の字形は十字路に立った人の姿。「ドウ」は呉音。詳細は論語語釈「道」を参照。
同
(金文)
論語の本章では、”同じである”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると会意文字で、「四角い板+口(あな)」。板に穴をあけて突き通すことを示す。突き抜ければ通じ、通じれば一つになる。転じて、同一・共同・共通の意となる、という。詳細は論語語釈「同」を参照。
相
(金文)
論語の本章では、”互いに”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると会意。「木+目」の会意文字で、木を対象において目でみること。AとBとがむきあう関係をあらわす、という。詳細は論語語釈「相」を参照。
爲(イ)
(甲骨文)
論語の本章では”する”。新字体は「為」。字形は象を調教するさま。甲骨文の段階で、”ある”や人名を、金文の段階で”作る”・”する”・”~になる”を意味した。詳細は論語語釈「為」を参照。
論語の本章は、本来なら以下の通りで済むはず。「謀」は名詞にも動詞にもなり得るからだ。
志望が違っていたら、互いにはかりごとをするな。
志望が違っていたら、お互いのためにはかりごとをするな。
ただし、動詞に読んで「あいはかりごとをなさざれ」と訓んでも、上記逐語訳の通り意味はほとんど変わらない。孔子がわざわざ持って回った言い方をしたのか、語調を整えるためについ口から出たのか、それは分からない。
(甲骨文)
ただし文字的には、「為」は象を手懐けて作業させるさまで、”する”語義が先行し、”ために”の語義が派生義となる。本章が孔子の肉声とすると、より古い「謀を為す」と訓む方に理があることになる。また「ために」と読む場合も、「為A」で「Aがために」と、後ろに目的語が来るのが普通で、この意味からも「謀を為す」と訓んだ方に理がある。
おそらくだが、下掲「謀」の金文字形が「某」であるように、論語の時代にはまだ「謀」にはごんべんも、”はかりごとをする”という動詞の機能もなく、単に”後ろぐらい企て”の意味だったのだろう。従って「謀」は名詞であり、「為」の目的語と解することが出来る。
謀(ボウ)
(金文)
論語の本章では、”たくらみ”。初出は西周早期の金文で、ごんべんが付いていない。「謀反」の「ム」の読みは呉音。原義は諸説あってはっきりしないが、初出の金文は”たくらむ”と解釈されており、論語の時代までには否定辞の語義が加わった。だが”ウメ”・”なにがし”の語義は、戦国時代の竹簡まで時代が下る。詳細は論語語釈「謀」を参照。
論語:付記
論語の本章は、定州竹簡論語にあることからまずは前漢宣帝期には成立していたことになるが、それ以前では戦国末期の荀子や、前漢武帝期の『史記』にも引用がある。文字的にも史実を疑う要素が無く、孔子の肉声と言っていい。
君人者不可以不慎取臣,匹夫不可不慎取友。友者、所以相有也。道不同,何以相有也?均薪施火,火就燥;平地注水,水流濕。夫類之相從也,如此其著也,以友觀人,焉所疑?取友善人,不可不慎,是德之基也。《詩》曰:「無將大車,維塵冥冥。」言無與小人處也。
上級貴族は家来の採用を慎重にせねばならないし、素浪人でも友人はよくよく考えて選ばねばならない。友人というのは、なにがしか共通点があるから友人でいられるのだ。生き方が似通っていないのに、どうして共通点があるだろう。
火を起こしたら薪は均等に並べないと立ち消えするし、平らなところに水を注ぐから行き渡る。いわゆる類は友を呼ぶだから、似た者同士がつるんでいるとますます似通ってくる。だからどんな友人と付き合っているかを見れば、大体その人となりは分かるのだ。
人柄の善い友人を持っていると、釣り込まれて自分も真人間になる。人の道徳とは、そうやって作られるのだ。『詩経』に言う、「大きな車を引いて歩くな。体じゅう埃で真っ黒になるぞ」と。バカとは付き合うな、と言っているのだ。(『荀子』大略94)
子曰「道不同不相為謀」,亦各從其志也。
先生は「道が同じでないなら互いのためにはかりごとをするな」と言った。それぞれにはそれぞれのしたいことがある。(『史記』伯夷列伝)
世之學老子者則絀儒學,儒學亦絀老子。「道不同不相為謀」,豈謂是邪?
世間で老子を学ぶ者は儒学をバカにするし、儒学を学ぶ者は老子をバカにする。「道が同じでないなら互いのためにはかりごとをするな」と言うのは、まったくこのことではないか。(『史記』老子韓非列伝)
また本章からも、論語為政篇16の「異端」を、”正統でない学問”などといったローマ教会の火あぶり的に解釈するのは間違っていると言える。
子曰、「攻乎異端、斯害也已。」
他人の正義に、ケチを付けるんじゃない。ろくなことにならないぞ。
また論語の本章は、革命政党としての孔子一門の姿を垣間見せるものと解釈出来る。機密の保持が、政治工作には必要だからだ。一般論として、”自分の志に興味を持ってくれる他人などまずいないものだ、相手の迷惑だし失望もするから、べらべらと志を言うな”と解しても良い。
しかし前者だとすると、孔子が論語でたびたび弟子の饒舌を嫌い、戒めているのも理屈が通る。饒舌と言えば孔子自身が誰よりも饒舌で、秘密が漏れて困ったことがあったのだろう。放浪の当初、衛国で政治工作を行い、それゆえに見張りを付けられ逃亡したのがその一例。
徳=人間の機能の面からも、饒舌でないことがその証しになりうる。自信がない者ほどよくしゃべり、言わないでいいことまで言ってしまう。自信がある者は、他人の気を引く必要がないからだ。古今東西、饒舌な者が見下されがちなのは、論語の時代も変わらない。
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