論語:原文・書き下し
原文
子張問行。子曰、「言忠信、行篤敬、雖蠻貊之邦行矣。言不忠信、行不篤敬、雖州里行乎哉。立則見其參*於前也、在輿則見其倚於衡也、夫然後行*。」子張書諸紳。
校訂
武内本
武内本により、參の下に然の字を補う。行の下に也の字を補う。唐石経、然の字なし。此本(=清家本)然の字恐らく衍。此章、子路篇樊遲問仁章と類似す。
定州竹簡論語
……[忠信,行]篤敬,雖䜌a貊[之國,行]418……[不忠信,行]不篤敬,[雖州里]行乎哉?立則見其參b於[前也],419……
- 今本作”蠻”。
- 皇本、高麗本、參下有”然”字。
※邦→國は高祖劉邦の避諱。
→子張問行。子曰、「言忠信、行篤敬、雖䜌貊之邦行矣。言不忠信、行不篤敬、雖州里行乎哉。立則見其參於前也、在輿則見其倚於衡也、夫然後行。」子張書諸紳。
復元白文(論語時代での表記)
忠 忠
※張→金文大篆・篤→督(甲骨文)・倚→依(甲骨文)。論語の本章は、「行」「信」「乎」「其」の用法に疑問がある。「忠」が論語の時代に存在しない。本章は戦国時代以降の儒者による創作である。
書き下し
子張行を問ふ。子曰く、言の忠信あり、行の篤く敬あらば、䜌貊之邦と雖も行はるる矣。言の忠信あらず、行の篤く敬あらざらば、州里と雖も行はれむ乎哉。立たば則ち其の前於參るを見る也、輿に在りては則ち其の衡於倚るを見る也、夫れ然る後に行はる。子張諸を紳に書す。
論語:現代日本語訳
逐語訳
弟子の子張が、自分の言い分を通す方法を尋ねた。先生が言った。「言葉に嘘が無く、行いが丁寧で慎み深ければ、南方や東北方の蛮族の地でも言い分が通る。言葉に嘘があり、行いが丁寧でなく慎み深くもなければ、中国の中だろうと言い分が通るものか。立てば目の前に正直と慎みがくっきりちらつき、乗り物の上でも正直と慎みが手すりに寄りかかっているようにくっきり見えたなら、やっと言い分が通る。」子張はこの教えを帯の垂れに書き記した。
意訳
子張「どうやったら自分の言い分が通るでしょうか。」
孔子「心にもない事を言わず、だまさず、振る舞いが丁寧で腰が低ければ、蛮族の国だろうと言い分が通る。そうでなければ、中華諸国だろうと通るものか。立つたび乗り物に乗るたび、これが頭にちらついて離れないようになったら、やっと通るというものだ。」
子張はこの教えを早速帯の垂れにメモした。
従来訳
子張が、どうしたら自分の意志が社会に受けいれられ、実現されるか、ということについてたずねた。先師がこたえられた。――
「言葉が忠信であり、行いが篤敬であるならば、野蛮国においても思い通りのことが行われるであろうし、もしそうでなければ、自分の郷里においても何一つ行われるものではない。忠信篤敬の四字が、立っている時には眼のまえにちらつき、車に腰をおろしている時には、ながえの先の横木に、ぶらさがって見えるというぐらいに、片時もそれを忘れないようになって、はじめて自分の意志を社会に実現することが出来るのだ。」
子張はこの四字を紳に書きつけて守りとした。下村湖人『現代訳論語』
現代中国での解釈例
子張問什麽是正確的行為,孔子說:「說話要忠信,行為要誠實,即使到了偏遠地區,也能事業順利;否則,即使在繁華都市,能順利嗎?站立的時候,忠信誠實這幾個字好像就矗立眼前;坐車的時候,這幾個字好像就貼在車窗上。這樣到哪都會暢通無阻。」子張將這話寫在腰帶上。
子張が何が正しい行いなのか問うた。孔子が言った。「話が正直で、行動が誠実であれば、遠い辺鄙な所でも、必ず事業はうまく行く。そうでなければ、賑わうまちででも、うまく行くだろうか? 立ち上がったとき、正直と誠実の文字が眼前にちらつき、車に乗ったとき、これらの文字が車窓にちらつく。このようになれば、いつでもどこでも物事がうまく運ぶようになる。」子張はこの話を帯に書き記した。
論語:語釈
子 張 問 行。子 曰、「言 忠 信、行 篤 敬、雖 䜌(蠻) 貊 之 邦 行 矣。言 不 忠 信、行 不 篤 敬、雖 州 里 行 乎 哉。立、則 見 其 參 於 前 也。在 輿、則 見 其 倚 於 衡 也。夫 然 後 行。」子 張 書 諸 紳。
子張
(金文)
孔子の若い弟子。何事もやり過ぎと評された。詳細は論語の人物:顓孫師子張を参照。
行(コウ)
(甲骨文)
論語の本章では”行い”。初出は甲骨文。「ギョウ」は呉音。十字路を描いたもので、真ん中に「人」を加えると「道」の字になる。甲骨文や春秋時代の金文までは、”みち”・”ゆく”の語義で、”おこなう”の語義が見られるのは戦国末期から。詳細は論語語釈「行」を参照。
忠(チュウ)
「忠」(金文)/「中」(甲骨文)
論語の本章では”忠実”。初出は戦国末期の金文。ほかに戦国時代の竹簡が見られる。字形は「中」+「心」で、「中」に”旗印”の語義があり、一説に原義は上級者の命令に従うこと=”忠実”。ただし『墨子』・『孟子』など、戦国時代以降の文献で、”自分を偽らない”と解すべき例が複数あり、それらが後世の改竄なのか、当時の語義なのかは判然としない。「忠」が戦国時代になって現れた理由は、諸侯国の戦争が激烈になり、領民に「忠義」をすり込まないと生き残れなくなったため。詳細は論語語釈「忠」を参照。
信(シン)
(金文)
論語の本章では、”他人を欺かないこと”。初出は西周末期の金文。字形は「人」+「口」で、原義は”人の言葉”だったと思われる。西周末期までは人名に用い、春秋時代の出土が無い。”信じる”・”信頼(を得る)”など「信用」系統の語義は、戦国の竹簡からで、同音の漢字にも、論語の時代までの「信」にも確認出来ない。詳細は論語語釈「信」を参照。
篤(トク)
「篤」(金文大篆)
論語の本章では、”丁寧”。「篤」の初出は戦国文字で、論語の時代に存在しない。日本語音と藤堂上古音で音通する「督」は、甲骨文から存在し、”しらべる・かんがえる・ただす”の語釈を『大漢和辞典』が載せる。詳細は論語語釈「篤」を参照。
敬(ケイ)
(甲骨文)
論語の本章では”慎み深さ”。初出は甲骨文。ただし「攵」を欠いた形。頭にかぶり物をかぶった人が、ひざまずいてかしこまっている姿。現行字体の初出は西周中期の金文。原義は”つつしむ”。論語の時代までに、”警戒する”・”敬う”の語義があった。詳細は論語語釈「敬」を参照。
蠻貊/蛮貊→䜌貊
(金文)
論語の本章では”蛮族”。「蠻」は南方の蛮族で、虫の一種と見なされた。論語では本章のみに登場。初出は西周末期の金文。
『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字。「虫+(音符)䜌(ラン)・(レン)(もつれる)」。姿や生活が乱れもつれた、虫(へび)のような人種のこと。もと、南方の民をさし、転じて、広く文明を知らない人の意となった、という。詳細は論語語釈「蛮」を参照。
「貊」は東北方の蛮族で、獣の一種と見なされた。論語では本章のみに登場。初出は西周早期の金文。「ハク」は慣用音。呉音は「ミャク」。『学研漢和大字典』によると形声文字で、「豸+(音符)百」、という。詳細は論語語釈「貊」を参照。
州里
(金文)
論語の本章では、行政区画として州や里が置かれている中華諸国のこと。
「州」は論語では本章のみに登場。初出は甲骨文。呉音は「ス」。『学研漢和大字典』によると象形文字で、川の中になかすのできたさまを描いたもので、砂地の周囲を、水がとり巻くことを示す、という。『字通』によれば州は川の中州で、里は畑と鎮守の社があるむらのこと、という。詳細は論語語釈「州」を参照。
則(ソク)
(甲骨文)
論語の本章では、”必ず…しなさい”。初出は甲骨文。字形は「鼎」”三本脚の青銅器”と「人」の組み合わせで、大きな青銅器の銘文に人が恐れ入るさま。原義は”法律”。論語の時代=金文の時代までに、”法”・”則る”・”刻む”の意と、「すなわち」と読む接続詞の用法が見える。詳細は論語語釈「則」を参照。
乎哉(コサイ)
(金文)
乎も哉も詠嘆の助辞だが、二文字合わせて強い詠嘆。
『学研漢和大字典』
- (カナ)感嘆の気持ちをあらわすことば。「賜也賢乎哉=賜也賢なる乎哉」〔論語・憲問〕
- (カ)疑問の気持ちをあらわすことば。「若寡人者、可以保民乎哉=寡人(かじん)の若(ごと)き者は、もって民を保(やす)んず可きかな」〔孟子・梁上〕
- (ヤ)反問の気持ちをあらわすことば。「仁遠乎哉、我欲仁、斯仁至矣=仁は遠からんや、我仁を欲すれば、斯に仁至る」〔論語・述而〕
「乎」の初出は甲骨文。甲骨文の字形は持ち手を取り付けた呼び鐘の象形で、原義は”呼ぶ”こと。甲骨文では”命じる”・”呼ぶ”を意味し、金文も同様で、「呼」の原字となった。句末の助辞として用いられたのは、戦国時代以降になる。ただし「烏乎」で”ああ”の意は、西周早期の金文に見え、句末でも詠嘆の意ならば論語の時代に存在した可能性がある。詳細は論語語釈「乎」を参照。
參/参
(金文)
論語の本章では、”交わる”。詳細は論語語釈「参」を参照。
輿(ヨ)
(金文大篆)
論語の本章では”乗り物”。動物が引く車、人が担ぐかご・こしなどを意味する。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると会意兼形声。舁(ヨ)は、四本の手をそろえて、かつぎあげるさま。輿は「車+(音符)舁」で、平均をたもってかつぎあげ、その上に人や物をのせるこしや車の台、という。詳細は論語語釈「輿」を参照。
倚
(金文大篆)
論語の本章では、”よりかかる”こと。「椅子」の椅の類語。論語では本章のみに登場。初出は楚系戦国文字。論語の時代に存在しない。近音同訓の依ʔi̯ər(平)の初出は甲骨文。
『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字。可は┓型に曲がるの意を含む。奇は「大(人が大の字形にたつさま)+(音符)可」の会意兼形声文字で、┓型や∠型に曲がって不安定にたつこと。のち、奇怪(正常でない)の意に転用された。倚は「人+(音符)奇」で、直立せず何かにもたれて∠型にたつことで、奇の原義をあらわす、という。詳細は論語語釈「倚」を参照。
衡
(金文)
論語の本章では、横に掛け渡された”手すり”。原義は”横”。車を牽く役畜のくびきをも意味するので、その場合は”くびき”で、「輿」も乗り物一般ではなく車に限定される。論語では本章のみに登場。初出は西周末期の金文。
『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字。「角(つの)+大+(音符)行」。人にけがをさせないよう、牛の大きな角に横にまっすぐ渡した棒のこと。転じて、広くよこぎや、はかりの横棒のこと、という。詳細は論語語釈「衡」を参照。
其(キ)
(甲骨文)
論語の本章では”自分の”という指示詞。初出は甲骨文。甲骨文の字形は「𠀠」”かご”。かごに盛った、それと指させる事物の意。金文から下に「二」”折敷”または「丌」”机”・”祭壇”を加えた。人称代名詞に用いた例は、殷代末期から、指示代名詞に用いた例は、戦国中期からになる。詳細は論語語釈「其」を参照。
其參於前也・見其倚於衡也
ここでの「也」は、「や」または「なる」と読み、時間・空間・事物のある一部分を提示して強調する意を示す(『学研漢和大字典』)。句中にあって語勢を強めると解釈することも出来る(『大漢和辞典』)。
紳(シン)
(金文大篆)
論語の本章では”帯のたれ”。もと儒者が締めた長い帯を紳と言い、締めた余りは垂れ下がって、とっさの場合に限りメモ代わりに用いた。日本の帯はたれを後ろに回すが、中国では前に出した。のち、紳を締めた儒者=学者・官僚・政治家を紳士と言うようになった。
詳細は論語語釈「紳」を参照。
論語:付記
弟子の中でも子張は、横柄に見える所があったらしく、例えば根暗で陰険な曽子には耐えられなかったらしい(論語子張篇16)。同じく陰険なところのある子游からも陰口を叩かれている(論語子張篇15)。孔子はそれを踏まえて、子張に慎み深くすることを教えた。子張に特有の症状に固有の薬を処方したと言うべきで、孔子の教説一般に関わる答えとは思われない。
しかし人が横柄な振る舞いに出る理由は、心に満たされないうつろがあるということで、それを満たしてくれる孔子に、子張は懐いたのだろう。さして安価とも思われぬ帯にすぐさまメモしたのは、それを示している。だからこそ論語に、子張は子路・子貢に次いで多く登場する。
なお既存の論語本では藤堂本で、論語の本章を「政令が行われる」と解するが、子張は仕官に熱心だったものの(論語為政篇18)、就職した記録が無いので、賛成しかねる。
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