吿/告(コク・7画)
甲骨文/田告母辛方鼎・西周早期
初出:初出は甲骨文。
字形:字形は「辛」”ハリまたは小刀”+「口」。甲骨文には「辛」が「屮」”草”や「牛」になっているものもある。字解や原義は、「口」に関わるほかは不詳。
音:カールグレン上古音はkのみ(去/入)。「コク」(入)の読みで”つげる”、「コウ」(去)の読みで”君主のおさとし”。藤堂上古音はkok(入)またはkog(去)。
用例:「漢語多功能字庫」は舌の象形といい、甲骨文で祭礼の名、”告げる”、金文では”告発する”(五祀衛鼎・西周)の用例があるという。
学研漢和大字典
会意。「牛+囗(わく)」。梏(コク)(しばったかせ)の原字。これを、上位者につげる意に用いるのは、号や叫と同系のことばに当てた仮借字。▽「説文解字」では、つのにつけた棒が、人に危険を告知することから、ことばで告知する意を生じたとする。類義語の報は、返事をする意。訃(フ)は、人の死を知らせること。
語義
- {動詞}つげる(つぐ)。下位の者が上位の者のそばにいってつげる。転じて、広くことばで人に話しきかせる。「報告」「告諸往而知来者=諸に往を告げて来たることを知る者なり」〔論語・学而〕
- {動詞}つげる(つぐ)。訴える。おかみに申し出る。「告訴」「告発」「不告姦者、腰斬=姦を告げざる者は、腰斬す」〔史記・商君〕
- {動詞}つげさとす。ことばでさとす。「忠告」。
- {動詞}官吏が休暇や引退の意を申し出る。「告退(引退願い)」「賜告=告を賜ふ」。
- {名詞}君主が臣民を教えさとすことば。《同義語》⇒誥。
字通
[象形]旧字は吿に作り、木の小枝に、祝禱を収める器の𠙵(さい)を著けた形。分析していえば、木の省形と口(𠙵)とに従う字である。〔説文〕二上に「牛、人に觸る。角に横木を著く。人に告ぐる所以なり」とし、字を牛と口の会意とするが、俗説である。卜文・金文の字形は、牛とは関係がない。卜辞に「貞(と)ふ。疾又(あ)るに、羌甲(きやうかふ)(祖王の名)に告(いの)らんか」のように、祈る意に用いる。告はその祈りかたを示す字。祝告の器である口をもつ形は史、史は内祭として祖廟を祀るのが原義。その字形は申し文をつけた小枝をもつのにひとしい。外祭のときには、その枝に吹き流しなどをつけるので使・事(もと同形)の字となる。使は祭の使者で外祭、その祭を事・大事という。告・史・使・事はその字形において系列をなす字である。
克(コク・7画)
合20508/兒山公克敦・春秋末期
初出:初出は甲骨文。
字形:頭に飾りを付けた頭の大きな人。かぶとに飾りを付け凱旋する人。
音:カールグレン上古音はkʰək(入)。
用例:「甲骨文合集」20508.1に「癸卯卜其克𢦏周四月」とあり、”勝ち取る”と解せる。
西周以降の金文も同様に”勝つ”・”勝ち取る”の意で用い、戦国の金文から明瞭に”…出来る”の意に用いた(中山王鼎)。
学研漢和大字典
会意。上部は重い頭、またはかぶとで、下に人体の形を添えたもので、人が重さに耐えてがんばるさまを示す。がんばって耐え抜く意から、かつ意となる。緊張してがんばる意を含む。革(ぴんと緊張させて張ったかわ)・極(ぴんと張って、重さに耐える大黒柱)と同系。また、戒(いましめる)や刻苦の刻とも縁が近い。類義語に捷。「剋」の代用字としても使う。「下克上・相克」。
語義
- {動詞}かつ。がんばって耐え抜く。やりぬく。「克服」「克己復礼為仁=己に克ちて礼に復るを仁と為す」〔論語・顔淵〕
- {動詞}かつ。力を尽くしてかち抜く。《同義語》⇒剋。「克復」「戦必克=戦へば必ず克つ」〔孟子・告下〕
- {助動詞}よく。→語法「①②」。
- {形容詞}かち気な。「忌克(しっと深く、かち気なこと)」。
語法
①「よく」とよみ、「耐えぬいて~できる」「苦労して~し終える」と訳す。可能の意を示す。否定形は訓読が変化するので、「②」を参照。《類義語》能。「惟孝、友于兄弟、克施有政=これ孝ならば、兄弟に友に、克(よ)く有政に施す」〈(親に)孝であれば、兄弟とも仲良くし、政治にもきっと反映させられる〉〔書経・君陳〕
②「不克」は、「あたわず」とよみ、「苦労したが~できなかった」と訳す。「克」の否定形。「雨不克葬、礼也=雨ふりて葬むる克(あた)はざるは、礼なり」〈雨のため葬儀が行えず(翌日挙行したのは)、礼に合している〉〔春秋左氏伝・宣八〕
字通
[象形]木を彫り刻む刻鑿(こくさく)の器の形。上部は把手、下は曲刀の象。〔説文〕七上に「肩(かつ)ぐなり。屋下の刻木の形に象る」とあり、支柱の意とする。しかし金文の字形では、下部が曲刀をなしており、また〔説文〕古文の第二字は明らかに刻彔の形、すなわち錐もみの器である。刻鑿・掘鑿(くつさく)に用いる。〔詩、大雅、雲漢〕「后稷(こうしよく)克(しる)さず」の〔鄭箋〕に「克は當(まさ)に刻に作るべし。刻は識(しる)すなり」とあり、克はその克識を施すための器である。ものを刻することから、克能・克勝の意となり、また克己のように用いる。
谷(コク・7画)
甲骨文/倗生簋・西周中期
初出は甲骨文。カールグレン上古音はkuk(入)。字形は〔八〕二つ+「𠙵」”くち”で、山々の谷が開ける谷口のさま。原義は”たに”。金文での「𠙵」は西周中期になるとV字形に記されるようになる。「漢語多功能字庫」によると、甲骨文では地名に、金文では原義(啟卣・西周早期)、「裕」”余裕”(何尊・西周早期)、また人名に用いた。”欲”の意は戦国の竹簡「郭店楚簡」から確認できるという。
下掲『字通』によると、金文の時代「欲」gi̯uk(入)は「谷」と書かれたという。論語語釈「欲」も参照。
学研漢和大字典
会意。「八印(わかれ出る)二つ+口(あな)」で、水源の穴から水がわかれ出ることを示す。▽卻(=却)の音符谷(キャク)は、口の上、鼻の下の正中線のくぼみをあらわし、谷(コク)とは別字。口(くちの穴)・后(コウ)(しりの穴)・喉(コウ)(のどの穴)などと同系。また、容giuŋ→yioŋ(くぼんだ入れ物)は、その語尾の転じたことば。類義語の谿は、糸がつながるような細長いたに。「たに」は「渓」「谿」とも書く。
語義
コク(入)gǔ
- {名詞}たに。山の低くくぼんだ所。また、川の源となる水が、流れ出るくぼみ。転じて、うつろにくぼんだ所。《類義語》谿(ケイ)。「渓谷」「空谷(うつろなたに)」「谷神(うつろな穴にひそむ不思議な力)」。
- {動詞・形容詞}きわまる(きはまる)。いちばん奥に達して動きがとれない。▽いちばん奥の水源の意から。《類義語》窮。「進退維谷=進退維れ谷る」〔詩経・大雅・桑柔〕
- 「暘谷(ヨウコク)」とは、太陽が出るという所。
- 「昧谷(マイコク)」とは、太陽が没するという所。
- {名詞}こくもつ。▽穀に当てた用法。「陸谷(=陸穀。とうもろこし)」。
ヨク(入)yù
- 「吐谷渾(トヨクコン)」とは、晋(シン)代から唐代にかけて鮮卑(センピ)族がたてた国。今の青海省あたりにあった。
ロク(入)lù
- 「谷蠡(ロクリ)・(ロクレイ)」とは、匈奴(キョウド)の部族の長の称号。
字通
[象形]谷の入口の形。〔説文〕十一下に「泉出でて川に通ずるを谷と爲す。水半ば見えて口より出づるに從ふ」とするが、金文の字形は、左右から山がせまり、谷口が低く狭まった形で∨形をなすことを示す。口の部分は、字の初文では∨形に作る。卜文には𠙵(さい)形に作り、谷口を聖所として祀る意である。
國/国(コク・8画)
毛公鼎・西周末期/宗婦昔甹兄女鼎・春秋早期
初出:初出は甲骨文。「小学堂」「漢語多功能字庫」は甲骨文を認めず、初出は西周早期の金文。ただし「或」と未分化。甲骨文は「国学大師」に掲載。
「国学大師」國条
甲骨文從戈、從囗。戈為武器,引申為武力、部隊;囗本為包圍,在此指土地。二者相合表示以武力保衛土地。
甲骨文は「戈」と「囗」の字形に属する。「戈」は武器で、派生義として武力、部隊を意味する。「囗」は”囲む”が原義で、ここでは”土地”を指す。両者が合わさって、武力で守る土地、を意味する。
字形:おそらく「国学大師」の字解は誤っている。甲骨文の四角形は”くにがまえ”ではなく”くち”で、別の字体は「戈」すら含んでいない。甲骨文の研究者がこれらの字体を「国」に分類した根拠は不明だが、いずれも「口」=”住民”+バリケード状の仕切り、ではなかろうか。いずれにせよ、囲われた土地とその住人のことで、”国家”を意味するには違いない。ただし春秋時代までは都市国家の時代で、諸侯国は都市国家の連合体だった。従って春秋末までの「國」は領域国家の意味ではない。詳細は論語郷党篇16余話「ネバーエンディング荒野」を参照。
金文以降は明確に、”城郭”+「戈」”カマ状のほこ”。武装した都市国家のさま。
音:カールグレン上古音はkwək(入)。
用例:西周早期「班簋」(集成4341)に「□人伐東或(國)□戎」とあり、「或」は「國」と釈文されている。
西周中期「彔卣」(集成5419)に「淮夷敢伐內國」とあり、”くに”と解せる。
備考:論語語釈「邦」も参照。
「漢語多功能字庫」によると、西周早期の「何尊」では「域」と分化しておらず、”くに”と解している。だが同じ西周早期の「彔卣」では、「國」と記している。金文から戦国の竹簡に至るまで、語義の変遷は無いようだ。
学研漢和大字典
会意兼形声。或(ワク)は「弋(くい)+囗(四角い区域)」の会意文字。金文の或の字は、囗印を上下両線で区切り、そこに標識のくいをたてることを示す。弋はのち戈(ほこ)の形となり、ほこで守る領域を示す。國は「囗(かこい)+(音符)或」で、わくで境界を限る意を含む。或・域・國はもと同系であったが、のち、或は有(ある、あるいは)に当てられ、域は地域の意に用いられ、國は統治されたくにの意に専用されるようになった。常用漢字の国は略字。
類義語の邦は、封(ホウ)(盛り土)と同系で、盛り土で境をつけたくに。圀は、唐の則天武后が國(コク)(=国)の字が或(=惑(マドウ))を含むのをきらって定めた文字。▽旧字「國」は人名漢字として使える。
語義
- {名詞}くに。境界で囲んだ領域。昔は諸侯の領地。▽今は人民・土地・主権を有する国家のこと。「大国」「兵者国之大事=兵者国之大事なり」〔孫子・始計〕
- {名詞}くに。国家の統治の仕組み。国家組織。「国破山河在=国破れて山河在り」〔杜甫・春望〕
- {名詞}くに。うまれ育った国家。祖国。「去国三巴遠=国を去りて三巴遠し」〔盧卸・南楼望詩〕
- 《日本語での特別な意味》
①くに。郷里。「国に帰る」。
②日本の。「国学」「国文」。
字通
旧字は國に作り、囗+或。或は囗を戈とに従い、囗は都邑の城郭。戈を以てこれを守るので、或は國の初文。國は或にさらに外郭を加えた形である(訳者注。魯国の城壁が多重であったことが『左伝』に記されている)。もと国都をいう。〔説文〕六下に「邦なり」、邑部六下に「邦は國なり」とあって互訓。邦は社稷(訳者注。国家の祭殿、土地神と穀物神を祀る)に封樹(訳注。神の宿る土盛りに植えられた樹)のある邑で、邦建による国都を言う。〔周礼、天官、大宰、注〕に「大なるを邦という」とし、〔玉篇〕に「小なるを邦という」とするが、分別を加えるとすれば、國は軍事的、邦は宗教的な性格をもつ字である。金文に、古くは或を用い、また国家のことは邦家というのが例であった。圀は唐の則天武后が制定した新字の一。或は域で、限定を加える意があるので、八方を以てこれに代えたのである。
訓義
- くにのみやこ、国都。
- くに、邦家。
或(コク・8画)
甲骨文/班簋・西周早期
初出:初出は甲骨文。
字形:甲骨文の字形は「戈」”カマ状のほこ”+「𠙵」”くち”だが、甲骨文・金文を通じて、戈にサヤをかぶせた形の字が複数あり、恐らくはほこにサヤをかぶせたさま。原義は不明。
音:カールグレン上古音はgʰwək(入)。「ワク」は呉音。
用例:上掲「甲骨文合集」142に「甲午卜古貞在□或芻呼□」とあり、”あるいは”か”地域”か”国”か判別しがたい。
西周早期「□鼎」(集成2740)などの「或」は「國」と釈文されている。
西周中期「裘衛盉」(集成9456)に「矩或取赤虎兩」とあるのは「又」と釈文されている。
春秋中期「𦅫鎛」(集成271)に「世萬至於辝孫子。勿或俞改。」は「惑」”まどう”と解せる。
「漢語多功能字庫」によると、甲骨文では地名・国名・人名・氏族名に用いられ、また”ふたたび”・”地域”の意に用いられた。金文・戦国の竹簡でも同様。
学研漢和大字典
会意。「戈(ほこ)+囗印の地区」から成る。また囗印を四方から線で区切って囲んだ形を含む。ある領域を区切り、それを武器で守ることを示し、域や國(コク)(=国)の原字である。ただし一般には有(ɦɪuəg-ɦJɪəu(イウ))にあて、ある者、ある場合などの意に用いる。或の原義は、のちに域の字であらわすようになった。
語義
- {指示詞}ある。→語法「③」。
- {代名詞}あるいは。あるひと。→語法「②」。
- {接続詞}あるいは。→語法「①-2」。
- {副詞}あるいは。→語法「①-1」。
- {動詞}ある(あり)。《類義語》有。「未之或知也=いまだこれ知るあらざるなり」〔易経・壓辞下〕
- {動詞}まどう(まどふ)。狭い考えにとらわれて、まよう。▽惑(ワク)に当てた用法。「無或乎王之不智也=王の不智に或ふこと無かれ」〔孟子・告上〕
語法
①「あるいは」とよみ、
- 「~のこともある」「ひょっとしたら」と訳す。推測の意を示す。▽「或者」も、「あるいは」とよみ、意味・用法ともに同じ。「昔者辞以病、今日弔、或者不可乎=昔者(むかし)は辞するに病をもってし、今日は弔す、或は不可ならん」〈昨日は病気といってお断りになりながら、今日は弔問に行かれるのは、ひょっとしてまずいのではないですか〉〔孟子・公下〕
- 「ある場合は」「ある時は」「または」と訳す。選択の意を示す。「夫物之不斉、物之情也、或相倍戰、或相什百、或相千万=それ物の斉(ひと)しからざるは、物の情なり、或ひはあひ倍戰(ばいし)し、或ひはあひ什百(じゅうひゃく)し、或ひはあひ千万す」〈いったい物に差異があるのは、自然の理で、ある物は二倍五倍、ある物は十倍百倍、ある物は千倍万倍(の価格)となる〉〔孟子・滕上〕
②「あるいは」「あるひと」とよみ、不特定の人物を指示する。「或謂孔子曰=或いは孔子に謂ひて曰はく」〈ある人が孔子に向かって言った〉〔論語・為政〕
③「ある」とよみ、「ある~」と訳す。不特定の人・物・事を指示する。「或人嘉而称焉=或る人嘉して称す」〈ある人がお祝いをのべて、ほめたたえた〉〔後漢書・馬融〕
字通
[会意]囗(い)+戈(か)。囗は城郭の象。これを戈(ほこ)をもって守る意で、國(国)の初文。國は或にさらに囗を加えた形。金文に或を国の意に用いる。〔説文〕十二下に「邦なり。囗(ゐ)に從ひ、戈に從ひ、以て一を守る。一は地なり」とし、域を重文としてあげる。一は境界の意。或・域・國はもと一字。或がのち域と國とに分化したとみてよい。或はまた又(ゆう)・有とも声義が通用し、有が一般的にある意であるのに対して、或は限定的な有であるため「あるいは」の意となり、不特定の意となる。〔論語、為政〕「或(ある)ひと、孔子に謂ふ」は不特定の人、〔詩、豳風、鴟鴞(しけう)〕「敢て予(われ)を侮ること或(あ)らんや」は有の限定的用法である。惑と通用し、〔孟子、告子上〕「王の不智なるを或(うたが)ふこと無(なか)れ」とあり、疑惑の意に用いる。
剋(コク・9画)
孫臏212・前漢
初出:戦国最末期の「雲夢龍崗秦簡」。ただし画像は未公開。「小学堂」による初出は前漢の隷書。
字形:〔克〕+〔刂〕”かたな”。兜をかぶり刀を持った武装兵の姿。「尅」は日中台ともに異体字として扱われている。
音:カールグレン上古音はkʰək(入)。同音に刻、克。論語語釈「克」を参照。
用例:戦国最末期「雲夢龍崗秦簡」203に「遇(?)而爭,【爭】而不剋者」とあり、”勝つ”と解せる。
論語時代の置換候補:部品の「克」。
学研漢和大字典
会意兼形声。克は、重いかぶと、または、頭を人体がささえるさま。がんばって耐え抜く意を含む。剋は「刀+(音符)克」で、克の原義をあらわし、また、刻(力をこめてきざむ)に通じて用いる。「克」に書き換えることがある。「下克上・相克」。
語義
- {動詞}かつ。がんばって相手にうちかつ。耐えぬく。《同義語》⇒克。「下剋上=下上に剋つ」。
- (コクス){動詞}きざむ。きざみつける。《同義語》⇒刻。
- {形容詞}ごしごしときざみつけるようにきびしいさま。《同義語》⇒刻。「剋薄(コクハク)」。
字通
[形声]声符は克(こく)。克は刻木の器。上部は把手、下部は曲刀の形。克の古文は穴をあけるときの刻鑿(こくさく)の器の形に作る。克が剋の初文。克を克能・克己のように用いるようになり、刀を加えた剋が作られた。克と通用することが多い。尅はその俗字である。
哭(コク・10画)
甲骨文/在線漢語字典所収字
初出:初出は甲骨文(国学大師)。「小学堂」での初出は楚系戦国文字。
字形:中央に犠牲獣の「犬」+「𠙵」”くち”二つで、犬を供え物にして故人の冥福を祈ること。同形の「器」より「𠙵」の数が半分であることから、より小規模な祭祀を言う。詳細は論語語釈「器」を参照。「喪」は現行字体は「𠙵」が二つだが、甲骨文では一つ~四つと安定しない。詳細は論語語釈「喪」を参照。
音:カールグレン上古音はkʰuk(入)。
用例:「甲骨文合集」28012.3に「王其呼衛于哭方出于之有𢦏」とあり、「王それ衛を哭方に呼びてここに出る有らんか」と読め、地名と解せる。
「甲骨文合集」777反に「鼎(貞):王𢎥(勿)哭…」とあり、欠字が多いが、「とう、王哭くなからんか」と読め、”なく”と解し得る。
2022年1月現在、春秋末期までの金文には用例が無い。「在线汉语字典」「国学大師」に金文を載せるが出所が不明。それ以降は戦国時代の竹簡に”なく”の用例がある。
備考:「漢語多功能字庫」には、見るべき情報が無い。
学研漢和大字典
会意。「口二つ+犬」で、大声でなくこと。犬は大声でなくものの代表で、口二つは、やかましい意を示す。類義語に啼。
語義
- (コクス){動詞}なく。大声をあげてなく。「慟哭(ドウコク)(からだを上下に動かして大なきをする)」。
- (コクス){動詞}葬式や墓前で大声でなく。「有婦人哭於墓者=婦人の墓に哭する者有り」〔礼記・檀弓下〕
字通
[会意]吅(けん)+犬。口は𠙵(さい)、祝禱を収める器の形。犬は犬牲。㗊(しゆう)と犬とに従うものは器で明器。喪葬に用いる。哭は葬に臨んで哭泣することをいう。〔説文〕二上に「哀しむ聲なり。吅に從ひ、獄(ごく)の省聲なり」とするが、一犬を以て獄の省とすることはできない。また〔段注〕に、家が豕(ぶた)に従うように、哭声も犬に従うとするが、犬は清めに用いる犠牲である。家も卜文は犬に従い、犬牲を以て清めて奠基(てんき)とする建物で、卜辞に「上甲の家」というように、もと祀廟をいう語であった。哭の声は、おそらくその哭泣の声をとるものであろう。
黑/黒(コク・11画)
甲骨文/鑄子叔黑𦣞簠・春秋早期/璽彙0737・戦国晋
初出:初出は甲骨文。
「堇」 甲骨文
字形:甲骨文の字形は頭の大きな人。春秋の金文になると点が付けられるようになり、戦国文字になると点が二つになった。この字形は「堇」「𦰩」”火あぶりされるみこ”に極めて近く、おそらく原義は生け贄が黒焦げになったさま。
音:カールグレン上古音は黙mək(入)に大して黒xmək(入)で、語頭のxは落ちうるのだろう。
用例:「甲骨文合集」11238に「黑豕」とあり、”黒い”と解せる。
同22425.3に「貞今夕無黑」とあり、”月食”と解せる。
西周早期「白𣪕」(集成4169)に「隹王伐魚。伐𣶃黑。」とあり、異民族の名と思われる。
西周末期「嫼𣪕蓋」(集成3874)に「嫼乍尊𣪕。」とあり、人名の部品として用いている。
春秋末期までに、人名と解せる例が複数ある。
備考:”だまる”の語釈は『大漢和辞典』に無いが、定州論語のような物的証拠がある以上、前漢での「黙」→「黒」は認めざるを得ない。ただし論語の時代には適用できない。
学研漢和大字典
会意。この字の下部は火、上部は煙突に点々とすすのついたさまをあらわす。墨(=墨。くろいすす)・晦(くらい)・煤(くろいすす)・灰(くろいはい)と同系。▽語頭のmが無声のmとなり、ついに、hにかわったので、墨(m)・黒(h)の差が生じたが、本来は、墨(すす)と黒(くろい)は同源。旧字「黑」は人名漢字として使える。
語義
- {名詞・形容詞}くろ。くろい(くろし)。すすの色。くろ。くろい。また、暗い。「黒衣」「黒雲」「暗黒」。
- {名詞・形容詞}くろ。くろい(くろし)。有罪。やみの。けがれた。腹ぐろい。《対語》⇒白。「黒市(やみ市)」。
- {動詞}くろむ。くろくなる。暗くなる。《対語》⇒明。「行明白而日黒兮=行ひ明白なれども而日は黒む兮」〔楚辞・怨思〕
字通
[会意]旧字は黑に作り、柬(かん)+火。〔説文〕十上に「火、熏(くん)する所の色なり。炎の上りて、𡆧(まど)に出づるに從ふ。𡆧は古の窻の字なり」とするが、その形ではない。柬は東(橐(たく)、ふくろ)の中にもののある形。下に火を加えて熏蒸し、黑の色をとることを示し、黒色をいう。それより暗黒の意となる。幽は黝(ゆう)と声義近く、黝(ゆう)(いと)と火とに従い、糸をふすべて黒く染める意の字で、また幽暗の義に用いる。
惑(コク・12画)
中山王昔鼎・戦国末期
初出:初出は戦国時代の竹簡。「小学堂」による初出は戦国末期の金文。
音:「ワク」は呉音。カールグレン上古音はɡʰwək(入)。同音に或、蜮(いさごむし、まどわす)。字形は「或」+「心」。
慶大蔵論語疏は「或」の異体字「〔弋くく〕」と記す。「唐宮官司設墓誌」刻。さらに下に「心」形を書き足している。書き足したのはおそらく読者の日本人で、晩唐に国策によって刻まれた唐石経にならったと思う。
用例:「上海博物館蔵戦国楚竹簡」緇衣02に「臣不或於君。」とあり、「或」は「惑」と釈文され、”うたがう”・”まよう”と解せる。
戦国中末期「郭店楚簡」緇衣4に「臣不惑於君。」とあり、”うたがう”・”まよう”と解せる。
論語時代の置換候補:『大漢和辞典』で音コク訓まどうに「或」ɡʰwək(入)があるが、原義は長柄武器の一種の象形で、甲骨文から金文にかけて地名・人名や、”ふたたび”・”あるいは”・”地域”を意味したが、「心」の有無にかかわらず、”まどう”の語義が確認できるのは戦国の「郭店楚簡」から。論語語釈「或」を参照。同じく「惐」の初出は不明。音ワク訓まどうにも「或」しかない。
備考:「漢語多功能字庫」には、見るべき情報が無い。
学研漢和大字典
会意兼形声文字で、或の左側は、囗印の上下に一線を引き、狭いわくで囲んだ区域を示す。或は「囗印(かこむ)+戈」の会意文字で、一定の区域を武器で守ることを示す。惑は「心+(音符)或」で、心が狭いわくに囲まれること。
類義語の迷は、行く手がわからずまようこと。疑は、思案にくれて進まないこと、という。
語義
- {動詞}まどう(まどふ)。心が狭いわくにとらわれ、自由な判断ができないでいる。一定の対象や先入観にとらわれる。「迷惑(メイワク)(まどう。日本では、困るの意に用いる)」「四十而不惑=四十にして惑はず」〔論語・為政〕
- {動詞}まどわす(まどはす)。相手の心を引きつけて判断を誤らせる。「蠱惑(コワク)」。
- {名詞}まどい(まどひ)。狭くとらわれた考え。「解惑=惑ひを解く」「孰能無惑=たれか能く惑ひ無からん」〔韓愈・師説〕
字通
声符は或。或に限定の意、例外の意があり、疑い惑う意がある。〔説文〕十下に「亂るるなり」とあり、惑乱することをいう。
訓義
まどう、うたがう、あやしむ。みだれる、もとる、まよう。
大漢和辞典
まどう。まどわす。まどい。通じて或に作る。諡。
穀(コク・14画)
辛鼎・商代晚期或西周早期/包2.274/睡.日乙241
初出:初出は殷代末期か西周早期の金文。「小学堂」での初出は西周早期とし、ただし周初~西周中期の金文を載せる。
字形:西周中期までは「丰」”穀物の穂”2つ+「𠙵」”くち”。口にすべき穀物を表す。楚系戦国文字は現行字体に「木」を加えたもので、秦系戦国文字から現行字体となる。「禾」”穀物の穂”+「士冖」”殻”+「攵」”叩いて脱穀する”で、実った穀物を脱穀する、あるいは殻剥きまでするさま。
音:カールグレン上古音はkuk(入)。
用例:西周早期「士上盉」(集成9454)に「□百生豚」とあり、□は「丰」”穀物の穂”2つ+「𠙵」”くち”の字形で、”穀物”と解せる。
西周中期「辛鼎」(集成2660)にも「丰」”穀物の穂”2つ+「𠙵」”くち”の字形が見られるが、解読不能字が多く語義を判別できない。
戦国の竹簡「上海博物館蔵戦国楚竹簡」柬大09に「今夕不穀」とあり、”ご飯を食べる”と解せる。
戦国最末期「睡虎地秦簡」日乙64に「五穀良日」とあり、”穀物”と解せる。
備考:「漢語多功能字庫」には見るべき情報がない。
学研漢和大字典
会意兼形声。殻(コク)・(カク)は、固い外わく、かたいものをたたくの意。穀は「禾(穀物)+(音符)殻」の略体で、かたいからをかぶった穀物の実。▽常用漢字の字体は禾の上の一を略したもの。角・殼(=殻。から)と同系。旧字「钁」は人名漢字として使える。▽常用漢字の字体は禾の上の一を略したもの。椿(コク)は、別字。
語義
- {名詞}穀物の総称。かたいからをつけた食べられる粒状の実のこと。豆やごまを含むことがある。「五穀」「九穀」「養穀不成=穀を養ひて成らず」〔李滉・啓蒙篇〕
- {動詞・形容詞・名詞}よくする(よくす)。よい(よし)。よくする。よい。かっちりとしまった状態。善。「三年学不至於穀不易得也=三年学びて穀に至らざるは得易からざるなり」〔論語・泰伯〕▽この例は一説に「め」の意という。
- {動詞}やしなう(やしなふ)。食物を与えてやしなう。「以穀我士女=以て我が士女を穀ふ」〔詩経・小雅・甫田〕
- {動詞}いきる(いく)。ものを食べていきる。「穀則異室、死則同穴=穀きては則ち室を異にするも、死しては則ち穴を同じうせん」〔詩経・王風・大車〕
- (コクス){動詞・名詞}俸禄(ホウロク)を受ける。俸禄。《類義語》禄。「邦無道穀恥也=邦に道無きに穀するは恥なり」〔論語・憲問〕
字通
[形声]旧字は穀に作り、声符は𣪊(かく)。〔説文〕七上に「續(つ)ぐなり。百穀の總名なり」とあり、穀・續(続)の畳韻を以て字義を解する。粟字条七上に「孔子曰く、粟(ぞく)の言爲(た)る、續なり」とあるのと同じく、当時の音義説である。𣪊は草木の実の殻で、殳(しゆ)に従うのは脱穀の象。穀とは穀実、実の充実しているものを穆(ぼく)という。〔詩、小雅、甫田〕「以て我が士女を穀(やしな)ふ」、また〔詩、王風、大車〕「穀(い)きては則ち室を異にするも 死しては則ち穴を同じうせん」のように、生息の意に用いる。
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