論語詳解120B雍也篇第六(2)仲弓、子桑伯子を’

論語雍也篇(2)要約:弟子の冉雍ゼンヨウ(仲弓チュウキュウ)は、人格を孔子先生から高く評価されていました。しかしただのお人好しではなく、鋭い観察眼も持っていました。本章では先生の人物評に疑問を投げかけ、先生も同意するしかなかったのでした。

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論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

仲弓問子桑伯子。子曰、「可也。簡。」仲弓曰、「居敬而行簡、以臨其民、不亦可乎。居簡而行簡、無乃大*簡乎。」子曰、「雍之言然。」

校訂

武内本

太、唐石経大に作る。

定州竹簡論語

……間a,毋b乃大間乎?」子曰:109……

  1. 間、今本作「簡」。
  2. 毋、今本作「無」。

→仲弓問子桑伯子。子曰、「可也。間。」仲弓曰、「居敬而行間、以臨其民、不亦可乎。居間而行間、毋乃大間乎。」子曰、「雍之言然。」

復元白文

論語 仲 金文論語 弓 金文問 金文子 金文論語 桑 甲骨文論語 伯 金文子 金文 子 金文曰 金文 可 金文也 金文 間 金文 論語 仲 金文論語 弓 金文曰 金文 論語 居 挙 舉 金文敬 金文而 金文行 金文間 金文 㠯 以 金文論語 臨 金文其 金文民 金文 不 金文論語 亦 金文可 金文乎 金文 論語 居 挙 舉 金文間 金文而 金文行 金文間 金文 論語 母 金文論語 乃 金文論語 大 金文間 金文乎 金文 子 金文曰 金文 論語 雍 金文之 金文言 金文然 金文

※桑→(甲骨文)。論語の本章は、也の字を断定で用いているなら、戦国時代以降の儒者による捏造の可能性がある。

書き下し

仲弓ちうきう子桑伯子しさうはくしふ、いはく、よろしかなことそぎなればなり。仲弓ちうきういはく、うやことそぎおこなひ、もつたみのぞむ、よろしからずことそぎことそぎおこなふは、すなはおほいにことそぎなるからむいはく、ようげんしかり。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 冉雍 論語 孔子
仲弓が子桑伯子シソウハクシについて問うた。先生が言った。「悪くない。簡素だからだ。」仲弓が言った。「敬いの心を保って簡素でありながら、民の前に出るなら、それもまたよろしいでしょうが、簡素な心の上に簡素な態度では、簡素すぎませんか。」先生が言った。「雍の言葉は正しい。」

意訳

冉雍ゼンヨウ「子桑伯子とはどんな方でしょう。」
孔子「悪くない。簡素だからだ。」
冉雍「そうでしょうか。簡素は雑でもありえます。心が細やかな人が、飾り気の無い態度で民に接するなら、それはそれでいいでしょうが、心が雑な人ら、飾り気の無さもただの雑です。それはただの適当人間ではないですか。」

論語 孔子 楽
孔子「お前の言う通りだ。」

従来訳

論語 下村湖人
仲弓が先師に子桑伯子(しそうはくし)の人物についてたずねた。先師がこたえられた。――
「よい人物だ。大まかでこせこせしない。」
すると仲弓がまたたずねた。――
「日常あくまでも敬慎の心を以て万事を裁量しつつ、政治の実際にあたっては、大まかな態度で人民に臨む、これが為政の要道ではありますまいか。もし、日常の執務も大まかであり、政治の実際面でも大まかであると、放慢になりがちだと思いますが。」
先師がいわれた。――
「お前のいうとおりだ。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

仲弓問子桑伯子這人怎樣,孔子說:「還行,辦事簡明。」仲弓說:「計劃嚴密而又行動簡明,以此來管理百姓,不也可以嗎?計劃粗糙而又行動草率,不也太隨便了嗎?」孔子說:「你說得對。」

中国哲学書電子化計画

仲弓が子桑伯子の人柄を問うた。孔子が言った。「まあまあだ。仕事が簡潔だ。」仲弓が言った。「計画が緻密で行動が簡潔なら、それで人民を管理するのは、出来るのではありませんか? 計画が粗雑で行動も軽率なら、非常にでたらめではありませんか?」孔子が言った。「お前の言い分は正しい。」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

仲弓

論語 仲 金文 論語 弓 金文
(金文)

孔子の弟子、孔門十哲の一人、冉雍仲弓のこと。詳細は論語の人物:冉雍仲弓を参照。

子桑伯子(シソウハクシ)

論語 桑 甲骨文
「桑」(甲骨文)

古来誰だか分からない。「子」が付いているからには平民ではなかったろうし、「伯」は長男を意味するから、貴族のお坊ちゃんに生まれたのだろう。「桑伯子」で、”桑家のご長男”の意だが、その頭に「子」がつくとなると、”桑家のご長男先生”とも解せる。

別に”桑伯大先生”とも解せる。論語の時代、「子○」は”貴族の○さん/様”の意であり、「○子」は”学派棟梁の○先生”の意で、孔子などが相当する。ただし墨家だけは大仰に、墨子を「子墨子」と呼んでいる。”墨子先生先生”の意で、”大先生”に当たるだろうか。

簡→間

論語 簡 金文
(金文)

論語の本章では「簡単」と言うように、簡素なこと。『大漢和辞典』の第一義は”(文字を書く)木や竹のふだ”。

『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、間は、門のすきまがあいて、月(日)がそのあいだから見えることを示す会意文字。簡は「竹+(音符)間(カン)」で、一枚ずつ間をあけてとじる竹の札、という。詳細は論語語釈「簡」を参照。

論語 竹簡

論語の他の箇所では、公冶長篇21で「吾が党の小子狂簡にして」と孔子の発言がある。狂はもの狂い、狂おしいほど物事に熱中することで、簡はやり方が粗雑でおおざっぱなことを言う。

論語の本章では”そういう態度を取る”。「居敬而行間」とは、敬=慎み深い態度でありながら、行動が間=簡素だ、ということ。「居」の詳細は論語語釈「居」を参照。

亦(エキ)

論語の本章では、”それもまた”。詳細は論語語釈「亦」を参照。

論語の本章では、”悪くない”。積極的に誉める意ではない。詳細は論語語釈「可」を参照。

論語:解説・付記

誰だか分からない子桑伯子について、既存の論語本では吉川本も誰だか分からないという。ただ孔子より500年後の前漢末期、劉向リュウキョウが書いた説苑ゼイエン』に次のような記述が見える

劉向
孔子は簡なる者を悪くないと言った。簡とは、易野エキヤ=単純質素で荒削りを言う。易野な者は、礼儀や飾りごとをしない。

孔子が子桑伯子と会った所、子桑伯子は普段着のまま冠もかぶらずに座っていた。弟子曰く、「先生はなぜこんな人と会ったのですか?」孔子曰く、「このお人は人間が出来ているが、残念なことにお行儀が良くない。だからお説教してやろうと思ったのじゃ。」

孔子が辞去して、子桑伯子の門人は不満げに言った。「何で孔子と会ったのですか?」子桑伯子の曰く、「孔子どのはお人がよいが、お行儀が良すぎる。だからお説教して、良すぎるお行儀を控えさせようと思ったのじゃ。」

だから世に、お行儀も中身も良い人を君子と言い、中身は良いがお行儀の良くない人を易野と言う。子桑伯子は易野な人で、牛馬と同じような飾りのなさで人の世を生きようとした。だから冉雍は、適当人間、と言ったのだ。

上に名君がおらず、下に賢臣がいなければ、天下に原則はなくなる。臣下は君主を殺し、子は父を殺し、殴りつける力がある者は、遠慮会釈無しに人を殴りつける。孔子の時代、上には名君が居なかった。だから冉雍を南面させようとまで言ったのだ。

南面するとはすなわち天子になることで、冉雍がそこまで褒められたのは、孔子との問答が優れていたからだ。子桑伯子について孔子に問うた時、孔子は「悪くない。大らかだ」と言った。対して冉雍、「敬いの気持を持ちつつ大げさな振る舞いはしない、それで民を導くとなれば、それもまた悪くないですが、心も態度も大らかでは、ただの適当人間ではないですか?」孔子は「その通りだ」と言った。

冉雍は民を導くすべを知っていた。孔子は王者のあるべき道を明らかにしたが、冉雍の言葉に何もつけ加えられなかったのだった。(脩文篇)

上記では論語の原文も、その解釈もずいぶん違う。説苑では論語の本章を以下のように記す。

(仲弓)問子桑伯子於孔子,孔子曰:「可也簡。」仲弓曰:「居敬而行簡以道民,不亦可乎?居簡而行簡,無乃太簡乎?」子曰:「雍之言然!」

「居敬而行簡以臨其民」(その民に臨む)が「居敬而行簡以道民」(民をみちびく)になっている。ただし和刻本『論語義疏』では上掲原文のままだから、異本がいろいろあるのだろう。訳者は図らずも『説苑』を読む前に「民を導く」と訳したのだが、漢代のとある異本はそうなっているらしい。

それはどうでもいいとして、冉雍は子桑伯子を「太簡=適当人間」と評したことになる。孔子と子桑伯子の会見談が、前漢までは残っていて、すね毛をぼりぼりかきむしりながら、我が師を迎えた子桑伯子を見て、「これじゃあ牛や馬と同じだ」と、会ってがっかりしたのかも。
論語 孔子事蹟図解 原壤

なお宮崎本では本章「可也、簡」を、「可や簡」と読み、子桑伯子の本名が「可」であった可能性を記している。論語で孔子が人物評をする際、「AやB」(AはBな人間だ)と言っている例が多いのを理由とする。また子桑伯子という名はどう見ても、「桑さんと言う名の貴族の長男」と読め、本名は別にあるらしいのも理由という。

それはその通りで、ならば子桑伯子は孔子が呼び捨てにしてもいい、弟子の一人だったことになる。宮崎本では子桑伯子の正体について、『荘子』に出て来る子桑戸、さらに『風俗通』に出て来る桑扈ソウコではないかと書いている。
論語 荘子
荘子

宮崎本ではこの問題について、全集本で5ページにもわたってあれこれ言う。同じ中国学でも哲学や文学と違って、こういう暇つぶしができるのが史学のいい所と思う。

それはともかく、そうすると『説苑』にある子桑伯子との会見談は作り事になるのだが、事実はもはや2000年以上の昔、ヨウとして誰にも知るよしがないし、知った所で大していいこともないだろう。

蛇足ながらこのサイトでの論語のテキストは、どうやら唐石経が底本のように思えるが、他の箇所ではしばしば「民」の字を、唐の太宗李世民の名をはばかって書き換えている(避諱ヒキ)のに対し、本章は例外になっている。その理由も杳として誰も知るよしは無い。

ただし李世民は避諱を免ずる詔を出したと言われる。避諱の不徹底はそれゆえだろう。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。覚悟致せ。

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