論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす
原文
子曰、「射不主皮、爲力不同科、古之道也。」
校訂
定州竹簡論語
……古之道也。」52
復元白文
※科→斗。論語の本章は也の字を断定で用いているなら、戦国時代以降の儒者による捏造の可能性がある。
書き下し
子曰く、射は皮を主とせず、力科を同じうせざるが爲なり、古之道也/也。
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逐語訳
先生が言った。「弓術は的に当てるのが目的ではない。腕力は人によって違うからだ。これが昔からのやり方だよ。」
意訳
各自の腕力に応じて競技するのが、古式ゆかしいやり方だ。
従来訳
先師がいわれた。――
「射の主目的は的にあてることで、的皮を射ぬくことではない。人の力には強弱があって等しくないからである。これは古の道である。」
現代中国での解釈例
孔子說:「射箭比賽不以射透為主,而主要看是否射得準確,因為人的力量不同,自古如此。」
孔子が言った。「弓矢の仕合は射貫くことが目的ではない。狙いが正確かを見るのだ。なぜなら人の筋力は同じでなく、昔からこうだったのだ。」
論語:語釈 →項目を読み飛ばす
主
(金文)
論語の本章では、”目的”。原義は”ほのお”。詳細は論語語釈「主」を参照。
皮
(金文)
論語では本章のみに登場。論語の本章では、”まと”。初出は甲骨文、カールグレン上古音はbʰia。同音に疲、罷、被、鞁”馬の飾り”。なお「比」”比べる・競う”はbʰi̯ərまたはpi̯ərで、きわめて近い。
いろいろな解釈があり得る。逐語訳のように”的そのもの”。従来訳のように”的の表面に張った皮”。既存の論語本では宮崎本で、”狩りの獲物の皮革”とする。
語源は『字通』では、動物から皮を剥ぎ取る形といい、全体のかわを「革」、一部のかわを「皮」と書くという。また音の「ヒ」は、はぎ取る時の音という。
一方『学研漢和大字典』では、頭の付いた動物のかわ+又(手)の会意文字といい、動物の毛皮を手で体にかぶせるさまという。また斜めにかけるの意を含み、革は動物のかわを張って陰干ししたもの、皮は毛が付いてしなやかであり、革は毛がなくて堅いという。
ここまで調べても、結局これが正解、とは言えない。とりあえず”まと”と解釈する。
儒者がでっち上げた面倒くさい射礼(じゃらい)=弓の儀式では、布の幕を張って中央に皮を張り、「鵠」と書いておく。これを侯(まと)という。鵠とは大型で白い水鳥のことだが、ここからまん中を射貫くこと、図星を言い当てることを「正鵠を射る」という。
ただし服部宇之吉・國譯漢文大成『論語』のような「射は主皮せず」といった、極めてふざけた訓読は許しがたい。主皮って一体何だ。それを明らかにするのが学者の仕事だろうに。戦前の帝大漢学教授どもが、いかに下らない連中かをよく示している。
科
論語では本章のみに登場。初出は後漢の『説文解字』で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はkʰwɑ。同音は薖(草の名・寛大なさま)のみで、同じく『説文解字』が初出。
部品の斗は、容量・重量の単位であり、それを量る柄杓の意でもある。つまり”量・程度”の意味があり、論語時代の置換候補となる。
『学研漢和大字典』によると会意文字で、「禾(いね)+斗(ます)」。作物をはかって等級をつけることを示す。すべて物事の等級を科という。あなやまるい頭の意は、窩(カ)(あな)・顆(カ)(まるい頭)に当てた用法。類義語の課は、分類してうけもつ仕事や学習、という。
『字通』科条
[会意]禾(か)+斗(と)。〔説文〕七上に「程(はか)るなり」、また次条の程に「品なり」とあり、農作物の品定めをする意であろう。斗は量器で、禾穀を量り、その量・質を定める。
爲力不同科
「科」(金文大篆)
論語の本章では、”人によって腕力には差がある”。”力比べの祭には、ランクを分けて仕合をする”と解する論語本もある。
「力」の金文は戦国早期のものしか見つかっていないが、甲骨文からあり論語の時代に存在した。しかし「科」は後漢の『説文解字』が初出で、同音近音同訓は存在せず、部品の「禾」「斗」に”種類”の意は無い。従って論語の時代に存在しない。
論語:解説・付記
論語の本章は、上記の検証に拘わらず、おそらく後世の捏造だろう。だいたいの傾向として、他の章に使われない漢字を用いている章は、後世の偽作である。
論語時代の弓には二種類有り、いわゆる引きしぼったまま縦に射る半弓と、器械仕掛けで横に射るクロスボウ=弩があったのはすでに記し、弩は主に徴兵された際に庶民出身の歩兵が用いること、弓は貴族の技能で、戦車上から遠距離攻撃を担う兵器であったことも同様。
論語の本章でいう弓は半弓で、貴族にのし上がりたい弟子たちに孔子が教えたのもこれだが、これまた繰り返すように、弓とはそうそう当たるものではない。弓道の経験者としては、「射不主皮」を”弓矢の稽古では、的に当てることより心を鍛えろ”と解したい所ではある。
しかしさまざま解釈があり得る本章の要点は、”人には腕力の違いがある、だから無差別級で仕合するのは昔から避けられた”ということだろう。本章のテーマを二つと捉えることも可能で、一つは弓術の話、もう一つが相撲の話で、どちらも体力別に分けるのは、まことにもっとも。
論語と弓との関係について漢代の儒者は、春秋諸国が弓の稽古を庶民に奨励したという伝説を作った。いわゆる射礼で、論語の本章はそのでっち上げを本物に見せるための作文だった可能性がある。一方史実としては、孔子の孫弟子・呉起(呉子)の逸話が伝わっている。
呉起は北方の魏国の地方総督として仕えたが、その任地は黄河の西岸に張り出した最前線(河西)であり、その向こうにはすさまじい強兵で知られた秦国があった。後に中国を統一して、史上初の帝国を開いた諸侯国である。その秦国が、たびたび河西に攻め込んでいた。
だからこそ呉起が起用された。総督として赴任した呉起はふれを出し、「今後裁判でもめた際は。弓の仕合で決着を付けることにする」と知らせた。それを見た民は日夜弓の稽古に励むようになり、それを知らぬ秦軍が攻め込んだ所、さんざん射すくめられて退却したという。
なお既存の論語本では吉川本に以下のように言う。

古注によれば、射不主皮と爲力不同科とは二つのことである。射とは、礼の儀式としての弓試合であり、皮とは弓試合の時の的であるが、皮を主とせずとは、的の皮に命中するばかりが能でなく、競技の態度が立派でなければならぬ。…力を為すとは力仕事の奉仕をすることであるが、…体力の差異に応じて違った仕事を課せられ、同一種の仕事をしない。このふたつのことは、いずれも古の道であるとする。新注の説は…力の科を同じゅうせざるが為なりと一連なりに読み、的の皮…を尊重しないのは、各人の体力に違いがあるからであり、かく個性を尊重するのが古の道であるといったとする。
これはまさに儒者の言いそうな理屈で、孟子以降の儒者は「力を労せず心を労す」といって、箸と筆とワイロより重い物を持とうとしなかった。そして肉体労働を極端にいやしみ、その結果儒教文化圏ではまともな産業が育たなかった。その出来損ないの例は、日本人ならよく知る所だろう。
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