(検証・解説・余話の無い章は未改訂)
論語:原文・白文・書き下し
原文・白文
子曰、「辭達而已矣。」
校訂
定州竹簡論語
子曰:「[辭達而已a]。」459
- 今本”已”下有”矣”字。
→子曰、「辭達而已。」
復元白文(論語時代での表記)
書き下し
子曰く、辭は達し而已む。
論語:現代日本語訳
逐語訳
先生が言った。「言葉は、意志が通じればそれで終わりなのだ。」
意訳
意味なく言葉をひねくるな。
従来訳
先師がいわれた。――
「言葉というものは、十分に意志が通じさえすればそれでいい。」
下村湖人『現代訳論語』
現代中国での解釈例
孔子說:「話說清楚就可以了。」
孔子が言った。「話ははっきりとしていればそれだけでよろしいのだ。」
論語:語釈
辭(辞)
(金文)
論語の本章では”ことば”。初出は西周早期の金文。『学研漢和大字典』によると会意文字で、もとの字は「乱れた糸をさばくさま+辛(罪人に入れ墨をする刃物)」で、法廷で罪を論じて、みだれをさばくそのことばをあらわす、という。詳細は論語語釈「辞」を参照。
達
(金文)
論語の本章では”意志が通じる”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると、会意兼形声文字で、羊はすらすらと子をうむ安産のシンボル。達は「辵(進む)+羊+(音符)大(ダイ)」で、羊のお産のようにすらすらととおすことをあらわすという。詳細は論語語釈「達」を参照。
而已矣(~てやむなり/ジイイ)
(金文)
論語の本章では、”~で十分だ”。伝統的読み下しでは、三文字で「のみ」と読む。愚直に直訳すると、”~して終わるのである”。ただ、それだけでいいということ。
『学研漢和大字典』によると「而已」は、「のみ」とよみ、「~だけ」「それ以外はない」と訳す。強い限定・断定の意を示す。もと、而(それで)已(やむ)の意。「而已矣」「而已焉」「而已耳」も、「のみ」とよむ。「而已」をさらに強調したいい方。「而」について詳細は論語語釈「而」を参照。
「已」だけでも”…し終えた”の語義があり、断定・完了の「矣」は必要ない。実際定州竹簡論語では句末の「矣」が抜けている。それでも意味は全く変わらない。後漢儒によるもったいぶった言い廻しだっったようだ。論語語釈「已」も参照。
論語:付記
論語の本章は、意味もなくただ言葉をひねくろうとする事への警告。広江礼威画伯の『BLACK LAGOON』で、ヒロインのレヴィが拳銃を敵に突きつけ、「一ついいことおせえてやるよ。こんなもんはな。撃てて当たりゃあいいんだよ」というセリフがあるが、まさにその通り。
一頃世間を騒がせたトカレフは、安全装置すら付いておらず、撃鉄を半起こしにすることでその代わりをしていた。しかし威力は抜群で、日本の治安を脅かしたのだが、武器なんてそんなものだろう。言葉も同じで、「あるんである」などという言い廻しが廃れたのもそれが理由。
論語の本章の言葉は例によって、他の論語の言葉とぶつかるように見える。例えば論語雍也篇18、「中身が飾りより出過ぎれば荒削りで、飾りが中身より出過ぎれば派手になる。中身も飾りも明らかで、やっと君子になれる。」は言葉の飾りの必要性を説いた言葉だ。
だがこの雍也篇の章は、検証の結果戦国時代以降のニセモノと判明している。論語の本章は、おそらく弟子の中に、言葉をひねくる癖がある者がいたのだろう。論語のここにこの言葉を載せた子貢も、弁舌に巧みなだけあって、無意味な修辞の無意味さを痛感していたのだろう。
この論語衛霊公篇について、武内義雄『論語之研究』は、斉で活躍した子貢派がまとめた篇だという。かと言って衛霊公篇の全てが子貢たちの手による章とは言えないが、おそらく本章は、孔子の肉声を伝える言葉だろう。言葉が簡潔で、ズバリと事実を指摘しているからだ。
もはや古代の闇の中で想像することしかできないが、論語の中でも短くズバリと言い切っている章は、孔子の肉声に近いと考える。対して長い章や、箇条書きにして整理された章は、用いた言葉や扱った物事から見て、漢代に入って儒者がつけ加えたか、作文した可能性が高い。
もともと論語は、孔子の言葉をメモしたことから始まった。当時の筆記材料が竹簡であることを考えると、そんなに長くはメモできなかったに違いない。だから短い言葉の中にこそ、孔子の真の姿を垣間見れる。それに比べると、言葉が相互に矛盾するのは小さい問題だ。
前漢武帝時代の、儒教の国教化という大事業に当たって、董仲舒はじめ儒者たちは、論語にさまざまな孔子伝説を書き加えた。それは水増しであり、本物かどうか検討しないまま加えられたニセモノとも言える。董仲舒についてより詳しくは、論語公冶長篇24余話を参照。
ただ儒者たちが本当に意地悪くなったのは、むしろ国教化以降であり、帝国の官僚・司祭としての地位を占めた儒者は、権力の法則通りに腐敗していった。それより前の儒者は、誠心誠意、善行だと思ってつけ加えたのだ。だから儒家と言うより道家のような章さえ見られる。
陰険な足の引っ張り合いのない建設時代とは、いいものだ。
なお清帝国最盛期を生きた儒者・銭大昕は、論語の本章の解釈に関して、次のような異説を唱えている。『論語集釋』での引用文の、訳のみ記す。
夏・殷・周王朝の時代、諸侯は互い同士の外交をことのほか重んじた。論語では、「殿様の命令を受けて使者に出向き、その通りに交渉を妥結して帰る」(論語子路篇20)ことを褒め讃えたが、「使いに出て、専対(=自分の裁量で交渉)できない」(論語子路篇5)のはけなしている。
だから本章の「辞」というのはただのことばではなく、自分の裁量で当意即妙にこちらの言い分を通す弁舌のことに違いない。だから『春秋公羊伝』に、「家老は使いに出るとき、殿様の命令は聞いて出るが、”辞”(=どうやって言いくるめるか)は受けない」と書いてある。一方『儀礼』聘礼記にはこうある。
「”辞”には決まった言い方がないものだが、控えめに説く事には違いない。口数が多いと本当に何を言いたいのかがぼやけてしまい、かといって少ないと言いたい事も伝わらない。”辞”がもし不足せず意志も通じたなら、それはもうご立派と言ってよろしい。」
だから論語の言葉と『儀礼』の記述とは、裏表一体の関係にあり、儒教のとある経典の助けを借りて、他の経典の意味が分かる一例である。それでやっと、「辞は達する」の本当の意味が分かるのだ。(『潜研堂答問』)
現代の論語読者として言えるのは、「じいちゃんよく漢籍読んでるね」の一言だけであり、「…のことに違いない」と勝手な独断を敢行するにあたって、何一つ証拠を挙げていない。似たような記述があるからと言って、どうしてそれらが「裏表一体の関係」になるのか。
ウコンとウンコは音も色も形も似ているが、同じであると言い出したら世の中大変だ。太古から現代に至るまでの中国人の論理能力のお粗末さは、こうした所にも現れている。どんな大学者だろうとも、その場で利益になることを、その場の出任せで言っているだけだ。
漢籍とはその集大成。道徳じみた読み方をするのは、バカバカしいと思いませんか?
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