論語詳解265先進篇第十一(12)閔子騫側に侍る

論語先進篇(12)要約:顔回の葬儀には、他国など遠方で忙しく働いていた弟子たちも駆けつけました。そうした弟子たちの語らいが、久しぶりに戻った孔子塾。それをぼんやりと眺める先生は、まだ自分には彼らがいる、と思ったのでした。

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論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

閔子騫*侍側、誾誾如也。子路行行如也。冉有、子貢侃侃如也。子樂*。「若由也、不得其死然。」

校訂

武内本:閔子の下に騫の字を補う(本ページこれに従う)。清家本により、樂の下に曰の字を補う。子樂曰、文選注引樂字なく、唐石経は曰字なし。此本(=清家本)樂曰両字を存す樂の字恐らく衍。

書き下し

びん子騫しけんかたはらはべる、誾誾如ぎんぎんじよたり子路しろ行行如かうかうじよたり冉有ぜんいう子貢しこう侃侃如かんかんじよたりたのしむ。いうごと死然しぜんざらむ。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 閔子騫 論語 子路
閔子騫(ビン・シケン)が孔子のそばに居た。穏やかな雰囲気だった。子路はいかつい雰囲気だった。

論語 冉求 冉有 論語 子貢
ゼン子貢は元気のよい雰囲気だった。先生はその風景を楽しんだ。「由(子路)は普通の死に方が出来ないだろう。」

意訳

顔回の葬儀を終えて。古参の弟子たちが私のそば近くにいた。

閔子騫は穏やかだ。子路はいつも通り出しゃばっていかつい。冉有と子貢は互いに、ああ言えばこう言うではきはきと議論している。私にはまだ、この者達が居る…。

論語 孔子 ぼんやり 論語 子路
「おい子路や。」「はい?」「もそっと穏やかになれんか。ろくな死に方をしないぞ。」

従来訳

論語 下村湖人

閔(びん)先生は物やわらかな態度で、子路はごつごつした態度で、冉有と子貢とはしゃんとした態度で、先師のおそばにいた。先師はうれしそうにしていられたが、ふと顔をくもらせていわれた。
「由ゆうのような気性だと、畳の上では死ねないかも知れないね。」

下村湖人『現代訳論語』

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

閔(ビン)子

論語 閔 金文大篆 論語 子 金文
(金文)

論語の本章では孔子の弟子、閔損子騫

直訳すれば確かに従来訳の通り”閔先生”だが、これは「騫」の脱字と思われる。二文字でも敬称には違いないが、他の三人も、本名ではなくあざなで呼ばれているのだから。日本の清家本と中国の唐刻石を比較した武内本では、「閔子騫」となっており、特に異同を記していない。

『学研漢和大字典』によると「閔」は会意兼形声文字で、門の系列の語は、すきまを閉じて、中が見えないようにするという基本義を含むとともに、そのわからないものをむりにききだす、つまり「問」「聞」という基本義もあわせ含む。

閔は「門+(音符)文(こまやか)」で、不幸な者に対してこまやかに弔問するのが原義。あわれむという意は、その派生義である。問(モン)(わからないことを口でたずねる)と同系のことば、という。

誾誾(ギンギン)如

論語 誾 金文 論語 誾
「誾」(金文)

論語の本章では、”おだやかなさま”。『学研漢和大字典』による原義は、かたよらないさま。武内本は「謹敬の貌」というが、漢字の語義から外れる。

行行如

論語 行 甲骨文 論語 行 金文
「行」(甲骨文・金文)

論語の本章では”剛強なさま”。武内本は「行行は外字 コウ おごる外字 コウ おごるの仮借にて倨傲の貌」と、html泣かせのことを言う。外字 コウ おごるはおそらく𡕧の異体字で”おごる”こと。

いかついことと伝統的に解する。「行」一字で”強い”の意味があるからだが、日本語の「行け行けどんどん」のようなさまを言うのだろうか。

『学研漢和大字典』『字通』によると「行」とはもと十字路のことであり、『字通』では十字路は遠くにまで通じることから、呪いを掛けるには効果的な場所でもあって、呪術関係の言葉に用いられる場合が多い、という。詳細は論語語釈「行」を参照。

侃侃(カンカン)如

論語 侃 金文 論語 侃
「侃」(金文)

論語の本章では、”元気よく論じるさま”。「侃々ガク々」の「侃」。武内本は「衎衎の仮借、和楽の貌」というが、漢字の原義からは離れている。

『学研漢和大字典』による原義は、川の流れのように力強くひるまぬさま。「誾」とともに「論語詳解237郷党篇第十(2)朝にて下大夫と」で孔子の様子として既出。

不得其死然

論語 死 金文 論語 然 金文大篆
「死然」(金文)

論語の本章では”然るべき死を得ないこと”、と解したが文法的には苦しい訳。「死然」とは”死に様”であり、どのようなそれかは孔子は一言も言っていない。

武内本は「然は焉と同音仮借」という。「死焉」は「死にり・死におわんぬ」と読み下せば”~てしまった”の意だが、「然」と同じく形容詞につける助詞ならば、状態をあらわす。

どのような状態か、「お前は妙な風に死んじまえ」と孔子が思うはずはないから、文脈から意訳のように解した。しかし孔子の願い空しく、子路は翌年、不慮の死を遂げることになる。

BC 魯哀公 孔子 魯国
482 13 70 息子の鯉、死去  
481 14 71 斉を攻めよと哀公に進言、容れられず。弟子の顔回死去 孟懿子死去。麒麟が捕らわれる
480 15 72 弟子の子路死去

子服景伯と子貢を斉に遣使

479 16 73 死去。西暦推定日付3/4。曲阜城北の泗水シスイ河畔に葬られる  

『学研漢和大字典』によると「然」は会意文字で、猒は、犬の脂肪肉を示す会意文字。然は「猒の略体+火」で、脂(アブラ)の肉を火でもやすことを示す。燃の原字で、難(自然発火した火災)と同系。のち、然を指示詞ゼン・ネンに当て、それ・その・そのとおりなどの意をあらわすようになった。

そのため、燃という字でその原義(もえる)をあらわすようになった。▽熱(ネツ)niat→niɛtは、然の語尾のnがtに転じたことば、という。

論語:解説・付記

論語の本章について、顔回が死去した時、子路は衛国で仕えていたはずだし、冉求は季氏の執事、子貢は魯国の外交官として飛び回っていた最中。皆忙しい中、顔回の死を聞いて会葬に集まってきたのである。葬儀がひとまず終わって、みな孔子の前で語り合っていたのだろう。

日本ならお茶とか寿司とかつまんでいるよくある風景だが、『茶経』など茶書を読む限り、論語時代、おそらく茶はまだなく、煎茶はなおさらである。ただ似たような植物由来の飲料はあっただろう。

なお論語の本章で予言めいたことを孔子が子路について言っているのは、『春秋左氏伝』に予言めいた言葉を誰かが言い、それがあったったとする記述が多いのと共通する。もっとも孔子はこの時精神的に弱っており、一番気の置けない子路に甘えてからかっただけだろう。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回す。覚悟致せ。

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