論語の人物:卜商子夏(ぼくしょう・しか)

石頭で知られた弟子きってのまじめ文学青年

至聖先賢半身像「子夏」
国立故宮博物院蔵

略歴

孔子の弟子。BC507?-BC420?。姓は卜(ぼく)、名は商、字は子夏。衛国出身、一説に晋の温出身。『史記』によれば、孔子より44年少。

古典研究(文学)の才を孔子に評価され、孔門十哲の一人。頭が固く、引っ込み思案の性格だったらしく、「過ぎたるはなお及ばざるが如し」の語源となった。孔子没後、北方の大国・魏の文侯に招かれ、その師となった。李克・呉起・西門豹はその弟子である。

卜 金文論語 商 金文論語 子 金文論語 夏 金文
なお「卜」とは”うらなう”こと「商」は殷王朝の自称「子」は貴族や知識人への敬称「夏」は言うまでもなく最古の王朝の名。本名の「商」に対してあざ名で「夏」と名乗ったことから、ものすごい古代文明オタクだったと想像される。

論語 殷 金文
ちなみに「殷」は”むやみに人の生きギモを取る残忍な奴ら”という他称である。今で言うなら臓器売買に当たるのだろうか。伝統というものは本当に根が深い。

論語での扱い

孔子との対話が三つほど記されているが、そのうち二つは「ちまちまするんじゃない」といった教えで、石頭で融通が利かない性格を思わせる。また八佾篇に記された詩の解釈についての問答は、子夏のあまりのカタブツぶりに、孔子でさえうんざりしていると読み取れる。

子張子游とは、互いに門人を教え合ったようで、うち子游からは、「子夏の門人はちまちまとしたお行儀はいいが、根本が足りない」と評された。

子路篇では、「チマチマするな」と教えられたと共に、定公十四年(BC496)に築かれた新しいまち、莒父(キョホ)の代官になったことが知れる。

他の典籍での扱い

『礼記』檀弓上には以下の通りある。「子夏その子を失いて、その明(視力)また失えり。曾子これをとむらいて曰く、われ聞くに、朋友の明失わらば則ちこれを泣くべしと。曾子泣きて、子夏また泣きて曰く、天よ、われ罪無し(何でこんな目に遭うのか)と。曾子怒りて曰く、商(子夏)よ、なんじ何ぞ罪無きや。われなんじと洙泗(いずれも魯国の川)の間に夫子(孔子)に仕えるも、なんじ退きて西河(子夏の滞在した魏国の川)のほとりに老ゆ。西河の民をしてなんじを夫子に疑せしむ(孔子同様の扱いをさせた)、これなんじの罪一也。なんじ親を失いて、民をして未だ聞かしめず(親が亡くなっても放置して、魏国で教師稼業をしていた)これなんじの罪二也。なんじ子を失えるに、なんじの明を失う、なんじの罪三也(そもそも失明したことがお前の罪だ)。しかるになんじ、何の罪無きかと。子夏その杖を投げて拝んで曰く、われ過てり、われ過てり。われ群(孔子一門)を離れて居るを求む(勝手に魏へ行って仕官した)、大いに過ぎて久しきかなと。」

論語 孟子
『孟子』滕文公上では、子張、子游と共に、孔子没後、顔が似ているからと言って有若を後継者に据えようとしたという。

論語 荀子
『荀子』非十二子では、「その衣冠を正し、その顔色を整え、嗛然(ケンゼン。ものをふくんだように)として終日もの言わざる、これ子夏氏の賤儒(腐れ学者)也」とある。

論語での発言

1

賢者を敬って表情を行儀良く改め、父母のお世話を力一杯できるようにし、主君に仕えるには精一杯務めに励めるようにし、友達と付き合うには言葉にウソがなければ、”私は勉強が足りない”と言う人にも、私は足りているとはっきり言おう。(学而篇)

2

麗しの笑顔に…の詩は、何を言っているのですか? 礼儀の話なんですか?(八佾篇)

3

私はこう聞いています、生きるも死ぬも天命だ、富むも貧しきも運命だ、と。君子が敬いの態度を忘れず、道を踏み外さず、人を敬いつつ礼儀正しければ、世界中が兄弟です。君子は兄弟がいないと嘆くことはありません。(顔淵篇)

4

そうでしたか兄者あにじゃ。さすがに含みのある先生のお言葉ですね。私が思いますに、例えばこういうことです、いにしえの聖王は、天下から選び抜いて剛直な家臣をお目付に据えたが、そうしたらおやかたから薄情者どもが逃げ出した。人の使い道、弱点を知っていたんですね。(顔淵篇)

5

人付き合い? いいと思ったら付き合えばいいし、良くないと思ったら付き合わなければいい。(子張篇)

6

大したことではない芸や技術にも、見て感心するようなことはあるだろう。
しかし政治のように遠大な事業を仕上げようとするなら、そうした道になじんでしまうとよろしくない。
だから君子は、これをしない、という事柄があるのだ。(子張篇)

7

毎日欠かさず、自分の足りない所を確認し、月ごとに出来ている所を忘れなければ、学問を好むと言っていい。(子張篇)

8

幅広く学んで立てた志に熱中し、疑問を突き詰め問題を自分ごととして思えば、仁はその中に存在する。(子張篇)

9

職人は仕事場で仕事をする。君子は学ぶことで仕事を達成する。(子張篇)

10

凡人が間違いを起こすと、必ずいいわけを言う。(子張篇)

11

君子には三つの違った姿がある。

遠くから見るといかめしい。
近くに寄ると温かい。
言葉を聞くと厳しく激しい。(子張篇)

12

君子は信用を得てから民に労役を課す。信用もないのに労役を課すと、民はいじめられたと思う。

君子は信用を得てから主君をいさめる。信用もないのにいさめると、悪口を言ったと思われる。(子張篇)

13

人道の大枠は道を外れてはいけないが、細かなことなら臨機応変に変えてよろしい。(子張篇)

14

うちの弟子がダメだって? 子游はわかっちゃいない。君子の修行に、あれが先これは後なんてあるものか。草木を枝と幹に分けたところで、それが君子のたとえになるわけではない。言いがかりではないか。そんな批判は、万能の賢者(聖人)になってから言って貰おう。(子張篇)

15

職について余裕があれば、学ぶといい。
学んで余裕があれば、職に就くといい。(子張篇)

論語での記載

  1. 子夏曰:「賢賢易色,事父母能竭其力,事君能致其身,與朋友交言而有信。雖曰未學,吾必謂之學矣。」(學而)
  2. 子夏問孝。子曰:「色難。有事弟子服其勞,有酒食先生饌,曾是以為孝乎?」(為政)
  3. 子夏問曰:「『巧笑倩兮,美目盼兮,素以為絢兮。』何謂也?」子曰:「繪事後素。」曰:「禮後乎?」子曰:「起予者商也!始可與言詩已矣。」(八佾)
  4. 子謂子夏曰:「女為君子儒,無為小人儒。」(雍也)
  5. 德行:顏淵,閔子騫,冉伯牛,仲弓。言語:宰我,子貢。政事:冉有,季路。文學:子游,子夏。(先進)
  6. 司馬牛憂曰:「人皆有兄弟,我獨亡。」子夏曰:「商聞之矣:死生有命,富貴在天。君子敬而無失,與人恭而有禮。四海之內,皆兄弟也。君子何患乎無兄弟也?」(顏淵)
  7. 樊遲問仁。子曰:「愛人。」問知。子曰:「知人。」樊遲未達。子曰:「舉直錯諸枉,能使枉者直。」樊遲退,見子夏。曰:「鄉也吾見於夫子而問知,子曰,『舉直錯諸枉,能使枉者直』,何謂也?」子夏曰:「富哉言乎!舜有天下,選於眾,舉皋陶,不仁者遠矣。湯有天下,選於眾,舉伊尹,不仁者遠矣。」(顏淵)
  8. 子夏為莒父宰,問政。子曰:「無欲速,無見小利。欲速,則不達;見小利,則大事不成。」(子路)
  9. 子夏之門人問交於子張。子張曰:「子夏云何?」對曰:「子夏曰:『可者與之,其不可者拒之。』」子張曰:「異乎吾所聞:君子尊賢而容眾,嘉善而矜不能。我之大賢與,於人何所不容?我之不賢與,人將拒我,如之何其拒人也?」(子張)
  10. 子夏曰:「雖小道,必有可觀者焉;致遠恐泥,是以君子不為也。」(子張)
  11. 子夏曰:「日知其所亡,月無忘其所能,可謂好學也已矣。」(子張)
    子夏曰:「博學而篤志,切問而近思,仁在其中矣。」(子張)
  12. 子夏曰:「百工居肆以成其事,君子學以致其道。」(子張)
  13. 子夏曰:「小人之過也必文。」(子張)
  14. 子夏曰:「君子有三變:望之儼然,即之也溫,聽其言也厲。」(子張)
  15. 子夏曰:「君子信而後勞其民,未信則以為厲己也;信而後諫,未信則以為謗己也。」(子張)
  16. 子夏曰:「大德不踰閑,小德出入可也。」(子張)
  17. 子游曰:「子夏之門人小子,當洒掃、應對、進退,則可矣。抑末也,本之則無。如之何?」子夏聞之曰:「噫!言游過矣!君子之道,孰先傳焉?孰後倦焉?譬諸草木,區以別矣。君子之道,焉可誣也?有始有卒者,其惟聖人乎!」(子張)
  18. 子夏曰:「仕而優則學,學而優則仕。」(子張)

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