論語:原文・書き下し
原文
子曰、「君子義以爲質*、禮以行之、孫*以出之、信以成之。君子哉。」
校訂
武内本
釋文云、爲質一本君子義以爲質に作る、蓋し陸本曰の下君子の二字なき也、此章末句君子哉とあれば章首君子の二字なきもの是に似たり。遜、釋文唐石経ともに孫に作る。
定州竹簡論語
[子曰:「義a以為質,禮以行之,孫以出之],信以[成之,君子才b!]」432
- 今本”義”前有”君子”二字、鄭注本、『釋文』無”君子”二字。
- 才、今本作”哉”。古二字通。
※哉tsəɡ(平):才dzʰəɡ(平)。論語語釈「才」を参照。
→子曰、「義以爲質、禮以行之、孫以出之、信以成之。君子才。」
復元白文(論語時代での表記)
※論語の本章は、「以」「行」「信」の用法に疑問がある。
書き下し
子曰く、義しき以て質を爲れ。禮以て之を行ひ、孫以て之を出し、信以て之を成せ。君子なる才。
論語:現代日本語訳
逐語訳
先生が言った。「格好良い正しさを自分の本質として作り上げ、その本質を用いるには礼法を行動原則にし、謙遜を表現原則とし、信頼を完成目標として欲しい。それでこそ君子だ。」
意訳
まず正義を通せる力を身につけなさい。その上で、行動するには礼法に従い、人とのやりとりでは謙遜に従い、その結果人々の信頼を得ることを目指しなさい。それでこそ一人前の貴族だ。
従来訳
先師がいわれた。――
「君子は道義を自分の本質とし、礼にかなってそれを実行にうつし、へり下ってそれを言葉にあらわし、誠意を貫いてその社会的実現を期する。それでこそ君子だ。」下村湖人『現代訳論語』
現代中国での解釈例
孔子說:「崇尚道義、遵紀守法、說話謙遜、做事守信,就是君子了!」
孔子が言った。「道徳を尊重し、掟に従い礼法を守り、腰を低くして話し、事を行うには信頼を守れ。それでこそ君子になれる。」
論語:語釈
君子
(金文)
論語の本章では、発言の第一句で”諸君”、最終句で”立派な貴族”の、二つの意味に使われている。どちらも後者と解することも可能だが、本章は孔子のお説教なので、分けて考える方がよい。詳細は論語語釈「君子」を参照。
なお武内本に言うように、前の君子は無いものとして考えても、”諸君”という呼びかけが欠けるだけで、結果的な日本語訳は変わらない。このことは、定州竹簡論語が証している。
義
「義」(金文)
論語の本章では、”正しさ”。よく整った、格好のよい正しさで、一時的な事情や都合による”最適”とは異なる。従って現実的でない場合もありうる。
元は羊飼いの部族だった周王朝ならではの価値観で、字形的には羊+我”ノコギリ”。音的に同音で春秋時代以前に遡り得るのは「宜」しかなく、「宜」はもと”まな板”+”肉”で、人や獣を殺して神に捧げることだった。おそらく羊を供える際には「義」の字で区別したと思われる。
つまり「義」の原義は祭祀としてよろしきを得ることで、多分に幻想的価値観を伴う。孔子が弟子に説教して「義」と言うときは、「仁者」=”理想的貴族”としての「義務」=”つとめ”を意味する。その中には貴族らしい所作、戦場での武勇や行政処理能力が含まれる。
なお現代中国語での「義」はyìと発音し、「威」と関係がありそうに勘違いしてしまうが、現代中国語では「威」wēiであり、カールグレン上古音は「義」ŋia(去)に対して「威」ʔi̯wər(平)であり、まるで違う。
辞書的には論語語釈「義」を参照。
以(イ)
(甲骨文)
論語の本章では”それで”。初出は甲骨文。人が手に道具を持った象形。原義は”手に持つ”。論語の時代までに、名詞(人名)、動詞”用いる”、接続詞”そして”の語義があったが、前置詞”~で”に用いる例は確認できない。ただしほとんどの前置詞の例は、”用いる”と動詞に解せば春秋時代の不在を回避できる。詳細は論語語釈「以」を参照。
義以爲(為)質
論語の本章では”格好良い正しさを身につけろ”。
論語本章での「以」は、通常下に目的語を持つ「以」とは異なり、上を受けて下を語る語。「以義爲質」と記すべき所、「義」を前に出して強調したい場合に使われる語法で、倒置表現であり、一種の強調表現。従って、「もって」ではなく「もて」と読み分けた。
正しさを内容とする。
正しさこそ、内容にふさわしいのですぞ。
漢文では、さらに進んで「以」を略して記す場合があり、その読み下しでは適宜おくりがな「もて」を補う。
「質」は外見に対する内容で、論語の本章では”その人の本質”。詳細は論語語釈「質」を参照。
禮
論語の本章では”礼儀作法”。新字体は「礼」。初出は甲骨文。へんのない豊の字で記された。『学研漢和大字典』によると、豊(レイ)(豐(ホウ)ではない)は、たかつき(豆)に形よくお供え物を盛ったさま。禮は「示(祭壇)+(音符)豊」の会意兼形声文字で、形よく整えた祭礼を示す、という。詳細は論語語釈「礼」を参照。
行(コウ)
(甲骨文)
論語の本章では”行う”。初出は甲骨文。「ギョウ」は呉音。十字路を描いたもので、真ん中に「人」を加えると「道」の字になる。甲骨文や春秋時代の金文までは、”みち”・”ゆく”の語義で、”おこなう”の語義が見られるのは戦国末期から。詳細は論語語釈「行」を参照。
之(シ)
(甲骨文)
論語の本章では”これ”。初出は甲骨文。字形は”足”+「一」”地面”で、あしを止めたところ。原義はつま先でつ突くような、”まさにこれ”。殷代末期から”ゆく”の語義を持った可能性があり、春秋末期までに”~の”の語義を獲得した。詳細は論語語釈「之」を参照。
禮以行之
「礼」(金文)
論語の本章では”礼に従って行動する”。
「之」の解釈は二つあり、一つは指示詞・代名詞ではなく、句の文字数や語調を整えるために入れた助字で、意味する内容を含んでいない。このような場合は”礼で行う”と解釈するのではなく、ひっくり返して”行いは礼に従う”と解釈すると分かりやすい。
今一つは指示詞と解するもので、初句の「質」を指すと解する。今回はこれに従った。
出(シュツ/スイ)
(甲骨文)
論語の本章では”表に出す”。初出は甲骨文。「シュツ」の漢音は”出る”・”出す”を、「スイ」の音はもっぱら”出す”を意味する。呉音は同じく「スチ/スイ」。字形は「止」”あし”+「凵」”あな”で、穴から出るさま。原義は”出る”。論語の時代までに、”出る”・”出す”、人名の語義が確認できる。詳細は論語語釈「出」を参照。
孫以出之
「孫」(金文)
論語の本章では”へりくだって自分を表現する”。「孫」はしんにょうの付いた「謙遜」の「遜」と同じ。両者の文字は論語の時代にはすでに書き分けられていたが、漢文では音が同じか似通っていると、同じ意味として転用する場合がある。このように、他の文字の音を借りて別の意味を表現することを「仮借」という。詳細は論語語釈「孫」を参照。
「出」は論語の本章では、その人から他の人へ出力されるあらゆる行動を指し、”発言”でもあるし、”仕事”でもあるし、”物品を差し出す”でもある。詳細は論語語釈「出」を参照。
信(シン)
(金文)
論語の本章では、”他人を欺かないこと”。初出は西周末期の金文。字形は「人」+「口」で、原義は”人の言葉”だったと思われる。西周末期までは人名に用い、春秋時代の出土が無い。”信じる”・”信頼(を得る)”など「信用」系統の語義は、戦国の竹簡からで、同音の漢字にも、論語の時代までの「信」にも確認出来ない。詳細は論語語釈「信」を参照。
信以成之
論語の本章では”信頼で自分を完成させる”。
「成」は、もとカナヅチでカチカチと釘を打ち止めるようにして完成させることで、”出来上がる”こと。詳細は論語語釈「成」を参照。
哉→才
論語の本章では”だよ”という詠歎の辞。上記の通り、音から「才」は「哉」を意味しうる。字形的にも同様。詳細は論語語釈「哉」・論語語釈「才」を参照。
論語:付記
論語の本章は、出発点=質が、筋目正しい道理を身につけた自分であることが眼目。上掲の通り、「義」はあらゆる場合の最適解ではなく、全ての場合における非・最悪解で、君子=為政者を目指す者は、目先の利益に惑わされず、自分にブレがあってはならないと言っている。
一国の興廃に例を取るなら、ある大勝利が国民や政府や軍部の慢心を生み、のちのちには取り返しの付かない壊滅的な敗北を迎えることは少なくない。個人も同じで、ある成功に引きずられて、その後の人生を棒に振ってしまうこともある。要点は最悪を選ばないことなのだ。
善政とは次悪を選ぶことである、と言われるように、ある目的に最適化された行動指針は、環境が変わると最悪の指針になることが多い。では環境に合わせて常に行動指針を取り替えていると、はたからは節操のない人間と言われ、自分では一体自分とは何なのだろうと落ち込む。
そうならないようにするには、常に最悪を選ばない原則を身につける必要がある。孔子はそれを、義=筋目正しい道理と表現した。それは後世の孟子によって具体化されたような正しさではなかったし、必ずしも最悪を選ばない効果があったわけでもない。孔子も人間だからだ。
しかし陳・蔡の間で一門枕を並べて飢え死に寸前に至っても、結局一門は助かり、孔子も主要な弟子の多くも天寿を全うした。「君子は冠を脱がない」と言って没した子路という強烈な例外はあるが、論語時代の一門と儒学が生き残ったことは、義の効果を証明している。
なお現代中国のような解釈は、古注の後漢儒者が書いたデタラメを真に受けたもので、全く根拠がない。
古注『論語集解義疏』
註鄭𤣥曰義以為質謂操行也遜以出之謂言語也
注釈。鄭玄「義以為質とは行動を正義に叶わせることをいい、遜以出之は発言を慎むことを言う。」
これは本場の儒者にすらバカにされている。
操行不独義也、礼与信皆操行也。吾謂君子体質先須存義、義然後礼、礼然後遜、遜然後信、有次序焉。
韓愈「行動が正義に叶っているだけでいいのか。礼儀作法や信頼もまた行動を整えるには必要である。私が思うに、君子は自分自身を正義で作り上げたのち、礼儀作法を守り、のち謙遜を学び、そしてやっと信頼される。このように人格形成には、順序があるはずだ。」(『論語筆解』)
時代が下って明末、戦死した貧しい武官の子に生まれた李颙(季二曲)は、生家の事情と共に明末清初の社会崩壊に出くわして苦労しただけあって、こういうことを書いている。
惟君子方義以爲質、若小入則利以爲質矣。利以爲質、則本質盡喪、私欲簒其心位而為主於內、耳目手足悉供其役、動静云爲惟其所令。即有時而所執、或義節文咸協、辭氣雍遜、信實不欺、亦總是有爲而爲、賓義主利、名此實彼、事成功就、聲望赫烜、近悦遠孚、翕然推爲君子、君子乎哉?吾不知之矣。
考えてみると、君子が正義を自分の本質にすると言いながら、実は小人が利益を本質にするのと同じだ。利益本位なら、自分そのものが消し飛んでしまう。我欲が心を奪い、我欲がその人そのものとなり、耳目や手足は欲望の奴隷に成り下がり、やることなすこと欲望の表れでしかない。
だから君子だろうと欲望に囚われたが最後、正義やけじめや言葉さえも、欲望の道具に成り下がる。立ち居振る舞いが謙遜に見え、性根が正直で人をだまさぬように見えながら、それらは全て利益のためにやるのであり、正義は二の次で実は欲得づく、正義の名の下に利益を求めるわけだ。
そうしたやからがもし成功すれば、名声が燃える炎のように輝いて、近くの者は褒めそやし、遠くの者は慕い寄る。そういう事情がよってたかって、欲望の権化を立派な君子に仕立て上げるが、それは本当に君子なのだろうか。私に分かることではない。(李顒『四書反身錄』)
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