論語詳解002学而篇第一(2)その人と為りや*

論語学而篇(2)要約:後世の偽作。実在も怪しい弟子の有若ユウジャクのお説教。論語をつまらなくし、昔から読者のやる気を削いできた罪な一節。ああそうですか、と聞き流せばよいお話で、実は発言者当人もよく意味が分かっていないかも。
(動画版あり)

このページの凡例

論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

有子曰、「其爲人也孝弟*、而好犯上者、鮮矣。不好犯上、而好作亂者、未之有也。君子務本。本立而道生。孝弟也者、其爲*仁之本歟。」

校訂

武内本

孝悌、唐石経孝弟に作る。釋文云、弟一本或悌に作る。唐石経其下為の字あり。

定州竹簡論語

(なし)


→有子曰、「其爲人也孝悌、而好犯上者、鮮矣。不好犯上、而好作亂者、未之有也。君子務本。本立而道生。孝悌也者、其仁之本歟。」

復元白文(論語時代での表記)

論語 有 金文論語 子 金文論語 曰 金文 論語 其 金文論語 為 金文論語 人 金文也 金文論語 孝 金文論語 弟 金文 論語 而 金文論語 好 金文反 金文論語 上 金文論語 者 金文 論語 鮮 金文已 矣 金文 論語 而 金文論語 好 金文反 金文論語 上 金文 論語 而 金文論語 好 金文論語 作 金文亂 金文論語 者 金文 論語 未 金文之 金文論語 有 金文也 金文 論語 君 金文論語 子 金文論語 務 金文論語 本 金文 論語 本 金文論語 立 金文論語 而 金文論語 道 古文論語 生 金文 論語 孝 金文論語 弟 金文也 金文論語 者 金文 論語 其 金文論語 仁 甲骨文之 金文論語 本 金文論語 与 金文

※犯→反/矣→已/仁→(甲骨文)/歟→與。

論語の本章は、也の字を句末で用いている。発言者の有若は、孔子の直弟子である証拠も、実在の証拠も無い。本章は、前漢の儒者により捏造され、後漢の儒者により発言者が有若にすげ替えられた。

書き下し

有子いうしいはく、ひと孝弟かうてい、しかみおかすをこのものは、すくななりかみをかすをこの、しらんすをこのものは、いまらざる也。君子くんしもとつとむ。もとみちうまる。孝弟かうていなるじんもと

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳


有先生が言った。「その性格が孝行者で年下らしく控えめな者で、目上に逆らうことを好む者はめったにいないのである。目上に逆らうことを好まない者で、不作法や謀反を起こすことを好む者は未だかつていなかったのである。君子は基本の確立に努める。基本が確立されて、正しい道が生まれる。孝行や年下らしい控えめを身につけた者は、それこそが打算の無い慈しみの基本であろうか。」

意訳

有先生のお説教。「孝行者は、不作法もしないし暴れて国も荒らさないのである。君子の基本は孝行である。君子は基本に努めるものである。だから君子にとって最上の徳である仁(常時無差別の愛)も、孝行が基本なのかも知れないと思われる。わかったかお前たち。」わかりません。

従来訳

論語 下村湖人
(ゆう)先生がいわれた。――
「家庭において、親には孝行であり、兄には従順であるような人物が、世間に出て長上に対して不遜であつたためしはめつたにない。長上に対して不遜でない人が、好んで社会国家の秩序をみだし、乱をおこしたというためしは絶対にないことである。古来、君子は何事にも根本を大切にし、先ずそこに全精力を傾倒して来たものだが、それは、根本さえ把握すると、道はおのずからにしてひらけて行くものだからである。君子が到達した仁という至上の徳も、おそらく孝弟というような家庭道徳の忠実な実践にその根本があつたのではあるまいか。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

有子說:「孝敬父母、尊敬師長,卻好犯上的人,少極了;不好犯上,卻好作亂的人,絕對沒有。做人首先要從根本上做起,有了根本,就能建立正確的人生觀。孝敬父母、尊敬師長,就是仁的根本吧!」

中国哲学書電子化計画

有子が言った。「父母に孝行し、先生を敬うのに、目上に逆らいたがる人は、極めて少なかった。目上に逆らうのを好まないのに、騒動を起こしたがる人は、絶対にいない。人格教育はまず根本から始めなければならない。根本があれば、正しい人生観を立てられる。父母への孝行と先生・上司への敬意こそが、仁の根本なのだよ!」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

有子

有若

孔子の弟子ということになっている。本名有ジャクあざ名は子有とされる。『史記』弟子列伝では孔子より48、『孔子家語』七十二弟子解では36歳下とある。しかし論語には、有若と孔子の対話が一切無い。孔子に顔が似ていたため、孔子没後一時後継者に据えられたという。

しかし頭が悪かったので降ろされたと『史記』弟子列伝にある。

孔子が亡くなった。弟子は思慕のあまり、有若の見た目が孔子に似ていたので、相談して有若を二代目の師匠に据えた。一門が有若を敬う態度は、孔子と同じだった。ある日、ある弟子が有若に問うた。

「昔、孔子先生が謎解きして…と言いました。なぜ孔子先生はこれらが分かったのですか。」しかし有若は黙ったまま、答えられなかった。弟子は立ち上がって言った。「有先生、その座を降りなさい。そこはあなたが座っていい場所ではありません。」

論語 有若 アホ
有若について同時代史料は沈黙し、『春秋左氏伝』にかろうじて有若と読めなくもない人物が出るのみ。従ってその実在は極めて怪しい。

(哀公)八年…吳為邾故,將伐魯。…微虎欲宵攻王舍,私屬徒七百人,三踊於幕庭,卒三百人,有若與焉,及稷門之內,或謂季孫曰,不足以害吳,而多殺國士,不如已也,乃止之,

春秋左氏伝 定公五年
哀公八年(BC487)、(前年に)チュ(を攻めたの)を理由に、魯を呉が攻めようとした。…(魯の)微虎が呉王の陣屋に夜襲をかけようとし、家臣七百人を集めて、軍営で三度高飛びをさせて三百人の歩兵を選抜した。有若も加わった/まだ幼い者もいた。

その軍勢が魯の城門から出撃しようとしているのを見て、ある人が筆頭家老の季康子に言った。「あれではとうてい呉と戦うなんて無理です。むざむざ人死にを出すだけです。止めた方がいいです。」季康子はなるほどと思って止めさせた。(『春秋左氏伝』哀公八年2)

孔子一門からは、ゼン有やハン遅などに出陣の記録があるが、みな士=将校として出陣している。有若が有力弟子として実在し、上掲の戦いに動員されたなら、「卒」=雑兵で引っ張られるわけがない。また有若が、微虎の隷属民だった記録も無い。上掲の「有若」は”幼い者もいた”と解するのが、理屈にかなう。

世の論語業者がそれを認めたがらないのは、宋儒などのハッタリを真に受けたからだ。以下はとある南宋儒と弟子との問答。

曰:「朱子謂有子重厚和易,其然與?」曰:「吳伐魯,微虎欲宵攻王舍,有若與焉,可謂勇於為義矣,非但重厚和易而已也。」


弟子「朱子は有子を重厚かつ柔らかな人と言いましたが、本当ですか?」

王応麟「呉が魯を攻めた時、微虎が呉王の陣屋に夜襲をかけようとして、有若も参加した。正義の味方で勇者と言うべきで、単に重厚かつ柔らかな人ではない。」(『困学紀聞』巻七・論語1)

「正義の味方で勇者」だとさ。孔子の有力弟子である有若が実在した、との思い込みから、『春秋左氏伝』を誤読するのは仕方が無い。だが「あんなひょろひょろ、殺されて終わりだ」と言われた部分には口をつぐんでいる。マスコミのいわゆる「報道しない自由」そっくりだ。

ともあれ論語の源泉は弟子が各自記した講義メモだから、孔子との対話が確認できない有若は、少なくとも孔子の直弟子ではなかったろう。最大限好意的に解釈しても、教えを受けてもメモも取らないような、不埒な弟子だったことになる。詳細は論語の人物:有若子有を参照。

あざ名(字とも書く)「子有」の「子」は、教師への敬称。

孔子や老子のように、祖師の場合は○子といい、その高弟の場合は子○という。ただし墨家はおおげさに、祖師の墨子(本名は墨テキ)を子墨子(墨先生様)と呼ぶ。慇懃無礼に聞こえるのは気のせいだろうか。少なくとも訳者は九去堂先生様と呼ばれたら、そ奴を張り倒したくなる。

ただし墨家には同情すべき点があって、『荘子』『韓非子』によると、墨子没後は三派に分裂して、それぞれの親玉が君臨した。「大親分」との意味で「子墨子」になったのは理の当然かも知れない。だが『韓非子』によれば儒家も同然だったが、有若の派閥を記していない。

有若が孔子の弟子とされながら、同格の「有子」と呼ばれるのは極めて異例で、しかも前漢の『史記』は「有若」と記し、「有子」と記した唯一の例外は、上掲した二代目引きずり下ろし劇の”有先生”の箇所のみ。前漢人の認識では、有若はただの孔子の弟子の一人に過ぎない。

あざ名の子有の「有」は、本名である有若の姓と名、いずれかと呼応しているとみるべき。あざ名とはそういうものだと白川博士は言う。

論語 白川静
卜辞に見える子鄭・子雀は、おそらく鄭・雀の地に封ぜられた王子の称であろう。のち字(あざな)にこの形式を用いるのはその遺法であるが、所領の関係が失われたのちは、名と字義の対待による。仲由、字は子路、路は人の由る所。顔回、字は子淵、淵は回水の意。子は本来王子・公子など、貴族身分の身分称号的に用いられたもので、のち一般の児子にもいう。(白川静『字通』「子」解字)

通常、孔子の弟子は卜商子夏の「商」と「夏」、端木賜子貢の「賜」と「貢」のように、名とあざ名を呼応させる。ところが名の「若」とあざ名の「有」には関連性が無い。ただ姓を取って付けた、取って付けたようなあざ名と言える。実在の人物とは信じがたい。

其(キ)

論語 其 金文 論語 其 解字
(金文)

論語の本章では”その”という指示詞。原義は農具の箕(み)。初出は甲骨文。原義は農具の。金文になってから、その下に台の形を加えた。のち音を借りて、”それ”の意をあらわすようになった。詳細は論語語釈「其」を参照。

爲(イ)

論語 為 甲骨文 論語 為 金文
(甲骨文・金文)

論語の本章では”…である様子”。新字体は「為」。初出は甲骨文。原義は象を調教するさま。詳細は論語語釈「為」を参照。

也(ヤ)

論語 也 金文 論語 也 字解
(金文)

論語の本章では、「や」と読んで下の句とつなげる働きと、「なり」と読んで断定の意に用いている。初出は春秋時代の金文。原義はサソリとも、ヘビとも、水差しともいい、一つに定めがたい。詳細は論語語釈「也」を参照。

「也」を句末に用いるのは、戦国時代以降の用法で、論語の時代には存在しない。このことが、本章が後世の捏造であることを示している。詳細は論語解説「漢字の通用と古書体」を参照。

孝(コウ)

論語 孝 金文 論語 孝 字解
(金文)

論語の本章では、”年下の年上に向けた愛情”。初出は殷代末期の金文。原義は年長者に対する、年少者の愛情。詳細は論語語釈「孝」を参照。

なお論語で語られる孔子の教説では、一方的な孝行の義務を、子や年少者に押し付けていない。孝行をうるさく言い出したのは、孔子没後一世紀のちに現れた孟子からになる。武内義雄「孝経の研究」では、儒教の孝行説教本『孝経』の成立を、孟子派によるものとしている。

弟(テイ)

論語 弟 金文 論語 弟 解字
(金文)

論語の本章では、”年下らしいへりくだった態度”。初出は甲骨文。原義は束ねた棒きれ。それがなぜ”おとうと”の意になったかは判然としない。論語では主に、年長から見て好ましい年少者の姿を言う。詳細は論語語釈「弟」を参照。

武内本によると、陸徳明の注には「ある本は悌と書いてある」とあり、唐代に刻まれた論語の石碑で「弟」と書く、という。「悌」は論語の本章の「弟」と同義で、大人しく従い、年長者にとって好ましい年少者の態度を言う。

好(コウ)

論語 好 金文 論語 好
(金文)

論語の本章では”好む”。初出は甲骨文。原義は母親が子供を可愛がるさま、詳細は論語語釈「好」を参照。

犯(ハン)

犯 秦系戦国文字
(秦系戦国文字)

論語の本章では”刃向かう”。初出は戦国文字で、論語の時代に存在しない。同音に語義を共有する文字は無い。論語時代の置換候補は、近音の「反」。原義は決まりをやぶること。詳細は論語語釈「犯」を参照。

上(ショウ)

論語 上 金文
(金文)

論語の本章では”目上”。初出は甲骨文。原義は基線または手のひらの上に点を記した姿で、一種の記号。このような物理的方向で意味を表す漢字を、指事文字という。詳細は論語語釈「上」を参照。

者(シャ)

論語 者 金文 論語 者 解字
(金文)

論語の本章では”そういう者”。新字体は「者」。初出は殷代末期の金文。原義は柴(シバ)がこんろの上で燃えているさま。漢文では人に限らず事物にも用いる。詳細は論語語釈「者」を参照。

鮮(セン)

論語 鮮 金文 論語 鮮 篆書
(金文・篆書)

論語の本章では”少ない”。初出は西周末期の金文。原義は生肉や生魚。それが”少ない”の意味に転じたのは、音を転用した仮借。詳細は論語語釈「鮮」を参照。

論語は最古の古典だから、原義の生肉・生魚や、その近い派生義である”生臭い”と解するのが理にかなっているが、本章は後世の創作が確実なので、音が転用された”すくない”と解して構わない。

矣(イ)

論語 矣 金文 論語 矣 篆書
(金文・篆書)

論語の本章では、”(きっと)~である”。初出は戦国末期の金文で、論語の時代に存在しない。同音で同義の「已」が、論語時代の置換候補になる。原義は人が振り返った姿。「オボエテロー」と負け惜しみを言う姿だろうか。詳細は論語語釈「矣」を参照。
論語 矣 字解

作(サク)

論語 作 金文
(金文)

論語の本章では”起こす”。初出は甲骨文。原義は刀で素材に切れ目を入れるさま。詳細は論語語釈「作」を参照。

亂(ラン)

論語 乱 篆書 論語 乱 解字
(篆書)

論語の本章では、”騒動”。新字体は「乱」。現行字体の初出は後漢の説文解字で、論語の時代に存在しないが、部品で同義の「𤔔」が西周末期の金文に存在した。原義はもつれた糸を、両手やヘラで整える姿。詳細は論語語釈「乱」を参照。

”みだれる”と正反対の”おさめる”の両方の語義を持ち、漢文読み泣かせの漢字だが、どちらの語義が先かは辞書によって違う。但し字形としては、もつれた糸+手二つ+ヘラであり、”おさめる”の方が先行するように思われる。

未(ビ)

論語 未 金文
(金文)

論語の本章では”今までにいない”。初出は甲骨文。原義は木のまだのびきらない部分。詳細は論語語釈「未」を参照。

漢文の訓読では、「いまだ…ず」と読む再読文字。

之(シ)

論語 之 金文
(金文)

論語の本章では、

  1. 未之有也。→”それは”という代名詞。
  2. 其仁之本歟。→”…の”という所有格を作る助詞。

初出は甲骨文。原義は人の足が進み行くさま。詳細は論語語釈「之」を参照。

務(ブ)

論語 務 金文 論語 矛
(金文)

論語の本章では、”努める、励む”。初出は西周末期の金文。原義は「矛」=槍状のほこを、「攵」=手に取って、「力」を入れて突き進むこと。詳細は論語語釈「務」を参照。

「務める」→「つとめる」→「努める」の連想のように、日本語に引きずられたいわゆる「和臭」ではなく、”はげむ”の語義が諸橋『大漢和辞典』にも載っている。

本(ホン)

論語 本 金文
(金文)

論語の本章では”基本”。初出は西周中期の金文。原義は木の根元を示した記号。詳細は論語語釈「本」を参照。

論語 立 金文
(金文)

論語の本章では”確立する”。初出は甲骨文。原義は人が地面に立ったさま。詳細は論語語釈「立」を参照。

論語 道 金文 道 甲骨文
(金文・甲骨文)

論語の本章では”道徳の原則”。初出は甲骨文。原義は人が十字路に立ったさま。詳細は論語語釈「道」を参照。

孔子の生前では、”原則・やり方”という一般的意味があるだけで、道徳的な意味はなかった。そういうめんどうくさいもったい付けをしたのは、孔子没後約一世紀の孟子からになる。

論語 生 金文
(金文)

論語の本章では”生まれる”。初出は甲骨文。原義は地上に若芽のはえたさま。詳細は論語語釈「生」を参照。

孝弟也者

論語 也 篆書 論語 者 篆書
「也者」(篆書)

ここでの「者」の解釈は二通りあり得、”~である人”という人物、”~であるということ”という状態に解釈が分かれる。

本章のこの部分以外では、人物として解釈出来るが、ここでは状態と考えてもよい。その場合の読み下しは、「孝弟」と、主格の格助詞であるかのように読む。漢文読解では重要な知識なので、ここで挙げておく。詳細は論語語釈「者」を参照。

なおこの部分は、「也」だけでも断定だが、「也者」と二つ重なると「一そうおもおもしくなる」と吉川本にある。論語での孔子の発言は、総じて簡潔だが、下記するとおり本章は、漢初の暴れ武者に向けたお説教であり、お説教は重々しくする必要があった。

仁(ジン)

仁 金文 論語 仁 甲骨文
(金文・甲骨文)

論語の本章では、”常にあわれみの気持を持ち続けること”。初出は甲骨文。原義は敷物に座った貴人。詳細は論語語釈「仁」を参照。

仮に孔子の生前なら、単に”貴族(らしさ)”の意だが、本章は後世の捏造と判明しているので、通説通りの意味に解してかまわない。つまり孔子より一世紀のちの孟子が提唱した「仁義」の意味。詳細は論語における「仁」を参照。

歟(ヨ)

論語 歟 金文大篆 論語 歟 篆書
(金文大篆・篆書)

論語の本章では”…か”という疑問辞。初出は後漢の『説文解字』。論語の時代に存在しない。部品の「與」(与)にも”…か”の語義があり、初出は春秋中期の金文。原義は軽く息を吐き出すこと。詳細は論語語釈「歟」を参照。

既存の論語本では吉川本が、「断定を躊躇する助字である」とある。それはその通りなのだが、論語で句末の疑問辞として使うのは、通常「與(与)」(カールグレン上古音zi̯o)・「也」であり、「歟」(カ音zi̯o)が用いられるのは、皇侃系現伝本論語全512章の中でもここだけ。

論語:解説・付記

論語の本章の特徴は、実在しない有若が、開祖級の敬称で呼ばれていること、孔子が説きもしなかった、身分秩序を強調したことが言えるだろう(→論語における束脩)。ただし有若が実在しないとして、一体誰が、何の目的で創造したのかを、記録を元に推定してみよう。

有若が論語以外の儒教経典に現れるのは、『孟子』が初めてとなる。

論語 孟子 孟子
有若を創作したのは、おそらく孔子没後一世紀のちに現れたその孟子で、孟子はほぼ滅んでいた儒家を再興するに当たり、その教説を大幅に書き換えた。戦国の諸侯に売りつけるためである。売るためには捏造も平気で行った。有若の創作も、その一環と見てよい。

材料として有若が選ばれたのは、実在も怪しい人物ゆえに、どうとでも人物像を創造できたからだ。確たる派閥が残っていたり、詳しい伝記が残っていたなら、身勝手な創作は出来ないが、いるかも怪しい人物なら、どう創造しようがどこからも文句が来る気遣いは無い。

荀子
もし実在の人物だとするなら、『孟子』には有若に言及があるのに、『荀子』には全く無い理由の説明が付かない。荀子は戦国後期の儒家の諸派閥について辛辣な批判を行っているが、有若については何も言っていない。孟子の創作人物と考えるのが自然だろう。

ただし『孟子』の文中でも、「有若」とはあるが「有子」とは書いていない。また論語の本章の内容は、戦国時代の誰一人引用していない。「君子務本、本立而道生」が再出するのは前漢の『説苑』からで、それも有若ではなく孔子の発言とされている。

孔子曰:「君子務本,本立而道生。」夫本不正者末必倚,始不盛者終必衰。《詩》云:「原隰既平,泉流既清」。本立而道生,春秋之義;有正春者無亂秋,有正君者無危國,《易》曰:「建其本而萬物理,失之毫釐,差以千里」。是故君子貴建本而重立始。

劉向
孔子は言った。「君子は基本に努める。基本が確立して道が生まれる。」基本が正しくなければ、先端は偏るし、始まりにつまずいた事柄は、哀れにも衰えて終わる。

『詩経』に言う、「ジメジメした湿地帯が平らに乾いて、やっと泉や小川が澄んでくる」と。基本が正しいから道が生まれるのは、季節の移ろいと同じだ。順調に春を迎えたなら、秋も穏やかだ。立派な君主がいる国は乱れない。

『易経』にいう、「基本と万物のことわりを確立せよ。そうでないと目に見えぬ誤差が、先端では千里の違いになって現れる」と。(『説苑』建本1)

『史記』も論語学而篇12「和をもって貴しとなす」と、論語学而篇13「信義に近からば」を有若の言葉として伝えても、本章は伝えていない(『史記』仲尼弟子列伝97)。有若の存在は前漢に知られていても、論語の第二章に据えるような大人物とは思われていなかった。

つまり前漢の儒者は有若ではなく孔子を持ち出して、本章のような身分秩序を説かせたわけだが、それには当時の政治的状況が色濃く反映している。前漢帝国成立間もない頃、孔子級の権威を呼んで来ないと、事あるごとに刃向かう家臣どもを、躾けられなかったからだ。

上在雒陽南宮,從複道望見諸將往往相與坐沙中語。上曰:「此何語?」留侯曰:「陛下不知乎?此謀反耳。」

張良
(高祖劉邦が即位して六年。)高祖が洛陽の南宮に滞在中、回廊からふと庭を眺めると、将軍連中が車座になって、何やら語り合っている。軍師の張良を呼び「何をやっとるのじゃ、あれは」と問うと、張良曰く「オヤご存じありませんでしたか。あれは謀反の相談です。」(『史記』留侯世家)

群臣飲酒爭功,醉或妄呼,拔劍擊柱,高帝患之。

漢高祖劉邦
(漢が天下を取ったが、)家臣どもは大酒を飲んでは「ワシの功績じゃ」「いやワシじゃ」と言い争い、果てには宮殿の柱に斬り付ける始末。高祖劉邦は「何とかしてくれ」と言い出した。(『史記』叔孫通伝)

そこで乗り出してきたのが儒者のシュク孫通ソントウで、儒教の「作法」によって家臣一同を躾けた。ようやくおとなしくなった家臣を見て、劉邦が「皇帝稼業がこんなに楽しくなるとは思わなんだ」と言った(『史記』叔孫通伝)。儒教は帝国のイデオロギーになり始めた。

本章が定州竹簡論語に無いのは、焼損や破壊の結果というより、前漢にはまだ無かったからだろう。そもそも本章は前漢儒者が孔子に語らせて作り、のちに何らかの事情で有若を神格化したかった後漢儒が、説教師を有若にすげ替えたのだろう。後漢というふざけた帝国も参照。

この実在しない有若について、『史記』弟子列伝に記載があるではないか、という反論はあり得る。確かに前漢人は孔門の一人として有若を知っていた。ただし『史記』が成立した前漢武帝時代は、高校教科書的には儒教が国教化された時代で、『史記』も当然その影響下にある。

仮に司馬遷が「有若は架空だ」と見抜いても、それを書くことが出来るだろうか。

イデオロギーとは、多数派原理デモクラシーに従わない限り、ごく少数者が社会の甘い汁を独占するために、それ以外の大勢をたぶからし黙らせるための道具に他ならない。必然的にウソでっちあげ大げさが混じるのだが、それをインチキだと堂々と書けるほど司馬遷は偉くはない。

論語 毛沢東
文革期の中国で毛沢東思想を、現在の北朝鮮で主体思想をデタラメだと言ったら、どんな目に遭うだろうか。古代ならなおさらで、名君と名高き前漢の景帝でさえ、皇太子時代に暇つぶしのいさかいから、親類を双六盤で殴り殺してもお咎め無し。それが遠因で前漢は滅びかけた。

いわゆる呉楚七国の乱だが、この事件を『史記』に記した司馬遷が、儒者のでっち上げをでっち上げだと書けるわけがない。なべて中国人の書き物とは、いわゆる大人の事情と不可分であり、疑ってかかってはいけないが、真に受けてもいけないのだ。

なお武帝時代の国教化は、武帝の趣味でしかなかったから、代替わりすれば事情は全然異なった。事実上武帝のあとを継いだ宣帝は、「儒者という役立たず」と平気で言い放った。毛沢東やスターリンが死んだ途端に、毛批判・スターリン批判が流行ったのと同じである。

実際に儒教が国教化するのは、偽善とオカルトの人・光武帝が、後漢を建ててからになる。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だし、訳者に連絡のお気遣いも不要だが(ただしネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。

言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。もし長生きしたいなら、悪いことはせぬものだ。それでもやるなら、覚悟致せ。

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コメント

  1. […] 論語の本章は、顔回神格化のために作られたと言ってよい。神格化の点では、論語の第二章で登場の有若と同様だが、ボンクラ伝説が伝わる有若と違って、顔回の否定ばなしは管見の限り見たことが無い。はるかな後世の明代、戯作者の手によってからかわれているだけだ。 […]

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