略歴
生没年未詳。姓は冉、名は雍、字は仲弓。孔子からは「君主に据えてもいいほどだ」と雍也篇に記された。孟子からは徳行を評価され、孔門十哲の一人(孔門十哲の謎)。冉耕伯牛、冉求子有とは同族で、父親は出来の悪い人だったという。『史記』弟子伝による孔子との年齢差は不明。『孔子家語』七十二弟子解にも年齢の記載が無い。
ただし『上海博物館蔵戦国楚竹書』仲弓篇に「季〔辶亘〕子□(使)中弓為□(宰)」とあり、孔子亡命前に魯国の筆頭家老だった季桓子に執事として仕えたと読めるから、やはり孔子亡命前に季孫家の執事を務め、弟子の最年長と言われる子路と同年代以上であることになる。
冉雍の属する冉一族は、おそらく孔子の時代に勃興した新興氏族で、その長老である冉耕伯牛が孔子の人となりを見定めた後で、一族の素質に優れた若者として冉雍と冉求(子有)を入門させた。のち冉雍と冉求は季孫家の家宰となり、冉求は孔子の帰国運動に一役買っている。
詳細は侮りがたい冉氏一族を参照。
主要弟子の中で目立つ点は、同族の長老冉耕伯牛と同じく、あざ名に「子」が付かず「仲弓」であることで、「仲」とは次男を意味する。年長から「伯仲叔季」の順に呼ぶ習いだが、これを排行といい、二人の他には仲由子路のまた一つのあざ名として、「季路」があるのみ。
「子○」式のあざ名と比べ、仲弓は”次男坊の弓”という意味で、若干軽い扱いであると同時に、若干親しみを増した呼び名でもある。「弓」のカールグレン上古音はki̯ŭŋ(平)で、同族の冉求と日本語音は同じだが、「求」のカールグレン上古音はɡʰ(平)でかなり異なる。
いみ名の雍のカールグレン上古音はʔi̯uŋ(平/去)、ʔは咳の音に近い。いみ名とあざ名が対応する論語の時代の通例として、音に共通性があるのは頷ける。「雍」は”やわらぐ”こと、「弓」は”ゆみ”だが、春秋時代では何らかの語義の共有があったと思われる。
論語での扱い
論語雍也篇第六(6)によれば、生まれの身分が低かったと思われる。また魯国筆頭家老家の季氏に、執事として仕えた事が論語子路篇(2)に見える。
他の典籍での扱い
『後漢書』肅宗孝章帝紀によれば、『論語』と同じく魯国門閥三家老家筆頭の季氏に仕えたという。『孔子家語』弟子行・『大戴禮記』衛將軍文子によれば、「貧しきこと客(放浪者)の如く、その臣を使うこと借りるが如く(使用人を優しく取り扱っていじめなかった)、怒りを移さず(八つ当たりしなかった)、怨みを探さず、旧罪を記さざる(他人の悪行をすぐに忘れた)は、これ冉雍の行い也」という。
論語での発言
1
先生は、子桑伯子どのが大らかであるとご教示下さいましたが、かのお人は、縮むような敬いの心を秘めた上で、あえて大らかな態度で民の前に出る。大変よろしいのではないですか。心も態度も大らかでは、ただの不真面目になりませんか。(雍也篇)
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