論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす
原文
有子曰、「禮之用和爲貴、先王之道、斯爲美。小大由之、有所不行、知和而和、不以禮節之、亦不可*行也。」
校訂
武内本
漢石経可の字なし。
→有子曰、「禮之用和爲貴、先王之道、斯爲美。小大由之、有所不行、知和而和、不以禮節之、亦不行也。」
復元白文
貴
※本章は、「貴」が金文以前に遡れない。也の字を断定で用いている。論語の本章は、戦国時代以降の儒者による捏造である。
書き下し
有子曰く、禮の和を用て貴しと爲すは、先王之道にして、斯れを美と爲す。小大之に由るも、行はれざる所有り。和を知り而和すれども、禮を以て之を節さざらば、亦に行はる可からざる也。
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逐語訳
有先生が言った。礼法が調和を重んじるのは、昔の王の定めた道で、それはよい原則である。何事もその原則に従うが、それでは礼法が成り立たない場合がある。調和を知って調和を図っても、礼法で区切りを付けなければ、かえって礼法が盛んにならないのである。
意訳
有若「礼法が調和を重んじるのは、いにしえの聖王のさだめで、喜ばしいことである。何事も調和を重んじて行え。ただし、調和ばかり気にすると、行き詰まることがある。その時は礼法でけじめを付けろ。でないと礼法がダメになる。」
弟弟子「でも礼法は調和を重んじるんですよね、いったいどうすればいいんですか?」
有若「…。」
弟弟子「有先生。その座を降りなさい。そこはあなたの座っていい場所ではありません。」
従来訳
有先生がいわれた。――
「礼は、元来、人間の共同生活に節度を与えるもので、本質的には厳しい性質のものである。しかし、そのはたらきの貴さは、結局のところ、のびのびとした自然的な調和を実現するところにある。古聖の道も、やはりそうした調和を実現したればこそ美しかったのだ。だが、事の大小を問わず、何もかも調和一点張りで行こうとすると、うまく行かないことがある。調和は大切であり、それを忘れてはならないが、礼を以てそれに節度を加えないと、生活にしまりがなくなるのである。」
現代中国での解釈例
有子說:「禮法的運用,以和為貴。這是最美好的傳統,適用於一切事情。但僅知道『和為貴』是不行的,違反禮法而講『和』是絕對不行的。」
有子が言った。「礼法の実践は、仲良きことを重んじる。これは最もうるわしい伝統で、全ての事柄に当てはまる。ただし、仲良しの重視を知りながら実行しない場合に限り、礼法にそむくし、仲良しの重視には絶対にならないのである。」
論語:語釈 →項目を読み飛ばす
有子
(金文)
論語の本章では、孔子の弟子とされる有若のこと。人物についての情報がごく少ない割に、有子=有先生と尊称されている謎の弟子。孔子没後、顔が似ているという理由で一旦後継者に据えられたが、ボンクラがばれて降ろされたとされる。実在そのものに疑いがある。
詳細は論語の人物:有若子有を参照。
禮(礼)
(甲骨文・金文)
論語に言う「礼」とは三つある。
- 作法。
- 社会規範。
- 仁者のスペック。
礼は孔子塾の必須科目(六芸)の一つでありながら、論語の時代では教科書が作れなかったらしく、それらしきものが姿を整えるのは、孔子没後500年ほど過ぎた漢代から。もっとも、それ以前から教科書はあったが、始皇帝の焚書にあって焼かれたと儒者は言っている。
現在では『儀礼』『礼記』『周礼』の三書が伝わっている。だがいずれも論語時代の「礼」ではない。だが孔子の言う礼も、当時の常識からあまりに懸け離れて、もったいぶった作法だった。詳細は論語における「礼」を参照。
用
(金文)
論語の本章では、1.”以”と同義。”…を使って”。2.”~の発現”。
原文「禮之用和爲貴」の「之」は、「犬之尾」のように”…に属するナニナニ”を意味する。この「之」が文のどこまでを支配しているか(漢文業界用語で「管到」)によって、1.か2.かは異なる。
どちらがより妥当かの判断は、本章についてはつき難い。発言者が実在も怪しい有若だからで、本章は後世の儒者によるでっち上げであることはほぼ確実。従って最古の古典としての論語ゆえに、原義に近い方を優先する、という手法が使えない。
最終的な現代日本語訳はほとんど変わらないが、翻訳の際には、この程度の検討は必要。
なお「用」は、『学研漢和大字典』によると会意文字で、「長方形の板+ト印(棒)」で、板に棒で穴をあけ通すことで、つらぬき通すはたらきをいう。転じて、通用の意となり、力や道具の働きを他の面にまで通し使うこと。庸(ヨウ、つき通す、ならす)・通と同系のことば。甬(ヨウ)(つらぬきとおす)とも縁が近い、という。
詳細は論語語釈「用」を参照。
和
(金文)
論語の本章では”調和”。『学研漢和大字典』による原義は禾は粟(アワ)の穂のまるくしなやかにたれたさまを描いた象形文字。窩(カ)(まるい穴)とも縁が近く、かどだたない意を含む。和は「口+(音符)禾(カ)」、という。
詳細は論語語釈「和」を参照。
貴
(金文・戦国時代)
論語の本章では”とうとい”。カールグレン上古音はki̯wəd。同音は存在しない。
この文字は戦国時代のベルトのバックルに描かれたものが初出で、同訓の部品も同訓で音が通じる漢字も、甲骨文・金文共に存在しない。だが本章の語り手は実在そのものが怪しい有若であり、戦国時代の言葉が紛れ込んでも不思議は無い。
詳細は論語語釈「貴」を参照。
先王(センノウ)
(金文)
昔の王。とりわけ聖天子とされる堯や舜や禹、殷の湯王や周の文王・武王を指す。
「堯」「舜」
『大漢和辞典』では次の通り。
文王・武王・湯王はともかく、それ以前の聖天子は歴史学で存在が否定され、後世の創作と確定している。『史記』の記述もこれら神話上の人物については、極めて回りくどく言葉も難解で、いずれラノベを書くのなら、もう少しましな書きようが無かったのかと言いたくなる。
夏禹王・殷湯王
もちろんそうした聖王を創作したのは、『史記』の編者である司馬遷ではないが、聖王を讃える要素の一つである孝行が、文字から見て西周中期よりさかのぼれない事を考えると、周王朝になってから、盛んに聖王伝説を作る必要があったのだろう。要するにハッタリだ。
周文王・周武王
孔子でさえそうした神話を読んで、一体何をやったんだろうといぶかしんだことにされている(論語泰伯篇18など)。これら聖王という妄想に疑問を投げかけたのは、弟子の中では何かと評判が悪いが、頭がよく古代人らしからぬ合理主義を持った、宰我だけだった。
それは有若には及びも付かない思考力だった。
つまり本章の有若は弟弟子を前に、批判や検証が出来ない神話の人物を持ち出して、話にもったいをつけ、内容や論理で諭すのではなく、ハッタリで脅しつけて従わせようとしている。これは後世の儒者もよくやった手で、漢文で「先王の道」と出たら警戒した方がいい。
道
(金文)
論語では多様な意味を持たせており、全てに道徳的・思想的意味が含まれてはいない。多くの場合は”やり方・方法”であって、”人の道”とかいった説教くさい意味ではない。ただし本章は後世の創作であり、漢帝国以降の偽善的解釈が妥当と思われる。
なお「道」の詳細な語釈は、論語語釈「道」を参照。
斯(シ)
(金文)
論語の本章では「これ」「この」と読み、”これ・この”と訳す。
『学研漢和大字典』によると会意。「其(=箕。穀物のごみなどをよりわける四角いあみかご)+斤(おの)」で、刃物で箕(ミ)をばらばらにさくことを示す、という。詳細は論語語釈「斯」を参照。
知
(金文)
論語の本章では”知る”。この漢字は孔子在世当時の金文では「智」と区別せず書かれた。
『学研漢和大字典』によると会意文字で、「矢+口」。矢のようにまっすぐに物事の本質をいい当てることをあらわす。聖は知の語尾がŋに転じたことばで、もと耳も口も正しく、物事を当てる知恵者のこと。また、是(シ)・(ゼ)(まっすぐ)と縁が近い。▽智は、名詞のちえをあらわすが、知で代用する。類義語の認は何ものであるかを見さだめること。識は、物事を区別し見わけること、という。
詳細は論語語釈「知」を参照。
節
(金文・篆書)
論語の本章では”とりしまる”。
『学研漢和大字典』によると「竹+ひざを折った人」で、ひざをふしとして足が区切れるように、一段ずつ区切れる竹のふし、という。詳細は論語語釈「節」を参照。
也
論語の本章では、”…である”という断定。詠嘆と取れないことも無いが、発言者が架空の人物であるため断定と解した。詳細は論語語釈「也」を参照。
論語:解説・付記
論語には孔子の言葉ではない章が少なからずあるが、とりわけ有若と曽子の言葉にはハッタリが多く、現代的な価値がほとんど無い。礼が和をもたらすと言っておきながら、和も行きすぎるとダメという。それはいいとして、その矯正はまた礼にもどれというのでは、循環論理だ。
古代中国文明を、他の文明圏と比較すると、論理的思考がはなはだ苦手であることに気付く。第一に言葉の定義が曖昧で、第二に逆・裏・対偶の区別が無く、似たような話ならそれは同じ、とごちゃ混ぜにして済ませている。
これは有若だけの話ではなく、孔子にも多分にその傾向があり、後世の儒者たちも同じだった。それどころか現代の漢学者も同様で、学界の重鎮と言われ東大の主任教授を務めたある学者の代表著作を読んで、数Ⅰ程度の論理も吹き飛ばしているのに仰天したことがある。
無理も無いことで、戦後すぐまで東大も文学部は事実上無試験だったから、この手の論理に怪しげな人が、時運に乗ると文学博士・東大教授になってしまった。その結果漢学界では、論文の「論拠は地位」がまかり通ったので、学説はよくよく眉につばを付けて吟味せねばならない。
なお論語の本章について、上掲、現代中国での解釈は、何を言っているのだろうか。
これはつまり、知っていることを実行しなければ何にもならない、と言っている。「先王之道」とかいう曖昧模糊とした概念をつまみ出している点は合理的と言ってよく、それは同時に、君主制を廃し科学を名乗る共産主義独裁政権下での解釈に、まことにふさわしい。
これはあるいは、「知行合一」(分かっているならさっさとやれ。やらないのは出来ない・知らないのと同じだ)を主張した、明の王陽明の解釈を引き継ぐものかも知れないが、今はその典拠を見つけられない。少なくとも朱子の書いた新注までは、知行合一的に解釈していない。
〔和が貴いという〕文の前半を受けて、このように「それでは行われない場合がある」と言っているのは、無駄に和を尊んでそればかり気にし、礼法でけじめを付けないでいると、とりもなおさず礼法本来の意義が失われ、ちゃらんぽらんになってしまい、何の役にも立たなくなってしまう、という意味だ。(『論語集注』)
論理的思考が極めて苦手な中国人も、さすがに近代文明の猛威に晒されると考えを改めた者がいて、数理に近づいた合理的判断が公式に認められるようになった。それゆえ歴代の国家主席は、もと軍人でなければ技師の経験者で、若い頃ダムの一つも造ってから政界入りしている。
だから食うや食わずの時代にもかかわらず、自前で核兵器を造る程度の技術力を持てたのだが、個別に合理的な人はいくらでもいても、総体としては福禄寿(子だくさん・カネ・長寿と健康)によだれを垂らして、バッタの大群の如く数理合理を揉み潰してしまう。
他国をどうこう言えるほど日本人としての訳者も立派ではないが、中国という対象はあまりに巨大でかつ古く、一面だけ見るとまるで見誤ることになる。訳者は漢文を通じてそれを知ったが、普通には中国ビジネスで失敗した人でないと、それを分からないのかもしれない。