論語詳解034為政篇第二(18)子張禄をもとむ’

論語為政篇(18)要約:公務員予備校でもあった孔子塾。若い子張は就職マニュアルに首っ引き。しかし孔子先生の見るところ、子張くんは役人には向いていません。後世の儒者も悪口を言い放題。でも実は就職話ではありません。

このページの凡例このページの解説

論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子張學干祿。子曰、「多聞闕疑、愼言其餘、則寡尤。多見闕殆、愼行其餘、則寡悔。言寡尤、行寡悔、祿在其中矣。」

校訂

定州竹簡論語

……[祿。子曰:「多聞闕疑,慎言其餘;則寡尤;多]23……殆,慎行其餘,則□□□□尤,行寡悔,祿在其中24……


→子張學干祿。子曰、「多聞闕疑、愼言其餘、則寡尤。多見闕殆、愼行其餘、則寡悔。言寡尤、行寡悔、祿在其中矣。」

復元白文(論語時代での表記)

子 金文張 金文大篆学 學 金文干 金文禄 金文 子 金文曰 金文 多 金文聞 金文欠 金文疑 金文 慎 金文言 金文其 金文余 金文 則 金文寡 金文尤 金文 多 金文見 金文欠 金文台 金文 慎 金文行 金文其 金文余 金文 則 金文寡 金文每 金文 言 金文寡 金文尤 金文 行 金文寡 金文每 金文 禄 金文在 金文其 金文中 金文已 金文

※張→金文大篆・闕→欠・殆→台・悔→毎・矣→已。論語の本章は、「干」「其」「則」「尤」の用法に疑問がある。

書き下し

子張しちやう祿さいはひもとむるをまなぶ。いはく、おほきてうたがはしきをき、つつしみてあまりはば、すなはとがめすくなし。おほうたがはしきをき、つつしみてあまりおこなはば、すなはくいすくなし。こととがめすくなく、おこなひくいすくなければ、祿さいはひうちん。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

孔子 切手
子張が天運を掴む法を学んでいた。先生が言った。「たくさん聞いて疑わしい話を取り除き、慎重に残った事柄を言うなら、めったに非難されることがない。たくさん見て頼りない事柄を取り除き、慎重に残った事柄を行うなら、めったに後悔することがない。発言への非難も行動への後悔も少いから、天の助けはきっとその中にある。」

意訳

孔子 楽 子張
幸運のコツ。
多く情報を集めて、確かなことだけ言ったりやったりすれば、自然に幸運がやって来る。

従来訳

下村湖人

子張(しちょう)は求職の方法を知りたがっていた。先師はこれをさとしていわれた。――
「なるだけ多く聞くがいい。そして、疑わしいことをさけて、用心深くたしかなことだけを言つておれば、非難されることが少い。なるだけ多く見るがいい。そして、あぶないと思うことをさけて、自信のあることだけを用心深く実行しておれば、後悔することが少い。非難されることが少く、後悔することが少ければ、自然に就職の道はひらけて来るものだ。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

子張學做官,孔子說:「多聽,不要說沒把握的話,即使有把握,說話也要謹慎,就能減少錯誤;多看,不要做沒把握的事,即使有把握,行動也要謹慎,則能減少後悔。說話錯少,行動悔少,就能當好官了。」

中国哲学書電子化計画

子張が官職のありつき方を調べていた。孔子は言った。「よく人の話を聞き、理解していない話はするな。そうすればものごとが分かる。話すにも慎重にしろ。そうすれば間違いを減らせる。よく観察し、理解できないことはするな。そうすればものごとが分かる。行動も慎重にしろ。そうすれば後悔を減らせる。口に出したことに間違いが少なく、行動に悔いが無ければ、すぐさま旨味の多い官職にありつける。」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす


子張

子 甲骨文 張 金文
「子」(甲骨文)・「張」(金文大篆)

孔子の弟子。BC503-?。子張は字、姓は顓孫(せんそん)、名は師。陳国出身。孔子より48年少。子張は孔門十哲に含められていないが、『論語』では子路子貢に次いで出現回数が多い。有名な「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」で「過」(やり過ぎ)と評価された(論語先進篇15)。詳細は論語の人物・子張参照。

「子」とは貴族や知識人に対する敬称で、孔子のように開祖級の知識人は「○子」と呼び、子張のようにその弟子レベルの知識人は「子○」と呼ぶ。文字の初出は甲骨文。字形は生まれたばかりの赤子の象形。詳細は論語語釈「子」を参照。

「張」の字は初出が戦国末期の金文で、論語の時代に存在しない。同音に長とそれを部品に持つ漢字群。固有名詞のため、同音近音のいかなる字も論語時代の置換候補となるから、復元ではとりあえず秦代の大篆で表記した。戦国文字の字形は「弓」+「長」で、弓に長い弦を張るさま。原義は”張る”。戦国の金文に氏族名で用いた例がある。詳細は論語語釈「張」を参照。

姓の顓孫とは、顓なる人物の末裔を意味する。中国史では、超古代にセンギョクという聖王がいたことになっているが、もちろん儒者のラノベである。名の「師」は、”軍隊”がその原義。それもまとまった数の軍隊で、「師団」というのはここから来ている。しずかなること林の如くとはいかず、ゆえに「師」には”にぎやか”の意がある。だから人の多い首都を京師という。
あをによし

あざ名の子「張」には、言うまでも無く”盛大”の意味がある。本名とあざ名の呼応をかこつければ、こんなところになるだろうか。その名の通り、”やり過ぎ”子張は弟子仲間から、ちょっとイタい人扱いを受けていた形跡がある。そして仕官や学問業績の記録も無い。

だが孔子はそんな子張を可愛がった。孫ほど年が離れていた上に、何か教えればすぐさま、帯の垂れなど手近な物にメモ書きしたからである。教師としては嬉しい人物で、だから孔門十哲ではないにも関わらず、多くの言葉が論語に残り、あまつさえ子張篇まで出来上がった。

なおその子張をイタい者扱いしたのは、教えてもメモも取らなかった曽子である。

さらに子張はそのあざ名「張」の字が論語の当時にさかのぼれない事で、子貢と共通する(論語語釈「張」)。だが有若澹台滅明タンダイメツメイと違って「人物そのものが実在しなかった」では論語が崩壊する。荀子の証言にも戦国時代に子張派があったというから、おそらく戦国時代になってから付けられた、「あざ名」ではなく「あだ名」の”出しゃばりな奴”だろう。

弟陀其冠、衶禫其辭、禹行而舜趨、是子張氏之賤儒也。

荀子
冠を縮こまらせ、口数を減らして立場をごまかし、いにしえの聖王の掟だと言いながら、奇妙な歩きや小走りを見せつけるのが、子張の系統を引く腐れ儒者だ。(『荀子』非十二子篇)

あだ名を付けたのはもちろん曽子派で、多分孟子である。しかも漢帝国の官僚儒者は、もれなく曽子→孟子派の系統だから、論語編集の過程で呼び名が子張に統一されたと考えるのが、最も単純と考える。

學(カク)

学 甲骨文 学
(甲骨文)

論語の本章では”座学する”。初出は甲骨文。新字体は「学」。原義は”神聖な建物”。上部は「コウ」”算木”を両手で操る姿。「爻」は計算にも占いにも用いられる。「ガク」は呉音。詳細は論語語釈「学」を参照。

武内本に、「史記仲尼弟子列伝此章を引く、學を問に作る、學の字古問と同義」とあるが、いかにも説が古すぎる。「學」の義は上記の通りで、「問」の原義は実は分からない。詳細は論語語釈「問」を参照。

同義だったとは漢から唐あたりを言うのだろうが、辞書もろくに出そろっていなかった戦前の説を有り難がるのはもうやめよう。辞(字)書ですら、胡散臭い話がゴロゴロ載っているのだから。

干(カン)

干 甲骨文 干 字解
(甲骨文)

論語の本章では、”求める”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。字形は武器のさすまたの象形で、原義は”さすまた”。その他甲骨文の字形には、竿の先に「回」形を描き、鬼の角のような形を二本加えるものがある。ゆえに一説には”盾”であるという。甲骨文・金文共に”防禦”の意がある。また金文では、原義で用い、氏名にも用いる。詳細は論語語釈「干」を参照。

祿(ロク)

彔 甲骨文 禄 字解
(甲骨文)

論語の本章では”幸運”。新字体は「禄」。初出は甲骨文。ただし字形はしめすへんを欠く「彔」。部品が出そろうのは西周末期の金文。現行字体の初出は秦系戦国文字。「彔」の字形は谷川を水門でせき止めた溜め池の象形。ゆえに”天の恵み”の意は原義からあったと思われる。甲骨文では「山麓」”ふもと”の意に用い、金文では国名や人名、”さいわい”の意に用いた。戦国の竹簡では「緑」として、また”俸禄”の意に用いた。詳細は論語語釈「禄」を参照。

「祿」を”俸禄”・”就職先”と解することは出来るが、そうなると時代が合わなくなる。

子曰(シエツ)(し、いわく)

論語 君子 諸君 孔子

論語の本章では”孔子先生が言った”。「子」は貴族や知識人に対する敬称で、論語では多くの場合孔子を指す。「子」は赤ん坊の象形、「曰」は口から息が出て来るさま。「子」も「曰」も、共に初出は甲骨文。辞書的には論語語釈「子」論語語釈「曰」を参照。

子 甲骨文 曰 甲骨文
(甲骨文)

この二文字を、「し、のたまわく」と読み下す例がある。「言う」→「のたまう」の敬語化だが、漢語の「曰」に敬語の要素は無い。古来、論語業者が世間から金をむしるためのハッタリで、現在の論語読者が従うべき理由はないだろう。詳細は論語と日本儒教史を参照。

多 甲骨文 多 字解
(甲骨文)

論語の本章では”多く”。初出は甲骨文。字形は「月」”にく”が二つで、たっぷりと肉があること。原義は”多い”。甲骨文では原義で、金文でも原義で、戦国の竹簡でも原義で用いられた。詳細は論語語釈「多」を参照。

聞(ブン)

聞 甲骨文 聞 字解
(甲骨文)

論語の本章では”聞く”。「モン」は呉音。初出は甲骨文。甲骨文の字形は「斧」+「人」で、斧は刑具として王権の象徴で、殷代より装飾用の品が出土しており、玉座の後ろに据えるならいだったから、原義は”王が政務を聞いて決済する”。金文以前の段階では、「聞」「聴」「聖」の区別は明瞭でない。甲骨文の段階で”情報”の語義があり、また金文の段階で”結婚”を意味した。”政務を決済する”の用例は、戦国中期まで時代が下る。詳細は論語語釈「聞」を参照。

闕(ケツ)

闕 秦系戦国文字 欠 甲骨文
「闕」(秦系戦国文字)/「欠」(甲骨文)

論語の本章では、”欠ける(こと)”。初出は秦系戦国文字。論語の時代に存在しない。『大漢和辞典』によると第一義は”宮門の両側に立つ台”。音が「缼」(欠)と通じるので転用されたという。「缼」の初出は前漢の隷書。略体「欠」の初出は甲骨文。甲骨文「欠」の字形は「𠙵」”くち”を大きく開けた人。原義は”あくび”だったと思われる。甲骨文では人名に、金文でも人名に用いられたという。「缼」の部品「夬」の初出は甲骨文で、推測される原義は”壊す”。「缼」も「缶」”容器のかめ”を”壊す”こと。詳細は論語語釈「闕」論語語釈「欠」を参照。

疑(ギ)

疑 甲骨文 疑 字解
(甲骨文)

論語の本章では”疑わしい”。初出は甲骨文。ただし字形は「龴」「疋」を欠く「𠤕」。「𠤕」の字形は大きく口を開けた人で、「疑」の甲骨文には「コン」”つえ”を手に取る姿、「亍」”道”を加えた字形がある。原義はおそらく”道に迷う”。詳細は論語語釈「疑」を参照。

愼(シン)

慎 金文 慎 字解
(金文)

論語の本章では”つつしむ”。新字体は「慎」。初出は西周中期の金文。論語の時代に通用した字体では、「真」と書き分けられていないものがある。字形は「阝」”はしご”+「斤」”近い”+「心」。はしごを伝って降りてきた神が近づいたときのような心、を言うのだろう。詳細は論語語釈「慎」を参照。

言(ゲン)

言 甲骨文 孔子
(甲骨文)

論語の本章では”言う”。初出は甲骨文。字形は諸説あってはっきりしない。「口」+「辛」”ハリ・ナイフ”の組み合わせに見えるが、それがなぜ”ことば”へとつながるかは分からない。原義は”言葉・話”。甲骨文で原義と祭礼名の、金文で”宴会”(伯矩鼎・西周早期)の意があるという。詳細は論語語釈「言」を参照。

其(キ)

其 甲骨文 其 字解
(甲骨文)

論語の本章では”それ”。初出は甲骨文。原義は農具の。ちりとりに用いる。金文になってから、その下に台の形を加えた。のち音を借りて、”それ”の意をあらわすようになった。指示詞に用いられるようになったのは、戦国時代まで時代が下る。詳細は論語語釈「其」を参照。

餘(ヨ)

余 甲骨文 餘 秦系戦国文字
「余」(甲骨文)/「餘」(秦系戦国文字)

論語の本章では、”あまり”。新字体は「余」だが、本来別系統の字。「餘」の初出は秦系戦国文字。「余」の初出は甲骨文。甲骨文「余」の字形は「亼」”あつめる”+「木」で、薪や建材など木材を集積したさま。おそらく原義は”豊富にある”→”あまる”。甲骨文から”私”との一人称に転用されたのは、音を借りた仮借としか考えようがない。詳細は論語語釈「余」を参照。

則(ソク)

則 甲骨文 則 字解
(甲骨文)

論語の本章では、「A則B」で”AはBになる”。初出は甲骨文。字形は「テイ」”三本脚の青銅器”と「人」の組み合わせで、大きな青銅器の銘文に人が恐れ入るさま。原義は”法律”。従って論語の時代=金文の時代では、”法”・”のっとる”・”刻む”の意しかなく、そう解釈出来ない接続詞の用法は、戦国時代の竹簡まで時代が下る。詳細は論語語釈「則」を参照。

寡(カ)

寡 金文 寡 字解
(金文)

論語の本章では”少ない”。初出は西周早期の金文。字形は「宀」”建物”の中に一人だけ大きく目を見開いた人がいて見上げている姿。原義は”孤独”。金文では”未亡人”、”少ない”を意味したが、諸侯が一人称としてもちいたのは戦国末期まで時代が下る。詳細は論語語釈「寡」を参照。

尤(ユウ)

尤 甲骨文 尤 字解
(甲骨文)

論語の本章では”とがめ(る)”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。『大漢和辞典』の第一義は”異なる”。甲骨文の字形は「又」”手”+「一」とされ、手に血豆などなんらかの腫れ物のたぐいが出来たことと解され、同音の「ユウ」”いぼ”の原字とされてきた。そのような特異現象から派生して”(天の)とがめ(る)”の意が派生したとされる。金文での用例があるほか、漢代以降に”疾病”・”罪科”の意があったとされる。詳細は論語語釈「尤」を参照。

見(ケン)

見 甲骨文 見 字解
(甲骨文)

論語の本章では”見る”こと。初出は甲骨文。甲骨文の字形は、目を大きく見開いた人が座っている姿。原義は”見る”。甲骨文では原義のほか”奉る”に、金文では原義に加えて”君主に謁見する”(麥方尊・西周早期)、”…される”(沈子它簋・西周)の語義がある。詳細は論語語釈「見」を参照。

殆(タイ)

殆 隷書 台 字解
(隷書)

論語の本章では”頼りない”。初出は前漢の隷書で、論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補は近音の「台」。戦国時代の『孟子』『荀子』に”ほとんど”・”あやうい”の意で用いられている。前漢の『説苑』なども同じ。後漢の『説文解字』が、「殆は危うき也。ガツしたがタイの声」と記してから、”あやうい”の意だと疑われなかった。確かに字形は「ガツ」”しかばね”+「台」”ふにゃふにゃと頼りない”で、原義は恐らく”しかばね”。また”頼りない”から”多分”→”ほとんど”の派生義が生まれた。詳細は論語語釈「殆」を参照。

行(コウ)

行 甲骨文 行 字解
(甲骨文)

論語の本章では”行い”。初出は甲骨文。十字路を描いたもので、真ん中に「人」を加えると「道」の字になる。甲骨文や春秋時代の金文までは、”みち”・”ゆく”の語義で、”おこなう”の語義が見られるのは戦国末期から。「ギョウ」は呉音。詳細は論語語釈「行」を参照。

悔(カイ)

悔 晋系文字 悔 字解
(晋系文字)

論語の本章では”後悔”。初出は晋系文字で、ぎりぎり論語の時代に存在しなかった可能性がある。字形は「每」(毎)+「心」で、心を暗くするさま。原義は”悔いる”。未来を気にかける「憂」に対して、過去への後悔を言う。『字通』によると、甲骨文では部品の「每」で”くやむ”を表したという。詳細は論語語釈「悔」を参照。

在(サイ)

才 在 甲骨文 在 字解
(甲骨文)

論語の本章では、”存在する”。初出は甲骨文。ただし字形は「才」。現行字形の初出は西周早期の金文。ただし「漢語多功能字庫」には、「英国所蔵甲骨文」として現行字体を載せるが、欠損があって字形が明瞭でない。同音に「才」。字形は「士」”まさかり”+「才」”棒杭”。まさかりは武装権の象徴で、つまり権力。詳細は春秋時代の身分制度を参照。従って原義はまさかりと打ち込んだ棒杭で、強く所在を主張すること。「ザイ」は呉音。詳細は論語語釈「在」を参照。

中(チュウ)

中 甲骨文 中 字解
(甲骨文)

論語の本章では”…の範疇内”。初出は甲骨文。甲骨文の字形には、上下の吹き流しのみになっているものもある。字形は軍司令部の位置を示す軍旗で、原義は”中央”。甲骨文では原義で、また子の生まれ順「伯仲叔季」の第二番目を意味した。金文でも同様だが、族名や地名人名などの固有名詞にも用いられた。また”終わり”を意味した。詳細は論語語釈「中」を参照。

矣(イ)

矣 金文 矣 字解
(金文)

論語の本章では、”(きっと)…である”。初出は戦国末期の金文で、論語の時代に存在しない。同音で同義の「已」が、論語時代の置換候補になる。字形の下部は「矢」だが、上部の由来は明瞭でなく、原義も明瞭でない。初出の金文は”…である”だと解釈されている。詳細は論語語釈「矣」を参照。

論語:解説・付記

論語の本章は、司馬遷が『史記』に孔子と子張の問答として再録するまで、誰も引用していない。「干祿」を「就職口を求めることだ」と古注に鄭玄が記してからは、本章は子張ががめつく就職先を探す話だと疑われなくなった。だが論語の時代、「祿」にそのような意味は無い。

それがわからぬ宋儒は、集団サドに他ならなかったから、平気でこう言うことを書いた。

程子曰:「修天爵則人爵至,君子言行能謹,得祿之道也。子張學干祿,故告之以此,使定其心而不為利祿動,若顏閔則無此問矣。或疑如此亦有不得祿者,孔子蓋曰耕也餒在其中,惟理可為者為之而已矣。」

程伊川
程頤「天に恥じぬように君子の務めを行っていれば、俸禄など手に入るものだ。君子は言動を慎めるなら、官職にありつくに決まっている。ところが子張は就職活動ばかり熱心だから、孔子はたしなめたのだ。その心とは、不動心を養って、軽々しく利益に釣られないようにするためで、顔回や閔子騫のような徳に優れた弟子なら、こんな説教は言わずに済んだのだ。場合によってはここで子張があくせくしたように、職に就けない事は有ろうが、孔子はこうも言ったでは無いか。”耕しても飢えることはある”と。ただ道理を、ひたすら守って実践すれば良いのだ。」(『論語集注』)

程頤(伊川)は確信的な精神医学上の𠮷外で、他人を見ると「あれもいかん、これもいかん」と口うるさく説教ばかりする男だったらしい。不埒にも科挙に合格し終える前に、皇帝宛てに説教文を書いて出したため、誰からも嫌われて仕官に失敗した。だからこその物言いだろう。

儒学に理気学というオカルトを持ち込んだ張本人でもあり、「分からないからありがたい」というカルト宗教のやり口で、後世の人々を大いに誤らせた罪深い男でもある。だが儒者の説教や坊主の経文を聞いて分かる人がほとんどいないのとは逆に、孔子はオカルトを否定した。

加えて論語の時代、就職マニュアルなど存在しない。そもそも庶民から、最底辺とは言え貴族へのパイプを繋いだのは、ほぼ孔子が中国史上初だったからだ。儒学の根本である礼すらマニュアル化できなかった孔子が、就職マニュアルなど書くわけが無い。

論語の時代、科挙のように制度化された官僚採用があったわけではない。個人的つながりから雇い主が人材を知り、「じゃああの若者を使ってみようか」と国公や大貴族が家臣に加えるわけで、それゆえ論語にも、孔子が口入れ屋を開業していた話が残る(論語先進篇23)。

若き日の孔子が仕官できたのも、孟孫家の先代がたまたま孔子の才能に気付いたからで、孔子の弟子が仕官できたのも、孔子やその伝手を頼ってのことだった。孔子が亡命したのも、大貴族からの不興を被って、弟子を仕官させがたくなったからに他ならない。

また孔子は古代人にかかわらず、天とか神とかを信仰しなかった。いちまちの巫女の私生児としてうまれた孔子は、母が客にやってのける所作に何の意味も無いこと、それに一般人がどれほど怯えるかを、息子だけにうんざりするほど知っていたからだ(→孔子はなぜ偉大なのか)。

対して子張は普通に古代人で、天運を自分に引き寄せる法を学んでいたのだろう。春秋の当時、現伝のような易が整備されてはいなかったが、占いの証拠は多数出土しており、子張が天運に「あづか」りたがったのも無理はない。だが孔子は「そんなものない」とは言わなかった。

最晩年の弟子だったこともあり、子張は孔子に可愛がられていたのだろう。孔子が説いたのは、ひたすら人に出来ることだけであり、ありのままにものを見聞きし、まじめに言動を慎むことだった。「人事を尽くして天命を待つ」、それが論語の本章の教えである。

論語 胡寅 吉川幸次郎
ただしこの句は、人格的壊れ物が多い宋儒の中でも極めつけな胡寅の作品で、孔子からは1600年以上の時代差がある。胡寅は北宋滅亡時に大学構内に潜んで行方をくらまし、南宋臨時政府がやっと成立したとたんに現れ、わあわあとうそ泣きをし、ちゃっかり官職にありついた。

日本で「最後の儒者」を自称したいぼぢろう先生にそっくりで、先生も戦争が始まると中国服を着て中国人の振りをし、大学構内に潜んで徴兵を逃れ、果ては中国へ国外逃亡した。戦争が終わると読みもしない漢文をネタに、「であらうか」とうそ泣きをして京大教授になった。

いぼぢろう先生が真似た胡寅は、北宋を滅ぼした金朝と講和することで何とかやりくりしていた南宋の政策をうそ泣きしながら非難し、口先ばかり立派なことを言って官職向上を図った。こういうごきぶりは、自浄能力を持てない役人社会が確立していないと出てこない。

だから論語の本章の子張も、官職あさりばかりする馬鹿者として解され定着した。理由は子張が何事にも積極的で根が明るかったからで、根が陰険に出来た儒者には気に入らなかったのだろう。こういう陰険な根暗者は現代にもおり、人文系の大学院に、掃いて捨てるほどいる。
大学院生

ウソだと思うなら入院してみるといい。自分がとても清潔な美男美女になった気になれる。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だし、訳者に連絡のお気遣いも不要だが(ただしネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。

言い訳無用。訳者が「やった」と思えば全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。空港の刃物検査通過は、やったことがあるが存外簡単だ。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。もし長生きしたいなら、悪いことはせぬものだ。朴ったら○すぞ。それでもやるなら、覚悟致せ。



関連記事(一部広告含む)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメント

  1. […] 中には子張のように有力弟子でありながら、性格的に宮仕えには向いていないと孔子が判断し、学者の道を勧めたふしさえある(論語為政篇18)。やはり平民から身を起こした子路が、老人の浪人を惜しむのには理由が立つが、孔子がわざわざ伝言させる動機がない。 […]

  2. […] 「子張、禄をもとむ」(論語為政篇18)の章があるように、子張は一門でも仕官に熱心だったことが伝わる。その子張が士族にふさわしい条件をたずねるのは十分あり得る話で、上記の検証の通り、文字的にも何とか論語時代の復元が出来る。 […]