論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす
原文
子張問曰、「令尹子文、三仕爲令尹、無喜色。三已之、無慍色。舊令尹之政、必以吿新令尹。何如*。」子曰、「忠矣。」曰、「仁矣乎。」曰、「未知、焉得仁。」「崔子弒齊君、陳文子有馬十乘、棄*而違之、至於他邦則*曰、『猶吾大夫崔子也。』違之。之*一邦則又曰、『猶吾大夫崔子也。』違之。何如。」子曰、「淸矣。」曰、「仁矣乎。」曰、「未知、焉得仁。」
校訂
武内本
清家本により如の下に也の字を補う。則の下に又の字を補う。棄、唐石経弃に作る。至、唐石経之に作る。
定州竹簡論語
子張問曰:97……違之。至於也國a,則曰,『猶吾大夫□子也。』違之。之一98……□曰:『猶吾大夫□子也。』違之。何如?」子曰:「□矣。」曰:99……
- 也國、今本作「他邦」。古文也与它字形近、『説文』無「他」字、有它、佗。佗可隷変為他、古文多作它。
→子張問曰、「令尹子文、三仕爲令尹、無喜色。三已之、無慍色。舊令尹之政、必以吿新令尹。何如。」子曰、「忠矣。」曰、「仁矣乎。」曰、「未知、焉得仁。」「崔子弒齊君、陳文子有馬十乘、棄而違之、至於也邦則曰、『猶吾大夫崔子也。』違之。之一邦則又曰、『猶吾大夫崔子也。』違之。何如。」子曰、「淸矣。」曰、「仁矣乎。」曰、「未知、焉得仁。」
復元白文
弒
※張→(金文大篆)・仕→事・忠→中・矣→已・仁→(甲骨文)・焉→安・崔→(金文大篆)。論語の本章は赤字が論語の時代に存在しない。本章は漢帝国の儒者による捏造である。
書き下し
子張問ふて曰く、令尹子文は、三たび仕へて令尹と爲りしも、喜ぶ色無く、三たび之を已められしも、慍む色無く、舊令尹之政は、必ず以て新令尹に吿ぐ。如何と。子曰く、忠矣。曰く、仁矣乎。曰く、未だ知ならず、焉んぞ仁を得む。崔子齊の君を弑す。陳文子馬十乘有るも、棄て而之を違る。也邦於至れば則ち曰く、猶ほ吾が大夫崔子のごとき也と、之を違る。一邦に之けば則ち又曰く、猶ほ吾が大夫崔子のごとき也と、之を違る。如何。子曰く、淸矣。曰く、仁矣乎。曰く、未だ知ならず、焉んぞ仁を得むと。
論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす
逐語訳
子張が質問して言った。「令尹の子文は、三度令尹に任じられても喜ばず、三度免職されても怒らず、それまでの令尹の仕事を新令尹に引き継ぎました。どうでしょう」。先生が言った。「正直者だ」。「貴族らしいと言えますか?」「知者ではないから貴族らしくない」。「崔子が斉の国君を殺した際、陳文子は馬車十台分の馬を飼っていましたがそれを捨てて国を出ました。ある外国に行けば”やはり我が国の崔子のような者がいる”と言って出国しました。別の国に行けば”やはり我が国の崔子のような者がいる”と言って出国しました。どうでしょう」。「潔癖症だな」。「貴族らしいと言えますか?」「知者ではないから貴族らしくない」。
意訳
子張「楚の宰相だった子文は、三度職についてそのたび首になりましたが、喜びも怒りもしませんでした。仕事の引き継ぎはちゃんとしました。どうでしょう?」
孔子「正直者だ。」
「立派な貴族と言えますか?」「頭が悪い。貴族としては失格だ。」
「斉の家老崔子が国君を殺した時、陳文子は財産を放り出して亡命しました。逃げ先で”ここにも崔みたいな奴が!”と言って次々逃亡しました。どうでしょう?」
「潔癖にもほどがある。」
「立派な貴族と言えますか?」「頭が悪い。貴族としては失格だ。」
従来訳
子張が先師にたずねた。――
「子文は三度令尹の職にあげられましたが、べつにうれしそうな顔もせず、三度その職をやめられましたが、べつに不平そうな顔もしなかったそうです。そして、やめる時には、気持よく政務を新任の令尹に引きついだということです。こういう人を先生はどうお考えでございましょうか。」
先師はいわれた。――
「忠実な人だ。」
子張がたずねた。――
「仁者だとは申されますまいか。」
先師がこたえられた。――
「どうかわからないが、それだけきいただけでは仁者だとは断言出来ない。
子張が更にたずねた。――――
「崔子が斉の荘公を弑したときに、陳文子は馬十乗もあるほどの大財産を捨てて国を去りました。ところが、他の国に行って見ると、そこの大夫もよろしくないので、『ここにも崔子と同様の大夫がいる。』といって、またそこを去りました。それから更に他の国に行きましたが、そこでも、やはり同じようなことをいって、去ったというのです。かような人物はいかがでしょう。」
先師がこたえられた。――
「純潔な人だ。」
子張がたずねた。――
「仁者だとは申されますまいか。」
先師がいわれた。――
「どうかわからないが、それだけきいただけでは、仁者だとは断言出来ない。」
現代中国での解釈例
子張問:「子文三次做宰相時,沒感到高興;三次被罷免時,沒感到委屈。卸任前,總是認真地辦理交接事宜,怎樣?」孔子說:「算忠心了。」問:「算仁嗎?」答:「不知道,哪來仁?」又問:「崔子殺了齊莊公,陳文子拋棄家產跑了。到了另一國,他說:『這裏的大夫同崔子一樣。』又跑了。再到一國,再說:『他們同崔子一樣。』再跑了。怎樣?」孔子說:「算清白了。」問:「算仁嗎?」答:「不知道,哪來仁?」
子張が問うた。「子文は三度宰相になったとき、喜びを感じませんでしたし、三度クビになったとき、落ち込みを感じませんでした。免職の前、いずれもまじめに引き継ぎの事務を処理しました。どうでしょう?」孔子が言った。「忠義者に数えていいな。」問うた。「仁者に数えていいですか?」答えた。「知らぬ。どうして仁だ?」また問うた。「崔子は斉の荘公を殺し、陳文子は家産を放り出して逃げました。外国の一つに至ると、彼は言いました。”ここの家老も崔子と同じだ。”また逃げました。さらに外国の一つに至ると、また言いました。”彼らも崔子と同じだ。”また逃げました。どうでしょう?」孔子が言った。「潔癖者に数えてよい。」問うた。「仁者ですか?」答えた。「知らぬ。どうして仁だ?」
論語:語釈 →項目を読み飛ばす
子 張 問 曰、「令 尹 子 文、三 仕 爲 令 尹、無 喜 色。三 已 之、無 慍 色。舊 令 尹 之 政、必 以 吿 新 令 尹 。何 如。」子 曰、「忠 矣。」曰、「仁 矣 乎。」曰、「未 知、焉 得 仁。」「 崔 子 弒 齊 君、陳 文 子 有 馬 十 乘、棄 而 違 之、至 於 他 邦、則 曰、『猶 吾 大 夫 崔 子 也。』違 之、之 一 邦、則 又 曰、『猶 吾 大 夫 崔 子 也。』違 之。何 如。」子 曰、「 淸 矣。」曰、「仁 矣 乎。」曰、「未 知、焉 得 仁。」
子張
「張」(金文大篆)
孔子の弟子。「何事もやりすぎ」と評された。張の字は論語の時代に存在しないが、固有名詞なので偽造と断定できない。詳細は論語の人物・子張参照。
令尹(レイイン)
(金文)
論語では、南方の大国・楚の宰相。「尹」は『学研漢和大字典』によると会意文字で、「┃(上下をつらぬく)+又(て)」で、上下の間を疎通しうまく調和することを示す。▽君の字は尹を含み、世を調和させておさめる人のこと。均(キン)・鴨(イン)(調和する)と同系のことば、という。
子文
(金文)
生没年未詳。孔子より約100年以上前に活躍した人。姓は芈、闘穀於菟とも呼ばれる。捨て子になった所を虎に育てられたという伝説がある。自家を省みずに楚国を助けたと言われる。
忠
この文字は戦国時代にならないと現れない。論語の時代、「中」と書いた可能性はあるが、その場合の語義は”まごころ・正直”。詳細は論語語釈「忠」を参照。
仁
(金文大篆)
論語の本章では、後世の創作が確定していることから、”なさけ・憐れみ”と解したい所だが、それでは文意がはっきりしない。孔子生前の意味、”理想の貴族(らしさ)”。詳細は論語における「仁」を参照。
崔子(サイシ)
「崔」(金文大篆)・「子」(金文)
?ーBC546。斉の大夫、崔抒。妻を国君の荘公に寝取られたため、荘公を殺した。その後専権をふるった。
(荘公)六年(BC548)、棠公の妻は美貌で知られていた。棠公が死んだので、崔杼が娶った。ところが荘公がこの女と密通し、たびたび崔杼の屋敷に行き、留守の間にくすねた崔杼の冠を人にやった。侍従は「いけません」と諌めた。当然、崔杼は怒った。
五月…崔杼は病気だと言って、政治を執らなくなった。乙亥、荘公が崔杼の見舞いに来たが、そこで崔杼の妻を追いかけ回した。崔杼の妻は居間に逃げ、崔杼と共に戸を閉じて出てこなかった。
荘公は柱を抱いて歌った。…崔杼の家臣が武器を持ち、居間から出てきた。荘公は台に登って、解き放つよう願ったが、家臣は許さなかった。崔杼と約束したいと願ったが、許さなかった。斉国の祖先祭殿で自殺したいと願ったが、許さなかった。
崔杼の家臣は口を揃えて言った。「殿の家臣、崔杼は病気で、その命令を聞くことが出来ません。ここは斉国の宮殿にも近いので、我らは夜警に立っていました。間男を見つけたら殺せと崔杼に命じられています。その他の命令は聞きません。」
荘公は屋敷の外壁を飛び越えたが、家臣の射た矢が股に当たった。荘公は転げ落ち、とうとう殺されてしまった。(『史記』斉世家)
崔の字は論語の時代に存在しないが、固有名詞なので偽造と断定できない。
弒
論語の本章では”(主君を)殺す”。この文字の初出は後漢の『説文解字』で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はɕi̯əɡ。同音の「試」が仮借義で通用し、戦国文字からある。更にその部品「式」ɕi̯ək(入)は戦国文字からあり、”もちいる”の意で「試と同じ」と『大漢和辞典』は言う。詳細は論語語釈「弑」を参照。
陳文子
(金文)
論語では、孔子が幼い頃活動した斉の大夫、陳須無。
猶(ユウ)
論語の本章では、”やはり~のような”。「なお~のごとし」と読む再読文字の一つ。詳細は論語語釈「猶」を参照。
他
論語の本章では”ほかの”。この文字の初出は後漢の『説文解字』で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はtʰɑで、同音の它に”ほか”の意があり、甲骨文から存在する。詳細は論語語釈「他」を参照。
論語:解説・付記
おおざっぱな傾向として、論語の章の中でも長い文は、後世の偽造である可能性が高い。本章もその一つ。
なお既存の論語本では吉川本に、「未知焉得仁」の解釈として数説を挙げ、「よみ方が、一定しない」とある。一つが「いまだ知ならず、いずくんぞ仁を得ん」(知ではないから仁でない)で、もう一つが「いまだいずくにか仁を得るを知らず」(なぜ仁なのかわからない)という。
これは仁-礼-知の関係を知っていれば明白で、「いまだ知ならず、いずくんぞ仁を得ん」が正解。仁の概念規定が礼なのだから、礼を「知」っていなければ仁であり得ようはずが無い。令尹子文も陳文子も、孔子のコスプレ大会に参加できる同好の士ではないのである。
なお上記の検証に拘わらず、子張がこうした質問を孔子に質した可能性はある。長い年月の間に、言葉が書き換わってしまった可能性もあるからだ。この場合「仁」の意味は孟子がなすりつけた道徳的意味合いから自由で、単に”理想の貴族らしさ”だから、文意ははっきりする。
その正体がよくわからないまま、つまり知りもしないのに、仁者だ仁者だと言葉を振り回すから、漢学教授を始めとするたいていの論語業者は、黒魔術に陥らざるを得ないのである。