論語詳解257先進篇第十一(4)孝なるかな閔子騫*

論語先進篇(4)要約:孔子先生の弟子の閔子騫ビンシケンは、継母にいじめられ、あわや家族離散になりかけたところを、自分が耐えればいいのだから、と鎮めた人格者でした。その噂は世間に広がり、孝行者の模範になったのでした、という作り話。

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論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子曰、「孝哉閔子騫。人不閒於其父母昆*弟之言。」

校訂

武内本

兄、唐石経昆に作る。釋文同じ。

定州竹簡論語

曰:「孝哉閔子騫!人不264……


→子曰、「孝哉閔子騫。人不閒於其父母兄弟之言。」

復元白文

子 金文曰 金文 孝 金文哉 金文閔 金文大篆子 金文騫 金文大篆 人 金文不 金文間 金文於 金文其 金文父 金文母 金文兄 金文弟 金文之 金文言 金文

※閔→(金文大篆)・騫→(金文大篆)。固有名詞の場合は論語時代の字形が無くとも存在したとして扱う。論語の本章は、弟子の閔子騫を孔子が敬称で呼んでいる。本章は後世の捏造である。

書き下し

いはく、かうなるかな閔子騫びんしけんひと父母ふぼ兄弟けいていことばあづからず。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

孔子 論語 閔子騫
先生が言った。「親孝行だなあ、閔子騫どのは。人はその父母兄弟の言葉と関わらない。」

意訳

ニセ孔子 閔子騫
閔子騫どのは孝行者として名が通っているから、彼の家族が閔子騫を何と言おうと、世間は相手にしない。

従来訳

論語 下村湖人

先師がいわれた。――
「閔子騫は何という孝行者だろう。親兄弟が彼をいくらほめても、誰もそれを身びいきだと笑うものがない。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子說:「閔子騫真孝順!外人都贊同他父母兄弟對他的稱贊。」

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孔子が言った。「閔子騫はまことに孝行者だ。世間の者が皆、彼の父母兄弟が彼を讃えるのに賛同する。

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

論語 孝 金文 論語 孝
(金文)

論語の本章では”家族思い”。「好」(たいせつにする)の意味で使われており、親孝行に限っていない。『学研漢和大字典』による原義は、老人と子供の組み合わせで、年長者や祖先を大切にすること。詳細は論語語釈「孝」を参照。

閔子騫

論語 騫 金文大篆 閔子騫
「騫」(金文大篆)

孔子の弟子。閔は姓氏の名で子騫はあざ名。つまり閔子騫は敬称。詳細は、論語の人物:閔損子騫を参照。師匠の孔子が弟子を”閔子騫どの”と敬称で言うわけが無く、言ったらそれは礼法違反だ。

「閔」の初出は戦国末期の金文、「騫」の初出は後漢の『説文解字』。論語の時代に存在しないが、固有名詞のため、生前どのような文字が当てられたかは断じがたく、従ってこれらの字が間違いだとも、実在の人物ではないとも言えない。

「閔」については論語先進篇12の定州竹簡論語で「黽」(モウ・ビン・ベン)と書かれており、論語の時代の金文が存在し、王力上古音で同音。

閒/間

論語 間 金文 論語 間
(金文)

論語の本章では”関わる”。超多義語だが、本義は”すきま”。『学研漢和大字典』による原義は、門のすき間から月が見えるさま。詳細は論語語釈「間」を参照。

昆弟→兄弟

論語 昆 金文 論語 弟 金文
(金文)

論語の本章では”兄弟”。『大漢和辞典』で「昆」の第一義は”おなじ・ともに”。”兄”の意がある。

論語 昆
『学研漢和大字典』によると「昆」は会意文字で、「日+比(ならぶ)」。「日+人三人」は衆の字で、昆もまた多くの者が日光のもとに並んだことを示す。まるく一群を成した仲間のことで、混(まるく一つにまとまる)・渾(コン)(まるく一つにまとまる)・群などと同系のことば。あに。なかま。もと、なかまのこと。転じて、なかまをなす兄弟を昆といい、のち、特に兄をさす、という。詳細は論語語釈「兄」論語語釈「昆」を参照。

不閒於其父母兄弟之言

論語の本章では世間が”父母兄弟の話を真に受けない”。

伝統的には「間」を「そしる」と読んで、”悪口を言う”の意に解する本がある。つまり”世間が閔子騫の家族の言い分に文句を言わない”とする。これは下掲の古注の受け売りで、本章前半の”閔子騫は孝行だ”の理由にもならない。孝行だから世間が文句を言わないという理屈も成り立たない。つまり分かったようで分からない、デタラメ極まる、訳「のようなもの」である。

「間」=”悪口を言う
閔子騫は孝行者 × 世間が家族の発言に文句を言わない

儒者は閔子騫の孝行があまりに素晴らしいので、ろくでなしの家族の言うことを、閔子騫に免じて世間が文句を言わないという。では自分事として考えてみよう。息子の一人がいくら孝行者だといって、ろくでなしがろくでもない事を言うのを、我慢できずにいられるか。

そして家族のクズを言い立てたのは、他でもない儒者である。諸賢はどう思われるか。これに対し『大漢和辞典』では、「間」を「あづかる」と読んで”関わる”の語釈を立てている。出典は下記の通り左伝だから、論語の時代に通用しなかった証拠が無い。

其鄉人曰,肉食者謀之,又何間焉。(『春秋左氏伝』荘公十年)
村人が言った。「(いくさなど)普段肉を食いつけている貴族さまの考えることだ。また何で関わり合いになるのか。」

「間」を”関わる”と解すれば、”孝行者で知られた閔子騫を家族が何と言おうと、世間は相手にしない”として文意が通じる。「何を言おうと」だから、閔子騫へのどういう悪口でも、褒めちぎりでもかまわない。逆は理屈が通らないが。

「間」=”関わる”
閔子騫は孝行者 家族が何を言おうと世間は相手にしない
×

上掲従来訳や現代中国での解釈例のように、「間」を”疑う”と解しても理屈は通じるが、それには「家族が閔子騫を褒めちぎる」という条件があらねばならない。条件は少ない方が「オッカムのカミソリ」に合うから賛成しがたい。しかも逆は通用しないのは訳者の解と同じ。なおこの解釈は従来訳同様、下掲新注の受け売りである。

「間」=”疑う”
閔子騫は孝行者 家族が閔子騫を褒めちぎろうと世間は疑わない
×

論語:解説・付記

論語の本章は、文字史的には孔子の肉声を疑う要素が無い。だが孔子が「閔子騫」と言うはずがない。武内義雄『論語之研究』によると、この論語先進篇は、斉で活躍した子貢派による編集とされる。しかし今となっては、その根拠である儒者の発言が疑わしく、信用できない。

論語先進篇は、閔子騫を複数箇所で記述しており、いずれも、いみ名=本名の「閔損」ではなく敬称の「閔子騫」との記載であることから、本篇を閔子騫の弟子による編集とする説がある。だが『荀子』非十二子篇に「閔子之儒」が無く、仮に閔子騫派なるものが存在したとしても、戦国末期には消滅していた可能性が高い。

ただ閔子騫の評価について気になるのは、論語先進篇13で孔子が閔子騫を「夫人」=あの人、と敬称していること。この章は後世の創作が確定しているから、後世に閔子騫を持ち上げた儒者がいたことを示している。下掲の古注に記されたゴマの摺りようもそれを示す。

古注は上掲の通り、「間」を「そしる」と読むニオイの元だが、偽善者の集まりだった後漢の儒者は、閔子騫があまりに孝行だから、「悪い」閔子騫の家族の言葉にも、世間が文句をつけなくなったと解した。その「悪い」伝説は、すでに前漢末期に用意されていた。

『説苑』佚文篇によると以下の通り。

閔子騫に兄弟が二人いた。母が死んで父は再婚した。継母に連れ子が二人いた。子は合計四人。ある日子騫は父のために車を御して轡(くつわ)を失った。父が子騫の手を持つと、衣がなはだ粗末だった。

父はすぐさま帰って、継母とその子を呼び、それらの手を持つと、衣はたいそう厚くて暖かいものだった。父はその場で妻に言った。「私がお前をめとったのは、子のためなのに、今お前は私をあざむいた。すぐに出て行け。」

そこへ子騫が進み出て言った。「母がいて私の衣が粗末なのは、母が去って四人の子が凍えるよりはましです。」父は黙ってしまった。だから孔子は言った。「孝行者だな、閔子騫は。たった一言で母を家に止め、また三人の子が暖く過ごせた。」

さて九去堂など奇怪千万な奴の訳など信用できない、どうしても新旧の儒者の言う通りに論語の本章を解釈したいと言うならば、一つだけそれが通る法がある。先に論語先進篇2で見たように、先進篇には、孔子の肉声とそれに対する注釈が、一緒に本文化してしまった例がある。

それを本章にも適用すればいいのだ。これまでさんざん挙げてきたように、新古の注は実は注釈ではなく、論語にまつわる言いたい放題を、儒者が勝手に書き付けたもので、必ずしも本文の説明になったり、本文と関わりがあるわけではない。風味さえあれば何でもいいのだ。

先生が言った。「親孝行だなあ、閔子騫どのは。」
儒者の注釈。(…)。

カッコ内には新でも古でも、儒者どもの口から出任せを、好きなように入れるとよろしい。なんなら拙訳でも何でもよろしい。ではその、儒者の御託を記しておく。

古注『論語集解義疏』

註陳群曰言閔子騫為人上事父母下順兄弟動靜盡善故人不得有非閒之言也疏子曰呈之言 閒猶非也昆兄也謂兄為昆昆明也尊而言之也言子騫至孝事父母兄弟盡於美善故凡人物論無有非閒之言於子騫者也故顔延之云言之無閒謂盡美也

註。陳群曰く、閔子騫の人と為りや上は父母に事え下は兄弟に順い動靜善を盡す、故に人之を非閒そしるの言有るを得不る也と言う。疏。子之を呈する言を曰う。閒は猶お非るのごとき也。昆は兄也。兄を謂いて昆と為す。昆は明也。尊び而之を言う也。子騫孝を至して父母兄弟に事え美善於盡す。故に凡そ人物は論じて子騫於非閒之言有る者無き也。故に顔延之云わく、之を言いて閒る無きを美を盡くすと謂う也と。

論語 古注 皇侃 論語 儒者
注釈。陳群「閔子騫の人柄は上は父母に仕えて下は兄弟に従い行動は善いことばかりだった。だから人は彼をそしる言葉を言うことが出来なかった。」
付け足し。孔子様は隠れた善行を褒め称えたのだ。間とは悪口を言うことだ。昆とは兄だ。兄を昆と言ったのだ。昆とは明るいことだ。尊んで兄をそう呼んだのだ。閔子騫は孝行を実践して父母兄弟に仕えて善行ばかり行った。だからその人柄は評論されても彼の悪口を言う者が居なかった。顔延之「悪口を言う者がいない者を、善行ばかりの人と言う。」

新注『論語集注』

胡氏曰:「父母兄弟稱其孝友,人皆信之無異辭者,蓋其孝友之實,有以積於中而著於外,故夫子歎而美之。」

胡氏曰く、父母兄弟其の孝友を稱え、人皆な之を信じてことばを異しむ者無し。蓋し其の孝友之實は、中於積み而外於著わるるを以いる有れば、故に夫子歎じ而之をたたう」と。

論語 胡寅
胡寅「父母兄弟が閔子騫の孝行と兄弟思いを讃えたが、人々はみなそれを信じて怪しむ者がいなかった。たぶん閔子騫の孝行とは、隠れた善行が表に現れたものだったのだろう。だから孔子先生が褒め讃えたのだ。」

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。もし長生きしたいなら、悪いことはせぬものだ。それでもやるなら、覚悟致せ。

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