論語詳解270先進篇第十一(17)柴や愚なり°

論語先進篇(17)要約:孔子先生は、油断のならない人物評論家でもあります。それは弟子に対しても同じで、バカはバカ、アホウはアホウとはっきり言う人でした。のちに神格化された曽子も、先生から見ればウスノロだったわけで…。

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論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

柴也愚、參也魯、師也辟、由也喭。

校訂

武内本

清家本により、下二句を師辟也、由喭也に作る。唐石経下二句師也辟、由也喭に作る。

定州竹簡論語

柴 外字a也愚],參也魯,師也辟b,由[也]獻c。孔子[曰:「回也其庶乎],282

  1. 外字、今本作”柴”。
  2. 辟、皇本、高麗本作”僻”。
  3. 獻、今本作”喭”。音近。

※獻カールグレン上古音xi̯ăn(去)、喭ŋan(去)。これで「音近」と言っていいのだろうか。


外字也愚、參也魯、師也辟、由也獻。

復元白文

柴 金文也 金文禺 愚 金文 参 金文也 金文魯 金文 師 金文也 金文論語 辟 金文 由 金文也 金文論語 献 金文

外字→戦国末期金文「柴」。

書き下し

外字さいなり、しんなり、へきなり、いうけんなり。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

高柴(子羔)は愚かで、参(曽子)は魯鈍で、師(子張)は癖が強く、由(子路)はいかつい。

意訳

論語 孔子 不愉快
子羔はバカ。曽子はうすのろ。子張は暑苦しい。子路はとげとげしい。

従来訳

論語 下村湖人

先師がいわれた。――
「柴は愚かで、参はのろい。師はお上手で、由はがさつだ。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

高柴愚笨,曾參遲鈍,顓孫師偏激,仲由莽撞。

中国哲学書電子化計画

高柴は馬鹿。曽参は愚鈍。顓孫師は過激。仲由は向こう見ず。

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

高柴(コウサイ)→高外字

論語 柴 金文大篆 論語 高柴子羔
「柴」(金文大篆)

孔子の弟子の一人。あざ名は子コウ

どうも子路付きの弟弟子だったらしく、子路が推薦して季氏の根拠地・費邑の代官にしてやった話が論語先進篇のこのあとで出て来るし、子路が衛国に仕えた際も伴って、同じく衛国に仕えた記録が『史記』の弟子列伝にある。

衛国の内乱に際し子羔は子路に脱出を勧めたが、子路はそれを聞かず討ち死にしてしまった。

子路が公宮に入ろうとすると、弟弟子の子羔(シコウ)が門から出てきたのに出会った。子羔は「門はすでに閉じています」と言ったが、子路は「まあとにかく行ってみよう」と言った。子羔は「無理です。わざわざ危ない目に遭うことはありません」と言ったが、子羔は引き止められずに公宮から出て、子路は入って門前に立った。

公孫敢が門を閉ざして「入るな」と言うと、子路は「公孫どの、貴殿は利益に目が眩んで逃げたな。拙者はそうではない、俸禄分は主君の危険を救うつもりでござる」と言った。たまたま外に出る使者があったので、入れ替わりに子路は門を入った。そこで大声で叫んだ。

「太子どの、孔悝(コウカイ)どのは役立たずですぞ。殺しても代わりはいくらでもござる。それにしても太子どのは昔から臆病でござった。孔悝どのを放しなされ。さもないと下からこの見晴らし台に火を付けますぞ。」

太子は震え上がって、石乞・孟黶(ウエン)を台から降りさせて子路と戦わせた。戈で子路を撃ったところ、子路の冠の紐が切れた。子路は「君子は死んでも冠を脱がないものでござる」と言って、紐を結び直している内に殺された。(『史記』衛世家)

「柴」は論語では本章のみに登場。初出は戦国末期の金文。論語の時代に存在しない。

定州竹簡論語の記す外字の字は『大漢和辞典』にもなく、音訓、初出、上古音ともに不明。人+夫の旁も見つからない。中国語のサイトでは、梌(待)と記している所があるが、文物出版社の冊子版とは違う字で、そのように書き換える根拠も書いていない。

結局、「柴」の異体字として扱うしかない。詳細は論語語釈「柴」を参照。

論語の本章では”…こそ・まったく…”。文頭の主語・副詞を強調する意を示す。春秋時代以前からある古い用法。詳細は論語語釈「也」を参照。

論語 愚 金文 論語 猿 愚
(金文)

論語の本章では文字通り”愚か”・”バカ”。『学研漢和大字典』による原義は、ものまねをするサル+心。詳細は論語語釈「愚」を参照。

論語 魯 金文 論語 曽子 ウスノロ
(金文)

論語の本章では、”のろま・まぬけ・うすのろ”。一説には、水から飛び出して地に落ち、日に照らされ干からびる愚かな魚のことと言う。そのウスノロ曽子が孔子没後からぐんぐん出世して、後には神格化されるに至った経緯については、論語人物図鑑を参照。

『学研漢和大字典』によると会意文字で、「魚(にぶい動物の代表)+曰(ものいう)」。言行が魚のように大まかで間ぬけであること、という。ただし孔子の故国・魯が、なぜにこんな名を名乗ったのかは、藤堂先生の解説ではよく分からない。

論語 魯 甲骨文
(甲骨文)

『字通』によると「魚+曰」で、曰(エツ)は祝詞を収める器。祖先の霊に魚を供え、祈禱を行う姿という。金文時代には”よろしいこと・めでたいこと”の意がまだあったという。それがウスノロの意味に転じたのは、魯に”素朴”の意味があり、そこから転用されたと推定している。詳細は論語語釈「魯」を参照。

すると論語の時代、魯は純朴で素直な者、を意味した可能性もあるが、論語の本章は悪口のオンパレードで、曽子だけを持ち上げたとは考えにくい。それともあれだろうか、日本語で言う”おめでたい奴”の意なのだろうか。

辟(ヘキ)

論語 辟 金文 論語 子張 偏っている
(金文)

論語の本章では、”癖(がつよい)”。片寄っている。『学研漢和大字典』では本章を引き、音が似通った「僻・避」に当てた用法という。詳細は論語語釈「辟」を参照。

喭(ガン)→獻

論語 未発掘 論語 子路 言わいでか

論語の本章では”いかつい”。

「喭」は論語では本章のみに登場。大変珍しい字で、甲骨文はおろか、論語時代の金文・竹簡文、字書による古書体、戦国時代の文字でも発掘されていない。始皇帝によって統一された篆書にもない。他に用例もなく、古来さまざまな議論がある。

『大漢和辞典』は”とむらう・取り乱す・礼を失う”と言い、”微笑むさま”ともあってワケが分からない。論語本では吉川本に、”不作法・はったり・暴れ回る”という。”はったり・暴れ回る”は子路にふさわしいように思えるが、儒者による子路筋肉ダルマ説から引き出された語義と思われるから、荷担するのは気が向かない。

定州竹簡論語の改訂により、後漢の儒者によって書き換えられたのはほぼ確実で、子路をおとしめるために敢えて造字された可能性もある。

『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、「口+(音符)彦(かどばってはっきりした顔)」、という。語義は論語の本章を引いて、いかつい。かどだってまるみがない、という。他に動詞として、改まって悔やみをいう。改まったあいさつ、という。詳細は論語語釈「喭」を参照。

獻(献)も論語では本章のみに登場。『大漢和辞典』に”威厳がある”の語釈を載せる。詳細は論語語釈「献」を参照。

論語:解説・付記

ここに見えるように、孔子は弟子に対しても油断のならない批評家だった。ただし子貢が同じように人物評をすると、「お前は偉いんだな」といったイヤな表現でたしなめたことが、論語憲問篇31に見える。また定州竹簡論語から、本章は次章と続きで記されていたと分かる。

次章が漢代の捏造であることから、本章も漢代の捏造である可能性がある。

以下、外字の字の余談として。中国語サイトが梌の字と記し、(待)とかっこ付きでつけ加えているが、おそらくは本字のフォントが存在しないか、見つからないため、代用で記したと思われる。梌は大漢和辞典によると漢音はト・タ・ユ、カールグレン上古音はdʰo(平)。トと読んでヒサギという木の名、あるいはカエデ、あるいはするどい、タ・ユと読んでトゲのある木。

語釈は国学大師サイトもさして変わらない。梌の字への改変がそもそも無根拠なのだが、待dʰəg(上)を付加するに至っては完全にデタラメである。過去の中国儒者のデタラメは何度も本サイトで取りあげたが、現在の中国人もいかにデタラメな連中か、よく分かるというものだ。

ただし、なにせ10億人以上もいることから、中にはまじめに・原文に忠実であろうとする人がいる。しかしそれは珍無類と心得るべきで、古典を扱うサイトの書き手が、今回のように怠惰で自己中であるのはむしろ普通と言っていい。それは日本の漢学教授と変わらない。

その例外である藤堂博士の漢字学では、「単語家族」という概念を用いる。それによると∧型は、”かどだてて区切る・きりたつ”の意があるとされる。通常、全・会などの部首は「人」と解されるが、外字の旁を”ひと”に関わるものだとするなら、「柴」とは全く関係なくなる。

むしろその方が解釈は楽で、「夫」は藤堂説では「父」や「伯」と同じ、年長の男、成人した男を言う。部首との意味上のつながりはありそうも無いから、「夫」と同音や近音の、なにがしかの樹木や木製品という事になるだろう。

だが∧型と考え、「夫」を無視するなら、柴は一定の長さに切りそろえた細枝の束を言うから、「柴」の異体字と強弁できなくはない。だが以上は、やはり趣味の範囲のお遊びと諸賢には心得て頂きたい。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。もし長生きしたいなら、悪いことはせぬものだ。それでもやるなら、覚悟致せ。

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