
論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす
原文
子曰、「巧言令色、鮮矣仁。」
*論語陽貨篇17に重出。
復元白文
※巧→工・矣→已・仁→(甲骨文)
書き下し
子曰く、巧みの言令しの色、鮮き矣仁。
論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす
逐語訳
先生が言った。「巧みな言葉、うるわしい笑顔だと、ひどく生臭くなってしまう、貴族らしい態度が。」
意訳
おべっかと作り笑いで迫られては、せっかくの貴族らしい立ち居振る舞いも、インチキ臭さがプンプンにおう。
従来訳
先師がいわれた。――
「巧みな言葉、媚びるような表情、そうした技巧には、仁の影がうすい。」
現代中国での解釈例
孔子說:「花言巧語、滿臉堆笑的人,很少有仁愛之心。」
孔子が言った。「飾り立てた聞き心地の良い言葉と、満面に笑顔をたたえた人には、思いやりの心が甚だ少ない。」
論語:語釈 →項目を読み飛ばす
巧
(古文・篆書)
論語の本章では”よく作られた”。偏は工作を意味し、つくりは小刀の象形。中国の字書に収められた古い文字(古文)では、へんがてへんになっているものがある。
この文字は論語と同時代の金文にさかのぼれないものの、「工」には金文があり、同じく”たくみ”を意味する。おそらく論語の時代には、「工」と区別されず記されたのだろう。
「工」(金文)
『学研漢和大字典』によると、「巧」は会意兼形声で、丂(コウ)は、曲線が上につかえたさまで、細かく曲折する意を含む。巧は「工+〔音符〕丂」という。また「利口」の口は、本来巧の字だったのを略したという。詳細は論語語釈「巧」を参照。
令
(金文)
論語の本章では、「麗」と同じく”うるわしい”。語源は三角形の下で人がうずくまる姿。祭殿で神意を受け取る姿と『字通』に言う。
『学研漢和大字典』による原義は、人々を集めて、神や君主の宣告を伝えるさまという。詳細は論語語釈「令」を参照。
色
(金文・篆書)
論語の本章では”顔色・表情”。人が人を後ろから抱きかかえる象形。男女間の愛情行為を意味する。
『学研漢和大字典』によると、象形文字で、かがんだ女性と、かがんでその上に乗った男性とがからだをすりよせて行為するさまを描いたもの。行為には容色が関係することから、顔やすがた、いろどりなどの意となる。また、すり寄せる意を含む、という。詳細は論語語釈「色」を参照。
鮮
(金文・篆書)
論語の本章では”なまぐさい”。原義は”生魚・生肉”で、伝統的には”すくない”の意味だと解釈されてきた。『学研漢和大字典』による、なぜそういう意味になるかの説明は、きわめて回りくどい。
『字通』では、次のように説明する。
この説明の方が、まだしも単純で解りやすいが、音が通じたから別義に転用されたというのなら、その用法は時代が下ると見なければならない。論語は最古の古典の一つであり、原義で解釈出来るなら、そうする方が理に叶う。
「尟」(篆書)
また「尟」という言葉がいつ中国語に現れたかと言えば、秦漢帝国になってからであり、具体的には後漢の『説文解字』が初出になる。カールグレンによるその上古音は「鮮」と共にsi̯an(◌̯は音節副音、すなわち弱い音を示し、全体を無理にかなに直すとシャン)だが、『学研漢和大字典』によると、発声の仕方は上声(尻上がりの調子)だという。
対して「鮮」は”生魚・生臭い”の場合の平声(平らな甲高い調子)だが、”すくない”の場合は上声という。つまりもともと平声しか無かったのが、”すくない”の語義を獲得してから上声が加わったと見るべきだろう。
あるいは「尟」が出来るまで、「鮮」が”すくない”の語義と上声の音を兼ね持っていたとも考えられるが、字の形はあくまで生肉と生魚であり、”すくない”は後起の語義であることは疑えない。詳細は論語語釈「鮮」を参照。
鮮矣仁
倒置表現で、「仁鮮矣」とあるべきところを、「鮮」を強調するために前に出した句形。”仁は甚だしく鮮なのである”という意味。
「仁」は孔子の生前では、”貴族らしさ”であり、それが”なまぐさい”とは”鼻につく”ということ。せっかくの優雅な立ち居振る舞いも、ギラつくような「巧言令色」で表現されては、プンプンにおうぞ、ということ。
矣
(金文)
論語の本章では”~である”という断定。カールグレン上古音はzi̯əɡ。「かな」と読み下し、”~だなあ”という詠嘆として解釈してもよい。原義は人の振り返った姿で、文末につく「あい」という嘆声であり、断定や慨嘆の気持ちをあらわす。詳細は論語語釈「矣」を参照。
前章で指摘したとおり、この文字は戦国末期までにしか遡り得ない。すると本章も後世の創作なのだろうか。この文字は論語全篇の中で182箇所に使われており、それらの章が全て偽作だとすると、論語そのものが崩壊する。おそらく論語の当時は、「已」(zi̯əɡ)または「也」(di̯a)と書かれていただろう。
仁
(甲骨文・古文)
論語における一大概念、”貴族(らしさ)”。
現伝の儒教では情けや憐れみと解するが、それは孔子より一世紀後の孟子が提唱した「仁義」の語義で、孔子生前の語義ではない。詳細は論語における「仁」を参照。
論語:解説・付記
上記論語陽貨篇(17)の重出のほか、「巧言令色」は論語公冶長篇(24)にも見える。
論語の本章とは裏腹に、孔子は巧言令色が常時絶対禁止とは考えておらず、政治工作に必要なら、孔子はためらうことなくへつらいも言った(論語泰伯篇1)。矛盾ではないか、と弟子に不満が出て当然だが、物事の学びには段階があると孔子は思っており、意に介さなかった。
論語雍也篇21で孔子は、「基礎も学ばないのに、いきなり奥義を聞こうというのか」と言っている。論語で巧言令色や変節を戒めたのは、それが初学者への教えだったからであり、政治工作のような高度な判断は、まずこうした基本を学び、使いこなせるようになってからだった。
なお「仁」が通説と異なり”貴族(らしさ)”と解した理由は、論語における「仁」を参照して頂きたいが、そのほとんどが庶民だった孔子の弟子たちにとって、貴族らしさとはそれまでに見せつけられた”ふんぞり返った態度”であったろうし、良くて”お行儀の良い態度”だったろう。
その理解は時に行きすぎて、偽善をそれと勘違いした弟子が出たのかも知れない。それに対する孔子の説教として本章を理解できる。また「仁」をこのように理解する限り、「巧言令色」に「仁」が”少ない”と解することが、可能ではある。
→おべっかや作り笑顔をしていると、貴族だと思って貰えないぞ(貴族になれないぞ)。
だが”すくない”と”なまぐさい”のどちらに理があるかと言えば、上記の通り”なまぐさい”であり、ゴリゴリの理屈主義だと笑われそうだが、調査した事実を綴り合わせると、”すくない”と訳すのをためらわざるを得ない。通りの良い訳では無いと自覚するが、あえて理屈に従った。