(検証・解説・余話の無い章は未改訂)
論語:原文・白文・書き下し
原文・白文
子夏曰、「小人之過也必文。」
校訂
後漢熹平石経
子夏白小人之過…
定州竹簡論語
本章は定州竹簡論語の解読部分に存在しないが、前章を記した簡577号、次章の簡578号は、横書きで図示化すると次の通り。…は竹簡の欠損を含む解読不能部分。
子夏曰百工居肆以成其…………………………簡577号
事君子學以致其道子夏
………………………夏曰君子三變望之儼然…簡578号
曰小人之過也必文子
簡一枚には19-21字が記されていたというから(定州竹簡論語)、前章の残り「事…道」の8字は簡577号に書き切れる事になる。従って本章頭の「子夏」が簡577号に、「曰…文」と、次章の頭「子」が簡578号に記されたとすると、どちらの簡も20字に揃えうる。だから赤字のようになっていたのではないか。
復元白文(論語時代での表記)
※論語の本章は、「之」の用法に疑問がある。
書き下し
子夏曰く、小人之過つ也必ず文る。
論語:現代日本語訳
逐語訳
子夏が言った。「庶民が行き過ぎゆえの間違いを起こすと、必ず飾る。」
意訳
子夏「庶民は間違いをしでかすと、必ず言い訳を言う。間違いの原因は、物事のやり過ぎを知らないからだ。だから貴族を目指すなら、加減を学んでやり過ぎを防ぐと共に、間違いの後で、言い訳をしてはいけない。」
従来訳
子夏がいった。――
「小人が過ちを犯すと、必ずそれをかざるものである。」下村湖人『現代訳論語』
現代中国での解釈例
子夏說:「小人犯了錯一定要掩飾。」
子夏が言った。「小人が間違いを犯すと、必ず誤魔化そうとする。」
論語:語釈
子夏
論語では、孔子の若い弟子、卜商子夏のこと。孔門十哲に数えられる有力弟子だが、年齢が幼かったので、孔子の放浪には同行できず、同行した弟子が身を守る必要から身につけた、いわゆお勉強以外の技を、身につけることなく師匠格になった可能性がある。
春秋時代末期から戦国時代初期にかけて、それまで国軍を担ってきた貴族=君子の存在意義が薄れ、庶民が徴兵されて戦場におもむくようになっていた。それゆえ孔子塾の必須科目に数えられた武術は、習得しなくても貴族に成り上がれる可能性が出来た。
子夏はそういう時代に儒学の教師となった。やはり時代の子だったのである。
小人
論語の本章では”庶民”。
本来「小人」とはただ庶民を意味するだけで、”下らない人間”という差別的意味は無かった。孔子から一世紀後の孟子が、価値が暴落した貴族=君子の語義を、商売上の都合から書き換えて、その対語としての「小人」に、戦国末期の荀子が差別的意味を言い出した。
だがしつこく「小人」をバカにし始めたのは、帝国の官僚に収まった漢儒からである。詳細は論語における「君子」を参照。
之(シ)
(甲骨文)
論語の本章では”~の”。初出は甲骨文。字形は”足”+「一」”地面”で、あしを止めたところ。原義はつま先でつ突くような、”まさにこれ”。殷代末期から”ゆく”の語義を持った可能性があり、春秋末期までに”~の”の語義を獲得した。詳細は論語語釈「之」を参照。
小人之過
論語の本章では、”小人が間違いをする”。「之」は所有・所属を意味する助辞だから、日本語の読み下しから、”間違いをした小人”と解するのは誤り。詳細は論語語釈「之」を参照。
過(カ)
(金文)
論語の本章では”あやまちをおかす”。初出は西周早期の金文。字形は「彳」”みち”+「止」”あし”+「冎」”ほね”で、字形の意味や原義は不明。春秋末期までの用例は全て人名や氏族名で、動詞や形容詞の用法は戦国時代以降に確認できる。詳細は論語語釈「過」を参照。
論語の本章では”間違い(をおかす)”。同じ”間違い”でも、加減に失敗してやりすぎた事による間違いを言う。
也(ヤ)
(金文)
論語の本章では、「や」と読んで下の句とつなげる働きに用いている。初出は事実上春秋時代の金文。字形は口から強く語気を放つさまで、原義は”…こそは”。春秋末期までに句中で主格の強調、句末で詠歎、疑問や反語に用いたが、断定の意が明瞭に確認できるのは、戦国時代末期の金文からで、論語の時代には存在しない。詳細は論語語釈「也」を参照。
必
論語の本章では”かならず”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると、棒切れを伸ばすため、両がわから、当て木をして、締めつけたさまを描いた象形文字で、両がわから締めつけると、動く余地がなくなることから、ずれる余地がなく、そうならざるをえない意を含む、という。詳細は論語語釈「必」を参照。
文
(金文)
論語の本章では”飾る”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』による原義は土器の縄文だといい、『字通』では体に入れた入れ墨を指すと言う。いずれにせよ、飾ることに違いは無い。詳細は論語語釈「文」を参照。
論語:付記
論語の本章について、従来訳の注では「この言葉は痛い。論語の中でも最も痛い言葉の一つである」という。訳者も紛れもない小人であるからには、言い訳の千や二千平気で言ってのけるが、論語の本章は「小人」を取り違えると、とんでもない差別ばなしに化けてしまう。
また「過」の意味も、上記の通り”やり過ぎによる間違い”であり、分かった上で堂々と開き直った悪事は、「過」の範疇に入らない。ひどいことをするのがどれほど気持ちの悪いことか、それを知らないからこそと言えば範疇に入るが、それは強弁というものだ。
子夏が「言い訳するな」と言った事の意味は、「間違いには原因があり、それを求めて再発を防ぐのが、学んだ者のあるべき姿で、言い訳などしても何にもならない」ということで、精神論と言うよりむしろ実践論だから、本章を下らぬお説教風味に解さない方がいい。
そもそも孔子の弟子は、司馬牛のような例外を除けば全て小人=庶民の出で、孔子塾で学んで君子=貴族に成り上がりたいから、千里の道をも遠しとせず、一説に三千と言われる若者が集まったのだ。孔子が小人を差別していたなら、決して起こりえない現象と言える。
従って本章を述べた子夏も小人の出で、成人してから魏国に招かれて教官と顧問官を兼ねたから、君子に成り上がった一人になる。成り上がり者は過去の同類に厳しいのが人の世の常だが、子夏が同様に小人をバカにしたかどうか。証拠がないから、しなかたっと言える。
「小人」をバカにし始めたのは、上記の通り戦国末期の荀子で、例を挙げれば次の通り。
君子之學也,入乎耳,著乎心,布乎四體,形乎動靜。端而言,蝡而動,一可以為法則。小人之學也,入乎耳,出乎口;口耳之間,則四寸耳,曷足以美七尺之軀哉!古之學者為己,今之學者為人。君子之學也,以美其身;小人之學也,以為禽犢。故不問而告謂之傲,問一而告二謂之囋。傲、非也,囋、非也。
君子の学びというものは、耳から入り、心に記し、体全体に行き通らせ、挙措動作に現れる。だから動く・動かないには原則がある。小人の学びとはそうでない。耳から入ると口から出任せ、教わったことを覚えているのは、耳と口の間、たったの四寸を通る時間でしかない。
これで七尺の体を、正しく動かせるわけがない。古人は自分のために学び、今の者は人に見せるために学んでいる(論語憲問篇25)。君子が学ぶのは、我が身を立派にするためだ。小人が学ぶのは、トリや家畜に成り下がるためだ。
だから教わりもしないことを勝手に言うのを思い上がりと言い、聞いたことをすぐ受け売りしてしゃべるのを口じゃみせんと言う。思い上がりも口じゃみせんも、どちらも愚かな行いだ。(『荀子』勧学篇15)
なお『荀子』の本章は、従来最後に「君子如嚮矣」を加えた結果、「嚮」の意味が分からず、「響の意」だとか言う。哀れなエピゴーネンたちが、雑多な小理屈で健気にも立ち上がってきたのを、中古の4.8k円・重辞典で、文字区画ごと木っ端微塵に粉砕できるのも滑稽だ。
まじめに辞書を引かんからだ。実情は次章の頭部分を、昔のうっかり者が切り違えただけ。
君子如嚮矣、學之經莫速乎好其人,隆禮次之。…
君子がもしその気になったなら、学びの本筋は有り難い師匠を探して弟子になるのが一番早い。礼儀作法をもっともらしくやるのは、その後でいい。…
「嚮」の上古音は「響」と同じだが、同音=同訓ではない。「嚮」の音は論語語釈「郷」も参照。うっかり切り分けを間違うのは人として仕方がないことだが、間違いを後生大事に抱えて、自分で考えようともしないのが、「小人は必ず飾る」が示していることだ。
このように漢文読解の実践は、先人をサル真似して疑わないことではない。間違いは間違い、悪党は悪党と言い、言うからには論拠を示し、自信を持って読み進めることだ。学習は宗教でない。他でもない孔子がそう言っている(孔子はなぜ偉大なのか)。
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