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論語詳解474子張篇第十九(3)子夏の門人交りを’

論語子張篇(2)要約:子張はやり過ぎ、子夏は控え過ぎ。そう孔子先生から評された二人は、交友論についてもはっきりと違う意見を持っていました。どこか自己本位な子夏の意見に、そううまく行くものか、と子張は疑問を呈するのでした。

論語:原文・白文・書き下し

原文・白文

子夏之門人、問「交」於子張。子張曰、「子夏云何。」對曰、「子夏曰、可者與之、其*不可者拒*之。」子張曰、「異乎吾所聞*。君子尊賢而容衆、嘉善而矜不能。我之大賢與、於人何所不容。我之不賢與、人將拒*我、如之何其拒*人也。」

校訂

諸本

  • 武内本:清家本により、聞の下に也の字を補う。翟氏考異云、漢石経其の字なし。唐石経、距拒に作る。
  • 論語集釋:𦾔文「拒」爲「距」。『釋文』、距、今本作「拒」、下「人將距我、如之何其距人也」同。漢石經爲「距」。又「可者」下「者距」上凡闕四字、今此間有五字、疑漢本無其字。

後漢熹平石経

…交於子張子󱩾子夏󱩾何對白子夏白可者󱩾󱩾󱩾󱩾者拒…󱩾大賢󱩾於人何不容

  • 「不」字:〔一八个〕。

定州竹簡論語

……門人問交於子張。[子張曰:「子夏曰a何?」對曰]:575……

  1. 曰、今本作”云”。

→子夏之門人、問「交」於子張。子張曰、「子夏曰何。」對曰、「子夏曰、可者與之、不可者距之。」子張曰、「異乎吾所聞也。君子尊賢而容眾、嘉善而矜不能。我之大賢與、於人何所不容。我之不賢與、人將距我、如之何其距人也。」

復元白文(論語時代での表記)

子 金文夏 金文之 金文門 金文人 金文 問 金文交 金文於 金文子 金文張 金文大篆 子 金文張 金文大篆曰 金文 子 金文夏 金文曰 金文何 金文 対 金文曰 金文 子 金文夏 金文曰 金文 可 金文者 金文与 金文之 金文 不 金文可 金文者 金文距 金文之 金文 子 金文張 金文大篆曰 金文 異 金文乎 金文吾 金文所 金文聞 金文 君 金文子 金文尊 金文賢 金文而 金文用 金文衆 金文 嘉 金文善 金文而 金文憐 石鼓文不 金文能 金文 我 金文之 金文大 金文賢 金文与 金文 於 金文人 金文何 金文所 金文不 金文用 金文 我 金文之 金文不 金文賢 金文与 金文 人 金文將 甲骨文距 金文我 金文 如 金文之 金文何 金文其 金文距 金文人 金文也 金文

※張→(金文大篆)・容→用・矜→憐(石鼓文)・將→(甲骨文)。論語の本章は「也」の字を句末で用いている。「之」「與」「乎」「也」の用法に疑問がある。その部分は戦国時代以降の儒者による改変である。

書き下し

子夏しか門人もんじんまじはり子張しちやうふ。子張しちやういはく、子夏しかなにとかへる。こたへていはく、子夏しかいはく、よろしきものこれくみし、よろしからものこれこばめと。子張しちやういはく、ところことならん君子もののふさかしきをたつとみなひとれ、きをよみあたるをあはれむ。われこれおほいにさかしからんとせんひとなんところならむ。われこれさかしからるとせんひとまさわれこばまむも、かくごときはなんひとこばまむかな

論語:現代日本語訳

逐語訳

子夏の弟子が、人付き合いを子張に質問した。子張が言った。「子夏は何と言ったか。」答えて言った。「子夏先生は言いました。悪くなければ付き合い、良くなければ拒めと。」子張が言った。「私が伝え聞いた所は違うな。貴族は偉い人を尊び、多数の者を受け入れる。能力者を誉めあげて能のない者を憐れむ。自分がまことたいそう偉ければ、人がどうして受け入れる者にならないだろうか。自分が全然偉くなければ、人は必ず自分を拒むだろうが、それなのにどうして、人を拒むなどということができようか。」

意訳

弟子 子張
子夏の弟子「人付き合いの要点をご教示下さい。」
子張「子夏は何と教えたかね?」
子夏の弟子「出来が悪くなければ付き合え、悪ければ付き合うな、と仰せでした。」

子張「私がもれ聞いた孔子先生の教えは違うな。”貴族の端くれなら、立派な人はもちろん称賛するが、何の能もない一般人だって、憐れんで追い払いはしないもの。かわいそうに、と憐れんでやりなさい”だったらしい。それに自分が立派なら、どこでも歓迎されて当たり前だが、何の能もなければ追い払われるに決まっている。そんな能なしが、誰と付き合うか、自分の思い通りになどなるものか。」

従来訳

下村湖人

子夏の門人が人と交る道を子張にたずねた。子張がいった。――
「子夏は何といったのか。」
子夏の門人がこたえた。――
「為めになる人と交り、為めにならない人とは交るな、といわれました。」
子張がいった。――
「それは私の学んだこととはちがっている。君子は賢者を尊ぶと共に衆人を包容し、善人を称讃すると共に無能の人をあわれむ、と私はきいている。自分がもし大賢であるなら、誰と交ろうと平気だし、自分がもし賢くなければ、こちらが相手をきらうまえに、相手がこちらをきらうだろう。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

子夏的學生問子張怎樣交朋友,子張反問:「子夏怎說?」答:「子夏說:可以交朋友的人就相交,否則就拒絕。」子張說:「我聽到的與這不同。君子尊重賢人,容納衆人;贊揚善人,同情弱者。如果我是個大賢人,什麽人不能不容納?如果我是個壞人?人人都會拒絕我,那我又怎麽能拒絕人家呢?」

中国哲学書電子化計画

子夏の弟子が子張に、どのように友人と付き合うべきか尋ねた。子張は問い返した。「子夏は何と言ってる?」答えた。「子夏先生は仰せでした。付き合ってもよい人とは付き合い、そうでないなら絶対に付き合うな、と。」子張が言った。「私が聞いたのはそれと違うな。”君子は賢者を尊び、誰でも受け入れる。善人を誉めあげ、弱者に同情する”と。もし自分が大した賢者なら、どうして人が受け入れないでいようか? もしダメ人間なら? どの人も私を拒絶するだろう。それなのに自分もまた人々を拒絶できるわけがあるか?」

論語:語釈

子夏

子夏
論語では孔子より44歳年少の若い弟子、ボク商子夏のこと。文学の才を孔子に評価された孔門十哲の一人。

之(シ)

之 甲骨文 之 字解
(甲骨文)

論語の本章では”…の”・”これ”。初出は甲骨文。字形は”足”+「一」”地面”で、あしを止めたところ。原義はつま先でつ突くような、”まさにこれ”。殷代末期から”ゆく”の語義を持った可能性があり、春秋末期までに”~の”の語義を獲得した。詳細は論語語釈「之」を参照。

門人

門 金文 人 金文
(金文)

論語の本章では”弟子”。「門」には学派や宗派の意があり、学派の人=学派の頭の弟子。科学以前の時代では、宗教と学問は渾然一体で、儒教や仏教もその傾向が強い。

子張

子張

論語では孔子の若い弟子、セン孫師子張のこと。子夏とは4つしか歳が若くないが、孔門十哲からは漏れている。しかし論語には発言が数多く記載され、孔子没後の儒学界で重きを為したことが窺われる。

可 金文 可
(金文)

論語の本章では”悪くない”。『学研漢和大字典』によると、どうにかこうにかしてやっと言い出すさまを表した言葉で、積極的に良いと評価するのではなく、悪くはない、まあよいの意。詳細は論語語釈「可」を参照。

與(ヨ)

与 金文 與 字解
(金文)

論語の本章では”助力する”・”~と”。後者の語義は春秋時代では確認できない。新字体は「与」。初出は春秋中期の金文。金文の字形は「牙」”象牙”+「又」”手”四つで、二人の両手で象牙を受け渡す様。人が手に手を取ってともに行動するさま。従って原義は”ともに”・”~と”。詳細は論語語釈「与」を参照。

聞 聞

論語の本章では”伝え聞く”。論語の時代、直接聞くのは「聴」と書き、間接的に聞くのは「聞」と書いた。初出は共に甲骨文。詳細は論語語釈「聞」を参照。

君子

孟子
”教養ある人格者”などという、うさんくさい語義は、孔子没後一世紀に現れた孟子による商売上の宣伝で、孔子生前は単に”貴族”を意味した。もっとも貴族と言っても参政権がある者を指し、必ずしも領主ではない。詳細は論語における君子を参照。

論語の本章では”受け入れる”。初出は戦国末期の金文で、論語の時代に存在しないが、同音の「用」が置換候補となる。詳細は論語語釈「容」を参照。

眾(シュウ)

衆 甲骨文 衆 字解
(甲骨文)

論語の本章では”大勢の人”。「眾」「衆」は異体字。初出は甲骨文。字形は「囗」”都市国家”、または「日」+「人」三つ。都市国家や太陽神を祭る神殿に隷属した人々を意味する。論語の時代では、人々一般を意味した可能性がある。詳細は論語語釈「衆」を参照。

拒→距

拒 篆書 拒 字解
(篆書)

論語の本章では”拒む・付き合わない”。論語では本章のみに登場。初出不明。論語の時代に存在が確認できない。論語時代の置換候補は同音同調の「距」。

『学研漢和大字典』によると巨(キョ)は、取っ手のついた定規の形を描いた字。定規は上線と下線とが距離をおいて隔たっている。拒は「手+(音符)巨」会意兼形声文字で、間隔をおし隔てて、そばに寄せないこと、という。『字通』では巨をさしがね=定規とするのは同じだが、木材を巨の形に組んで交通を遮断することと言う、という。詳細は論語語釈「拒」を参照。

唐石経以前の「距」は論語では本章のみに登場。初出は春秋末期または戦国早期の金文。論語の時代に存在しなかった可能性がある。『学研漢和大字典』によると「足+(音符)巨」の会意兼形声文字で、他の四本の指との間がへだたったけづめ。転じて、両端の間が広くあいていること、という。詳細は論語語釈「距」を参照。

乎(コ)

乎 甲骨文 乎 字解
(甲骨文)

論語の本章では、”~と”と訳し、助詞の働きをする。初出は甲骨文。甲骨文の字形は持ち手を取り付けた呼び鐘の象形で、原義は”呼ぶ”こと。甲骨文では”命じる”・”呼ぶ”を意味し、金文も同様で、「呼」の原字となった。句末の助辞として用いられたのは、戦国時代以降になる。ただし「烏乎」で”ああ”の意は、西周早期の金文に見え、句末でも詠嘆の意ならば論語の時代に存在した可能性がある。詳細は論語語釈「乎」を参照。

尊賢

尊 金文
「尊」(金文)

論語の本章では”賢者を尊ぶ”。「尊」の初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると「酒どっくりの形+手」の会意文字で、すらりと形のよい礼式用の酒器。形よく上品で安定している意から、たっといの意に用いる、という。詳細は論語語釈「尊」を参照。

嘉(カ)

嘉 金文 嘉
(金文)

論語の本章では、”よいと認めて、ほめる”こと。論語では本章のみに登場。初出は春秋早期の金文。『学研漢和大字典』によると加は、架(物を上に乗せる)の意を含む。嘉は「加(ごちそう)+(音符)加」の会意兼形声文字で、で、ごちそうをたっぷりと上に盛るさま。善(膳(ゼン)の原字で、ごちそうのこと)がよいの意となったのと同様に、広く、けっこうである、めでたいの意に転じる、という。詳細は論語語釈「嘉」を参照。

善 金文 善 字解
(金文)

論語の本章では、”能力のある人”。本章で「不能」と対置されているように、論語ではおおむね、道徳的な善悪の善の意味では用いられない。『学研漢和大字典』による原義は立派で大きな羊、『字通』では神に嘉せられた羊のこと。詳細は論語語釈「善」を参照。

矜(キン)

矜 古文
(古文)

論語の本章では「キン」の音で”憐れむ”。憐(レン)に当てた語義。”誇る”の場合は音が「キョウ」となる。初出は楚系戦国文字で、論語の時代に存在しないが、”憐れむ”の語義に限り、「憐」が置換候補となる。詳細は論語語釈「矜」を参照。

我之大賢與

論語の本章では”私がまったく大した賢者だとしようか”。ここでの「之」は、「~をこれ…す」とよみ、「~を…する」と訳す。倒置・強調の意を示す。”まったく”が「之」に当たる。

武内本に、「之は若と同意に用いらるることあり」とある。するとここの読みは、「我し大賢なる」という仮定の条件節となるが、全体の文意は大して変わらない。詳細は論語語釈「之」を参照。

也(ヤ)

也 金文 也 字解
(金文)

論語の本章では、「や」と読んで詠歎の意に用いている。初出は事実上春秋時代の金文。字形は口から強く語気を放つさまで、原義は”…こそは”。春秋末期までに句中で主格の強調、句末で詠歎、疑問や反語に用いたが、断定の意が明瞭に確認できるのは、戦国時代末期の金文からで、論語の時代には存在しない。詳細は論語語釈「也」を参照。

如之何其拒人也

論語の本章では、”それなのに、どうして自分が強いて人を拒めるだろうか”。ここでの「其」は「也」とセットで「それ~ならんや」とよみ、「どうして~だろうか(いやそうではない)」と訳す。反語の意を示す。詳細は論語語釈「其」を参照。

「如之何」を「これをいかん」とパブロフ犬のように読むのはもう止めよう。「いかん」と読む語には多種あり、同じ読みでも意味が全然違う場合がある。詳細は漢文読解メモ「いかん」を参照。

「如」の初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると、「口+〔音符〕女」の会意兼形声文字で、もと、しなやかにいう、柔和に従うの意。ただし、一般には、若とともに、近くもなく遠くもない物をさす指示詞に当てる、という。詳細は論語語釈「如」を参照。

藤堂本によると、「之」はそれまでの文意=自分が受け入れられるかどうかは他人次第、であり、それを「如何」=どうする事も出来ないということ。それなのに、「何ぞ人を拒まん」=なぜ人を拒めるだろうかと言い、文意を「其~也」=なんと~ではないか、で強めている。

論語:付記

中国歴代王朝年表

中国歴代王朝年表(横幅=800年) クリックで拡大

論語の本章は、もし史実としても孔子没後の一コマだろうが、子夏と子張の違いがよく分かって興味深い。孔子に「子張はやり過ぎ、子夏は控えめすぎ。だがどっちも至らないことでは同じ」(論語先進篇15)と孔子に評された二人は、交友論でも意見がはっきり違っている。

なお『論語集釋』にはご丁寧に、子張・子夏両者の意見の違いについて、歴代の儒者がああだこうだと論じたのを、コレデモカと記しているが、どいつもこいつも、あまりに下らねえことしか言っていないので、訳す気が失せた。作法としてまだマシな新旧の注だけ記しておく。

註苞氏曰友交當如子夏汛交當如子張

包咸
包咸「友達づきあいは子夏の言う通り。世間づきあいは子張の言う通り。」(『論語集解義疏』)

子夏之言迫狹,子張譏之是也。但其所言亦有過高之病。蓋大賢雖無所不容,然大故亦所當絕;不賢固不可以拒人,然損友亦所當遠。學者不可不察。


朱子「子夏の言い分は狭すぎる。子張がくさしたのは理にかなっている。だがその言い方が鼻持ちならない。思うに大賢者なら誰でも受け入れるのだろうが、とんでもない凶状持ちなら追い払っても無理は無い。賢者でない凡俗は、人を拒むことは出来ないが、人を利用しにかかるかっこ付き”友人”なら、遠ざけても理が通る。儒学を学ぶ者は、そこの所をよく考えるといい。」(『論語集注』)

『論語』子張篇:現代語訳・書き下し・原文
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