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論語詳解395衛霊公篇第十五(17)群れ居て終日’

論語衛霊公篇(17)要約:口だけの連中が集まって、一日中わぁわぁと議論ばかりし、小細工を自慢するだけで、ぜんぜん正解にたどり着かない。古今東西どこにでもある風景を、孔子先生が評し、それを借りた子貢が、曽子を罵倒した一節。

論語:原文・書き下し

原文

子曰、「群居終日、言不及義、好行小慧*、難矣哉。」

校訂

武内本

釋文云、魯論慧を読んで恵をなす、今古論に従う。

定州竹簡論語

曰:「群居終日,言不及[義,好行小惠a]431……

  1. 惠、阮本作”慧”、皇本作”惠”、『釋文』云、”行小慧、音惠、小才知。魯讀慧爲惠”。

→子曰、「群居終日、言不及義、好行小惠、難矣哉。」

復元白文(論語時代での表記)

子 金文曰 金文 群 金文居 挙 舉 金文終 金文日 金文 言 金文不 金文及 金文義 金文 好 金文行 金文小 金文恵 惠 金文 難 金文矣 金文哉 金文

※論語の本章は、「行」の用法に疑問がある。

書き下し

いはく、終日ひねもしことただしきにおよばず、このんでぢゑおこなふ、かたなるかな

論語:現代日本語訳

逐語訳

孔子 肖像
先生が言った。「群れ集まって一日中、言葉は正しさに及ばず、好んで小さな智恵を行う。難しいことだなあ。」

意訳

孔子 怒
愚者が一日中集まってわあわあ議論するが、正しい事は誰も言わず、小細工ばかり行う。救いがたい連中だ。

従来訳

下村湖人

先師がいわれた。
「朝から晩まで多勢集っていながら、話が道義にふれず、小ざかしいことをやって得意になっているようでは、見込なしだ。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子說:「整天和小人聚在一起,說話不講道義,喜歡耍小聰明,這樣的人真難辦!」

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孔子が言った。「朝から晩まで馬鹿者連中が集まり、ものを言っても道理は話さず、つまらない小知恵ばかり喜んでいる、このような人は全く救いがたい。」

論語:語釈

、「 ()、 。」


論語の本章では”群れる”。初出は春秋末期の金文

『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、君(クン)は「口+(音符)尹(イン)」から成り、まるくまとめる意を含む。群は「羊+(音符)君」で、羊がまるくまとまってむれをなすこと、という。詳細は論語語釈「群」を参照。

言(ゲン)

言 甲骨文 言 字解
(甲骨文)

論語の本章では”ことば”。初出は甲骨文。字形は諸説あってはっきりしない。「口」+「辛」”ハリ・ナイフ”の組み合わせに見えるが、それがなぜ”ことば”へとつながるかは分からない。原義は”言葉・話”。甲骨文で原義と祭礼名の、金文で”宴会”(伯矩鼎・西周早期)の意があるという。詳細は論語語釈「言」を参照。

言不及義

義 金文
「義」(金文)

論語の本章では、”正解は誰も言わない”。「義」を何と捉えるかによって文意がまるで異なる。古注では単に「義」としか書いていないから、何のことか分からない。

古注

鄭玄 古注 何晏
注。鄭玄曰く「小恵とは小知恵の回る者のくだらなさを言うのである。難き矣哉は、最後まで成功しないことを言うのである。

付け足し。孔子様はなげきを記した。子曰くうんぬんは、三人以上が群れ集まって、語ったり説いたりしているが、月日が過ぎても全く正義に至らないことを言うのである。

好んで行ううんぬんは、小知恵の回る者のくだらなさを言ったのである。むかし安陵が口先で領地を貰ったようなものだ。

こんな事ばかりしている連中は、世間に長くいても一人前にはなれないと言えよう。

(『論語集解義疏』)

「安陵調ギャク」(安陵があざむきたわむれる)がよく分からないが、楚の暴君・共王の家臣に、おべっか使いの安陵テンという者がいて、「王が死んだら私もあの世へお供します」と言っただけで三百戸の領地を貰ったという故事(『説苑』権謀篇)を指すのだろう。

新注ははっきりと、「よこしまを欲しいままにしてみだりに驕る心が激しい」という。

新注

朱子
好は去声である。

小慧は個人的な智恵を言う。そんな者は正義にかなったことは言えないから、よこしまばかり発信しておごり高ぶること甚だしいのである。すき好んで小知恵を回す連中は、危なっかしいことをして偶然の幸運で助かっているだけだ。

難き矣哉と言うのは、まわりがどうしようと人徳を身につけることがついに無いことを言う。だからいずれひどい目に遭うであろう。

(『論語集注』)

要するに儒者は道義的に解釈しているようだが、根拠を示していないから個人の感想に過ぎない。ならば辞書通り、”正解は誰も言わない”でよかろう。

「言」について詳細は論語語釈「言」を参照。

行(コウ)

行 甲骨文 行 字解
(甲骨文)

論語の本章では”行う”。初出は甲骨文。「ギョウ」は呉音。十字路を描いたもので、真ん中に「人」を加えると「道」の字になる。甲骨文や春秋時代の金文までは、”みち”・”ゆく”の語義で、”おこなう”の語義が見られるのは戦国末期から。詳細は論語語釈「行」を参照。

慧→惠/恵

論語の本章では”智恵”。論語では本章のみに登場。初出は楚系戦国文字。論語の時代に存在しない。同音は嘒”小さい声”のみ。

『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、彗(スイ)・(ケイ)とは、細いすすきのほうきを持つさま。細かく細い意を含む。慧は「心+(音符)彗」で、心が細かく繊細に働くこと、という。詳細は論語語釈「慧」を参照。

定州竹簡論語の「惠」は同じく”智恵”。詳細は論語語釈「恵」を参照。

難矣哉

難 金文
「難」(金文)

論語の本章では、”救いがたい愚者だなあ”。「難矣哉」は伝統的には「かたいかな」と読む。逐語訳は”難しいなあ”だが、上掲の古注では”成功しないなあ”と解し、新注では”徳に入れないなあ”と解する。新注の書き手である朱子やその引き立て役は、もちろん徳を道徳と捉えている。

しかし論語での徳はそのような意味ではなく、技能や経験に裏打ちされた人間の機能を言う。従って儒者の意見は聞き流して、教育者としての孔子の立場から見て、”救いがたい”と解してよかろう。

論語:付記

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論語の本章にこと寄せて、清朝考証学を興した顧炎武は、次のような罵倒を書いている。『論語集釋』に引用された部分のみ記す。

飽食終日、無所用心、難矣哉、今日北方之学者是也。羣居終日、言不及義、好行小慧、難矣哉、今日南方之学者是也。

顧炎武
膨れた腹を抱えて一日中ごろごろと過ごし、何一つ考えようとしない。救いがたい馬鹿者どもだ。今の華北の儒者はどいつもこいつも、こういうやからだ。

わあわあと集まって一日中過ごし、本質は誰も言わず、小ヂエばかり自慢し合っている。救いがたい馬鹿者どもだ。今の華南の儒者はどいつもこいつも、こういうやからだ。(『日知録』)

ただし高名な清儒だからとて顧炎武の罵倒の尻馬に乗る必要は無い。顧炎武は明の万暦年間から滅亡に至る苦難の若年期を過ごした後、中年以降は希代の名君である清の康煕帝による善政と、それを支えた都合のよい気候など地球環境の恩恵をたっぷり受けた。人は時代の子であって、通時代的に普遍的価値のある古人の言葉は、そんなに多くない。

顧炎武は漢人としての矜持から、清朝には仕えず在野の半儒者半道士として過ごした(道士は弁髪を免除されていた)が、清朝も時代が下った道光年間、清儒・夏錫疇が論語の本章にこと寄せて次のように書いている。これも『論語集釋』に引用された部分のみ記す。

羣居終日、言不及義、好行小慧、此学校不修、教学不明之故也。後世糾党立社、標榜声誉之徒大率如此。求其講学以明善取善而輔仁者、殆無有也。人材之所以日壊、世道之所以日病、其不以此歟。

清儒
馬鹿が集まって一日中、本質は誰も言わず、小知恵ばかり自慢し合う。この原因は、学校がダメになり、教師がろくでもないからだ。

時代が今に近くなるにつれ、馬鹿が集まって派閥争いを繰り広げ、他者をこき下ろし自分らだけを清浄な儒者だと言い張ったが、そうやって群れた連中こそが、論語に言う馬鹿の集まりなのだ。学問を究め、善とは何かを問い、人間にふさわしい憐れみ深さを養おうとした者はほとんどいない。

だから世に人は多くても、役立つ人材は日増しに少なくなり、世間の風潮も、日増しに下らなくなったのだ。論語が歎いたのは、まさにこのことではあるまいか。(『強學録』)

中華王朝の高級官僚採用試験を科挙と言い、儒者に生まれればそれを目指すのが当たり前だったが、科挙は本来学校制度とセットで、何段階かある試験のほとんどは、元は国立学校の入試だった。だが日本と同じく中国の学歴は、何を学んだかではなく、何に通ったかが問われる。

だから試験に受かってもまじめに学校に通う者は居なくなり、政府も金のかかる学校は放置するのが当たり前になった。勢い上の話のように、学校は荒れるに任されるのだが、ただ毛沢東と並ぶ中国史上最悪のシリアルキラーである明の洪武帝は、なぜか学校制度を重視した。

理由は多分、根がまじめすぎたからだろう。
洪武帝

『強學録』が世に出た道光十四年(1834)は、中華帝国として高慢ちきを誇っていた清朝が、アヘン戦争で鼻っぱしを折られる6年前だが、そうなるにはそうなるだけの、社会の淀みがたまっていたらしい。古典にかこつけて現世をくさしたり歎いたりするのは、後漢以来の儒者の悪い癖だが、この話に限ればそうでもないような気がする。

『論語』衛霊公篇:現代語訳・書き下し・原文
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