論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす
原文
顏淵問爲邦。子曰、「行夏之時、乘殷之輅*、服周之冕、樂則韶舞、放鄭聲、遠佞人。鄭聲淫、佞人殆。」
校訂
武内本
釋文、輅一本路に作る。路は輅の仮借字。
定州竹簡論語
……曰:「行夏之□,乘殷之路a,服周之絻b,[樂則□]425[《武c》。放鄭聲,遠年d人。鄭聲淫,年d人殆]。」426
- 路、今本作”輅”、『釋文』云、”輅、本亦作路”。
- 絻、今本作”冕”。冕也作絻。
- 武、今本作”舞”。
- 年、今本作”佞”。
→顏淵問爲邦。子曰、「行夏之時、乘殷之路、服周之絻、樂則韶武、放鄭聲、遠年人。鄭聲淫、年人殆。」
復元白文
韶
淫
殆
※聲→(甲骨文)。論語の本章は上記の赤字が論語の時代に存在しない。「時」の字は論語の時代に存在したと断じられない。本章は漢帝国の儒者による捏造である。
書き下し
顏淵邦を爲るを問ふ。子曰く、夏之時を行ひ、殷之路に乘り、周之絻を服り、樂は則ち韶と武、鄭の聲を放て、年き人を遠ざけよ。鄭の聲は淫なり、年き人は殆し。
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逐語訳
顔淵が国を治める方法を尋ねた。先生が言った。「夏の暦を使い、殷の車に乗り、周の冠をかぶり、音楽は韶と武の音楽がよい。鄭の音楽は捨て、口のうまい者を遠ざけろ。鄭の音楽はみだらだ。口のうまい者は危険だ。」
意訳
顔回「国を治めるにはどうすればいいでしょうか。」
孔子「暦は夏、車は殷、冠は周、音楽は韶と武の曲がいい。鄭の曲はいかん、色っぽ過ぎる。そして口のうまい者を入れるな。国が壊れるぞ。」
従来訳
顔渕が治国の道をたずねた。先師がいわれた。――
「夏の暦法を用い、殷の輅に乗り、周の冕をかぶるがいい。舞楽は韶がすぐれている。鄭の音楽を禁じ、佞人を遠けることを忘れてはならない。鄭の音楽はみだらで、佞人は危険だからな。」
現代中国での解釈例
顏淵問怎樣治理國家,孔子說:「用夏朝的曆法,乘商朝的車輛,戴周朝的禮帽,提倡高雅音樂,禁止糜糜之音,疏遠誇誇其談的人。糜糜之音淫穢,誇誇其談的人危險。」
顔淵がどうやって国を治めるかを問うた、孔子が言った。「夏王朝のこよみを用い、殷王朝の車に乗り、周王朝の礼冠をかぶり、高尚な音楽を推奨し、腐った音楽を禁止し、ほら吹きを遠ざけよ。腐った音楽は淫猥で、ほら吹きは危険だ。」
論語:語釈 →項目を読み飛ばす
顏淵/顔渕
(金文)
孔子の弟子、顔回子淵のこと。論語時代の人物で唯一、孔子に仁者と評された。詳細は論語の人物:顔回子淵を参照。
爲(為)邦
(金文)
論語の本章では、「為」は”おさめる”と伝統的に読む。しかし「為」を「治」の意味に読むのはかなり特殊で、原義に近い”つくる”と読んだ方が論語の原意に忠実だと訳者は考える。ただし本章は後世の創作が確定しているので、あえて異を唱えるには及ばない。
夏之時
「時」(金文)
”夏王朝の暦”。なぜ夏暦がよいのかについて、既存の論語本では藤堂本で、季節によく合う太陽暦だからとする。一方で『大漢和辞典』では、夏暦を太陰暦とする。wikipediaによると、現伝の夏暦は太陰太陽暦で、ただし漢代に偽作されたという。
現伝の『史記』が伝える伝説では、夏王朝を開いた禹の二代前の帝王、堯が、自ら天体観測をして暦を作ったことになっている。今となっては、なぜ孔子が夏暦をいいと言わされたか、古代の闇の中に消えて分からない。
なお「時」の字の初出は戦国末期の金文で、論語の時代に存在しない。上掲『字通』所収の金文は年代が不明で、中国の字書にも春秋時代の金文と称する字形を載せるが、来歴が不明で怪しい。詳細は論語語釈「時」を参照。
殷之輅(インのロ)→殷之路
「殷」(金文)
”殷王朝の車”。「輅」は”車”。藤堂本では、殷の車は堅牢だという。「輅」は論語では本章のみに登場。初出は後漢の『説文解字』で、論語の時代に存在しない。定州竹簡論語の「路」は、「輅に通ず」と『大漢和辞典』がいう。詳細は論語語釈「輅」を参照。
周之冕(シュウのベン)
(金文)
”周の冠”。「冕」は冠のこと。家老格以上がかぶる冠で、天頂にまな板状の板が付き、前後または前だけにすだれが付く。「冕」の初出は楚系戦国文字で、論語の時代に存在しない。同音同訓のの「免」が甲骨文より存在する。定州竹簡論語の「絻」は同音で、事実上の異体字。詳細は論語語釈「冕」を参照。
韶舞(ショウブ)→韶武
「韶」は舜王が作ったことになっている古代の音楽。ただし舜は想像上の人物で、後世の仮託。孔子が斉で聞いて、三ヶ月肉の味を忘れたという。「韶舞」は、韶に合わせた舞とする説と、「舞」を周の武王作とされた「武」の曲とする説がある。
これも事実は古代の闇の中でわからないが、定州竹簡論語が「武」と記していることから、恐らくはその説は正しい。
「韶」の初出は後漢の『説文解字』で、論語の時代に存在しない。近音に「召」。固有名詞のため、同音・近音の複数の漢字が置換候補となる。詳細は論語語釈「韶」を参照。
鄭聲/鄭声(テイセイ)
(篆書)
鄭国の歌。現伝する『詩経』を見る限り、歌詞には男女のことを扱った曲が多い。ただそれは多くの他国にも言えることで、孔子がなぜ「みだら」と言ったかは分からない。論語語釈「鄭」・論語語釈「声」も参照。
佞人(ネイジン)→年人
「佞」(金文大篆)
論語の本章では、”口車が回る者”。佞の字の初出は後漢の『説文解字』で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はnieŋで、同音に寧、寍(寧の古字)、濘(ぬかるみ、清い)。寧は丁寧の寧で、”ねんごろ”の意がある。つまり置換候補になりうるものの、”口車”としか解せない本章では不可。詳細は論語語釈「佞」を参照。
定州竹簡論語の「年」に、”おもねる”の語釈があり、「佞に通ず」と『大漢和辞典』にいう。
淫(イン)
(金文大篆)
”みだら”。性的にみだらなことをいう。この文字の初出は楚・秦の戦国文字で、論語の時代に存在しない。詳細は論語語釈「淫」を参照。
殆(タイ)
(金文大篆)
論語の本章では”あぶない・危険”。この文字の初出は後漢の『説文解字』で、論語の時代に存在しない。詳細は論語語釈「殆」を参照。
論語:解説・付記
こういう礼儀作法関連の話は儒者の大好物のようで、『論語集釋』には儒者がまるで砂糖の山にたかるアリのように寄ってきて、あれこれとどうでもいいウンチクを書き連ねている。その中のただの一人も、論語の本章がニセモノと見破った者はいないし、儒教の礼法なるものが、そのほとんどが後世の儒者によってでっち上げられたものだと気付いている者もいない。
訳者としては、堤防から河原のかぶき踊りを見下ろしているような気分で、鼻水やよだれを垂らして踊っている儒者どもが、まともな人間の類とは思われない。そのよだれの程度たるや、『論語集釋』ではわざわざ本文をぶつ切りにして、それぞれに大量のウンチクを記している。
あまりにバカバカしいので、訳者には斜めに読むのがせいぜいの誠実というものだ。
漢儒が論語の本章を偽作した理由は、自分らが社会に規制を掛ける根拠を孔子に言わせたので、例えば気に入らない音楽が流行れば、「鄭声だ」と言って禁止にかかる。誰も鄭声の定義を知らないから言いたい放題で、奏でる者の贈賄額や権力の多寡によって判断が変わる。
この儒者の悪辣に比べれば、何かと騒がれるJASRACなど、聖人君子の集まりに思える。中国社会の救いの無さが、この一点を取っただけで知れるというものだ。それは古代帝国から現代中国にも至る不変の宿痾だが、仮に現地に行っても、見ようとしない者には全く見えない。
此等記録。皆有稟承于大国乎。若不審之輩。到大国詢問無隠歟。今為利生謹録上。後時不改矣。
以上記した事は、全て大国(=宋)で受け継がれてきたことを、私が現地で聞いてきた話だから、ウソだと思う連中は、大国に渡って確かめてくるがよい。そうすれば本当だと分かるだろう。この真実の教えを、今こうやって人々を憐れんで書いてやったのだから、後世の者どもは、勝手に書き改めてはならない。(栄西『喫茶養生記』末尾)
行ける者の希有を知ってこういうことを言う。戦後流行ったアメしょんじじいの走りで、ろくに宋で学びもしなかったのだろう。栄西は修行に励んだ道元と違い、明確に権力にゴマをすって出世を望んだ。『喫茶養生記』に限って言えば、ハッタリのひどいクソ坊主である。
外貨制限の厳しい時代に、用もないのに渡米して自慢した、吉川のたわけとそっくりだ。儒者や栄西のハッタリも吉川のそれも、書いていることに自信が無いからハッタリをかますのである。従ってハッタリが大きければ大きいほど、書いてあることはウソだと思って間違いない。