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論語詳解138雍也篇第六(21)中人以上には°

論語雍也篇(21)要約:好奇心は人の本能で、学びのタネ。しかしいきなり奥義を聞こうとするのは、所詮学びがイヤだからで、聞いたところで身に付かない事がほとんど。孔子先生はやる気のない弟子を、その理詰めで説諭するのでした。

論語:原文・書き下し

原文(唐開成石経)

子曰中人以上可以語上也中人以下不可以語上也

校訂

東洋文庫蔵清家本

子曰中人以上可以語上也中人以下不可以語上也

後漢熹平石経

(なし)

定州竹簡論語

曰:「中人以上,可a語上也;中人以下,不可b語上也。」128

  1. b.近本「可」下有「以」字。

標点文

子曰、「中人以上、可語上也。中人以下、不可語上也。」

復元白文(論語時代での表記)

子 金文曰 金文 中 金文人 金文㠯 以 金文上 金文 可 金文語 金文上 金文也 金文 中 金文人 金文㠯 以 金文下 金文 不 金文可 金文語 金文上 金文也 金文

※論語の本章、「可以」は戦国中期にならないと確認できない。

書き下し

いはく、なかびとうへには、うへかたかななかびとしたには、うへかたからかな

論語:現代日本語訳

逐語訳

孔子 切手
先生が言った。「中程度を超える者には、上を語ることが出来るのだがな。中程度に満たない者には、上を語ることが出来ないのだよ。」

意訳

孔子 激怒
基礎も学ばないで、いきなり奥義を聞こうというのかお前は。

従来訳

下村湖人
先師がいわれた。――
「中以上の学徒には高遠精深な哲理を説いてもいいが、中以下の学徒にはそれを説くべきではない。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子說:「中上等天賦的人,可以同他研究高深的學問;中下等天賦的人,不可以同他討論高深的學問。」

中国哲学書電子化計画

孔子が言った。「生まれつき中上等の能のある人とは、共に高尚な学問の研究が出来るが、生まれつき中下等の能しかない人とは、共に高尚な学問の討論が出来ない。」

論語:語釈

、「 () () 。」


子曰(シエツ)(し、いわく)

論語 孔子

論語の本章では”孔子先生が言った”。「子」は貴族や知識人に対する敬称で、論語では多くの場合孔子を指す。「子」は赤ん坊の象形、「曰」は口から息が出て来るさま。「子」も「曰」も、共に初出は甲骨文。辞書的には論語語釈「子」論語語釈「曰」を参照。

子 甲骨文 曰 甲骨文
(甲骨文)

この二文字を、「し、のたまわく」と読み下す例がある。「言う」→「のたまう」の敬語化だが、漢語の「曰」に敬語の要素は無い。古来、論語業者が世間からお金をむしるためのハッタリで、現在の論語読者が従うべき理由はないだろう。

中人(チュウジン)

論語の本章では”(学習が)中程度の人”。下掲別伝では、”普通の人”と解せなくも無いが、”中程度の弟子”と解した方が理がある。本章は孔子塾における弟子へのお説教であり、ゆえに学習の程度が中ぐらいの者、と解すべき。

孔子曰:「中人之情也,有餘則侈,不足則儉,無禁則淫,無度則逸,從欲則敗。」

孔子 遠い目
普通の人というのは、少しでも余裕が出来ると贅沢し、少しでも余裕が無くなるとケチケチし、”これはダメだ”とお説教しないとつまらんことにふけり、時間割を決めてやらないとサボり始め、したいようにさせてやると失敗ばかりやらかす。(『孔子家語』六本18)

この例も、”中程度の弟子”と解せるし、でなくとも孔子は「だから世間の連中はダメなんだ」と言ったわけではなく、「人にはきちんと教育を授ける必要がある」と言っている。いろいろな意味で強者だった孔子は、悪口を言いふらしてうっぷんを晴らす必要が無かったからだ。

中 甲骨文 中 字解
「中」(甲骨文)

「中」は論語の本章では”中程度”。初出は甲骨文。甲骨文の字形には、上下の吹き流しのみになっているものもある。字形は軍司令部の位置を示す軍旗で、原義は”中央”。甲骨文では原義で、また子の生まれ順「伯仲叔季」の第二番目を意味した。金文でも同様だが、族名や地名人名などの固有名詞にも用いられた。また”終わり”を意味した。詳細は論語語釈「中」を参照。

人(ジン)

人 甲骨文 人 字解
(甲骨文)

論語の本章では”ひと”。とりわけ孔子の弟子を指す。初出は甲骨文。原義は人の横姿。「ニン」は呉音(遣隋使より前に日本に伝わった音)。甲骨文・金文では、人一般を意味するほかに、”奴隷”を意味しうる。対して「大」「夫」などの人間の正面形には、下級の意味を含む用例は見られない。詳細は論語語釈「人」を参照。

以(イ)

以 甲骨文 以 字解
(甲骨文)

論語の本章では”…より”。初出は甲骨文。人が手に道具を持った象形。原義は”手に持つ”。論語の時代までに、名詞(人名)、動詞”用いる”、接続詞”そして”の語義があったが、前置詞”…で”に用いる例は確認できない。ただしほとんどの前置詞の例は、”用いる”と動詞に解せば春秋時代の不在を回避できる。詳細は論語語釈「以」を参照

上(ショウ)

上 甲骨文 上 字解
(甲骨文)

論語の本章では”…の上”。初出は甲骨文。「ジョウ」は呉音(遣隋使より前に日本に伝わった音)。原義は基線または手のひらの上に点を記した姿で、一種の記号。このような物理的方向で意味を表す漢字を、指事文字という。春秋時代までに、”うえ”の他”天上”・”(川の)ほとり”の意があった。詳細は論語語釈「上」を参照。

可以(カイ)→可(カ)

論語の本章では”…できる”。現代中国語でも同義で使われる助動詞「クーイー」。ただし出土史料は戦国中期以降の簡帛書(木や竹の簡、絹に記された文書)に限られ、論語の時代以前からは出土例が無い。春秋時代の漢語は一字一語が原則で、「可以」が存在した可能性は低い。ただし、「もって~すべし」と一字ごとに訓読すれば、一応春秋時代の漢語として通る。

先秦甲骨金文簡牘詞彙庫 可以

「先秦甲骨金文簡牘詞彙庫」

ただし、「以て…すべし」と独立して読むことは出来るから、必ずしもこの文字列が、論語の本章が史実でないことを示すわけではない。

可 甲骨文 可 字解
「可」(甲骨文)

定州竹簡論語は「以」を欠き「可」のみ記す。「可」の初出は甲骨文。字形は「口」+「屈曲したかぎ型」で、原義は”やっとものを言う”こと。甲骨文から”…できる”を表した。日本語の「よろし」にあたるが、可能”~できる”・勧誘”~のがよい”・当然”~すべきだ”・認定”~に値する”の語義もある。詳細は論語語釈「可」を参照。

語(ギョ)

語 字解
(金文)

論語の本章では”語る”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は春秋末期の金文。「ゴ」は呉音。字形は「言」+「吾」で、初出の字形では「吾」は「五」二つ。春秋末期以前の用例は1つしかなく、「娯」”楽しむ”と解せられている。詳細は論語語釈「語」を参照。

也(ヤ)

也 金文 也 字解
(金文)

論語の本章では、「かな」と読んで詠歎の意を示す。「なり」と読んで断定と解してもよいが、断定の語義は春秋時代では確認できない。初出は事実上春秋時代の金文。字形は口から強く語気を放つさまで、原義は”…こそは”。春秋末期までに句中で主格の強調、句末で詠歎、疑問や反語に用いたが、断定の意が明瞭に確認できるのは、戦国時代末期の金文からで、論語の時代には存在しない。詳細は論語語釈「也」を参照。

下(カ)

下 甲骨文 下 字解
(甲骨文)

論語の本章では”…より下(の者)”。初出は甲骨文。「ゲ」は呉音。字形は「一」”基準線”+「﹅」で、下に在ることを示す指事文字。原義は”した”。によると、甲骨文では原義で、春秋までの金文では地名に、戦国の金文では官職名に(卅五年鼎)用いた。詳細は論語語釈「下」を参照。

不(フウ)

不 甲骨文 不 字解
(甲骨文)

漢文で最も多用される否定辞。初出は甲骨文。「フ」は呉音、「ブ」は慣用音。原義は花のがく。否定辞に用いるのは音を借りた派生義だが、甲骨文から否定辞”…ない”の意に用いた。詳細は論語語釈「不」を参照。

論語:付記

中国歴代王朝年表

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検証

論語の本章は文字史的に論語の時代まで遡れる上に、前漢中期埋蔵の定州竹簡論語にほぼ全文が遺されているのだが、先秦両漢で全文を再録したのは定州本を除き後漢初期の王充『論衡』だけ、一部を引用したのも前漢前期の班固『漢書』だけになる。だが史実を疑う要素はほぼ無い。

従って史実の孔子の発言として扱う。

解説

論語の本章、古注は次の通り。

古注『論語集解義疏』

註王肅曰上謂上智之人所知也兩舉中人以其可上可下也

王粛
注釈。王粛「上とは知能が高い人の知る事柄で、二度繰り返された中人という言葉は、上が出来るか、下が出来るかである。」

新注は次の通り。

新注『論語集注』

以上之上,上聲。語,去聲。語,告也。言教人者,當隨其高下而告語之,則其言易入而無躐等之弊也。

論語 朱子 新注
”以上”の上の字は、上げ調子に読む。語の字は、尻下がりに読む。語とは、言い聞かせることである。本章の教えとは、人を教える者は、弟子の出来不出来に応じて語るべきで、そうすれば弟子の耳にも入りやすいし、分を超えた間違いも起きない。


張敬夫曰:「聖人之道,精粗雖無二致,但其施教,則必因其材而篤焉。蓋中人以下之質,驟而語之太高,非惟不能以入,且將妄意躐等,而有不切於身之弊,亦終於下而已矣。故就其所及而語之,是乃所以使之切問近思,而漸進於高遠也。」

張栻
張栻「聖人の道は、或いは精密或いは概要で、ここまで語り尽くした道は他に無いが、ただし教えるに当たっては、必ず弟子の素質に従って丁寧に教える。おそらく平均以下の者だと、大勢集めて説教したところで難しくて分からず、ただ身に付かないだけでなく、勘違いして思い上がりもする。分不相応の弊害が、ついに愚か者を愚かなままで終わらせる。だからその資質に応じて語れば、教説を自分事として質問し自分事として理解するので、少しずつ進んでついには高く遠い境地に至ることが出来る。」

似顔絵の意地悪そうな顔から分かる通り、張栻の高慢ちきには誰もが鼻白むと思う。宋代は科挙(高級官僚採用試験)制度の完成により、政界官界を儒者が独占したから、このような高慢ちきがまかり通った。張栻自身は、「切問近思」(論語公冶長編6)をどんなつもりで用いたのか?

「切問近思」=”自分事として問いかけ自分事として理解する”のでないと、理解したことにはならない。だが問いかけを他人に行う場合、その性根によって幸せにも不幸にもなる。”ボクちゃんこんなことも知ってるじょー”と威張るために問えば、自分も他人も不幸にしかしない。

論語 孔子 怒り
バカが一日中あつまってわあわあと議論するが、まともなことは誰一人言わず、小手先のハッタリを自慢し合っている。どうしようもないな。(論語衛霊公篇17)

宋儒の高慢ちきについては、論語雍也篇3余話を参照。

だが論語の本章の説くところは、確かに張栻の言う通りで、学問や技術の習得は、初級から中級・上級へと進む積み重ねがその正道ではある。ただし条件があり、情報体系の全体を描ける師匠がいて、情報を抱え込まないこと。そうでなければ、ただの金儲けカルト宗教だ。

例えばこんにち語学の情報が公開されている中で、素養の無い者がロシア語文を見て、Я(ya)やИ(yi)を「RとNの間違いである」と主張したら、ロシア語業界の笑い物になるだろう。だが宋学は誰一人全体像を描けず、教本も神秘主義化して何を言いたいのかさっぱり分からない。

また論語の本章では、孔子が「曰」でも「言」でもなく「語」と語っているのは軽視してよい情報ではなく、「」とは相の言葉のやりとりであり、基礎的な知識を共有したもの同士でないと、討論によって情報に新たな価値をつけ加えることは出来ない、と言っている。

例えるならトルストイの文学性を、訳本を読んだだけで語り合うことは出来るが、原書ばなしをする場合、原語を読めない人が混じると、一々説明の手間がかかって面倒くさくなる。説明される方も、多くは相手に高慢ちきを感じるだけで聞く耳を持たず、互いの不幸が深まる。

これは大声で言うべき事だが、語学もあらゆる技能も、出来る出来ないは徹底的に向き不向きの問題で、当人には一切の責任がない。誰もが津軽海峡を泳ぎ渡れないのと同様だからだ。だが出来るを望むなら、出来ないを自覚しないと始まらない。誰だって勉強は嫌いだからだ。

残念ながら人間は、宇宙で一番自分が偉いと思っており、自分の出来ない他人の技能を、くだらないものであると見なす傾向がある。それを表に出さないようには出来るが、その仮面を相手の真面目だと勘違いしては不幸になるし、ものを学ぶには丈夫な仮面をかぶる必要がある。

薄っぺらな仮面では、相手に自分の性根を見抜かれてしまい、よく教えて貰えない。教えるのに技術が要るのと同様、教わるにも技術は必要なのだ。だがその第一歩である、自分は何も知らないと痛感することが、そもそも人には難しく、積み重ねの何たるかは一層理解しがたい。

漢文も同じで、読みたいと思う人に読めるようになる道筋を示すことは出来るが、ポンと一発で読めるようになる特効薬など無い。漢籍も論語に限るなら、その全体像は”どこがすでに不可知になったか”を含めて明らかだから、情報を包み隠せばハッタリを白状することになる。

学習に必要なのは、ハッタリの無いよき積み重ね。最後に『孔子家語』の続きを訳しておく。

…是故鞭扑之子,不從父之教;刑戮之民,不從君之令。此言疾之難忍,急之難行也。故君子不急斷,不急制。使飲食有量,衣食有節,宮室有度,畜積有數,車器有限,所以防亂之原也。夫度量不可不明,是中人所由之令。

孔子家語
…だがサド親父にバシバシ殴られて育った子は、結局父のいうことなど聞きはしないし、むやみに残酷な刑罰にさらされた民は、君主の命令には従わない。だからまともな貴族は、せっかちに目下を悪だと叱らず、せっかちに人を縛る法を定めない。

それよりも、食べ過ぎ、衣食の贅沢、しつらえの華美、蓄財のし過ぎ、車や家具の凝りすぎを戒める。それが世の乱れを防ぐ法だからだ。こうした制限ははっきりと公表するがよい。そうでないと、普通の人はどうして良いか迷ってしまう。(『孔子家語』六本18)

「制限ははっきりと公表するがよい。そうでないと、普通の人はどうして良いか迷ってしまう」。その通りだろう。例えば近ごろは警察が予算を使って、道路交通法の変更点を電車の動画広告に流すようになった。黙ってネズミ取りばかりしていたのと比べ、確かな進歩だ。

余話

兵になりたくないから

前近代の中国では、警察と軍隊が未分離だった。現在でも半分軍隊で半分警察の、武装人民警察隊が、民事警察とは別に独立している。ロシアや旧東側諸国にも同様の制度を見て取れるが、これを必ずしも遅れているとは言い出せない。フランスの警察制度も同様だからだ。

フランスは自治体警察の担当しない部分を、憲兵隊の任務とし、戦前の日本もこの制度に倣った。日本憲兵は陰惨な言論弾圧をやらかしたが、フランス憲兵も今なおそうした仕事をしている。日本ではむやみに持ち上げられるフランスだが、その一面は陰険な警察国家だ。

話を中国に戻せば、兵は兵隊と軍人を兼ね、もの書きが本領の帝国儒者が、兵を良く言う動機が無かった。無学無教養のくせに我が輩を逮捕しに来るとは何事か、というわけである。従って、「良い鉄は釘にしない、良い人は兵にならない」という差別的な言葉が流行った。

だが原語の「ハオティエプゥタァティンハオレンプゥタンピン」は、清代末期までの書き物に見当たらず、一体いつ誰が言い始めた言葉か分からない。『百度百科』は「好ナン不当兵、好铁不打钉」と若干言葉を変えて紹介し、「民間で長く言い続けられてきた」と記して淵源を示していない。

だが句の発端を想像することは出来る。漢語「兵」は諸説あるが歩兵の象形で、武器を担いで歩く姿。対して将校は「士」と記し、まさかりの象形で、まさかりは殷の昔から武装権と司法権の象徴だった。自力で武装して自己救済できる者を意味し、「王」と字源は同じ。

「士」は徒歩で行軍しなかった。通常は戦車に乗って移動し、甲冑を着た歩行武者がいなかったわけではないが、「兵」との身分差は歴然としていた。つまり「兵」とは徴兵され指揮される哀れな存在で、だから「好男不当兵」というのは、”身分が高い男は歩兵にならぬ”の意。

人柄や技能教養の優れた人が、兵隊にならないと言っているわけではない。

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