論語詳解413衛霊公篇第十五(35)民の仁に*

論語衛霊公篇(35)要約:仁を身につけた為政者の出現を、民は熱望しているぅ~、とニセ孔子先生。仁が情けや憐れみの意味になるのは、先生没後一世紀の孟子からです。と言うわけで本章は、孟子以降の儒者によるでっち上げ。

論語:原文・白文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文・白文

子曰、「民之於仁也、甚於水火。水火、吾見蹈而死者矣、未見蹈仁而死者也。」

校訂

定州竹簡論語

子曰:「民之於仁也,甚於水火矣a。水火,吾見游b而死者[矣],452未見游b於c仁而死者[也]。」453

  1. 矣、今本無。
  2. 游、今本作”蹈”。
  3. 於、今本無。

→子曰、「民之於仁也、甚於水火矣。水火、吾見游而死者矣、未見游於仁而死者也。」

復元白文

子 金文曰 金文 民 金文之 金文於 金文仁 甲骨文也 金文 甚 金文於 金文水 金文火 甲骨文已 矣金文 水 金文火 甲骨文 吾 金文見 金文游 金文而 金文死 金文者 金文已 矣金文 未 金文見 金文游 金文於 金文仁 甲骨文而 金文死 金文者 金文也 金文

※仁→(甲骨文)・火→(甲骨文)・矣→已。論語の本章は、文末の也の字を断定で用いているなら、戦国時代以降の儒者による捏造の可能性がある。ただし本章は、「仁」を民にとって価値あるものとしていることから、おそらくは戦国時代以降の捏造で、也の字も断定と思われる。

書き下し

いはく、たみじんける水火すゐくわはなはだし。水火すゐくわわれするものるも、いまじんするものざるかななり

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 孔子 肖像
先生が言った。「民は仁については、それこそ水や火よりも激しく求めている。私は水や火にうっかり触れて死んだ者を見たことがあるが、まだ仁にうっかり触れて死んだ者を見たことがない。」

意訳

ニセ孔子
常時無差別の仁愛を身につけた為政者の出現を、まことに、民は煮炊きの火や飲み水よりも、心から待ち望んでいる。仁愛に不都合などあるものか。なめてかかって、水火に溺れる者や焼け死ぬ者はいくらでもいたが、仁愛をなめてかかって、触れて死んだ者は見たことがない。

従来訳

論語 下村湖人

先師がいわれた。――
「人民にとって、仁は水や火よりも大切なものである。私は水や火にとびこんで死んだものを見たことがあるが、まだ仁にとびこんで死んだものを見たことがない。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子說:「人民對仁政的需要,比水火更迫切。水火雖有利於人,人有時卻會蹈之而死,我沒見過蹈仁而死的。」

中国哲学書電子化計画

孔子が言った。「人民が情け深い政治をもとめる様は、水や火よりさらに切実だ。水や火は人にとって有用だが、時に人はそのために死んでしまう。だが情け深さで死んだ者を私は知らない。」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

論語 衆 孟子

論語の本章では、支配対象となる”一般民衆”。論語で史実と判定される章では、一貫して民は支配したりいじくったりする対象で、民の視点で政治や道徳がどうこう、と言い始めたのは、成功しなかった世間師である、孔子より一世紀後の孟子からになる。

論語 唐太宗李世民
この文字は唐の太宗李世民のいみ名(本名)に含まれているため、本来唐帝国治下では避諱の対象だが、善政の一環としてそれを免除する勅令を太宗が出したという。

辞書的には論語語釈「民」を参照。

論語 於 金文
(金文)

論語の本章では”~については”と、”~よりも”。

民之仁也 民は仁についてはそれこそ
水火 水や火よりも激しく求める
詳細は論語語釈「於」を参照。

論語 仁 金文大篆 孟子
(金文大篆)

論語の本章では、後世の創作が疑われるので”常時無差別の愛”。これは孔子より一世紀のち孟子が言った「仁義」の解釈。孔子生前は”貴族らしさ”。詳細は論語における「仁」を参照。

論語 也 金文
(金文)

論語の本章では、文中で”~こそ”。強調を意味する記号。文末ではおそらく断定。

民之於仁 民は仁についてはそれこそ
詳細は論語語釈「也」を参照。

論語 甚 金文
(金文)

論語の本章では”激しく求める”。初出は西周中期の金文。『学研漢和大字典』によると会意文字で、匹とは、ペアをなしてくっつく意で、男女の性交を示す。甚は「甘(うまい物)+匹(色ごと)」で、食道楽や色ごとに深入りすること、という。詳細は論語語釈「甚」を参照。

水火

論語 水 金文 論語 火 金文
(金文)

論語の本章では”水と火”。ともに生活に欠かせないと共に、ケガや死亡の原因となる。中国語では河川も「水」と呼び、その特徴に従って「コウ水」(山東省の川。水がにかわのようにねっとりしていたらしい)・「ワイ水」(淮河。華中を淮=とりまくように流れる川)などと呼ぶ。

「水」は『学研漢和大字典』によると象形文字で、みずの流れの姿を描いたもの、という。詳細は論語語釈「水」を参照。「火」は『学研漢和大字典』によると象形文字で、火が燃えるさまを描いたもの、という。詳細は論語語釈「火」を参照。

論語 吾 金文 ニセ孔子
(金文)

論語の本章では”私”。太古の昔の中国語には格変化があり、一人称の場合主格では「吾」を用いる。ただし戦国時代以降は、「我」と区別が無くなった。論語の本章はその意味では春秋時代の文法に従っているが、これはわざと古さを演出するための悪質な技巧とも言える。詳細は論語語釈「吾」を参照。

論語 見 金文 論語 見
(金文)

論語の本章では”見る”。「目だつものを人が目にとめること。また、目だってみえるの意から、あらわれるの意ともなる」と『学研漢和大字典』に言う。詳細は論語語釈「見」を参照。

蹈→游

論語 踏 金文大篆
(金文)

論語の本章では”触れる”。

初出は後漢の説文解字で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音は声母のdʰ(去)のみ。dʰを声母に持つ漢字は無数に存在する。藤堂上古音はdog(去)だが、類義語の「踏」はt’əp(入)。

『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、沓(トウ)は「水+曰(いう)」の会意文字。たて板に水を流すように、ぺらぺらしゃべることをあらわす、という。詳細は論語語釈「蹈」を参照。

游 字解
定州竹簡論語の「游」は、もと”ぷかぷかと水に浮かぶ”・”ひらひらと風に揺れる”を意味し、そこから”ぶらぶらと歩き回る”の語義があり、”不注意にも手を触れる”と解せる。詳細は論語語釈「游」を参照。

矣(イ)

論語 矣 金文
(金文)

論語の本章では”~した”。完了を意味する記号。詳細は論語語釈「矣」を参照。

吾見蹈而死者 われ死にたる者を見たり

論語:解説・付記

孔子の生前、「仁」とは徹頭徹尾、貴族に成り上がるために備えるべき技能と教養、心のありようのことで、庶民には全く関わりの無い事柄だった。それを何だか有りがたいもののように触れ回って諸侯から官職をせびったのが、上記の孟子である。

これは、「仁」とは何か、社会のありようが変わってゆらぎ、人々に理解されがたくなった事の反映でもある。(クロスボウ)の実用化に伴って戦争のやり方が変わり、貴族の操る戦車の一騎打ちから、徴兵された庶民の歩兵隊による集団戦へと変わったことがその根柢にある。

論語 弩 戦車戦
孔子の生前、貴族とはほぼもれなく戦士であり、都市の商工民といえども戦時に出陣の義務がある代わりに、新国公の承認など参政権を持った。古代の貴族とは必ずしも金持ちではなく、古代市民を含めた参政権がある者を言うが、洋の東西を問わず坊主でなければ戦士である。

孔子の晩年まで軍の主力だった戦車だが、気難しい馬を複数頭、揃って走らせるには長年の習練が要り、サスペンションも無い車上で長柄武器を扱うにも、弓を射るにも長年の習練が要った。ただし御者は馬車に慣れた商工民でも務まったが、戦闘員はそれ以上の稽古が要る。

つまり労働の必要が無い、領主貴族の仕事だった。ところが孔子の晩年、戦闘技能の無い庶民を大量に徴兵し、弩を渡して集団で射させるようになった。弓には腕力も技能も要るが、クロスボウなら比較的腕力の無い素人でも当たる。それを一斉に射かけるのだからたまらない。

論語 弩
弩は弓よりバネを強く作れる。それは弦を一度だけ引いて引き金に掛ける構造だからで、一度踏ん張れば発射準備が済んだ。目当ても付いているから、引き絞った腕を震わせることなく、落ち着いて的を狙える。だから速射が利かない代わりに、威力と命中率に優れる(→動画)。

だから機関銃に向かって突撃する騎兵に似て、旧来の玄人軍団が素人集団にタコ殴られるようになった。孔子の晩年、魯を攻めた軍事大国・呉の軍隊は、魯の歩兵隊が本陣に襲来すると聞いて逃げ回っている。貴族の技能=仁が価値を失い、特権を世間に説明する根拠が消えた。

さらに孔子から一世紀後の孟子の時代、仁とは忘れられた言葉になった。それゆえ孟子が拾い上げて「仁義」に書き換え、何だか有り難いような言葉に仕立て上げた。はっきり定義の出来ない言葉だが、それは孟子が買い手の諸侯に合わせて、コロコロと意味を変えたからである。

要するにキャッチコピーで、それでも何とか最大公約数を取ると”情け”や”憐れみ”のような意味となる。政治から収奪される庶民が、お上の情けや憐れみを「水火よりも甚だしく求める」のは当然だろう。だがそれゆえに、論語の本章は孟子以降の、全くの捏造と断じうる。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。もし長生きしたいなら、悪いことはせぬものだ。それでもやるなら、覚悟致せ。

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コメント

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