論語詳解033為政篇第二(17)由なんじに知るを’

論語為政篇(17)要約:誰だって見栄を張りたい時はあるもの。しかし事実の裏付けがなければ、見栄はいずれバレてしまうし、その時の恥ずかしさはたまらない。そうはさせじと頑張るほど、苦しくなるばかりじゃよと孔子先生。

このページの凡例このページの解説

論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子曰、「由、誨女*知之乎。知之爲知之、不知爲不知、是知也。」

校訂

武内本

汝、漢唐石経釋文皆女に作る。

定州竹簡論語

……曰:「由!誨女a𣉻b乎c![𣉻之為𣉻]之,弗d𣉻e為弗𣉻,是𣉻也。」22

  1. 女、皇本、高麗本作「汝」。
  2. 𣉻、今本作「知」。「𣉻」古文智、知・智皆通。以下同。
  3. 阮本、皇本、「乎」上有「之」字。
  4. 弗、阮本、皇本皆作「不」。
  5. 皇本、「𣉻」下有「之」字。

→子曰、「由、誨女𣉻乎。𣉻之爲𣉻之、不𣉻爲不𣉻、是𣉻也。」

復元白文(論語時代での表記)

子 金文曰 金文 由 金文 誨 金文女 金文智 金文乎 金文 智 金文之 金文為 金文智 金文之 金文 不 金文智 金文為 金文不 金文智 金文 是 金文智 金文也 金文

※論語の本章は、「誨」「之」「乎」「也」の用法に疑問がある。

書き下し

いはく、ゆうなんぢ𣉻れるををしへんこれ𣉻るをこれ𣉻るとし、𣉻るを𣉻せ、𣉻れるなり

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

孔子 子路
先生が言った。「由よ。お前に知っているとは何かを教えてやろう。確かに知ることをその通り知っているとし、知らないことを知らないとするのが、知ると言うことだぞ。」

意訳

孔子 怒り
ハッタリをかますな。

従来訳

下村湖人

先師がいわれた。――
(ゆう)よ、お前に『知る』ということはどういうことか、教えてあげよう。知っていることは知っている、知らないことは知らないとして、すなおな態度になる。それが知るということになるのだ。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子說:「子路啊,我告訴你,知道嗎?知道的就是知道的,不知道的就是不知道的,這就關於知道的真諦。」

中国哲学書電子化計画

孔子が言った。「子路よ、お前に話がある。知っているか? 知っていることがすなわち知っていることであり、知らないことがすなわち知らないことなのだ。これこそが、知るという事の真の見極めに関わるのだ。」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす


子曰(シエツ)(し、いわく)

論語 君子 諸君 孔子

論語の本章では”孔子先生が言った”。「子」は貴族や知識人に対する敬称で、論語では多くの場合孔子を指す。「子」は赤ん坊の象形、「曰」は口から息が出て来るさま。「子」も「曰」も、共に初出は甲骨文。辞書的には論語語釈「子」論語語釈「曰」を参照。

子 甲骨文 曰 甲骨文
(甲骨文)

この二文字を、「し、のたまわく」と読み下す例がある。「言う」→「のたまう」の敬語化だが、漢語の「曰」に敬語の要素は無い。古来、論語業者が世間から金をむしるためのハッタリで、現在の論語読者が従うべき理由はないだろう。詳細は論語と日本儒教史を参照。

由(ユウ)

由 甲骨文 由 字解
(甲骨文)

論語の本章では、孔子の弟子。(BC543ごろ-BC481ごろ)。本名(いみ名)は仲由、あざなは子路。季路とも言う。『史記』によれば孔子より9年少。

政治の才を後世評価され、孔門十哲の一人に数えられる。もっとも初期の弟子で、武芸自慢であり、それだけに本章に見られるように、後輩にハッタリをかます所があったらしい。政争に巻き込まれ孔子に先立って死去し、孔子を嘆かせた。詳細は論語の人物:仲由子路を参照。

なお「由」の原義は”ともし火の油”。詳細は論語語釈「由」を参照。だが子路の本名の「由」の場合は”経路”を意味し、ゆえにあざ名は呼応して子「路」という。ただし漢字の用法的には怪しく、「由」が”経路”を意味した用例は、戦国時代以降でないと確認できない。

またいみ名の仲由は、通常は姓が仲で、由が名だと考えるべきだが、「仲」とは次男坊の意であり、本来姓も持たない下層民の出身である可能性がある。またあざ名の内「季路」は、「子」という敬称を伴わず、「末っ子」の意でもある。やはり名も無き庶民と見るべきだ。

ただしただの庶民ではなく、義兄は顔氏一族のトップで、国際傭兵団の親玉だった顔濁鄒だった。つまり春秋時代の身分制度的にははなはだ低位の身ながら、当時の社会の中ではコワモテの街のおニイさんとして一目置かれる存在でもあった。

師弟のなれそめは、噂を聞きつけた子路が、ケンカ支度をして孔子の家に押しかけたことによる。腕っ節に自信のある子路は、ベラベラと世間に説教する孔子が頭にきたらしい。しかし対面した孔子は身長2mを超す大男で、亡父の戦友に手ほどきを受けた、武術家でもあった。

孔子の父は、魯の一邑の領主という事になっているが、後世のでっち上げに過ぎない。ただ武勇絶倫の武人だったようで、兵営での顔役だったに違いない。父の没後、孔子がなぜ武術の達人になれたかの理由は、兵営で父の戦友に教わったと考えるしか理屈が立たない。

近代以前、武術は軍事機密で、平民が習えるものではなかったからだ。

その孔子に対面した子路は「孔子の品格に打たれて」弟子入りしたことになっている。訳者に言わせれば、ケンカの一つもしたことが無い文弱の徒のたわごとだ。「しまった」と思った子路に、「ホオ。では庭に出なさい」と孔子は言い、ボコボコに叩きのめしてしまったのだ。
孔子 微笑み 子路 驚愕

勝手に人の家に押しかけてくるような奴が、人格など見る目があるわけがない。そういう子路が心服したからには、徹底的にブチのめされたと考えるしか無い。晴れて孔子の初の弟子となった子路は、生涯孔子に付き従い、身辺警護も務めたし手足となって働きもした。

「剛毅木訥、仁に近し」(論語子路篇27)。子路は教えを、最も体現した弟子の一人だった。

子路の入門伝説に近い話は、合気道のお祖師様のお一人にも同様の伝説がある。戦前の中国で武者修行中、山奥からじじいが天秤篭を担いで「ヒョッヒョッヒョッ」と降りてきた。何を思ったか若き日のお祖師、「このジジイをぶちのめそう」と考えたらしい。ところが果然。

じいさんにボコボコに返り討たれ、その場で平伏して「弟子にして下さい」と願ったという。こんにちポンニチの要人警護のSPは、必ずそのお祖師様の流派で学ぶことになっている。訳者は道場で彼らと拳を突き合わせたこともある。途方もなく強くて話にならない。

ゆえに中国じじいは、侮るべきではない。

誨(カイ)

誨 金文 誨 字解
(金文)

論語の本章では”教える・示す”。初出は甲骨文とされるが、「每」(毎)の字形であり、「每」に”おしえる”の語義は甲骨文で確認できない。現行字体の初出は西周中期の金文。字形は「言」+「每」で、「每」は髪飾りを付けた女の姿。ただし漢字の部品としては”暗い”を意味し、「某」と同義だった。金文では”たくらむ”を意味し、”教える”の語義は確認できない。詳細は論語語釈「誨」を参照。

汝(ジョ)→女(ジョ)

論語の本章では”お前”。

汝 甲骨文 汝 字解
「汝」(甲骨文)

「汝」の初出は甲骨文。字形は「氵」+「女」で、原義未詳。「漢語多功能字庫」によると、原義は人名で、金文では二人称では「女」を用いた。そのほか地名や川の名に用いられた。春秋時代までの出土物では、二人称の用例は見られない。詳細は論語語釈「汝」を参照。

女 甲骨文 常盤貴子
「女」(甲骨文)

定州竹簡論語の「女」の初出は甲骨文。字形はひざまずいた女の姿で、原義は”女”。甲骨文では原義のほか”母”、「毋」として否定辞、「每」として”悔やむ”、地名に用いられた。金文では原義のほか、”母”、二人称に用いられた。「如」として”…のようだ”の語義は、戦国時代まで時代が下る。詳細は論語語釈「女」を参照。

知(チ)→𣉻/智

知 智 甲骨文 知 字解
(甲骨文)

論語の本章では”知る”。現行書体の初出は秦系戦国文字。孔子在世当時の金文では「智」と区別せず書かれた。甲骨文で「知」・「智」に比定されている字形には複数の種類があり、原義は明瞭でない。ただし春秋時代までには、すでに”知る”を意味した。”知者”・”管掌する”の用例は、戦国時時代から。詳細は論語語釈「知」を参照。

乎(コ)

乎 甲骨文 乎 字解
(甲骨文)

論語の本章では、”…(しよう)か”。初出は甲骨文。甲骨文の字形は持ち手を取り付けた呼び鐘の象形で、原義は”呼ぶ”こと。甲骨文では”命じる”・”呼ぶ”を意味し、金文も同様で、「呼」の原字となった。句末の助辞や助詞として用いられたのは、戦国時代以降になる。詳細は論語語釈「乎」を参照。

之(シ)

之 甲骨文 之 字解
(甲骨文)

論語の本章では「これ」と読んで”まさしく”。直前が動詞であることを示す記号で、目的語ではない。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。原義は進むことで、本章のような用法は、戦国時代にならないと現れない。”これ”という指示代名詞に用いるのは、音を借りた仮借文字だが、甲骨文から用例がある。詳細は論語語釈「之」を参照。

『学研漢和大字典』

直前の語が動詞であることを示す。▽何をさすかは明示されない。「頃之、襄子当出、予譲伏於所当過之橋下=これを頃(しばら)くして、襄子出づるに当たり、予譲当(まさ)に過ぐべき所の橋下に伏す」〈しばらく経ち、襄子の外出を知り、予譲はその道筋の橋の下に待ち伏せた〉〔史記・刺客〕

爲(イ)

為 甲骨文 為 字解
(甲骨文)

論語の本章では”…とする”。新字体は「為」。初出は甲骨文。原義は象を調教するさま。甲骨文の段階で、”する”や人名を、金文の段階で”作る”を意味した。それ以外の語義は戦国時代以降の後起。詳細は論語語釈「為」を参照。

不(フウ)

不 甲骨文 花の構造
(甲骨文)

漢文で最も多用される否定辞。初出は甲骨文。原義は花のがく。否定辞に用いるのは音を借りた派生義。「フ」は呉音、「ブ」は慣用音。詳細は論語語釈「不」を参照。

是(シ)

是 金文 是 字解
(金文)

論語の本章では、”これ”。初出は西周中期の金文。「ゼ」は呉音。字形は「睪」+「止」”あし”で、出向いてその目で「よし」と確認すること。同音への転用例を見ると、おそらく原義は”正しい”。”この”・”これ”という用例は西周期からあるが、ただし接続詞”…は…だ”としての用例は、少なくとも戦国時代まで下がる。詳細は論語語釈「是」を参照。

也(ヤ)

也 金文 也 字解
(金文)

論語の本章では、「なり」と読んで断定の意に用いている。初出は春秋時代の金文。原義は諸説あってはっきりしない。「や」と読み主語を強調する用法は、春秋中期から例があるが、「也」を句末で断定や詠歎、疑問や反語に用いるのは、戦国時代末期以降の用法で、論語の時代には存在しない。詳細は論語語釈「也」を参照。

論語:解説・付記

論語には多士済々の弟子が登場するが、後世の儒者のでっち上げで、実像以上におバカや筋肉ダルマに描かれる人物もいる。子路は樊遅ハンチと並ぶ孔子一門の武闘派で、しかも大物だったことから、儒者の格好の餌食になり、『孔子家語』などではただの乱暴者として扱われている。
子路 とげとげしい

ひょろひょろがほとんどの儒者は、やはり肉体派は嫌いなのだろう。ひょろひょろの好みは役人天国であり、それはかつてのソ連や現在の中国で実現した。役人社会には自浄能力が無いから、ベリヤや康生のような男が権力の座に就いてしまい、人民はひどい目に遭わされる。

それを排除できるのは、良くも悪くも腕力でしかない。

しかし子路の実像はこれと異なり、論語で最高の道徳とされる「仁」に、顔回に次いで近づいたと孔子が評価していた可能性がある。子路は論語子路篇27に言う「剛毅ゴウキ木訥ボクトツ」に近い人物であり、ただ「訥」に関してのみ、口数が多かったのを孔子は好まなかった(論語先進篇24)。

孔子 焦り 顔回
仁は孔子でさえ自分は仁者でないと言い(論語述而篇33)、ただ一人顔回だけが、仁者だと孔子に評された。なのに子路が後世小バカにされるのは、まさに論語子張篇で子貢が過去の暴君紂王について言った、「あること無いこと言われるゴミ溜め」(論語子張篇19)だろう。

子路は仕えていた衛国の内乱を見過ごせず、自ら渦中に飛び込んで死んでしまった。だから論語郷党篇で孔子が評したように、政才に恵まれながら自分の派閥を残せなかった。同様に派閥を残さ無かった子貢も論語に悪口が書かれたから、早死には死後の損ということだろうか。

なお「あること無いこと言われるゴミ溜め」については、君子ゴミ溜めに近寄らずも参照。

なお自国の古典に通じていた下掲する毛沢東の言葉は、論語の本章をふまえているだろう。

懂得和不了解的东西要问下级,不要轻易表示赞成或反对。…我们切不可强不知以为知,要“不耻下问”,要善于倾听下面干部的意见。先做学生,然后再做先生;先向下面干部请教,然后再下命令。…下面干部的话,有正确的,也有不正确的,听了以后要加以分析。对正确的意见,必须听,并且照它做。…对下面来的错误意见也要听,根本不听是不对的;不过听了而不照它做,并且要给以批评。(『毛主席语录』北京外文出版1966年袖珍本第一刷)

毛沢東
わからないことや知らないことは、下級のものに聞くようにし、かるがるしく賛成または反対の意をしめしてはならない。…われわれはけっして知らないのに知ったようなふりをしてはならないし、「下問を恥じない」ようにし、下級幹部の意見によく耳をかたむけるようにしなければならない。まず生徒になってから先生になり、まず下級の幹部に教えを乞うてから指令を出すようにする。…下級幹部の言葉には正しいものもあれば、正しくないものもあるから、聞いたうえで分析をくわえなければならない。正しい意見には、かならず耳をかたむけ、そのとおりに事をはこばなければならない。…下からくるまちがった意見にも耳をかたむけねばならない。頭から聞こうとしないのはまちがっている。そのうえ、これに批判をくわえるようにする。(日本語版『毛主席語録』北京外文出版社1972年第四刷)

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だし、訳者に連絡のお気遣いも不要だが(ただしネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。

言い訳無用。訳者が「やった」と思えば全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。空港の刃物検査通過は、やったことがあるが存外簡単だ。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。もし長生きしたいなら、悪いことはせぬものだ。朴ったら○すぞ。それでもやるなら、覚悟致せ。



関連記事(一部広告含む)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメント

  1. […] 漢文の読解も同じだ。まずは徹底的に辞書を引くこと。それ無しでは始まらない。言い換えるなら、「知るを知ると為し、知らざるを知らざると為す」(論語為政篇17)ことだ。この立場に立つ限り、ソーカル事件のような、数理に対する劣等感に悩まされることもなくなる。 […]

  2. […] 「知るを知るとし、知らざるを知らざる」なら、それはすでに「知」だから(論語為政篇17)でもある。だが現伝の子夏は孔子の意図を理解できなかったか、あるいは儒者は自分たちが独占した「知」というものを、よほど価値あるものとして売り出したかったらしい。 […]

  3. […] 本章の「言也厲」について、「ウソつくな」は世界の大宗教の開祖がこぞって言った事で、孔子もまた「知らない事は知らないと言いなさい」と論語為政篇17で言った。人の世には物理現実と、口じゃみせんで出来上がったでっち上げがあり、物理現実が君子のたしなみだった。 […]