論語詳解246A郷党篇第十(11)人を他邦に*

論語郷党篇(11)要約:君子の作法では、使者を遠くに遣わす際は、拝んで丁重に見送りました。それは派遣先を敬い、交渉の成功を願い、なにより使者自身の身を案じるためでした。論語時代の旅は、危険だったからです。

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論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

問人於他邦、再拜而*送之。

校訂

武内本

唐石経拜の下而の字あり。

定州竹簡論語

……它國a,再拜而254……

  1. 它國、今本作”他邦”。

復元白文

問 金文人 金文於 金文它 金文邦 金文 再 金文 拝 金文而 金文之 金文

※他→它。論語の本章は送の字が論語の時代に存在しない。本章は戦国時代以降の儒者による捏造である。

書き下し

ひと它邦とつくにはば、再拜さいはいこれおくる。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 孔子 肖像
先生は手土産を持たせて使者を送り出す際、二度地面に伏し拝んで見送った。

意訳

同上

従来訳

論語 下村湖人

他邦におる知人に使者をやって訪問させる時には、再拝してその使者をおくられる。

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

托人給外國的朋友送禮時,一定拜兩次送行。

中国哲学書電子化計画

人に託して外国の友人の元へ贈り物を送る際、必ず二度拝んで送り出した。

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

論語 問 金文 論語 取り調べ 問
(金文)

論語の本章では、ただ使いを送るのではなく、手土産を持たせると吉川本にある。古注のパクリである上、吉川が古注を読んでいなかった証拠があるので、誰かからの又聞きだろう。

「問」は『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、門は、二枚のとびらを閉じて中を隠す姿を描いた象形文字。隠してわからないの意や、わからない所を知るために出入りする入り口などの意を含む。問は「口+(音符)門」で、わからないことを口で探り出す意。聞(耳でわからないことを探る)と同系のことば、という。

また論語の本章を引いて、とう(とふ)。人をたずねる。「訪問」「遺問(贈り物を送って相手の安否をたずねる)」という。詳細は論語語釈「問」を参照。

論語の本章では”よその”。初出は後漢の『説文解字』で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はtʰɑ(平)で、同音の它に”ほか”の意があり、甲骨文から存在する。なお上掲定州竹簡論語では「它國」となっているが、「國」は高祖劉邦の名を避けた(避諱、という)のであり、もともとは「它邦」となっていたと思われる。詳細は論語語釈「他」を参照。

再拜(拝)

論語 再 金文 論語 拝 金文
(金文)

論語の本章では、「拜」はただ拝むのではなく、跪いて拝むことだと吉川本にあるが、根拠があやふやな新古の注にすらそう書いておらず、根拠が無い。

『学研漢和大字典』によると「再」は指事文字で、冓(コウ)は、前と後ろと、同じ型に木を組んだ木組みを児童画のように描いた象形文字。再は、冓の字の下半分に、一印を添えて、同じ物事がもう一つある意を暗示したもの。「説文解字」に「一挙にして二つなり」とある、という。詳細は論語語釈「再」論語語釈「拝」を参照。

論語の本章では”おくる”。論語では本章のみに登場。

初出は戦国末期の金文。論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はsuŋ(去)。同音は存在しない。『学研漢和大字典』によると会意文字で、会意。「辶(足の動作)+物を両手でささえるさま」で、物をそろえて他所へはこぶことを示す。そろえまとめて、すうっと押し出すの意を含む。奏(ソウ)(そろえる)・窓(ソウ)(空気をまとめて出すまど)・縦(ジュウ)・(ショウ)(細長くのばす)と同系、という。詳細は論語語釈「送」を参照。

論語:解説・付記

論語の本章は、新注と現代中国では次回の「康子薬を」と一つの章にまとめるが、別の話に思えるので分割した。古注では独立した一章として解している。だからといって古注が当てになるわけでは無いが、念のため記しておく。

古注『論語集解義疏』

問人於他邦再拜而送之註孔安國曰拜送使者敬之也疏問人至送之 問者謂更相聘問也他邦謂鄰國之君也謂孔子與鄰國交遊而遣使徃彼聘問時也既敬彼君故遣使使者去則再拜送之也為人臣禮乃無外交而孔子聖人應聘東西無疑也

本文「問人於他邦再拜而送之」。
注釈。孔安国「拝んで使者を送り出したのは、使者を敬ったからである。」

付け足し。人との挨拶で相手に送ることの極みである。「問」というのは、他国の宰相が交代したときの挨拶のことである。「他邦」とは隣国の君主である。孔子が隣国の外交を担って、隣国の挨拶回りに使いを送ったときのことを言っている。隣国の君主を敬ったから、使いを送ったのである。使いが去ったら必ず拝んだのは、使いを送り出す作法である。人の臣下としての礼法は行われていたが、それなのに外交には作法が無かった。しかし孔子は聖人であり、必ずや東西の諸国に贈り物をしたことは疑いが無い。

新注は「拜送使者,如親見之,敬也。」でおしまい。”拝んで使者を送り出したのは、自分自身が送り先の人と会うかのように振る舞ったのであり、敬意を表すためだ”と言っている。

論語 吉川幸次郎
吉川本で「使者を敬ったのではなく、行き先の人物を敬って拝んだ」と言うのはこのパクリ。むしろ今回の話は、春秋時代の外交を言ったと考えたい。相手はおおむね権力者で、機嫌を損うと殺しかねないからでもある。なお孔子が子貢を使者に出して、東へ南へ北へかけずり回った子貢が、当時の国際関係をひっくり返す大活躍をした話が『史記』にある

その話はたまたま『史記』に焼き付けられたから残ったまでで、孔子一門が盛んに諸国へ工作者を放っていたことは、煙のように史料から消されている。しかしそれが訳者の妄想でないことは、孔子とすれ違うように生きた墨子が語っている(→論語顔淵篇3付記)。

なお吉川は上掲の通り、古注どころ漢文そのものが読めなかったのだが、今回に限るとそうでないかも知れない。上に記したとおり、まず今回は原文が短く、次に新古の注も特異的に短い。これなら吉川も読めた可能性があるかも知れないが、古注の末尾部分は、やはり読めなかったようだ。やや難しい文だからである。

為人臣禮乃無外交而孔子聖人應聘東西無疑也

人臣の禮を為すも、乃ち外交無し。し而孔子は聖人たれば、應に東西にうこと疑い無き也。
→人臣の禮を為すも、乃ち外交(の禮)無し。

このカッコ内を補って読まないと、何を言っているか分からない。また「すなわち」は同じ「すなわち」でも、すんなりとではなくいろいろあって、の意で、ここでは”それなのに”。カッコ内を補うことも、すなわちの正しい訳し分けも、吉川の脳みそでは無理であろう。

こたび医学部薬学部に加えて歯学部まで取りそろえて、もはやバカダとは大差をつけやがった日吉と三田あたりの連中が喜びそうな「まさに」も場合分けが必要で、これは確度の高い推量に用いる。詳細は漢文読解メモ「すなわち」漢文読解メモ「まさに」を参照。

また、生半可に中国語、それも徴兵逃れで中国に逃亡した吉川のような男がパクパク食って帰った俗語では、「東西」を「トンシ」と読んで”ブツ。もの”と解してしまう。もちろん古注の儒者は、難しい語義をでっち上げはしても、俗語を使うことはあり得ない。

俗語としても、南北朝時代に「トンシ」の用法があったかどうか。だが俗語も又人間のことばであり、馬鹿にしていいはずがない。晦渋極まる儒者語や白川漢字学の狂気じみたウンチクしか知らないようでは、本稿でもたびたび引用する『笑府』の豊かな世界は分からない。

それを読み解くには例えば『中日大字典』が頼りになる。だからこそ、漢文読みには多様かつ良質な辞書が必要なのだ。それと書き手の意図を見抜いて読むこと。漢文読解では、誰が何のために書いたかを把握して読解すべきで、でないとオトツイの方角へ行ってしまう。

諸賢の中には漢詩を好む方もおられようが、詩の場合は、その作った動機が人々に流行ることだから、儒教経典のような小難しい語義や漢字の転用はほとんどあり得ない。小難しく解釈している訳本はゴロゴロしているが、随分と誤訳が潜んでいるから、それを見つけるのも暇つぶしにいいかも知れない。日本の漢文センセイ方がいかにいい加減か、よく分かると思う。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。もし長生きしたいなら、悪いことはせぬものだ。それでもやるなら、覚悟致せ。

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