論語:原文・書き下し
原文
子曰、「君子上達、小人下達。」
復元白文(論語時代での表記)
書き下し
子曰く、君子は上を達り、小人は下を達る。
論語:現代日本語訳
逐語訳
先生が言った。「貴族は上品な話をすらすら知る。庶民は俗な話をすらすら知る。」
意訳
貴族なら難しい話も理解するが、庶民は難しい話が分からない。その代わり地に足が付いた技能をよく知っている。
従来訳
先師がいわれた。――
「君子は上へ上へと進む。小人は下へ下へと進む。」下村湖人『現代訳論語』
現代中国での解釈例
孔子說:「君子心懷仁義,小人心懷財利。」
孔子が言った。「君子は心に仁義を思い、小人は心に利益を思う。」
論語:語釈
君子
論語の本章では”貴族”。孔子生前は徹頭徹尾この意味で、”教養ある人格者”という曖昧模糊とした意味は、孔子より一世紀後の孟子が言いだしたこと。詳細は論語における君子を参照。
ただし貴族と言っても、ちょうちんキュロットに白タイツをはいた西洋の法服貴族や、ぶよぶよに太って女たらしとポエム書きしか能の無い、日本の荘園領主を想像してはならない。中国古代の貴族とは戦士のことで、商工業に従事する都市住民も、戦時は参陣したから貴族だった。裏長屋に住む傘張り浪人でも、身分は武士であるのと同じ。詳細は国野制を参照。
達
(金文)
論語の本章では、”すらすらと知る”。藤堂・白川説ともに、辶にのせられている「羊」は、すらすらと子を生むヒツジのことだという。ヒツジの安産から来た語。羊に大を加えた羍は、”子ヒツジ””生まれる”の意。詳細は論語語釈「達」を参照。
なお日本語に引かれて「君子は上達する」と解してはいけない。藤堂博士が〔日本語での特別な意味〕とわざわざ断っているように、君子なら何かの”わざの達者になる”、という意味ではないからだ。
小人
論語の本章では”庶民”。君子同様、孔子生前は徹頭徹尾この意味で、”下らない人間”という差別的語義は、孔子より一世紀後の孟子、からではなく、さらに60年下る戦国末期の荀子か、あるいは漢帝国の儒者による発明。詳細は論語憲問篇7付記を参照。
論語:付記
論語の本章で孔子が言うのは、貴族と庶民で知識の範囲が違う、とのことであり、小人を区別はしても差別はしていない。文字の教養が貴重だった中国古代、庶民が文字情報に接していないのは当たり前で、それを知らぬからといって馬鹿にするような愚劣は孔子に無かった。
現代に見られる学歴差別は、実は義務教育の普及無しではあり得ないことだ。同じ環境を与えられながら、出来ない者を差別し始めた。それもまた生まれつきの向き不向きを無視するという、無知の結果ではあるのだが、論語の時代を現代と、同じに考えては読み誤る。
ドストエフスキーの出世作、『死の家の記録』に、シベリア送りになった貴族身分の主人公を、庶民出身の周りの囚人が、まるで子供を扱うように接している模様が記されている。これはドストエフスキーの創作ではなく、彼自身シベリアの流刑地で収監生活を過ごしている。
シベリアのような土地で人が生きていくには、寒さの防ぎ方を始め、あらゆる技や知識が必要だった。孔子はそうした「下達」を、下らないとは思わなかった。孔子自身社会の底辺に生まれ、盗賊や野獣が横行する中原平野を、母に手を引かれてさまよった経験があったからだ。
無論それには、顔氏一族という傭兵団の護衛がついていたが(孔門十哲の謎)、野営生活は孔子にとって慣れた経験だったろう。対して『死の…』主人公は囚人に課せられた肉体労働を全くやらせて貰えず、たまの入浴の時は頼みもしないのに、庶民の囚人が介添えについた。
監獄には風呂の設備は無いから、月に二度ほどまちの風呂屋へ集団で行く。無論監視は付いている。囚人は「1カペイカ銭のような石鹸」を一つずつ渡され、ロシア風の蒸し風呂に入る。日本で言えば一円玉に当たるだろう。そして汗を流した後は洗いにかかる。
風呂屋との約束で、囚人は一杯だけ上がり湯を無代で供される。それと心細い石鹸だけで、庶民出の囚人は半月以上の垢を落としてしまう。だが貴族の主人公には難しい。金を出して湯と石鹸を買い足すしかない。そこへ日頃親しくもない囚人が、なぜか主人公のそばに寄る。
「さ、あんよを出しなせえ」と工藤精一郎先生は訳している。「彼らには私のは”あし”ではなく”あんよ”だった」。天才ナポレオンが率いた大陸軍も、精鋭ドイツ軍も武装親衛隊も、ついには敗退したのは、一つにロシアの庶民が持つ「下達」に通じなかったからに他ならない。
加えてそれらの前に、最盛期のスウェーデンも同じ破れ方をした。ピョートル大帝の軍をカール12世はナルヴァで破りながら、後の補給を閉ざされてさまようハメになった。スウェーデン軍の兵士は「ニンニクだけが頼り、それでもダメなら死ぬだけだ」と言い合ったという。
ポルタヴァの戦いは、スウェーデン軍が弱り切った所をロシアが狙って快勝を得た。
ロシアのいわゆる焦土戦術は、ナポレオン戦争時のクトゥーゾフが行ったものが知られるが、その淵源はこの北方戦争だった。それは撤退地の住民にすさまじい苦痛をもたらしたが、戦勝をもたらすことで帳消しになった。ソ連時代の小話にもそれを誇ったものがある。
お若い諸賢もおられようから蛇足を記すと、冷戦時代のソ連はアジア・アフリカ諸国独立と解放の旗手と見なされ、多くの若者がソ連で学んだ。軍人もまたその中にある。ナイル川に築造された世界最大規模のアスワン・ハイ・ダムは、ソ連の技術と援助によって作られた。
話を論語に戻すと、孔子はこうも言っている。
この章は全体としては、「也」の用法で史実性に疑問があるが、この言葉の部分は史実と見てかまわない。そして孔子塾で教授した六芸=礼法・音楽・弓術・戦車術・読み書き・算術の全てに、実は手仕事という「下達」が不可欠だった。道具の作成や手入れが要ったからである。
論語の時代、貨幣経済は極めてか細い。礼服も楽器も弓も、馬具も筆記具も算木も、使う者が、自分で作らねばならなかった。手先不器用では、孔子塾生は務まらなかったのだ。領主貴族なら家臣に任せることも出来たが、まず下級の士族を目指した弟子に望めることではない。
さて本章について、武内本に「此章礼記表記篇の事君不下達と同義」という。
子曰:「事君不下達,不尚辭,非其人弗自。小雅曰:『靖共爾位,正直是與;神之聽之,式穀以女。』」
子曰く、「君に事えて下に達せ不、辭を尚ば不るは、其の人自らせ弗るに非ず。小雅に曰く、『共に爾の位を靖み、正しく直きと是れ與にせば、神之に之れ聽きて、式て穀きを女に以いん』と。」
先生が言った。「主君に仕えても部下が言うことを聞かず、指示を尊重しないのは、その人が自分でそう仕向けたのだ。『詩経』の小雅・小明に言う、”自分の地位を大切にし、正直な人と共に働けば、神もみそわなして、よい果報を下さるものだ”と。」(『礼記』表記34)
「下達」が使われているのは一目瞭然だが、「同義」という武内先生の言うことがよくわからない。それとも訳者の『礼記』解読に間違いがあるのだろうか。また本章について、中国での解釈は仁を仁義と取っており、仁義もまた孟子が言いだした話で、孔子とは関係が無い。
おそらくそのタネ本である、新注で朱子はこう言っている。
君子循天理,故日進乎高明;小人殉人欲,故日究乎汙下。
君子は天の理に循う。故に日にひに高く明らかなるに乎進む。小人は人の欲に殉う。故に日にひに汙れたる下乎究まる。
君子は天の法則に従う。だから毎日人格が高尚で明敏になっていく。小人は自分の欲望に従う。だから毎日人格が汚らしい下劣の極限に近づく。(『論語集注』)
かく言う朱子は日に日にかようなサドを楽しみ、欲望に従って八人以上の子だくさんというのもどうかとは思うが、まあ従来訳が朱子の受け売りであることはこれでわかった。しかし論語本章の原文に「日に日に」とは書いてないし、どちらであれ「進む」とも書いてない。
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