論語詳解237郷党篇第十(2)朝にて下大夫と

論語郷党篇(2)要約:場所によって態度を変える孔子先生は、朝廷でもそれは同じでした。ただし、言うべき事ははっきり言いました。そしてどの場でも気を付けたことは、場の雰囲気をとげとげしくしないことでした。

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原文

朝與下大夫言、侃侃如也。與上大夫言、誾誾如也。君在、踧踖如也、與與如也。

書き下し

てうにて下大夫かたいふ”へば、侃侃如かんかんじよたり上大夫じやうたいふへば、誾誾如ぎんぎんじよたりきみいまさば、踧踖如しゆくせきじよたり與與如よよじよたり

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 孔子 肖像
朝廷で下級家老と話す時は、ずけずけとはっきりものを言った。上級家老と話す時は、穏やかに喜びながらものを言った。殿様がお出での時は、うやうやしく敬うように、威儀を整えて振る舞った。

意訳

同上

従来訳

論語 下村湖人

朝廷で、下大夫とは、心置きなく率直に意見を交換され、上大夫に対しては、おだやかに、しかも正確に所信を述べられる。そして国君がお出ましの時には、恭敬の念をおのずから形にあらわされるが、それでいて、固くなられることがない。

下村湖人『現代訳論語』

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

論語 朝 金文
(金文)

論語の本章では、”朝廷”。

下大夫

論語 下 金文 論語 大 金文 論語 夫 金文
(金文)

論語の本章では”孔子より目下の家老”。「大夫」は春秋諸国の家老階級を意味する。

上大夫

論語 上 金文 論語 大 金文 論語 夫 金文
(金文)

論語の本章では、”孔子より目上の家老”。さらに上の大老階級をさらに上の大老階級を「卿」と言う。

侃侃(カンカン)如

論語 侃 金文 論語 水の循環 侃
「侃」(金文)

論語の本章では、”強くはっきりとしたさま”。武内本は「衎衎の仮借、和楽の貌」という。”のびのびする”からその意にはなるが、漢字の原義からは離れている。

『学研漢和大字典』によると会意文字で、信は、のびのびするの意。侃は「信の字の異体字㐰(イ+囗)+川」で、川の流れのように堂々とのびて、ひるまぬ意味をあらわした。強悍(キョウカン)の悍・剛健の健と同系のことば、という。

誾誾(ギンギン)如:

論語 誾 金文 論語 バランス 誾
(金文)

論語の本章では、”とげとげしくならないよう議論するさま”。武内本は「訢訢の仮借、謹敬の貌」というが、漢字学の立場から、下記藤堂説に従った。

『学研漢和大字典』によると会意文字で、「言+門」、という。また論語の本章を例に挙げて、「誾誾(ギンギン)」とは、一方にかたよらず正当なさま。また、おだやかに是非を論じるさま、という。

踧踖(シュクセキ)如

論語 踧 古文 論語 踖 古文
(古文)

論語の本章では、”恭しく敬うさま”。武内本は「恭敬の貌」という。

『学研漢和大字典』によると「踧」は会意兼形声文字で、「足+(音符)叔(シュク)(小さくちぢまる)」、という。

「踖」は会意兼形声文字で、「足+(音符)昔(セキ)(しきかさねる)」、という。

「踧踖」で、身をちぢめてつつしむさま、という。

與(与)與(ヨヨ)如

論語 與 与 金文 論語 小麦
「与」(金文)

論語の本章では、”威儀を整えるさま”。一説に、落ち着いたさま。武内本はこの説で、「安舒の貌」という。

『学研漢和大字典』によると「与与」については以下の通り。

  1. 作物がいっしょに群れ茂っているさま。「我黍与与=我が黍与与たり」〔詩経・小雅・楚茨〕
  2. ゆったりと落ち着いているさま。また、威儀を整えて歩くさま。《同義語》予予。「与与如也」〔論語・郷党〕
  3. いったり来たりするさま。〔漢書・揚雄〕

論語:解説・付記

論語 孔子 黙る
論語の前章で、孔子が帰郷すると年上の前では黙っていた、というけしきは、論語を読む限り実に饒舌な孔子とは別人のような思いがする。要するに孔子は、相手との身分や立場関係を読み取り、相手が上だと黙っていたのだ。そしてそれこそが、仁者へと至る道=礼だと考えた。

現代的感覚から言うと、上にへつらい下に威張る、まことにイヤな奴のように思うが、論語時代は厳しい身分差別があったことを思うと、妥当な生き方ではあるだろう。本章もまたそれを示すもので、立ち居振る舞いは身分秩序に従うことが、奥ゆかしいと孔子は考えた。

論語 電車 マナー
現代でも特定の世代に、誰にでも偉そうな口を利く者を見かけるが、偉そうにされたら頭に来るし、はたから見てもそのような者が立派で利口者には到底思えない。その場での自分の立ち位置を正確に読み取ることは智力の働きで、その能が欠けているのだと見なされるからだ。

まして孔子にとっての礼とは、理想的人間像の詳細なスペックだから、礼儀作法の点でも完璧な超人でなければならない。しかし礼とは決まった条文が書かれた書物ではなく、孔子の脳内に蓄えられた理想像だから、その定義は時によってブレがある。その影響が本章にある。

というのは「…如」の多用。”…のような”という擬態語で、絵に描いて見られない性格の言葉。「ツーッと行ってパッと止まれ」と江戸っ子が言うのは落語ではすがすがしいが、擬態語しか言えないのは語彙力に不足があるからで、八っつあん熊さんにふさわしい言葉。

ところが同時代きっての知識人である孔子、の弟子は、本章の内容をそう表現するしか無かった。極めてあいまいな基準であり、当意即妙・臨機応変の才がないと、とうていやりこなすことはできない。この郷党篇を書いた弟子も、その才が無かったからこそ本篇を編んだ。

孔子在世当時からしばらくは、礼とは曖昧なものだったのだ。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。未だ人を斬ったことが無い。刀(登録証付)の手入れは毎日している。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回す。覚悟致せ。
斬首
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