論語詳解120A雍也篇第六(1)雍や南面すべし’

論語雍也篇(1)要約:弟子の冉雍ゼンヨウは、生まれの身分は低かったものの、情け深い人格者でした。孔子先生は高く評価し、「君主に据えてもいいほどだ」と言います。無論、君主になれはしませんでしたが、のちに家老家の執事になりました。

このページの凡例

論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子曰、「雍也、可使南面*。」

校訂

武内本

清家本により、文末に也の字を補う。

定州竹簡論語

曰:「雍也可使南面也a。」108

  1. 阮本「面」下無「也」字、高麗本有「也」字。

→子曰、「雍也、可使南面也。」

復元白文

子 金文曰 金文 論語 雍 金文也 金文 可 金文論語 使 金文論語 南 金文論語 面 金文也 金文

論語の本章は、也の字を断定で用いているなら、戦国時代以降の儒者による捏造の可能性がある。

書き下し

いはく、よう南面なんめん使かななり

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 孔子 論語 冉雍
先生が言った。「ヨウはまさに南向きに座らせる事が出来るなあ。」

意訳

論語 孔子 水面キラキラ
弟子の冉雍ゼンヨウには実に王者の風格があるなあ。

従来訳

論語 下村湖人
 先師がいわれた。――
(よう)には人君の風がある。南面して政を見ることが出来よう。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子說:「仲弓可以當君主。」

中国哲学書電子化計画

孔子が言った。「仲弓は君主に据えることが出来る。」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

、「 使 。」


雍(ヨウ)

論語 雍 金文 論語 冉雍
(金文)

孔子の弟子、孔門十哲の一人、冉雍仲弓のこと。詳細は論語の人物:冉雍仲弓を参照。

なお「雍」の意味は”やわらぐ”。詳細は論語語釈「雍」を参照。

論語 也 金文 論語 也 字解
(金文)

論語の本章では、「雍也」では英語のbe動詞に近い働きとして”~はまさに~だ”。文末の「也」は、詠歎でも断定でもあり得る。原義は『学研漢和大字典』によるとさそり。詳細は論語語釈「也」を参照。

論語の本章では”してもよい”。「べし」と読んで”できる”の意で、積極的に”よい”を意味しないが、ただし日本古語の「べし」同様、当然・勧誘の語義がある。詳細は論語語釈「可」を参照。

南面

論語 南 金文 論語 面 金文
(金文)

論語の本章では、”北側に南を向いて座ること・君臨すること”。武内本には「可使南面とは卿大夫となりて政せしむべきをいう」とあるが、卿大夫では南面できないと考えるのが普通。

古代から清朝崩壊までの中国では、君主の座席は部屋の北側に据えられ、南向きに座った。臣下はあたかも北極星を拝むように、北向きに居並んで君主に面会した。今日北京の故宮に見られるように、宮殿も南北の軸に沿って建てられた。日本もこれに習い、京都の紫宸殿や清涼殿は、南北に建てられている。Photo via https://www.cepolina.com/

なお孔子と同時代のインドでは、貴人は東を向いて西に坐し、下座の者は右肩を向けて貴人のまわりをめぐり、敬意を表したという(中村元『ブッダ最後の旅』)。

論語:解説・付記

論語 定公 論語 哀公
論語を読む限り、孔子は仕える君主に恵まれなかった。初めて仕えた地元魯国の定公は、孔子を引き上げたが、失脚しようとする孔子を救おうとはしなかった。晩年に仕えた哀公は、孔子を相談役に止めて、政治の実権を与えなかった。共に意志が弱く、哀公は越で客死している。

論語 衛霊公
孔子の初の亡命先である衛の霊公は、やり手である上に巨額の捨て扶持*をくれたが、やはり政治を預けなかった。これは衛国にはすでに、国政を担う有能な家老が揃っており、孔子の分け入る席がなかったため。しかし孔子にとって不本意には違いなく、短期で衛を去っている。

*現代換算で約111億円。詳細は論語憲問篇20の語釈を参照。

論語 呉王夫差
その後いずれの国君も、孔子を用いなかった。だから孔子は戦略を変え、勃興しつつある呉の王・夫差を裏からあやつる策に出た。これは途中までうまく行きかけたが、夫差が軍を率いて北上し、晋と対峙している留守を越に襲われ、呉国はみるみるうちに滅亡へと向かった。

では孔子にとって望ましい君主とは何か。論語憲問篇16で孔子は言う。

晋の文公、斉の桓公はいずれも覇者として名を残した。
文公は小ずるくて公明正大でない。
桓公は公明正大で小ずるくない。

論語 斉桓公
桓公とは、名宰相の管仲に国政を預け切って、覇者として春秋初期に君臨した斉の国君。つまり孔子にとって望ましい君主は、文公のように手ずから小細工をする者ではなく、桓公のように政治を全面的に任せてくれる君主だった。いわゆる英邁な名君を孔子は望んだのではない。

孔子は冉雍に、その資質を見たのだろう。従って冉雍は有能である必要も、人格者である必要もなかった。冉雍は魯の筆頭家老家・季氏の執事になったが、これといって何をしたわけでもない。ただ人を使うに当たって、仕えやすいよう守ってやったことが『大載礼記』にある

貧しきこと放浪者の如く、使用人を優しく取り扱っていじめなかった。八つ当たりしなかった。他人の悪行をすぐに忘れた。これ冉雍の行い也(衛將軍文子篇)。

このくだりは、衛の将軍である文子(孔文子?)が子貢に孔子一門の人物評を尋ねて、子貢が答えた中で出てくる。九分九厘創作だろうが、そういう伝説が作られる程度には、弟子仲間の評判も、孔子からの評価も高かったのだろう。

最後に、儒者の感想を見ておこう。

子曰雍也可使南面註苞氏曰可使南面者言任諸侯可使治國政也疏子曰雍也可使南面 南面謂為諸侯也孔子言冉雍之徳可使為諸侯也(『論語義疏』)

本文「子曰雍也可使南面」。
注釈。苞氏「可使南面とは諸侯に任じて国政を治めさせることが出来るという事だ。

付け足し。先生は冉雍に南面させていいと言った。南面とは諸侯だ。孔子は雍の徳は諸侯にしてもよいほどだと言ったのだ。

南面者,人君聽治之位。言仲弓寬洪簡重,有人君之度也。(『論語集注』)

南面とは、人君が政治を執り行う座り場所である。仲弓の寛容で飾らない慎重さには、人君の資格があると言ったのだ。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。もし長生きしたいなら、悪いことはせぬものだ。それでもやるなら、覚悟致せ。

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コメント

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