伝染病に倒れた冉氏一族の長老
略歴
生没年未詳だが、BC544-?とwikipediaにある。典拠不明ながら、そうなると孔子より7年少。姓は冉、名は耕、字は伯牛。『孔子家語』によれば魯国出身で、冉雍仲弓、冉求子有とは同族という。また冉有とその名を記しているので、冉求子有と紛らわしい。論語では単に伯牛とも記載される。徳行を孟子に評価され、孔門十哲の一人に書き加えられた。おそらくは伝染病により、孔子より先に世を去ったと思われる。
弟子ということになっているが、むしろ孔子の援助者だったろう。冉一族の長老として、まず孔子の人物を見極め、その上で族内で将来を嘱望されていた若者、冉雍仲弓と冉求子有を弟子入りさせた。下っ端役人に過ぎない孔子にとって、例えば教習用戦車や馬の提供などは、有りがたかったはずである。
詳細は孔門十哲の謎を参照。新興氏族である冉氏は、冉雍が孔子に”身分の低さを悩む必要は無い”と慰められているように(論語雍也篇6)、封建的身分は低かったのだろう。だがすでに、魯国の門閥に兵力を提供する侮れない氏族で、身分向上のための、教養面での教師を欲していた。それがまさに孔子だったわけ。
論語での扱い
論語の記載は二ヶ所で、孔門十哲に関する記述(先進篇)と、冉伯牛が伝染病にかかり、窓越しに孔子が見舞った(雍也第六)記述がある。
他の典籍での扱い
『史記』『孔子家語』『論衡』『中論』などに記載があるが、論語以上の情報は記されていない。
論語での記述
- 伯牛有疾、子問之、自牖執其手、曰、「亡之、命矣夫。斯人也、而有斯疾也。斯人也、而有斯疾也。」
- 子曰、「從我於陳蔡者、皆不及門也。德行、顏淵、閔子騫、冉伯牛、仲弓。言語、宰我、子貢。政事、冉有、季路。文學、子游、子夏。」
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