論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす
原文
子曰、「二三子、以我爲隱*乎。吾無隱乎爾。吾無*行而不與二三子者、是丘也。」
校訂
武内本
清家本により、隱の下に子の字を補う。無の下に所の字を補う。
定州竹簡論語
□曰:「二三子以我為隱子a乎?吾無隱乎壐。吾無行而166……與二三子b,是丘也。」167
- 子、阮本無、皇本有。
- 今本「子」下有「者」字。
→子曰、「二三子、以我爲隱子乎。吾無隱乎壐。吾無行而不與二三子、是丘也。」
復元白文
※隱→陰・壐→爾。論語の本章は也の字を断定で用いているなら、戦国時代以降の儒者による捏造の可能性がある。
書き下し
子曰く、二三子、我を以て子に隱せりと爲す乎。吾隱すこと無き乎壐。吾に行いにし而二三子と與にせざるは無し。是れ丘也/也。
論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす
逐語訳
先生が言った。「諸君、私が諸君に隠し事をしていると言うのか。私には全く隠すことはない。私には、諸君と共に行わない事はない。これがわたし丘だぞ。」
意訳
知りたければ何でも聞きなさい。もったいつけたりせんよ。知とはそういうものだ。それが私の信念だから。
従来訳
先師がいわれた。――
「お前たちは、私の教えに何か秘伝でもあって、それをお前たちにかくしていると思っているのか。私には何もかくすものはない。私は四六時中、お前たちに私の行動を見てもらっているのだ。それが私の教えの全部だ。丘という人間は元来そういう人間なのだ。」
現代中国での解釈例
孔子說:「學生們,你們以為我教學有保留嗎?我沒有保留,我沒什麽不是同你們一起做的,孔丘就是這樣的人。」
孔子が言った。「学生諸君、お前達は私の教えに隠し事があると思っているのか?私には隠し事など無い、私には、お前達と共にしないことなど無い。孔丘とはそのような人物だ。」
論語:語釈 →項目を読み飛ばす
隱/隠(イン)
(金文大篆)
論語の本章では”隠す”。初出は戦国文字で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はʔi̯ən(ʔは空咳の音に近い)で、同音に殷”さかん”・慇”ねんごろ”と、隱を部品とした漢字群。置換候補は陰ʔi̯əm。詳細は論語語釈「隠」を参照。
『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、隱の右側の上部は「爪(手)+工印+ヨ(手)」の会意文字で、工形の物を上下の手で、おおいかくすさまをあらわす。隱はそれに心をそえた字を音符とし、阜(フ)(壁や、土べい)を加えた字で、壁でかくして見えなくすることをあらわす。
隠は工印をはぶいた略字。穩(オン)(=穏。動きをかくす→おだやか)・湮(イン)(かくす)・殷(イン)(かくして中にこもる)などと同系。衣(からだをかくすころも)・依は、その語尾のnが転じたことば、という。
以
(金文)
論語の本章では前置詞で、”…で”・”…を”の意。「もって」と訓む。原義は手で道具を使って仕事をすること。詳細は論語語釈「以」を参照。
我・吾
論語の本章では、「我」を目的格に、「吾」を主格にと、春秋時代の文法に沿って記されている。詳細は論語語釈「我」・論語語釈「吾」を参照。
以我爲隱乎・吾無隱(隠)乎爾
「乎」(金文)
『大漢和辞典』では、「乎」を「ノ(声の上がり揚がる意を示す)と兮とを合わせて、声を長く引いて意を尽くす義を表す」という。詳細は論語語釈「乎」を参照。
しかし中国語音韻学の権威・藤堂明保博士の学研『大漢和辞典』を引くと「乎」は以下の通り。
「下部の伸びようとしたものが、一線につかえた形と、上部の発散する形とからなる会意文字で、胸からあがってきた息がのどにつかえて、はあと発散することをあらわす。感嘆・呼びかけ・疑問・反語など、文脈に応じて、はあという息でさまざまのムードをあらわすだけで、本来は一つである。呼(はあとのどをかすらせて呼ぶ)の原字。」
従って
以我(え?私が)爲隱(隠してるって?)乎(ハァ)。
吾無(私にはないよ)隱(隠す事なんて)乎(ハァ)爾(本当に)。
という、孔子のため息が聞こえるような句と分かる。
「以」について詳細は論語語釈「以」を参照。
乎爾
(金文)
論語の本章では上掲のように”はあ、本当に”の意味だが、伝統的読み下しでは二字を合わせて「のみ」と読んで、断定の意。「爾」については論語語釈「爾」を参照。
丘
(金文)
孔子の本名。文字については論語語釈「丘」を参照。
論語:解説・付記
既存の論語本では吉川本で、孔子の教説が余りに広大なため、弟子が不満を言ったとする。それこそもったいを付けた解釈で、本章の真意ではない。孔子の教説は広大だったが、それは「教える事が多すぎた」からではない。知るべきと知らざるべきの区別が厳しかったのだ。
上掲の検証に拘わらず、論語の本章は恐らく孔子の肉声だろう。「我」と「吾」の使い分けが春秋時代の文法に叶っていることと、孔子の教説に沿っているからだ。その教説とは、「知るを知ると為し、知らざるを知らざると為せ、これ知るなり」(論語為政篇17)である。
「怪力乱神を語ら」なかった孔子は(論語述而篇20)、学びや稽古によって、知らない事を無くしていくことが、世の中を明るくすると言う信念を持っていた。分かることによって恐れや引け目が消える。だから隠し事はオカルトを語るのと同様に、孔子の信念に反するのである。
もちろん孔子が隠し事をしなかったわけではない。政治工作については、普通の学徒だった一般の弟子には隠しただろう。だがそれは自分のためであると同時に、相手のためでもある。「基礎も学ばないのに、いきなり奥義を聞こうというのか」とはそういうことだ。
知るべきでないことを知ることも知るの範疇にある。幼児の火遊びが危険なように、見込みの無いまま戦を起こす当時の貴族を見て、孔子はその思いを強くしただろう。現実とはえげつないものであり、そのえげつに耐えうる者のみが知っていい事がある。
宮崎アニメのように、綺麗なものだけ見せるのもよいが、人間が一呼吸毎に、粘膜で万単位の微生物を殺していることもまた事実で、それを思うと夜も寝られなくなったり、無いことにして忘れるのは「知る」ことではない。知とはそんな生やさしいものではない。
中国史上初めて「知」を発明した孔子は、そんな知の硬く厳しい側面に無論気付いていた。だから弟子に何を聞かれても答えられた。だが相手を見て言葉を選んでいる事は明白で、同じ質問でも答えを変えているのが論語雍也篇22と上掲為政篇17の違いとなって現れている。
最後にちょっと辞書の話を。
訳者が三冊の辞書を引きながら論語を読んでいるのは、諸橋徹次『大漢和辞典』は、分厚い分冊で全十四冊組という、つい最近中国政府が国家事業として作った『漢語大詞典』が出るまで、世界最大の中国語辞典だったから。
次に藤堂明保『学研漢和大字典』は、古代音から現代音まで、ありとあらゆる漢字の、時代ごとの音を全て収録した大部な辞書だからで、音から漢文や論語の意味に迫るには、今でも最も優れているから。現在は名を変えた後継版があるが、旧版で十分である。
白川静『字通』を使うのは、諸橋・藤堂両博士と異なり、漢字の形の研究に生涯を費やした成果だからであり、両博士の研究が及ばなかった、金文(青銅器に鋳込んだ古い文章)や甲骨文にまで考察が及んでおり、漢字の形から漢文や論語の意味に迫るには、最も優れているから。
辞書といえども漢文を扱うことから、儒者や漢学者の狂信から来るハッタリから関係皆無とはいかないが、少なくとも漢字の意味に客観的な根拠があって、論語の解説本よりよほど信用できる。そもそも辞書を書けるというのは、調べることに怠惰では、出来ることではないから。
漢和辞典ソフトの比較も参照。