論語詳解002学而篇第一(2)その人と為りや

論語学而篇(2)要約:孔子先生の弟子の中でもボンクラな、有若ユウジャクのお説教。論語をつまらなくし、昔から読者のやる気を削いできた罪な一節。ああそうですか、と聞き流せばよいお話で、実は発言者当人もよく意味が分かっていないかも。

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原文

有子曰、「其爲人也孝弟*、而好犯上者、鮮矣。不好犯上、而好作亂者、未之有也。君子務本。本立而道生。孝弟也者、其爲*仁之本歟。」

復元白文

論語 有 金文論語 子 金文論語 曰 金文 論語 其 金文論語 為 金文論語 人 金文也 金文論語 孝 金文論語 弟 金文 論語 而 金文論語 好 金文反 金文論語 上 金文論語 者 金文 論語 鮮 金文論語 已 金文 論語 而 金文論語 好 金文反 金文論語 上 金文 論語 而 金文論語 好 金文論語 作 金文論語 者 金文 論語 未 金文之 金文論語 有 金文也 金文 論語 君 金文論語 子 金文論語 務 金文論語 本 金文 論語 本 金文論語 立 金文論語 而 金文論語 道 古文論語 生 金文 論語 孝 金文論語 弟 金文也 金文論語 者 金文 論語 其 金文論語 為 金文論語 仁 甲骨文之 金文論語 本 金文論語 与 金文

※犯→反/矣→已/仁→(甲骨文)/歟→與。

犯・矣・歟は金文の存在する同訓に置き換えられる可能性があるが、亂(乱)はその見込みが無い。音通する同訓異字も、同訓の部品も甲骨文・金文に存在しない。論語の本章は、秦漢帝国以降の儒者による捏造である。

校訂

武内本:孝悌、唐石経孝弟に作る。釈文云、弟一本或悌に作る。唐石経其下為の字あり。

書き下し

有子いうしいはく、ひと孝弟かうてい、しかみおかすをこのものは、すくななりかみをかすをこのまず、しらんすことをこのものは、いまらざる也。君子くんしもとつとむ。もとみちうまる。孝弟かうていなる者は、じんもと

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳


有先生が言った。「その性格が孝行者で年下らしく控えめな者で、目上に逆らうことを好む者はめったにいないのである。目上に逆らうことを好まない者で、不作法や謀反を起こすことを好む者は未だかつていなかったのである。君子は基本の確立に努める。基本が確立されて、正しい道が生まれる。孝行や年下らしい控えめを身につけた者は、それこそが打算の無い慈しみの基本であろうか。」

意訳

論語 有若 説教
有先生のお説教。「孝行者は、不作法もしないし暴れて国も荒らさないのである。君子の基本は孝行である。君子は基本に努めるものである。だから君子にとって最上の徳である仁も、孝行が基本なのかも知れないと思われる。わかったかお前たち。」わかりません。

従来訳

論語 下村湖人
 (ゆう)先生がいわれた。――
「家庭において、親には孝行であり、兄には従順であるような人物が、世間に出て長上に対して不遜であつたためしはめつたにない。長上に対して不遜でない人が、好んで社会国家の秩序をみだし、乱をおこしたというためしは絶対にないことである。古来、君子は何事にも根本を大切にし、先ずそこに全精力を傾倒して来たものだが、それは、根本さえ把握すると、道はおのずからにしてひらけて行くものだからである。君子が到達した仁という至上の徳も、おそらく孝弟というような家庭道徳の忠実な実践にその根本があつたのではあるまいか。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

有子說:「孝敬父母、尊敬師長,卻好犯上的人,少極了;不好犯上,卻好作亂的人,絕對沒有。做人首先要從根本上做起,有了根本,就能建立正確的人生觀。孝敬父母、尊敬師長,就是仁的根本吧!」

中国哲学書電子化計画

有子が言った。「父母に孝行し、先生を敬うのに、目上に逆らいたがる人は、極めて少なかった。目上に逆らうのを好まないのに、騒動を起こしたがる人は、絶対にいない。人格教育はまず根本から始めなければならない。根本があれば、正しい人生観を立てられる。父母への孝行と先生・上司への敬意こそが、仁の根本なのだよ!」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

有子

論語 有 金文 論語 子 金文
(金文)

孔子の弟子ということになっている。本名有ジャク。あざなは子有。『史記』弟子列伝によれば孔子より48歳下。『孔子家語』七十二弟子解では36歳下とある。ただし論語では、有若と孔子の対話は一切無い。孔子に顔が似ていたため、孔子没後一時後継者に据えられたという。

しかし頭が悪かったので降ろされたと『史記』弟子列伝にある。

孔子が亡くなった。弟子は思慕のあまり、有若の見た目が孔子に似ていたので、相談して有若を二代目の師匠に据えた。一門が有若を敬う態度は、孔子と同じだった。ある日、ある弟子が有若に問うた。

「昔、孔子先生が謎解きして…と言いました。なぜ孔子先生はこれらが分かったのですか。」しかし有若は黙ったまま、答えられなかった。弟子は立ち上がって言った。「有先生、その座を降りなさい。そこはあなたが座っていい場所ではありません。」

論語 有若 アホ
有若について同時代史料はほぼ沈黙しており、『左伝』にかろうじて有若と読めなくもない人物が出るのみ。従ってその実在は極めて怪しい。しかも論語の源泉は弟子が各自記した講義メモだから、孔子との対話が確認できない有若は、少なくとも孔子の直弟子ではなかったろう。

最大限好意的に解釈しても、教えを受けてもメモも取らないような、不埒な弟子だったことになる。詳細は論語の人物:有若子有を参照。

あざ名(字とも書く)「子有」の「子」は、教師への敬称。

孔子や老子のように、祖師の場合は○子といい、その高弟の場合は子○という。ただし墨家はおおげさに、祖師の墨子(本名は墨テキ)を子墨子(墨先生様)と呼ぶ。慇懃無礼に聞こえるのは気のせいだろうか。少なくとも訳者は九去堂先生様と呼ばれたら、そ奴を張り倒したくなる。

人間の半分は平均以下の知的水準ゆえ、張り倒されの避け方を知らない者が半分にはなる。ゆえにたいていのそ奴らを張り倒すのは簡単だ。道場で10年も修行すれば、張り倒しのバリエーションは多数持つし、縮地法や気の何でも無さも自ずから知る。それらの多くはハッタリだ。

ただし、時により決定的になる。

話を論語に戻そう。子有の「有」は、本名である有若の姓と名、いずれかと呼応しているとみるべき。あざ名とはそういうものだと白川博士は言う。

論語 白川静
卜辞に見える子鄭・子雀は、おそらく鄭・雀の地に封ぜられた王子の称であろう。のち字(あざな)にこの形式を用いるのはその遺法であるが、所領の関係が失われたのちは、名と字義の対待による。仲由、字は子路、路は人の由る所。顔回、字は子淵、淵は回水の意。子は本来王子・公子など、貴族身分の身分称号的に用いられたもので、のち一般の児子にもいう。(白川静『字通』「子」解字)

通常、孔子の弟子は卜商子夏の「商」と「夏」、端木賜子貢の「賜」と「貢」のように、名とあざ名を呼応させる。ところが名の「若」とあざ名の「有」には関連性が無い。ただ姓を取って付けた、取って付けたようなあざ名と言える。あるいはただの「ある人」の意かも。

やはり実在は極めて怪しい。

爲(為)人(ひととなり)

論語 為 甲骨文 論語 為 金文
「為」(甲骨文・金文)

「為」の原義は、は「手+象」で、象に手を加えて手なずけ、調教するさま。人手を加えて、うまくしあげるの意。「為人」は、人であるそのあり方、つまり人がらのこと。詳細は論語語釈「為」を参照。

論語 也 金文 論語 也 字解
(金文)

論語の本章では、「や」と読んで下の句とつなげる働きと、「なり」と読んで断定の意に用いている。実はこのことが、文字が論語時代に遡れない事と共に、本章が後世の捏造であることを示している

孔子の時代の中国語では、断定(である)を言うとき、通常は矣(已)を用いる。

可謂孝矣:孝といつなり。(論語学而篇11)

可以為師矣:以て師と為る可き矣。(論語為政篇11)

足則吾能徵之矣:足らば則ち吾れ能く之をる矣。(論語八佾篇9)

枚挙に暇が無いのでこれで止める。だが孔子と入れ替わるように春秋時代末期を生きた墨子の言葉を、弟子が記した書である『墨子』では、文末の断定として「矣」と共に、「也」が使われている。

未曾有也:未だ曾て有らざる也。(墨子親士篇1)

君子察邇而邇脩者也:君子ちかくを察し邇きはおさむる者也。(墨子修身篇2)

故染不可不慎也:故に染まるも慎ま不る可から不る也。(墨子所染篇1)

これも枚挙に暇が無い。だが最後に孟子も参照する。

未有義而後其君者也:未だ義有り而其の君に後るる者あらざる也。(孟子梁恵王篇上1)

今之樂猶古之樂也:今之楽猶お古之楽也。(孟子梁恵王篇下1)

民猶以為小也:民猶お以て小と為す也。(孟子梁恵王篇下2)

ここで止める。もう十分だろう。断定の意味で「也」を使うのは、戦国時代以降の語法なのだ。

なお「也」は『学研漢和大字典』によると象形文字で、也は、平らにのびたさそりを描いたもの。它(タ)は、はぶへびを描いた象形文字で、蛇(ダ)の原字。よく也と混同される。しかし、也はふつう仮借文字として助辞に当て、さそりの意には用いない。他などの字の音符となるという。

『学研漢和大字典』によると、文中・句中の「也」の語法は次の通り。

  1. 「~こそ」「まったく」と訳す。文頭の主語・副詞を強調する意を示す。「必也正名乎=必ずや名を正さんか」〈ぜひとも名を正すことだね〉〔論語・子路〕
  2. 「~の方法は」「~の時には」と訳す。時間・空間・事物のある一部分を提示して強調する意を示す。「君子之至於斯也、吾未嘗不得見也=君子のここに至るや、吾未だ嘗(かつ)て見ることを得ずんばあらざるなり」〈ここに来られた君子がたは、私はまだお目にかかれなかったことはない〉〔論語・八佾〕
  3. 「~よ」と訳す。よびかけの意を示す。「由也、好勇過我=由や、勇を好むこと我に過ぎたり」〈由よ、勇ましいことを好きなのは私以上だ〉〔論語・公冶長〕
  4. 「~也者」は、「~なるものは」とよみ、「~というものは」と訳す。上の語句を丁寧に示す。「孝弟也者、其為仁之本与=孝弟なる者は、それ仁を為(おこ)なふの本か」〈孝と悌ということこそ、仁徳の根本であろう〉〔論語・学而〕
  5. 「~也与」は、「~なるか」「~か」とよみ、「~であることよ」と訳す。詠嘆の意を示す。「語之而不惰者、其回也与=これに語(つ)げて惰(おこた)らざる者は、それ回なるか」〈話をしてやって、それに怠らないのは、まあ回だね〉〔論語・子罕〕

詳細な語釈は論語語釈「也」を参照。

論語 孝 金文 論語 孝 字解
(金文)

論語の本章では、”年下の年上に向けた愛情”。『学研漢和大字典』によると、会意文字で、「老人の姿を示す老の字の上部+子」。音の「コウ」は、好(たいせつにする)と同系。また、効(力を尽くす、力をしぼり出す)と同系と考えることもできるという。

詳細は論語語釈「孝」を参照。

なお論語で語られる孔子の教説では、一方的な孝行の義務を、子や年少者に押し付けていない。有若はそれが理解できなかったのだろう。

論語 弟 金文 論語 弟 解字
(金文)

”年下らしいへりくだった態度”。『学研漢和大字典』によると指事文字で、「ひものたれたさま+棒ぐい」で、棒の低い所を/印でさし示し、低い位置をあらわす。兄弟のうち大きいほうを兄、背たけの低いのを弟という。

また低く穏やかにへりくだる気持ちを弟・悌(テイ)という。また音の「テイ」は、低(ひくい)・易(低い)と同系という、とある。

論語では主に、年長から見て好ましい年少者の姿を言う。詳細は論語語釈「弟」を参照。

武内本によると、陸徳明の注には「ある本は悌と書いてある」とあり、唐代に刻まれた論語の石碑で「弟」と書く、という。

而(ジ)

論語 而 金文 論語 而 解字
(金文)

論語の本章では、”~て…”。前後を接続する働きをする。原義は”ヒゲ”で、接続辞として用いるのは音が通じる「爾」としての転用から。詳細は論語語釈「而」を参照。

論語 好 金文 論語 好
(金文)

論語の本章では”好む”。

『学研漢和大字典』によると会意文字で、「女+子(こども)」で、女性が子どもをたいせつにかばってかわいがるさまを示す。休(かばってたいせつにする)・畜(キク)(大事に養う)・孝(親をたいせつにする)などと同系のことば、という。詳細は論語語釈「好」を参照。

矣(イ)

論語 矣 金文 論語 矣 篆書
(金文・篆書)

論語の本章では、”(きっと)~である”。この文字は戦国時代末期までにしか遡ることが出来ず、論語の本章が後世の挿入である可能性を示している。おそらく孔子在世当時は「已」と区別されず書かれたと考えられるが、本章の成立は後世であることがほぼ確実だから、「矣」が使われていても矛盾が無い。
矣 標本

『学研漢和大字典』によると、象形文字で、人が後ろをむいてとまったさまを描いたもの。疑の字の左側の部分と同じ。文末につく「あい」という嘆声であり、断定や慨嘆の気持ちをあらわす。息がつかえてとまるの意を含む。音の「アイ」は、唉(アイ)(のどがつかえて嘆息する)と同系。なお類義語の也(ナリ)は、…なのだと、ことわけて説明し判定した気持ちをあらわす助辞という。
論語 矣 字解

詳細は論語語釈「矣」を参照。

論語 鮮 金文 論語 鮮 篆書
(金文・篆書)

論語の本章では”少ない”。

『学研漢和大字典』によると、会意文字で、「魚(さかな)+羊(ひつじ)」で、なま肉の意味をあらわす。なまの、切りたての、切りめがはっきりしたなどの意を含む。それが”少ない”の意味に転じたのは、音の「セン」が尠(セン・少ない)と同じだったため。

「尠」が現れるのは後漢の『説文解字』が最初。孔子存命前後の時代に、”すくない”の意として用いられたとは考えがたいが、本章は後世の儒者によるでっち上げの可能性が高いので、”すくない”と解しても矛盾が無い。

のみならず、”すくない”と解さねば読めないことが、論語の本章が秦漢帝国以降の儒者による捏造であることを、雄弁に物語る。詳細は論語語釈「鮮」を参照。

亂(乱)

論語 乱 篆書 論語 乱 解字
(篆書)

論語の本章では、”不作法”。偏は絡まった糸、つくりはそれを正す手またはへら。この文字は、論語と同時代の金文、それ以前の甲骨文に遡ることが出来ない。音訓が同じ漢字は『大漢和辞典』に𣨀ラン(死に臨んで取り乱すこと)が載るが、金文以前に遡れない。

従って本章は、後世の儒者によるでっち上げである。聖徳太子の十七条憲法(最近ではその実在すら怪しいという)に、「マニフェスト」と書いてあるようなものだ。

「乱」は『学研漢和大字典』によると、会意文字で、左の部分は、糸を上と下から手で引っぱるさま。右の部分は、乙印で押さえるの意を示す。あわせてもつれた糸を両手であしらうさまを示す。もつれ、もつれに手を加えるなどの意をあらわす。おさめるの意味は、後者の転義にすぎないという。

一方『字通』では、”おさめる”の意が原義で、”乱れる”が転義にすぎないという。詳細は論語語釈「乱」を参照。

論語 務 金文 論語 務 篆書
(金文・篆書)

論語の本章では、”努める、励む”。「務める」→「つとめる」→「努める」の連想のように、日本語に引きずられたいわゆる「和習」ではなく、”はげむ”の語義が諸橋『大漢和辞典』にも載っている。
諸橋轍次 諸橋轍次 大漢和辞典
務 大漢和辞典

藤堂明保 論語 矛
『学研漢和大字典』によると、会意兼形声文字で、矛は、困難を排して切り進むほこ。敄(ム)は「攴+〔音符〕矛(ボウ)・(ム)」の会意兼形声文字で、むりに局面を打開する努力を示す。務はさらに力を加えたもので、敄の後出の字。困難を克服しようとりきむことという。

詳細は論語語釈「務」を参照。

孝弟也者

論語 也 篆書 論語 者 篆書
「也者」(篆書)

ここでの「者」の解釈は二通りあり得、”~である人”という人物、”~であるということ”という状態に解釈が分かれる。

本章のこの部分以外では、人物として解釈出来るが、ここでは状態と考えてもよい。その場合の読み下しは、「孝弟」と、主格の格助詞であるかのように読む。漢文読解では重要な知識なので、ここで挙げておく。詳細は論語語釈「者」を参照。

「者」は人物とは限らず、主格を示す記号である場合がある。

なおこの部分は、「也」だけでも断定だが、「也者」と二つ重なると「一そうおもおもしくなる」と吉川本にある。論語での孔子の発言は、総じて簡潔だが、ボンクラ有若となると、重々しく発言してハッタリをかますしかなかったのだろう。

論語 仁 甲骨文 論語 仁 古文
(甲骨文・古文)

論語での意味は、常にあわれみの気持を持ち続けること。一時的には万人が有するが、恒常的にそうあるためには学習が必要とされた。

『学研漢和大字典』によると、会意兼形声文字で、「人+二」で、二人が対等に相親しむことを示す。相手を人として扱うこと。また、柔らかいこと。人(ジン)・(ニン)と二(ジ)・(ニ)と、どちらを音符と考えてもよいという。

一方『字通』では、原義は人が誰かのために敷物を敷いてあげる姿だという。詳細は論語における「仁」を参照。

歟(か・ヨ)

論語 歟 金文大篆 論語 歟 篆書
(金文大篆・篆書)

カールグレン上古音は、文末の疑問辞の場合平声と決まっているのでzi̯o。疑問、反語を意味する。『学研漢和大字典』によると形声文字で、「欠(からだをかがめて息を出す)+(音符)與(ヨ)」で、文末につけて、はあと息を出して疑問・反問の調子をあらわす助辞。乎(はあと息を出す)と同じ、という。

論語の本章では「断定を躊躇する助字である」と吉川本にある。それはその通りなのだが、論語で句末の疑問辞として遣うのは、通常「與(与)」(カールグレン上古音zi̯o)・「也」であり、「歟」が用いられるのは論語全512章の中でもここだけ。

また上掲の金文大篆は出典が不明で、復元された文字の可能性がある。出典が確かな文字としては、甲骨文・金文・戦国文字・古文ともに未発掘。文字の出現が確認できるのは、始皇帝による文字の統一以降の、小篆文字に限られる。ただし、與に置き換えられはする。

詳細は論語語釈「歟」を参照。つまり本章は、全て後世の挿入か、文字が入れ替わった可能性がある。

論語:解説・付記

有若については論語人物図鑑を参照して頂くとして、論語の第二章に、弟子の中でも特に出来の悪い有若の言葉が入ったのにはわけがある。江戸の伊藤仁斎が指摘したように、論語は孔子一門の諸派閥が編集した本の合本で、前半は有若や曽子派の影響が強い。
論語 有若 論語 曽子

武内義雄『論語之研究』によると、前漢武帝の時代まで伝わっていた論語には三種類あり、『斉魯二篇本』がこの学而篇と論語第十郷党篇、『河間本』が論語第二為政篇~第八泰伯篇、原・『斉論語』が第十一先進篇~第十五衛霊公篇+第十九子張篇・第二十堯曰篇という。

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二篇本 学而                 郷党                        
河間本   為政 八佾 里仁 公冶長 雍也 述而 泰伯                            
斉論語                     先進 顔淵 子路 憲問 衛霊公       子張 堯曰 問王 知道
古論語                 子罕             季氏 陽貨 微子        

ただし事はこの表のように単純ではなく、別の説では前漢末期に伝わった論語は魯論語・斉論語・古論語の三種だけで、それらの内容はほとんど違いがなかったとも言われる(佐藤一郎 「斉論語二十二篇攷 : 論語の原典批判 その二」)。真相はもはや古代の闇の中だ。

白川静『孔子伝』によると、論語の各章の来歴は、それぞれの章ごとに検討すべきで、しかも証拠立てる史料はほとんど残っていない。ただこの章に限って言えば、孔子の直弟子かどうかも怪しい有若とその一派が、自己宣伝のために挿入したものだとは言える。

有若と曽子の派閥は政治活動に興味を示さず、ひたすら机にかじりついてお勉強ばかりしていた。もしくは出来が悪かった。孔子の放浪にも同行せず、しかも互いに仲が悪かった。本心では革命家だった孔子が、こうした不出来な本の虫を評価しなかったのは当然だった。

有若について孔子は論語では一切無視しており、曽子に至っては、はっきり「ウスノロ」と評している(論語先進篇17)。これら言わば孔子一門の「小人派」は、孔子の教説を深く理解できず、表面上の言葉や仕草に、むやみにこだわる癖があった。つまりハッタリが多い。

論語の本章もそのような文脈で理解すべき話で、有若は堅苦しい秩序を金科玉条のように説教するだけで、それぞれの言葉にどのような意味があるのか、現実世界でどのような効用があるのか、一切説いていない。ボンクラだとして孔子の後継者から降ろされたのも無理はない。
論語 有若

つまり論語の本章は、有若の自己宣伝のために入れられた言葉で、現代の読者が真に受けたり、まじめに意味を考える価値のない話である。看板のデザインは、看板屋やデザイン家や広告業者には価値があろうが、通り過ぎる通行人には全く用のない、風景の一部でしかない。

孔子はこんにちで言う、知識と教養、物知り・わけ知りの違いに気付いており、没後に道家から批判されたように、ひたすら知識を蓄えることに価値を置いたわけでもない。ものを知っているだけでは何の役にも立たないと、弟子を戒めてもいる(論語子路篇5)。

ただの暗記ならこんにちでは、電脳世界の方がはるかに人間を上回る。しかし知識を知った上で、それを使って世の中にどのような価値を作っていくかについては、今なお人間にしかできない。つまり両者で頭の使い方は違い、前者は愚直に続ければ出来るが、後者はそうでない。

有若も曽子も、孔子のこの教説を理解できなかった。従って自分を主張するには、ひたすら難しそうな言葉をひねくるしか能がなかった。これは後世の儒者も同様で、官僚や政治家として名を成したのはごく一部に過ぎず、ほとんどは有若や曽子の、さらなる劣化版に過ぎない。

これは論語の注釈を行った儒者も同じで、ひたすら本を読み情報はよく蓄えているが、論語の真意は何だろうと考える能力に欠けていた。子供の頃から暗記ばかりさせられては、そうなっても無理はないが、その結果こんにちの論語解釈は、実につまらなくなってしまったわけ。

学びて思わざらば則ち罔(くら)し(論語為政篇15)、とは、こういう事を言うのだろう。

なお有若はその実在すら怪しいのだが、それに対して『史記』弟子列伝に記載があるではないか、という反論はあり得る。しかし『史記』が成立した前漢武帝時代は、まさに帝国の支配イデオロギーとして儒教が国教化された時代でもあった。『史記』も当然その影響下にある。

イデオロギーとは、多数派原理デモクラシーに従わない限り、ごく少数者が社会の甘い汁を独占するために、それ以外の大勢をたぶからし黙らせるための道具に他ならない。必然的にウソでっちあげ大げさが混じるのだが、それをインチキだと堂々と書けるほど司馬遷は偉くはない。

論語 毛沢東
文革期の中国で毛沢東思想を、現在の北朝鮮で主体思想をデタラメだと言ったら、どんな目に遭うだろうか。古代ならなおさらで、名君と名高き前漢の景帝でさえ、皇太子時代に暇つぶしのいさかいから、親類を双六盤で殴り殺してもお咎め無し。それが遠因で前漢は滅びかけた。

いわゆる呉楚七国の乱だが、それを受けた時代を生きた司馬遷が、仮に捏造に気付いても、有若でっち上げ説を書けるわけが無いだろう。なべて中国人の書き物とは、いわゆる大人の事情と不可分であり、疑ってかかってはいけないが、真に受けてもいけないのだ。

以下は全くの余談だが、上掲「子○子」(○先生様)の慇懃無礼について、思い当たる節がある。英語では男子の敬称は言わずと知れたMr.(様)で、教授ならProf.となり、博士ならDr.がそれにとって代わる。ところがドイツ語だと、Herr.は消えずにDR.がただ続き、”博士様”。

しかも学位が二つだと、Herr. DR. DR.と呼ぶらしい。”博士博士様”。馬鹿にしていると訳者は思う。増えるごとにDR.が続く。これをからかう英語の随筆を、学部時代の教科書で読んだし、オックスブリッジを出たイングランド人から、実にそれらしきくさした言葉も聞いた。

論語 軍事パレード 東独 東ドイツ
「普通は国が軍隊を持っている、しかしドイツでは軍が兵営として国を持っている」とはよく聞く言葉だ。現在はどうだか知らないが、二次大戦までのドイツは間違いなくそうで、ワイマール共和国の民主主義とは、歴史を知ればへそで茶が沸くほどの何かの冗談だ。

帝政ドイツも同様で、国内にすさまじい数の餓死者が出ているというのに、軍部はいっかな戦争を止めようとは考えなかった。この点に限れば大日本帝国はまだましで、戦時中に国内の餓死者はほとんど出なかったが、内外の交通線を断たれ、いずれ飢餓確実となって手を挙げた。

餓死者が出たのはむしろ戦後で、GHQはそれを隠すため統計を取らせなかった。話を論語に戻せば、現在の中国に国軍は無く、解放軍はあくまでも共産党の私兵に過ぎない。だから平気で人民に発砲し、人民もそれを不思議とは思っていない。旧ソ連ですらあり得なかったことだ。

「发炮法西斯党」(ファシストに発砲せよ)と毛沢東は八路兵に歌わせたが、外国語が出来ないひがみから、周恩来の娘や劉少奇本人を虐殺し夫人をいたぶりにいたぶり、人類史上初の、ほぼ確信できる程度に億人単位をいじめ殺したように、ファシストの意味は全く知らなかった。

そんな男の肖像を首都のど真ん中に掲げて平気でいる。紙幣にも刷る。気が狂っている。
天安門

臣民に発砲を繰り返したロシア帝国軍への悔恨から、ソ連赤軍は内戦当時から、自国民に銃を向けるのを嫌がった。だからKGBが弾圧用に、自前の軍隊を持っていた。中国とドイツのこの類似性は、両国共に民主主義と人権といった概念と、極めて相性が悪いことを意味している。
KGB

民主主義と人権は、えせリベラルの魔の手にさえかからなければ、数理と一致し自然法則にかなっている。つまり、人界の尊貴や貧富はたまたまのものでしかなく、「摂理が人を作るにあたり、何の差別もありはしない」。事実を政治に反映した、実に明るい話でもある。

孔子の肉声と同じ簡単な話だ。”よいことをする人が、よい人だ”。論語から儒者どもの捏造を除けば、孔子の言葉はこれに尽きる。神は人間のこしらえものだが、こう言ったら分かっても貰えるだろうか。「善きサマリア人たれ」。いたましい景色を見過ごすな。だから強くなれ。

論語講釈士養成講座 指導動画 論語教育不救機構
その理念から起きた米国が、世界最強になったのは理の当然でもある。ウソとでたらめとでっち上げをこね上げるしか能の無かった儒者のき○たま臭さは、今の中国に絶え果てたと言えるだろうか。少なくとも日本の漢学界はきん○ま臭いし、近年さらに臭いがひどくなっている。

だがなお無慮数千年史を通じて、中国は「独自の民主主義社会」であり続けている。およそ初歩の数理では有り得ないことで、故に論語を読む価値がある。漢文を読めるようになりたかったら、まずは数ⅠAの教科書をやり直せと訳者が言う理由を、わかって頂けるだろうか。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。未だ人を斬ったことが無い。刀(登録証付)の手入れは毎日している。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回す。覚悟致せ。
斬首
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