論語詳解123雍也篇第六(6)犁牛の子°

論語雍也篇(6)要約:人は生まれを選べない。しかし修養に励んで、技能や品格を身につける事は出来る。生まれを嘆く弟子の仲弓に、孔子先生はそう言って励まします。それは自身も底辺からのし上がった、先生の固い信念だったでしょう。

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論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子謂仲弓曰、「犁牛之子、騂且角、雖欲勿用、山川其舍諸。」

復元白文

子 金文謂 金文論語 仲 金文論語 弓 金文曰 金文 論語 利 金文論語 牛 金文之 金文子 金文 辛 金文論語 且 金文角 金文 雖 金文谷論語 勿 金文論語 用 金文 論語 山 金文川 金文其 金文論語 舍 金文論語 者 金文

※犁→利・騂→辛・欲→谷。

書き下し

仲弓ちうきうひていはく、犁牛りぎうあかうしてつのあらば、もちゐるなからんとほつすといへども、山川さんせんこれかむや。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 冉雍
先生が仲弓を評して言った。「スキを引かせる牛の子でも、毛並みが赤くて角が立派なら、生け贄にしないでおこうと思っても、山や川の神は捨ててはおかない。」

意訳

論語 孔子
冉雍や、百姓家の牛に生まれても、毛並みや角が立派なら、着飾って祭りに出るものだ。お前も身分が低いからと言って、卑屈になることはない、神が認めてくれるだろうよ。

従来訳

論語 下村湖人
 先師は仲弓のことについて、こんなことをいわれた。――
「まだら牛の生んだ子でも、毛が赤くて、角が見事でさえあれば、神前に供えられる資格は十分だ。人がそれを用いまいとしても、山川の神々が決して捨ててはおかれないだろう。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子講到仲弓時,說:「他雖然出身貧寒,但他卻象小牛犢一樣,長出了紅紅的毛、尖尖的角,適宜於祭祀山神,即使沒人想用,山神也不會答應。」

中国哲学書電子化計画

孔子が仲弓に講義していたときに、言った。「彼が貧しい生まれだからといって、もし彼が子牛のように、成長して真っ赤な毛、尖った角が生えたら、山の神を祀るのに丁度いいから、誰も用いようと考えなくとも、山の神なら応じるしかなくなる。」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

仲弓

論語 仲 金文 論語 弓 金文
(金文)

孔子の弟子、孔門十哲の一人、冉雍仲弓のこと。詳細は論語の人物:冉雍仲弓を参照。

犁(リ:犂)

論語 犁 金文大篆 論語 牛耕
(金文)

文字通り、牛に牽かせるスキ。犁牛はスキを牽く牛。初出は後漢の『説文解字』で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はli̯ərまたはliərで、同音は存在しない。部品の利の字には、”スキ”の語釈が『大漢和辞典』には無い。

『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、「牛+〔音符〕利(リ)(よくきれる)」。牛に引かせ、土をきり開くすき、という。語義は以下の通り。

レイ/ライ

  1. {名詞}からすき。すき。土をおこす農具。▽牛に引かせたり、人が押したりして使う。
  2. {動詞}すく。すきで耕す。「古墓犂為田=古墓犂かれて田と為る」〔古詩十九首〕

  1. {名詞}まだらうし。耕作に使うまだらうし。「犂牛(リギュウ)」。
  2. {形容詞}黒いさま。薄暗いさま。▽黎(レイ)に当てた用法。
  3. {動詞}へだてる。間隔があく。《類義語》離。「犂二十五年吾冢上柏大矣=二十五年を犂て吾が冢上の柏大ならん」〔史記・晋〕

中国史上、論語の時代=春秋時代は鉄器の普及期で、牛耕もこのころ始まったとされる。従ってスキを牽くウシもいたはずだが、「犂」とは呼ばれていなかったのだろう。そこで、鋭い刃物を牽いた牛=「利牛」と書かれたと考える。

なお武内本には、「犁牛は雑文の牛祭祀の用に当たらず、騂は赤色、赤牛以て山川を祭る。仲弓の父賎しけれど其子の賢を害せざるに譬う」とある。

牛 金文 論語 牛 金文
牛鼎・西周早期/師㝨簋・西周晚期

また「牛」の字は、西周初期まで象形的な金文と、簡略化した金文が併存していた。

騂(セイ)

論語 騂 古文 論語 赤べこ
(古文)

『大漢和辞典』の第一義は”赤馬”。論語の本章では”生け贄に捧げる赤い牛”。後漢の『説文解字』にも載っていない新しい字で、もちろん論語の時代に存在しない。部品の辛の字に”あかい”の語義は無い。カールグレン上古音はsi̯ĕŋで、同音に姓・性・省・鼪”イタチ”。

『学研漢和大字典』によると形声文字で、「馬+〔音符〕辛(シン)」。あるいは、辛(刃物で切る)と同系で、切った血のようにあかい意か、という。「辛」が入れ墨を入れるなどの用途を持つ刃物であることは『字通』も一致しており、現在では”赤い”の語義を失ったが、”血のような”という語義を過去に持った可能性は高い。

犠牲獣の色は王朝によって異なり、周では赤を重んじた。論語の堯曰篇2では、夏王朝ではくろだったとし、殷の湯王が「あえて玄牡を用いて」と言っている。探し回ったが殷にふさわしい色の牛が居なかったか、まだ色が決まっていなかったか、そもそもでっちあげだろう。

なお『字通』によると、「殷」は赤黒い血の色を表すという。

論語 舍 金文 論語 舎
「舎」金文

論語の本章では”放置する”。「宿舎」のように”いえ”の意で用いられることが多いが、『字通』によると”捨てる”が原義だという。詳細は論語語釈「舎」を参照。

雖欲勿用、山川其舍諸

論語の本章では、”用いないでおこうとしても、山や川の神が捨てておかない”。

「~其諸」は、「~それこれ…や」とよみ、「~は…だろうか(いやそうではない)」「~はなんと…だなあ」と訳す。文末に「乎・与」がつく場合もある。「ショ」は「之乎シオ」で”これを”。前句に「雖」があるので「用いるなからんと欲すといえども、山川其れ諸を舍(=捨)てんや」と読む。

論語:解説・付記

現代人の感覚では、犠牲獣にされて殺されるより、スキは牽かされるが生きていた方が幸せと思うのだが、古代人はそう考えないらしい。もっとも古代人と言っても『荘子』などでは、訳者と同じような感想を犠牲獣について言っている。

論語 荘子
荘子がボク水で釣りをしていた。楚王が家老二人を使いに寄こして、目通りするかどうか尋ねさせた。
家老「どうか国内の政治をお取り下さい。」
荘子は竿を持ったまま、振り返りもせずに言った。
「噂では、楚国には神の如き亀の甲羅があるとか。死んでもう三千年になるのに、楚王は甲羅を布に包み、箱にしまって、祖先祭殿の上座に置いているとか。さて諸君、この亀は死んで甲羅を崇められるのがいいのか、それとも生きて泥の中でしっぽを引いていた方がいいのか、どっちだろうね。」
家老「生きて泥の中、でしょう。」
荘子「お行きなさい。私も泥の中でしっぽを引くとしよう。」(『荘子』外篇・秋水)

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。もし長生きしたいなら、悪いことはせぬものだ。それでもやるなら、覚悟致せ。

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