論語:原文・書き下し
原文
子路問事君、子曰、「勿欺也、而犯之。」
復元白文(論語時代での表記)
※犯→反。
書き下し
子路君に事ふることを問ふ。子曰く、欺くこと勿かれ也、而して之に犯け。
論語:現代日本語訳
逐語訳
子路が君主に仕える心得を問うた。先生が言った。「だますなよ。そして逆らえ。」
意訳
子路「君主に仕えるには。」
孔子「だますな、そしてズケズケ言え。」
従来訳
子路が君に仕える道をたずねた。先師はいわれた。――
「いつわりのないのが先ず第一だ。そして場合によっては面を犯して直言するがいい。」下村湖人『現代訳論語』
現代中国での解釈例
子路問怎樣對待上級,孔子說:「不要欺騙,可以犯顏直諫。」
子路がどのように目上と付き合うか問うた。孔子が言った。「欺すな、できれば顔色に逆らって直接的に正しい意見を言え。」
論語:語釈
子路
記録に残る、孔子の最初の有力弟子。一門きっての武闘派とされるが、その本質は有能な行政官だった。詳細は論語の人物・仲由子路を参照。
事(シ)
(甲骨文)
論語の本章では”臣下として仕える”。初出は甲骨文。甲骨文の形は「口」+「筆」+「又」”手”で、原義は口に出した言葉を、小刀で刻んで書き記すこと。つまり”事務”。「ジ」は呉音。詳細は論語語釈「事」を参照。
勿(コツ)
(金文)
論語の本章では、”~するな”。『学研漢和大字典』によると象形文字で、さまざまな色の吹き流しの旗を描いたもの。色が乱れてよくわからない意を示す。転じて、広く「ない」という否定詞となり、「そういう事がないように」という禁止のことばとなった、という。詳細は論語語釈「勿」を参照。
欺(キ)
「欺」(金文大篆)・「諆」(金文)
論語の本章では、”だます”。初出は後漢の『説文解字』で、論語の時代に存在しないが、近音に「諆」があり、”だます”の意を持ち論語時代の金文が存在する。詳細は論語語釈「欺」を参照。
犯(ハン)
(秦系戦国文字)
論語の本章では”刃向かってはっきりと意見する”。初出は秦系戦国文字で、論語の時代に存在しない。同音に語義を共有する文字は無い。論語時代の置換候補は、近音の「反」。字形は「犬」+「㔾」”うずくまるひと”で、原義はけものをおかすこと。派生義として、”侵害する”・”法に触れる”など。詳細は論語語釈「犯」を参照。
儒者の注釈を参照すると、古注では、「当に能く顔色を犯して諌め争うべき也」(君主の顔色に逆らってズケズケ間違いを指摘すべきである)と言い、新注では「犯は顔を犯して諌め争うを謂う」(顔色に逆らってズケズケと間違いは指摘して争うことだ)と言っている。
論語:付記


後世の儒者がモクモクと焚き上げた煙幕のせいで、子路は孔門の筋肉ダルマ、ただのおバカと思われがちだが、その実態は一門きっての腕利き行政官で、弟子の中で国公に次ぐ身分である卿に上ったのは、アキンド子貢を除けば子路しか史料に記載が無い(孔門十哲のなぞ)。
もちろん論語の時代の君子=貴族とは、戦時に戦士を兼ねる以上、子路が武芸達者だったのは間違いないが(→論語における君子)、亡命中の孔子一行に目を付けて、衛の霊公が子路に与えたのは将軍職ではなく、面倒くさい住人の住む、蒲のまちの領主だった(→史記弟子伝)。
蒲の代官(宰)ではなく領主(大夫)だったことから、霊公の期待が窺われる。そして霊公はやはり儒者の煙幕によって、下半身にだらしないヒヒじじいと思われているがそれは間違いで、大国・晋がガリガリと領土を削り取りに来るのによく対抗した、やり手の君主である。
どのようにやり手だったかは、この論語憲問篇20にある通り。
孔子「まったく衛の霊公さまは無茶苦茶な殿様で、困ったものでしたよ、本当に。」
季康子「フフフ。そんな暗君なら、なぜ衛国は滅ばない?」
孔子「家臣の出来がよかったからですよ。孔圉どのが外交を、祝鮀どのが祭祀を、王孫賈どのが軍事を司っていました。これで国が滅んだら、不思議というものです。」
孔子が「無道」=無茶苦茶と霊公の悪口を言ったのは、最初の衛国滞在の際、政府乗っ取りを謀って追い出されたからで(→史記孔子世家)、無道というなら孔子の方が無道だろう。それはさておき、霊公の政治手法は家臣の上手な使い方で、別伝にもそれが記されている。
衛靈公問於孔子曰:「有語寡人曰:有國家者,計之於廟堂之上,則政治矣。何如?」孔子曰:「其可也。愛人者,則人愛之;惡人者,則人惡之;知得之己者,則知得之人。所謂不出環堵之室而知天下者,知及己之謂也。」
霊公「ある男が、”国君たる者、ごじゃごじゃと指図せず、祖先祭殿の前ででんと構えて見張っていれば、それで政治は回ります”と言った。そなたはどう思うかのう。」
孔子「その通りと存じます。人を愛する者は愛され、憎む者は嫌われます。自分に何が出来るか知る者は、他人に何が出来るか分かるものです。だから”奥座敷に座ったままで、天下の出来事を手に取るように知る”と言うのです。自分を知る者だからこそ出来る芸当です。」(『孔子家語』賢君10)
このやり手、霊公の見込んだやり手の子路は、みごと期待に応えて蒲のまちを治めきった。その赴任に当たって、孔子と交わした問答と思われる一節が、別伝に伝わっている。
子路將行,辭於孔子。子曰:「贈汝以車乎?贈汝以言乎?」子路曰:「請以言。」孔子曰:「不強不達,不勞無功,不忠無親,不信無復,不恭失禮。慎此五者而已。」子路曰:「由請終身奉之。敢問親交取親若何?言寡可行若何?長為善士而無犯若何?」孔子曰:「汝所問苞在五者中矣。親交取親,其忠也;言寡可行,其信乎;長為善士而無犯於禮也。」
子路は赴任するに当たって、孔子に別れの挨拶を言いに来た。
孔子「餞別には車がいいかな? それとも言葉かな。」
子路「なにとぞお教えを一つ。」
孔子「強そうに見えないと住民は言うことを聞かない。まじめに働かないと業績は上がらない。まごころで付き合ってやらないと親しまれない。信頼を得なければ報いてくれない。物腰柔らかでないとお祭りに付き合ってくれない。この五つに気を付けるんだな。」
子路「お教え、確かに従いましょう。そこでこの際ですから問いますが、親しまれようとして下手に出れば、却ってバカにされます。くどくど説教しないと、下役人も住民もすぐサボります。立ち働いているのを毎日見られると、”無能なお人じゃなあ”と小バカにされます。どうしたらいいですか。」
孔子「あのな、だから今言っただろ。まごころじゃなく下心で付き合うからバカにされるのだ。信頼が無いからサボるのだ。お祭りに出てこないようだから小バカにするのだ。」(『孔子家語』子路初見2)
その子路の行政手法は、民の先頭に立って働くことだった。すでに論語子路篇1に載せた別伝の、概要のみ記す。


子路は治水工事の先頭に立って働いた。そして動員した民には弁当を支給した。ところがそれを聞いた孔子は、子貢を呼んで「弁当屋を叩き壊してこい」と命じた。面白がって子貢が叩き壊すと、子路が真っ赤になって孔子宅に飛び込んできた。「何をなさるのです!」(『孔子家語』致思第八)
なお武内本は本章について、「此章子張篇第十章信ぜられて後諌むというと同」という。

子夏「信頼されていないのに殿様の欠点を言うな。ただの悪口だと思われて危ないぞ。」
つまり同じ様な話をしている、とただそれだけのことである。
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