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論語詳解483子張篇第十九(12)子夏の門人小子’

論語子張篇(12)要約:チマチマするんじゃないと孔子先生にたしなめられた子夏は、自分の弟子にチマチマを教え、それを子游に批判されます。しかし子夏は、孔子先生の教えは全て大事だ、優先順位は付けられないと反論しました。

論語:原文・白文・書き下し

原文・白文

子游曰、「子夏之門人小子、當洒*掃*應對進退則可矣、抑末也。本之則無、如之何。」子夏聞之曰、「噫。言游過矣。君子之道、孰先傳焉、孰後倦焉。譬諸草木、區以別矣。君子之道、焉可誣也。有始有卒者、其唯聖人乎。」

校訂

諸本

  • 武内本:釋文、洒は正しくは灑に作るべし。掃、唐石経埽に作る。

後漢熹平石経

子斿󱩾󱩾󱩾󱩾󱩾󱩾子…意末也本之󱩾󱩾如之何…君子之道焉可󱩾󱩾有󱩾有卒者、其唯聖人…

  • 「其」字:上半分中心に〔丨〕一画あり。
  • 「卒」字:〔亠八十〕

定州竹簡論語

……游a曰:「子夏之門b小子,當□□[應對進退],581……

  1. 游、漢石經作”斿”。
  2. 今本”門”下有”人”字。

→子游曰、「子夏之門小子、當洒掃應對進退則可矣、抑末也。本之則無、如之何。」子夏聞之曰、「噫。言游過矣。君子之道、孰先傳焉、孰後倦焉。譬諸草木、區以別矣、君子之道、焉可誣也。」有始有卒者、其唯聖人乎。

復元白文(論語時代での表記)

子 金文游 金文曰 金文 子 金文夏 金文之 金文門 金文人 金文小 金文子 金文 當 当 黨 金文洒 甲骨文掃 金文応 金文対 金文進 金文退 金文則 金文可 金文矣 金文 抑 甲骨文末 金文也 金文 本 金文之 金文則 金文無 金文 如 金文之 金文何 金文 子 金文夏 金文聞 金文之 金文曰 金文 意 金文 言 金文游 金文過 金文矣 金文 君 金文子 金文之 金文道 金文 孰 金文先 金文伝 金文安 焉 金文 孰 金文後 金文巻 金文安 焉 金文 者 金文草 金文木 金文 区 金文㠯 以 金文別 甲骨文已 矣金文 君 金文子 金文之 金文道 金文 安 焉 金文可 金文巫 金文也 金文 有 金文始 金文有 金文卒 金文者 金文 其 金文惟 金文聖 金文人 金文乎 金文

※洒→(甲骨文)・抑→(甲骨文)・噫→意・焉→安・倦→巻・譬→辟・別→(甲骨文)・誣→巫。本章は「之」「則」「以」「也」の用法に疑問がある。論語の時代に無かった「聖人」を用いている。少なくともそれらの部分は、戦国時代以降の儒者による加筆である。

書き下し

子游しいういはく、子夏しかもん小子せうし洒掃さいさう應對おうたい進退しんたいあたりてはすなはよろしきるも、抑〻そもそもすゑなり。もとこれすなはみす、かくごときはなんぞやと。子夏しかこれいていはく、ああ言游げんいうあやま君子もののふみちいづれをかつたん、いづれをかのちをさむ。これ草木さうもくたとへんか、しなわかつをもちらんも、君子もののふみちいづくんぞみだりにいけむはじめをはりものは、ただ聖人せいじん

論語:現代日本語訳

逐語訳

子游が言った。「子夏の弟子や若い者は、拭き掃除・掃き掃除や客の応対、立ち居振る舞いは悪くないが、それはもともと些末なことだ。基本を台無しにしている。こういうのを、どう言えばいいのか。」

子夏がその言葉を伝え聞いて言った。「ああ。子游の言葉は間違っている。君子の修行は、どれを先に伝えてしまおうか。どれを後に隠しておこうか。これは草木に例えて言うなら、区別は分割できるが、君子の修行は、どうしていい加減に言うことが出来ようか。」

これが初めと終わりがあるのは、ただ聖人だけだろうか。

意訳

子游「子夏の所の弟子は、掃除や客のあしらい、立ち居振る舞いは悪くないが、そんなチマチマしたことばかり熱心になって、根本が分かっていない。困ったもんだ。」

伝え聞いた子夏「やれやれ。子游は何も分かっちゃいない。貴族へ成り上がる修行は、後先をつけて教えられはしない、どれも大事なものだ。草木ならどこが根本でどこが先か、違いをつけられようが、君子の修行に、いい加減な区別を言えるものか。」

後世の付け足し「その区別が分かるのは、孔子様のような聖人だけだろうか。」

従来訳

下村湖人

子游がいった。――
「子夏の門下の青年たちは、掃除や、応対や、いろんな作法などはなかなかうまくやっている。しかし、そんなことはそもそも末だ。根本になることは何も教えられていないようだが、いったいどうしたというのだろう。」
子夏がそれをきいていった。――
「ああ、言游もとんでもないまちがったことをいったものだ。君子が人を導くには、何が重要だから先に教えるとか、何が重要でないから当分ほっておくとか、一律にきめてかかるべきではない。たとえば草木を育てるようなもので、その種類に応じて、取りあつかいがちがっていなければならないのだ。君子が人を導くのに、無理があっていいものだろうか。道の本末がすべて身についているのは、ただ聖人だけで、一般の人々には、その末になることさえまだ身についていないのだから、むしろそういうことから手をつけるのが順序ではあるまいか。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

子游說:「子夏的學生,衹能做些灑水掃地、接待客人之類的小事。沒學到根本性的東西,這怎麽能行呢?」子夏聽到後,說:「哎,子游錯了!君子之道,先教什麽?後教什麽?這好比於草和木,都是有區別的,怎能隨意歪曲?能有始有終地教育學生,衹有聖人能做到吧!」

中国哲学書電子化計画

子游が言った。「子夏の門人は、ただ掃除や、客の接待のような細かなことが出来るだけで、人間の本性を学ぶに至っていない、どうすればいいのか?」子夏が聞いた後で言った。「ああ、子游は間違っている! 君子の道は、まず何を教えるのか? あとで何を教えるのか? それは草木にたとえるとよいだろう、全てが区別されたもので、どうして思うままに曲げられる? 門人を教えるのに終わりと始めを作れるのは、ただ聖人だけがなしえることだ!」

論語:語釈

子游

子游

論語では孔子の若き弟子で、子夏と同じく文学の才を孔子に評価された孔門十哲の一人、エンユウのこと。孔子没後、子夏同様に自分の派閥を開いた。年齢的には、子貢や顔淵のような初期の弟子と、子夏のような末期の弟子との中間に当たる。

子夏

子夏

論語では子游と並んで文学の才を孔子に評価された孔門十哲の一人、ボク商子夏のこと。有力弟子の中でもっとも若く、孔子より44年少。

之(シ)

之 甲骨文 之 字解
(甲骨文)

論語の本章では”…の”・動詞の強調・”これ”。初出は甲骨文。字形は”足”+「一」”地面”で、あしを止めたところ。原義はつま先でつ突くような、”まさにこれ”。殷代末期から”ゆく”の語義を持った可能性があり、春秋末期までに”~の”の語義を獲得した。詳細は論語語釈「之」を参照。

門人小子→門小子

論語の本章では「門人」も「小子」も”弟子”のこと。漢字の意味としては「門人」=師匠宅の門を出入りする人であり、「小子」=小さい者。

秩序・区別にうるさい曽子は、自分の弟子に対して「小子」と呼んでおり(論語泰伯篇3)、目下に対する呼称と思われる。

定州竹簡論語では「門小子」。本章で発言した子游は、子夏より年長の先輩格であり、ぞんざいな物言いが出来たから、”子夏んとこの若い連中”と言ったほどの意味。ただし「子夏の門小子」と言っているから、一応の敬意を子夏に払っていることになる。辞書的には以下を参照。

當/当

当 金文
(金文)

論語の本章では”~については・~の場面では”。初出は春秋末期の金文。『学研漢和大字典』による原義は、対価に見合う土地の面積をピタリと当てること。詳細は論語語釈「当」を参照。

洒 甲骨文
(甲骨文)

論語の本章では”拭き掃除”。論語では本章のみに登場。

甲骨文には見られるがなぜか金文では未発掘。現代日本語では「瀟洒」のように「シャ」の呉音が知られるが、漢音は「西」と同じく「セイ」または「サイ」。

『学研漢和大字典』によると、西は、めのあらいざるを描いた象形文字。栖(ざるのような鳥のす)の原字。ざるのめの間から細かく水が分散して出ていく。洒は「水+(音符)西」の会意兼形声文字でで、さらさらと分散して水を流すこと、という。詳細は論語語釈「洒」を参照。

掃 古文
(古文)

論語の本章では”掃き掃除”。論語では本章のみに登場。

初出は西周早期の金文。『学研漢和大字典』によると、帚(シュウ)・(ソウ)は、ほうきを持つさまを示す会意文字。掃は「手+(音符)帚」の会意兼形声文字でで、ほうきで地表をひっかくこと、という。詳細は論語語釈「掃」を参照。

應(応)

応 古文
(古文)

論語の本章では”客への応答”。論語では本章のみに登場。初出は西周早期の金文。ただし字形は下に「心」が無い「䧹」。現行字体の初出は楚系戦国文字。

『学研漢和大字典』によると、應の上部は「广(おおい)+人+隹(とり)」から成り、人が胸に鳥を受け止めたさま。應はそれを音符とし、心を加えた会意兼形声文字で、心でしっかりと受け止めることで、先方から来るものを受け止める意を含む、という。詳細は論語語釈「応」を参照。

對(対)

対 金文
(金文)

論語の本章では”客への応接”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』による原義は二つで一組になるようにそろえる。また、二つがまともにむきあうこと。詳細は論語語釈「対」を参照。

進退

進 金文 退 金文
(金文)

論語の本章では”態度・立ち居振る舞い”。原義は文字通り進むことと、退くことだが、あらゆる動作の押し退き、つまり立ち居振る舞いを意味するようになった。『学研漢和大字典』進退条では次のように説明する。

①進むことと、退くこと。また、進めることと、退けること。「進退維谷=進退維れ谷る」〔詩経・大雅・桑柔〕
②職にとどまって仕事を行うことと、職をやめること。仕事上の身のふり方。
③昇進することと、地位から落とされること。
④ふえることと、へること。
⑤たちいふるまい。挙止。「当洒掃応対進退、則可矣=洒掃応対進退に当たりては、則ち可なり」〔論語・子張〕
⑥かけひき。

文字的には論語語釈「進」論語語釈「退」を参照。

則(ソク)

則 甲骨文 則 字解
(甲骨文)

論語の本章では、”…の場合は”。初出は甲骨文。字形は「テイ」”三本脚の青銅器”と「人」の組み合わせで、大きな青銅器の銘文に人が恐れ入るさま。原義は”法律”。論語の時代=金文の時代までに、”法”・”のっとる”・”刻む”の意と、「すなわち」と読む接続詞の用法が見える。詳細は論語語釈「則」を参照。

可 金文 可
(金文)

論語の本章では”悪くない”。積極的に良いと評価するのではない。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』による原義は、言い出しにくいことをやっとの思いで言うこと。詳細は論語語釈「可」を参照。

矣(イ)

矣 金文 矣 字解
(金文)

論語の本章では、”(きっと)…である”。初出は殷代末期の金文。字形は「𠙵」”人の頭”+「大」”人の歩く姿”。背を向けて立ち去ってゆく人の姿。原義はおそらく”…し終えた”。ここから完了・断定を意味しうる。詳細は論語語釈「矣」を参照。

抑 古文
(古文)

論語の本章では”そもそも”。初出は甲骨文。ただし字形は「卬」。『学研漢和大字典』によると、卬(ゴウ)は「手+人のひざまずいたさま」からなり、人を手でおさえつけたさま。抑は「手+卬(おさえる)」の会意文字で、上から下へと圧力をかけておさえること、という。詳細は論語語釈「抑」を参照。

末 金文 末
(金文)

論語の本章では”些末な事柄”。「未」の誤記を除き、論語では本章のみに登場。初出は春秋末期の金文。『学研漢和大字典』によると、木のこずえのはしを、━印または・印で示した指事文字で、木の細く小さい部分のこと、という。詳細は論語語釈「末」を参照。

本(ホン)

本 金文 本 字解
(金文)

論語の本章では”基本”。初出は西周中期の金文。字形は植物の根元。原義は”ねもと”。ただし春秋末期までにその用例が未発掘。戦国の竹簡になると”もと”の用例が見られる。詳細は論語語釈「本」を参照。

「末」と共に、植物の姿に起源がある言葉で子游が批判したから、子夏は「草木にたとえようか」と言ったわけ。

本之則無

論語の本章では、「もとをこれすなわちなみす」とよみ、ここでの「之」は、「~を…する」と訳し、倒置・強調の意を示す。”根本=基本を全く理解していない”の意。詳細は論語語釈「之」を参照。

如之何

論語の本章では”どうしたものかな”。受験生泣かせの「如何」(なんのごとくせん)=どうするか、「何如」(なんのごとくあらん)=何であるかのうち、前者の目的語が間に入った形。愚直に読み下すと「かくの如きを何せん」となる。「いかん」と読む句法の一覧は、漢文読解メモ「いかん」を参照。

「如」の初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると、「口+〔音符〕女」の会意兼形声文字で、もと、しなやかにいう、柔和に従うの意。ただし、一般には、若とともに、近くもなく遠くもない物をさす指示詞に当てる、という。詳細は論語語釈「如」を参照。

聞 金文 譖
(金文)

論語の本章では”聞く”。「聴く」は直接聞くこと、「聞く」は間接的に聞くことを意味する。詳細は論語語釈「聞」を参照。

噫(イ)

噫 古文
(古文)

論語の本章では”ああ”。胸がつまって出る嘆息をあらわすことば。初出は後漢の説文解字。論語の時代に存在しない。古文では「意」と区別されていない場合があり、「意」が論語時代の置換候補となる。詳細は論語語釈「噫」を参照。

言游

論語の本章では子游のこと。姓は本姓の「言」だが、名の方はあざ名の「游」を用いているので、丁寧な言い方。辞書的には論語語釈「言」論語語釈「游」を参照。

過(カ)

過 金文
(金文)

論語の本章では”あやまち”。初出は西周早期の金文。字形は「彳」”みち”+「止」”あし”+「冎」”ほね”で、字形の意味や原義は不明。春秋末期までの用例は全て人名や氏族名で、動詞や形容詞の用法は戦国時代以降に確認できる。詳細は論語語釈「過」を参照。同じ間違いでも、加減を知らずやり過ぎて失敗することを言う。

孰(シュク)

孰 金文
(金文)

論語の本章では”どれが”を意味する疑問辞。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』による原義は突き固めた城+手だが、音を借りて疑問辞に用いられる、という。詳細は論語語釈「孰」を参照。

傳(テン)

伝 甲骨文 伝 字解
(甲骨文)

論語の本章では”伝える”。「デン」は呉音。初出は甲骨文。新字体は「伝」。字形は「亻」(人)+「セン」”紡錘”+「又」”手”。原義は人が糸をたぐり寄せるさま。甲骨文から”伝える(者)”を意味し、金文でも同様だが、”宿場”・”継がせる”・”拘留する”の語義は戦国時代から見られる。詳細は論語語釈「伝」を参照。

焉(エン)

焉 金文 焉
(金文)

論語の本章では”~してしまった・し終えた”を意味する完了の助辞。安(いづこ)と音が同じだったので疑問辞に転用された。もとエンという黄色い鳥を指すと言うが、どのような鳥だったかは伝わっていない。初出は戦国末期の金文で、論語の時代に存在しないが、「安」が論語時代の置換候補となる。詳細は論語語釈「焉」を参照。

倦 古文 巻 金文
「倦」(古文)/「巻」金文

論語の本章では”隠す”。初出は戦国文字で、論語の時代に存在しないが、異体字としても扱われる「巻」が置換候補となる。「巻」とともに”おさめる”の訓があり、秘密の書き付けを台紙に巻いて隠すように、弟子に教えないこと。「巻」の原義は”巻く”でも”巻物”でもなく、最古の金文を参照すると、両手で抱え込んで、人に身得ないように隠すことと解せる。詳細は論語語釈「倦」を参照。

武内本では”教える”と解する。更にその源泉は、朱子による新注「倦,如誨人不倦之倦」にあるかと思われるが、いつも通り儒者は根拠の無いデタラメを言っているので信用できない。

「倦」の語義は”疲れる・やすむ”ことであり、多くの論語解説本も同様に読む。藤堂本では「孰後倦焉」を「孰れを後にしてここかんや」と読み、”差し控える”と解しているが、訳者は藤堂先生の辞書を基本にして読解するからには、「倦」の語釈に限っては、なるほどその通りと思う。

儒者の捏造
結局論語の本章でのこの言葉は、もと子夏が「巻」と言ったのを、後世のいずれかの時点で儒者が勝手にもったいを付けて書き換えたと見るのが理にかなう。

実行者の候補はと言えば、孟子は世間師でほら吹きだが、こういう人困らせはやらない。荀子はむやみに庶民を見下すが、同じ本読みを困らせるようなことはしない。前漢の儒者はそれなりにまじめで(論語郷党篇は「愚かしい」のか)、やりそうなのは後漢儒だろう(論語解説「後漢というふざけた帝国」)。

譬(ヒ)

譬 篆書
(篆書)

論語の本章では”例える”。初出は後漢の『説文解字』。論語の時代に存在しない。部品の辟は甲骨文からあり、『大漢和辞典』に”たとえる”の語釈を載せる。『学研漢和大字典』によると、辟(ヘキ)は「人+辛(刃物)」からなる会意文字。人の肛門(コウモン)に刃物をさして横に二つに裂く刑罰。劈(ヘキ)(よこに裂く)の原字。譬は「言+〔音符〕辟」の会意兼形声文字で、本すじを進まず、横にさけて別の事がらで話すこと、という。詳細は論語語釈「譬」論語語釈「辟」を参照。

論語の本章では”これ(を)”。文中の以前に出た「君子之道…孰後倦焉」を意味する代名詞。”もろもろ”の意の他に、「之於」(シヲ)を一字にまとめた語義があるとされる。詳細は論語語釈「諸」を参照。

草木

論語の本章では”草や木”。子游が「本末」という草木にたとえた批判をしたので、子夏もそれに応じて草木にたとえた。辞書的には論語語釈「草」論語語釈「木」を参照。

區(区)

区 金文
(金文)

論語の本章では”区別”。金文は上掲戦国時代のものしか出土していないが、甲骨文より存在する。『学研漢和大字典』によると「匸印+狭いかっこ三つ」の会意文字で、こまごました狭い区画をいくつもくぎるさま。、という。詳細は論語語釈「区」を参照。

以(イ)

以 甲骨文 以 字解
(甲骨文)

論語の本章では”それで”。初出は甲骨文。人が手に道具を持った象形。原義は”手に持つ”。論語の時代までに、名詞(人名)、動詞”用いる”、接続詞”そして”の語義があったが、前置詞”~で”に用いる例は確認できない。ただしほとんどの前置詞の例は、”用いる”と動詞に解せば春秋時代の不在を回避できる。詳細は論語語釈「以」を参照。

別 甲骨文
(甲骨文)

論語の本章では”分ける・区別する”。甲骨文には見られるが、金文では未発掘。『学研漢和大字典』によると、冎は、骨の字の上部で、はまりこんだ上下の関節骨。別は、もと、「冎+刀」の会意文字で、関節を刀でばらばらに分解するさまを示す、という。詳細は論語語釈「別」を参照。

區以別矣

論語の本章では、「区は別つを用いたらん」と読み、”区別には分別法を使ってしまうだろう”の意。要するに、”(根本と先端の)区別は付けられる”。「以」は時に動詞”もちいる”として柔軟に読まないと、漢文読解が詰みやすくなる。論語語釈「以」を参照。

誣 秦系戦国文字
(秦系戦国文字)

論語の本章では”でたらめを言う”。論語では本章のみに登場。初出は秦系戦国文字。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補は「巫」。『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、巫(ブ)は、みこが両手で玉を供えて神意を求める姿を示した会意文字で、わからないものをむりに探し求める、むりじいをするという意味を含む。誣は「言+(音符)巫」で、何もないのにむりに話をつくりあげて、人の悪口をいうこと。ないものをむりにあるものにする、相手のいうことを無視するというのはその派生義、という。詳細は論語語釈「誣」を参照。

古来異説の多い部分で、藤堂本では”こじつける”、武内本では”同じくする”と解するが、文脈から見て、”草木には区別があるが、君子の道には区別がない”と解さないと通らない。従って武内説には賛成しがたい。

卒 金文 卒 字解
(金文)

論語の本章では”終わり”。論語では本章のみに登場。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると「衣+十」の会意文字で、はっぴのような上着を着て、十人ごと一隊になって引率される雑兵や小者をあらわす。小さいものという意を含む。「にわか」の意は猝(ソツ)に当てたもの。また、小さくまとめて引き締める意から、最後に締めくくる意となり、「おわり」の意を派生した、という。詳細は論語語釈「卒」を参照。

聖人

聖 金文 人 金文
(金文)

論語の本章では”万能の人”。もっともこの意味は時代を孔子在世前後と仮定した場合で、後世の作文とするととりもなおさず孔子を指す。いずれの場合も、神に近い人、神聖な人を意味しない。

論語の時代は一単語一文字が原則で、「聖人」とは「聖」である「人」を意味する。しかし後世では熟語になり、”尊い人。孔子”をもっぱら意味した。儒教が帝国の国教となった漢帝国では、孔子の神格化によってこの意味が定着した。

このことから、論語の本章の「有始有卒者、其唯聖人乎。」の部分は、漢帝国以降に書き足されたものと思われる。

論語:付記

中国歴代王朝年表

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道場 雑巾がけ
論語の本章は、文が長い、この章だけに使われた漢字があるなど、後世の創作である特徴を持ちながら、「聖人」部分を除けば、史実の子游・子夏のやりとりと見てよい。孔子のように偉大な開祖でも、没後に学派が分裂するのは避けられず、ユダヤ教・仏教・キリスト教・厶教のいずれもそのような結果となった。開祖が偉大すぎるからこそ、そうなるのだろう。

子游は孔子の没後、冠婚葬祭業の親玉に収まったらしく、一般人をびっくりさせ、あるいは納得させてお布施を貰う技に長けた。言わば読経にあたるものや祭壇の飾り付け、楽団や合唱団の養成に熱心だったのに対し、子夏はひたすら儒学の「お勉強・お作法」的部分に熱中した。

それが戦国末期の、荀子の悪口に反映されている。

正其衣冠,齊其顏色,嗛然而終日不言、是子夏氏之賤儒也。偷儒憚事,無廉恥而耆飲食,必曰君子固不用力:是子游氏之賤儒也。

荀子
もっともらしい身なりをし、もっともらしい顔つきをして、そのくせ一日中ただの一言も言わないで、お布施だけ貰って帰るような連中、これが子夏氏の系統を引く腐れ儒者だ。

立派な司祭のふりをして、葬儀があると聞けば飛んでやってきて、恥知らずにも飲み喰いばかりするくせに、「君子は力仕事なんかしない」と言って偉そうにしているような連中、これが子游氏の系統を引く腐れ儒者だ。(『荀子』非十二子篇17)

この荀子の言葉で言えば、「氏」を血統でなく同業集団として用いていることが見て取れるが、同業集団が、現代の感覚で言えば部族に当たるが如く、疑似血縁関係にあったといってよい。ヤクザが親分子分と言い、一家と自称するのによく似ている。

つまり孔子没後の子游と子夏は、互いに部族が違うと自覚するほどに分裂したのだが、部族戦争に至るほど対立したわけでもない。直弟子といえども、偉大な師のどの部分を見て取るかは弟子次第だから、両者の言い分には、当時なりの正当性があっただろう。

儒者も食えねば餓えるわけで、お経やちんちんドンドンがうまくないと、という子游の主張はもっともだろう。しかし何事もはじめは道場の雑巾がけから、という子夏の教え方にも納得できる。少なくとも武道なら、雑巾がけもできない者には、初段も難しいと思う。

まあ、カネ次第で取れはするだろうが、強くはなれないと思いますよ。雑巾がけもまともに出来ない奴に、真剣の抜刀納刀ができますかね? 同様に、言葉を大事に出来ない者、つまり平気でウソをつくような者は、自国語もまともに出来ず、古典を読むことも出来ない。

日本人にとって漢文は外国の古典だ。ウソツキどもに読めるわけがない。

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