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論語詳解480子張篇第十九(9)君子に三変’

論語子張篇(9)要約:君子は遠くから見ると厳めしいが、近寄ってみると案外温かい。でもその言葉は激しい、と弟子の子夏。言葉が激しいのはウソをつかないからで、仮想世界に遊ぶことと現実世界で生きることには、けじめが必要です。

論語:原文・白文・書き下し

原文・白文

子夏曰、「君子有三變、望之儼然、卽之也溫、聽其言也厲。」

校訂

後漢熹平石経

…白…

  • 次章である可能性あり。

定州竹簡論語

……夏曰:「君子a三變:望之儼b然,578……

  1. 今本”子”字下有”有”字。
  2. 儼、皇本作”嚴”、『釋文』云”本或作嚴”。二字音同、古多有通借。

※儼ŋi̯ăm(上)、嚴ŋi̯ăm(平)。


→子夏曰、「君子三變、望之儼然、卽之也溫、聽其言也厲。」

復元白文(論語時代での表記)

子 金文夏 金文曰 金文 君 金文子 金文有 金文三 金文変 金文 望 金文之 金文厳 金文然 金文 即 金文之 金文也 金文温 甲骨文 聴 金文其 金文言 金文也 金文厲 金文

※變→(戦国早期金文)・儼→嚴・溫→(甲骨文)。論語の本章は「變」(変)の字が論語の時代に存在しなかった可能性がある。本章は戦国時代以降の儒者による捏造の可能性がある。

書き下し

子夏しかいはく、君子もののふに三ぺんあり。これのぞめばいつくしかりり、これあたたかし、ことはげし。

論語:現代日本語訳

逐語訳

子夏が言った。「貴族には三つの変化がある。これを遠くから眺めると厳めしい。これに近寄ると温かい。その言葉を聞くと激しい。」

意訳

子夏「ふさわしい貴族というものは、付き合い方で全く違って見える。遠目にはいかめしいが、知り合って付き合ってみると親切だ。ただしものをはっきり言うから、びっくりさせられることがある。」

従来訳

下村湖人

子夏がいった。――
「君子に接すると三つの変化が見られる。遠くから望むと儼然としており、近づいて見ると柔和な顔をしており、その言葉をきくと確乎として犯しがたい。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

子夏說:「君子有三變:看起來他很嚴肅,接觸後就知道他很溫和,聽他說話卻很嚴厲。」

中国哲学書電子化計画

子夏が言った。「君子には三つの変化がある。彼を眺めてみると非常にいかめしく、ふれ合った後すぐに彼の人柄を知ると非常に温和で、彼の話を聞くとかえってきびしく激しい。」

論語:語釈

子夏

子夏

論語では、孔子の若い弟子で孔門十哲の一人、ボク商子夏を指す。

君子

貴族 孟子

論語では、庶民に対する為政者階級=貴族を意味する。論語では他に、弟子に対する「諸君」との呼びかけで用いる例が多い。「君子」を情け深い教養人などといった曖昧な語義で用いたのは、孔子より一世紀後の孟子から。詳細は論語における「君子」を参照。

變/変

変 古文
(古文)

論語の本章では”変化(する)”。初出は戦国早期の金文で、ぎりぎり論語の時代に無かった可能性がある。古文でも多くは変 異体字の字体で記される。『学研漢和大字典』によると、變の上部は「絲+言」の会意文字で、乱れた糸を解こうとしても解けないさま。変にもつれた意を含み、乱と同系のことば。變(ヘン)は、それに攴(動詞の記号)をそえた会意文字で、不安定にもつれてかわりやすいこと、という。詳細は論語語釈「変」を参照。

望 金文 望
(金文)

論語の本章では”遠くから眺める”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると、望の原字は「臣(目の形)+人が伸びあがって立つさま」の会意文字。望は、それに月と音符亡(ボウ)(モウ)を加えた会意兼形声文字で、遠くの月を待ちのぞむさまを示す、という。詳細は論語語釈「望」を参照。

儼(𠑊)然

𠑊 古文
(古文)

論語の本章で”人間のさまがいかめしい”。現行書体の初出は上掲定州竹簡論語。確実な初出は説文解字。異体字とされる「嚴」(厳)の初出は西周末期の金文

『学研漢和大字典』によると、嚴の下部(音ガン)は、いかつくどっしりした意を含む。巖(ガン)(岩)の原字。嚴はそれを音符とし、口二つ(口やかましい)を加えた文字で、いかついことばを使って口やかましくきびしく取り締まることを示す。「𠑊」はそれににんべんがついた会意兼形声文字で、人間のがっしり構えたさま。「厳」に書き換えられることがあり、ほぼ同義、という。詳細は論語語釈「𠑊」を参照。

ここでの「然」は形容詞の後ろについて、”そうである状態”を意味する。完了の「矣」や「已」と同類の言葉。詳細は論語語釈「然」を参照。

卽(即)

即 金文
(金文)

論語の本章では”近づく”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると、人がすわって食物を盛った食卓のそばにくっついたさまの会意文字で、のち、副詞や接続詞に転じ、口語では便・就などの語にとってかわられた。則(そばにくっつく)・側(そば)と同系のことば、という。詳細は論語語釈「即」を参照。

也(ヤ)

也 金文 也 字解
(金文)

論語の本章では、「や」と読んで下の句とつなげる働きに用いている。初出は事実上春秋時代の金文。字形は口から強く語気を放つさまで、原義は”…こそは”。春秋末期までに句中で主格の強調、句末で詠歎、疑問や反語に用いたが、断定の意が明瞭に確認できるのは、戦国時代末期の金文からで、論語の時代には存在しない。詳細は論語語釈「也」を参照。

溫/温

温 甲骨文 溫 温 字解
(甲骨文)

論語の本章では”温かい”。甲骨文ではさんずいのない形で見られるが、なぜか金文では見られない。訓読みとして「あたたかし」を辞書は挙げるが、古語辞典には見られず、「温」は「ぬくし」と読まれている。詳細は論語語釈「温」を参照。

なお論語為政篇11「温故知新」を、「古きをたずねて」と読み下したり、”古くからの知識を温め直しておさらいし”と解釈するのは、最古の甲骨文が参照できなかった時代の誤り。甲骨文は水水 甲骨文+人人 甲骨文+皿皿 甲骨文の字形で、人が湯船に入って湯浴みすること。従って「温故知新」とは、”古いことは綺麗さっぱり洗い流して、新しいことを知る”の意。『大漢和辞典』にも”いでゆ”の語釈がある。

聽(聴)

聞 聞

論語の本章では”聞く”。初出は甲骨文。同じ「きく」でも春秋時代では使い分けがあり、「聴」は直接的に聞くこと、「聞」は間接的に聞くこと。詳細は論語語釈「聴」を参照。

厲(レイ)

厲 金文
(金文)

論語の本章では”激しい”。初出は西周中期の金文。『学研漢和大字典』によるとまだれの中は激しい毒を持ったサソリの象形で、サソリ毒のように激しいこと。それにまだれ=石が加った会意文字で、激しくものを削る砥石を意味する、という。詳細は論語語釈「厲」を参照。

論語:付記

中国歴代王朝年表

中国歴代王朝年表(横幅=800年) クリックで拡大

論語の本章は、子夏が師匠の孔子について語った言葉だと解される場合がある。それは全く見当違いとまでは言えないが、主語は「君子」であって「子」ではない。現在最古の定州竹簡論語でも「君子」と記す。だから孔子個人ではなく、「君子」の理想像を語ったと見てよい。

孔子だとする解釈の元は、頭のおかしなオカルトを論語に書き込んでいた程頤(伊川)だ。

程子曰:「他人儼然則不溫,溫則不厲,惟孔子全之。」

程伊川
程伊川「他の連中はいかめしいだけで人に冷たいが、冷たくない奴は言葉がぬるい。厳・温・厲の三者を同時にやってのけたのは、孔子先生だけだ。」(『論語集注』)

古注にはこんな事書いてない(『論語集解義疏』)。程伊川の生まれる1,600年ほど前に孔子は世を去った。見てきたようなウソをつく奴の言うことを、真に受けるのはもう止めよう。

本章の「言也厲」について、「ウソつくな」は世界の大宗教の開祖がこぞって言った事で、孔子もまた「知らない事は知らないと言いなさい」と論語為政篇17で言った。人の世には物理現実と、口じゃみせんで出来上がったでっち上げがあり、物理現実が君子のたしなみだった。

そうでないと戦争に負けてしまい、税収の帳簿が滅茶苦茶になる。「占いで人を躾けるのはいいが、自分まで信じてどうする」(論語衛霊公篇37)と教えた孔子は、仮想世界があることは重々承知していたし、詩を好んだように否定もしなかったが、使い分けは強調した。

本章の語り手である子夏は、おそらく孔子の没後、北方の魏国に招かれて学術顧問と教官を兼ねた。李克呉起西門豹といった優れた弟子が出たが、いずれも儒家と言うより法家に見える現実主義者で、これは子夏もまた孔子同様、仮想界と現実界のけじめを教えた結果だろう。

豹柄
なお論語の本章と似た中国の故事成語に、「君子豹変」がある。出典は『易経』とされる。

九五:大人虎變,未占有孚。(傳)大人虎變,其文炳也。
上六:君子豹變,小人革面,征凶,居貞吉。(傳)君子豹變,其文蔚也。小人革面,順以從君也。


五番目の卦は、大人(有力者)が虎のように変わることで、占っても当たることは少ない。
付け足し。大人が虎のように変わるというのは、虎の縞模様ははっきりしているからだ。

六番目の卦は、君子が豹のように変わること、小人(くだらない人間)は顔色を変えることで、何かに手を出すと危ない。占いに従うのが吉。
付け足し。君子が豹のように変わるというのは、豹の模様は細かいからだ。小人が顔色を変えるというのは、旦那様の顔色を窺っているからだ。(『易経』䷰革)

何を言っているのか分からないが、占いとは何を言っているのか分かってしまうと有り難くないので、商売上の都合から、煙幕を撒いたようなことしか書けないわけだ。現伝『易経』の成立は前漢より前には遡れないが、そもそも前漢末期の楊雄(揚雄)のパクリかも知れない。

聖人虎別,其文炳也。君子豹別,其文蔚也。辯人貍別,其文萃也。貍變則豹,豹變則虎。好書而不要諸仲尼,書肆也。好說而不要諸仲尼,說鈴也。君子言也無擇,聽也無淫,擇則亂,淫則辟。述正道而稍邪哆者有矣,未有述邪哆而稍正也。

漢儒
聖人は虎のようにはっきりしている。虎の模様がはっきりしているように。君子もはっきりしているが、変化の間隔が短い。豹の模様が細かいように。口の回る者はネコのように変わる。ネコの模様がさまざまであるように。だがネコも化ければ豹になり、豹も化ければ虎になる。

それにはよく本を読むことだ。本をよく読めば、孔子様のような先生は要らないし、書店通いをする必要も無い。その学びの結果、人に話すのが上手になれたら、やっぱり孔子様を呼んで来て語らせる必要は無い。チリンチリンと鈴を鳴らして人を呼び集める手間も要らない。

君子は問われたら何でも語り、話を聞くには一人だけをえり好みしない。何でも語れるように知能を高めないと、言っていることがデタラメになる。聞く話をえり好みしていると、思考が偏る。

だが言っていることに筋が通っていても、時折デタラメを言うものがいる。それでもデタラメばかり言う者が、少しでもまともであったためしは無い。(『楊子法言』吾子巻二13-14)

論語の本章に話を戻せば、言い廻しが後世、漢籍でラノベを書くときの常套句になった。

帝尭は、放勲という。其の仁は天の如く、其の知は神の如く、之に就くこと日の如く、之を望むこと雲の如し。(『史記』五帝本紀・帝堯)
帝尭陶唐氏は、伊姓なり。或いは曰く、名は放クンと。帝嚳の子也。其の仁は天の如く、其の知は神の如し。之に就かば日の如く、之を望まば雲の如し。(『十八史略』三皇五帝・帝尭陶唐氏)

さらに本章の本歌を探せば、『孫子兵法』の「風林火山」あたりかも知れない。

『論語』子張篇:現代語訳・書き下し・原文
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