論語詳解268先進篇第十一(15)師と商とはいずれか

論語先進篇(15)要約:過ぎたるはなお及ばざるがごとし。誰でも知っている故事成句の出典になった章。孔子先生は、ほどほど=中庸の徳を説く先生でした。それは同時代の賢者、ブッダとも共通しています。

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論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子貢問、「師與商也孰賢*。」子曰、「師也過、商也不及。」曰、「然則師愈與。」子曰、「過猶不及*。」

校訂

武内本:清家本により、賢の下に乎の字を補う。文末に也の字を補う。

書き下し

子貢しこうふ、しやういづれかまされる。いはく、ぎたり、しやうおよばずと。いはく、しからばすなはまされるいはく、ぎたるはおよばざるがごとし。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

子貢が問うた。「師(子張)商(子夏)では、どちらが優れていますか。」先生が言った。「師は優れすぎる。商は優れ足りない。」子貢が言った。「ではつまり、師がまさっていますか。」先生が言った。「過ぎたのは足りないのと変わらない。」

意訳

論語 子貢 遊説 論語 孔子 キメ
子貢「子張と子夏って、どっちがデキますかね。」
孔子「子張はやり過ぎ、子夏は足りない。」
論語 子張 論語 子夏

論語 子貢 問い 論語 孔子 ぼんやり
子貢「じゃ子張の方が上ですか。」
孔子「あのな、”過ぎたるはなお及ばざるがごとし”って言うだろう。」

従来訳

論語 下村湖人

子貢がたずねた。――
「師と商とでは、どちらがまさっておりましようか。」
 先師がこたえられた。――
「師は行き過ぎている。商は行き足りない。」
 子貢が更にたずねた。――
「では、師の方がまさっているのでございましょうか。」
 すると、先師がこたえられた。――
「行き過ぎるのは行き足りないのと同じだ。」

下村湖人『現代訳論語』

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

師・商

論語 師 金文 論語 商 金文
(金文)

それぞれ子張子夏のことだが、詳細はリンク先の論語人物図鑑を参照。共に若い弟子グループの一員で、子貢にとっては弟弟子だから、呼び捨てにしているのである。

論語 商 甲骨文
「商」(甲骨文)

『学研漢和大字典』によると「商」は形声文字で、「高い台の形+(音符)章の略体」。もと、平原の中の明るい高台。

殷人は高台に聚落(シュウラク)をつくり商と自称した。周に滅ぼされたのち、その一部は工芸品を行商する放浪民と化し、中国に商業がはじまったので、商国の人の意から転じて、行商人の意となった。陽(明るい高台)・敞(ショウ)(広く高い所)・場(広い台地)と同系のことば、という。

與(与)

論語 与 金文 論語 与
(金文)

論語の本章では”~と”と、”~か”の疑問符の両方で用いられている。おおかたの漢和辞典では、第一義が”与える”だが、漢文では”~と~”・”ともに”と読む場合の方が多い。『学研漢和大字典』による原義は、力を合わせること。

論語 也 金文 論語 也 字解
(金文)

論語の本章では、文頭の主語・副詞を強調する意を示す。『学研漢和大字典』による原義はサソリの姿。

師與商孰賢。子張と子夏についてですが、どちらが優れていますか。

孰(シュク)

論語 孰 金文大篆 論語 孰
(金文)

論語の本章では”どちらが~か”という疑問辞。『学研漢和大字典』による原義は、煮ること。

論語 賢 金文 論語 賢
(金文)

論語の本章では”優れている”。論語では”賢い”というより、”優れる”の意味の方が用例が多いように思える。『学研漢和大字典』による原義は、きちんと財産を管理すること。

愈(ユ)

論語 愈 金文大篆 論語 愈
(金文)

論語の本章では『大漢和辞典』の第一義通り”すぐれる・まさる”。他には”癒す”・”いよいよ”を憶えておくと漢文では便利。『学研漢和大字典』による原義は、病巣を取り除いて気分がよくなること。

猶(ユウ)

論語 猶 金文 論語 猶

論語の本章では、”~のようだ”。「なお~のごとし」と読む再読文字の一つ。詳細は論語語釈「猶」を参照。

論語:解説・付記

論語を読む限り、一門きってのアキンドで外交の才に優れた子貢だが、唯一の弱点と言えるのは、自分や他人に対する孔子の評価が気になって仕方がない点。論語憲問篇31では、孔子にそれをたしなめられている。変転止まない相場や外交の世界を子貢は生きたからこその不安。
論語 子貢

何か絶対的な基準になるものを、子貢は求めたのだ。だから卓越した才を持ちながら、生涯孔子の下を離れず、孔子死去の際は他人の倍、六年の喪に服した。従って孔子のフィギュア趣味も、絶対的な基準を形作るものとして、敬遠はしただろうがバカにはしなかった。
論語 仁 フィギュア 単体

本章は子貢が自分と顔回の比較を尋ねた、論語学而篇15の続きである可能性がある。あるいは孔子が子貢に、「お前と顔回ではどちらが…」と尋ねた、論語公冶長篇8の続きである可能性もある。子貢は孔子に批評されるのを好み、また他人の評も聞きたがる弟子だった。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。未だ人を斬ったことが無い。刀(登録証付)の手入れは毎日している。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回す。覚悟致せ。
斬首
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