論語:原文・白文・書き下し →項目を読み飛ばす
原文・白文
子貢問曰、「有一言而可以終身行*之者乎。」子曰、「其恕乎。己所不欲、勿施於人*。」
校訂
武内本:清家本により、文末唐石経行の下之の字あり、章末也の字なし。
書き下し
子貢問ふて曰く、一言にし而身を終ふを以て之を行ふ可き者有らん乎。子曰く、其れ恕乎。己の欲せざる所、人於施す勿れ。
論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす
逐語訳
子貢が訊ねて言った。「一言で、生涯を終えるまで行うことが出来るものはありますか。」先生が言った。「それは我が身に引き比べて他人を思いやることか。自分が求めないことは、人に施すな。」
意訳
子貢「一生守り続けられる教えってありますかね?」
孔子「そりゃあ恕だろうな。人を自分と思え。されたくないことは、人にするな。」
従来訳
子貢がたずねた。――
「ただ一言で生涯の行為を律すべき言葉がございましょうか。」
先師がこたえられた。――
「それは恕だろうかな。自分にされたくないことを人に対して行わない、というのがそれだ。」下村湖人『現代訳論語』
論語:語釈 →項目を読み飛ばす
可
(甲骨文・金文)
論語の本章では、”~できる”。
恕
(篆書)
論語の本章では、”自分のように他人を思いやること”。この字は論語の時代に存在しない。「如心」と二文字で書いた可能性はある。詳細は論語語釈「恕」を参照。
欲
(金文)
論語の本章では、”求める”。
『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、谷は「ハ型に流れ出る形+口(あな)」の会意文字で、穴があいた意を含む。欲は「欠(からだをかがめたさま)+(音符)谷」で、心中に空虚な穴があり、腹がへってからだがかがむことを示す。空虚な不満があり、それをうめたい気持ちのこと。孔(コウ)(あな)・空(むなしい)・容(中みが空虚で、ものを入れこめる)・浴(くぼみの水の中にはいる)と同系のことば、という。
勿
(甲骨文・金文)
論語の本章では、”~するな”。
施
(金文)
論語の本章では、”他人に行う”。
初出は戦国文字で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はɕia(平/去)またはdia(去)で、前者の同音は鉈(ほこ・なた)・弛(ゆるむ)と施を部品とする漢字群。後者の同音は移などだが、いずれも”ほどこす”意を持ち、論語の時代に存在した文字は無い。
詳細は論語語釈「施」を参照。
論語:解説・付記
論語の本章も、子貢派と曽子派の抗争を表す一節。
曽子派は論語公冶長篇11に、本章と同じ内容を載せ、子貢をおとしめた。
子貢が言った。「私は人にして欲しくないことを、人にしたくない」。
先生が言った。「賜よ、お前に出来ることではない。」
それに対してこだまのように反論したのが本章。おそらく同じ問答の場面を両派が別様に記録したものだが、文意はまるで異なっている。どちらかが捏造したことになるが、どちらがやったのかはすでに古代の闇の中で分からない。ただ動機は曽子の方に多分にある。
また本章は、論語の中に唯一記録された孔子と曽子の対話にも関わっている。
「先生の道」は忠と恕だけでなく、仁はそれを上回る。そして子貢はその事を理解しているばかりか、孔子がこうした好日的な側面ばかりでなく、戦争や暗殺などにも関わった後ろ暗い人物であることも知っている。忠と恕だけではない、やはり曽子はうすのろだ、というわけ。
論語の前半と後半を引き比べると、曽子の影響が強い前半では、ただ子貢をおとしめているのに対し、子貢の影響が強い後半は、曽子をおとしめるにも反撃の形を取っている。つまりケンカは曽子が売ったのだ。それが本章の元となる場面に曽子が捏造を加えたと考える理由。
曽子一派は学問や技能にも劣り、それゆえ仕官も出来ず、大事なご本尊の孔子の孫・子思(↑)にさえ窮乏生活を強いたことはすでに記した。その一派が政界財界で栄達した子貢派をおとしめるのは、イヤガラセによって利権を寄こせと言っているのであり、下劣と言うほか無い。
これは今日の中朝韓が日本に対して行っているゆすりタカリと同じであり、その手法が論語の時代にまでさかのぼることを示している。帝政中国や朝鮮の歴代の儒者は、曽子の系統を引いているが、それゆえに、曽子の卑劣さも同時に引き継いでいるのだろう。
それほど中国や朝鮮半島で生きるのは大変だったこともあろうし、世界屈指の自然環境に恵まれた日本人が、中国人や朝鮮・韓国人の行動原則を理解できないのも理の当然ではある。しかし中国でも子貢のような生き方は出来たわけで、自然のせいにしてはいけないだろう。
論語を読む限り、孔子は動かしがたい天命をあきらめと共に受け入れてはいたが、人間を自然に全く従属する哀れな生き物とは思わなかった。だから隠者の道を取らなかったのだし、徳=人間の機能を高めることを自分と弟子に求めた。その徳を、儒者は人徳道徳と書き換えた。
これは人間の敗北宣言ではないだろうか。頭も体も弱い曽子一派や帝国の儒者が徳の意味を書き換える動機は分からなくもないが、誰にも不敗の人物などいない。人も宇宙にある一切の形あるものも、限られた自由しか持ち得ない。その範囲で精一杯生きることを、孔子は求めた。
後ろ暗い政治工作に手を染め続けた孔子ではあったが、精一杯生きることに関しては、政治工作も好日的な行動と言っていい。曽子一派の如く、徳を高めようともせず、不遇を他者のせいにして、あまつさえかつての学友にゆすりタカリを行うなど、孔子には思いも寄らなかった。
いかなる結果になろうとも、それを自分事として引き受ける。その覚悟がない者は、いつまでも愚痴を言って暮らすことになる。地位や財産の絶対量が、人を幸福にするのではない。させられる思いの軽さだけが、人を自由にし、幸福に導く。他人を責める必要は無いだろう。
責めれば怨まれ、人は行動の選択範囲を狭められるからだ。
伊藤仁斎を初めとする江戸の儒者は、論語の前半を高く評価し、後半を劣ると決めつけた。無論、中国儒者の受け売りで論語を読んだ上でのことだろう。言葉に明晰さが無く、大量に曽子派の自己宣伝を含んだ前半は、江戸時代という身分制の厳しい不自由な社会だから好まれた。
愚にもつかぬ説教が、身分制の世ならまかり通るからだ。しかし現代ではそうではない。身分は厳然としてありはするが、差別の肯定はもはや誰にも出来ない。社会はそれだけ自由になった。現代人は、孔子よりはるかに広い枠の中で生きている。それは人間が広げたのだ。
孔子には思いも寄らない社会だろう。
論語の時代、ペニシリンも電気も素粒子論も、孔子でさえ想像もつかなかった。漢代の儒者や朱子とその引き立て役も同様だった。ゼロや微積分すら中国人は発見できなかった。しかし人は営々と道を広げ、今や道は人を広げている。ゆすりタカリをしなくても生きられる。
もし論語が現代人の、道を広げ人を広げるなら、儒者が貼り付けたデタラメと弱い者いじめは剝がして読まねばならない。剝がしても後ろ向きの性根しか与えないなら、焼き払って一冊だけ残し、国会図書館にでもしまえばいい。訳者は剝がす作業を行っているつもりでいる。
世の中がこの先どんなに進歩しても、弱い者いじめをたくらむやからは絶えないだろう。しかし悪党を追い払う技術は確実に進むだろうし、今も十分進んでいる。ひたすら徳=機能を高め自分に求めよと説く論語は、デタラメを剝がせば、人間を自由にする言葉を多く含んでいる。
そう思わねば、読めるものではない。