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論語詳解467B微子篇第十八(10)明日子路行き’

論語微子篇(10)要約:隠者の家で歓待された子路。翌日孔子先生に追いつき、いきさつを語ります。ひとかどの人物と思った先生は、子路にお礼を言わせにやります。しかし隠者は仕事に出掛けており、子路は老人の畑に向かうのでした。

(検証・解説・余話の無い章は未改訂)

論語:原文・白文・書き下し

原文・白文

(前回より続く)

明日、子路行以吿。子曰、「隱者也。」使子路反見之。至則行矣。子路曰、「不仕無義。長幼之節、不可廢也。君臣之義、如之何其可廢也*。欲潔*其身、而亂大倫。君子之仕也、行其義也。道之不行也*、已知之矣。」

校訂

武内本

其可廢也、唐石経其廢之に作る。潔、唐石経絜に作る。也、唐石経なし。

後漢熹平石経

…如之何其廢之也欲絜其身而亂大倫君子之仕也行其義也道󱩾不行…

  • 「其」字:上半分の中心に〔丨〕一画あり。

定州竹簡論語

……子路行以告。子曰:「隱562……子路[返a]563……[節],不可廢b;君[臣]564……[之何其廢之也c?欲潔d其身],而亂大倫。君子之仕也,565……之[不]行也e,已知之566……

  1. 返、今本作”反”。
  2. 今本”廢”字下有”也”字。
  3. 其廢之也、阮本作”其廢之”、皇本作”其可廢之也”、漢石經作”其廢之也”
  4. 潔、阮本作”絜”、皇本作”潔”。
  5. 也、阮本無、皇本、高麗本有。

→明日、子路行以吿。子曰、「隱者也。」使子路返見之。至則行矣。子路曰、「不仕無義。長幼之節、不可廢。君臣之義、如之何其廢之也。欲潔其身、而亂大倫。君子之仕也、行其義也。道之不行也、已知之矣。」

復元白文(論語時代での表記)

明 金文日 金文 子 金文路 金文行 金文㠯 以 金文告 金文 子 金文曰 金文 <img src=者 金文也 金文 使 金文子 金文路 金文反 金文見 金文之 金文 至 金文則 金文行 金文矣 金文 子 金文路 金文曰 金文 不 金文事 金文無 金文義 金文 長 金文幼 金文之 金文𠬝 金文 不 金文可 金文祓 甲骨文 君 金文臣 金文之 金文義 金文 如 金文之 金文何 金文其 金文祓 甲骨文之 金文也 金文 谷㓞 金文其 金文身 金文 而 金文亂 金文大 金文侖 甲骨文 君 金文子 金文之 金文事 金文也 金文 行 金文其 金文義 金文也 金文 道 金文之 金文不 金文行 金文也 金文 已 矣 金文智 金文之 金文矣 金文

※返→反・仕→事・節→𠬝・廢→祓(甲骨文)・欲→谷・潔→㓞・倫→侖(甲骨文)。論語の本章のこの部分は、「之」「則」「也」「其」「身」「行」の用法に疑問がある。

書き下し

くる子路しろりてもつぐ。いはく、隱者いんじやなりと。子路しろ使かへりてこれしむ。いたればすなは子路しろいはく、つかへざればすぢからんも。長幼よはひついでからず。君臣くんしんかくごときをなんてむいさぎようせむともとめ、しおほひなるすぢみだる。君子もののふつかふるすぢおこななりみちおこなはれるは、すでこれ

論語:現代日本語訳

逐語訳

明くる日、子路は(老人の家を)去っていきさつを(孔子に)告げた。先生が言った。「隠者だ。」(孔子は)子路を戻らせてまた(隠者に)会わせようとした。(隠者の家に)行くと、すでに立ち去っていた。子路が言った。「(主君に)仕えなければ義理はないだろうが、(それでも)年齢の序列は捨てる事が出来ない。君臣の秩序、そのようなものを、どうして捨て切ってしまったのか。自分が清潔であることを望んで、大いなる人の道を損なっている。君子が主君に仕えるのは、その道を行うためだ。その道が廃れていることは、すでに知っている。」

意訳

子路 喜び 孔子 褒める
翌日、隠者の家を出た子路は孔子に追いついて、いきさつを語った。
孔子「ひとかどの隠者だな。お前はもう一度戻って、きちんとお礼を言いなさい。」

しかし隠者の家に着いてみると、すでに畑作へ出かけた後だった。そこで子路は畑に行って、老人に昨晩の歓待の礼を述べた後、こう言った。

子路 あきれ 丈人
子路「たしかにご老人のように、宮仕えをしなければ、世間への義理はないでしょう。しかしお子を引き合わせて下さったように、長幼の秩序はご存じではありませんか。かつてはいずこかの御家中だったのでしょうが、どうして浪人してしまわれたのです。

何かよほど許せぬ事があおりだったのでしょうが、それでは世の中のはみ出し者になってしまうではありませんか。我ら君子が主君に仕えるのは、そういう世の中の道を守るためです。君子たる者がそうしなければ、この世から秩序が絶えてしまいます。

もちろん今は乱世で、秩序が崩れてはいます。しかしそんなことは、とうに承知なのですが、我らはやらざるをえないのです。」

従来訳

下村湖人

翌日、子路は先師に追いついて、その話をした。すると先師はいわれた。――
「隠者だろう。」
そして、子路に、もう一度引きかえして会って来るように命じられた。
子路が行って見ると、老人はもういなかつた。子路は仕方なしに、二人の息子にこういって先師の心をつたえた。――
「出でて仕える心がないのは義とはいえませぬ。もし、長幼の序が大切でありますなら、君臣の義をすてていいという道理はありますまい。道が行われないからといって自分の一身をいさぎよくすれば、大義をみだすことになります。君子が出でて仕えるのは、君臣の義を行うためでありまして、道が行われないこともあるということは、むろん覚悟のまえであります。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

第二天,子路告辭,趕上孔子一行,把情況向孔子做了彙報。孔子說:「是隱士。」讓子路返回去見老人,到了他家,他已出門了。子路說:「不做官是不對的。長幼之間的禮節,不可廢除;君臣之間的大義,又怎能拋棄呢?想潔身自好,卻破壞了君臣之間的大倫。君子做官,衹是履行人臣的義務,至於天下太平的理想,早就知道行不通了。」

中国哲学書電子化計画

翌日、子路は(老人一家に)別れを告げ、孔子一行に追いつき、事情を孔子に報告した。孔子が言った。「これはひとかどの隠者だ。」子路を戻らせて老人に会わせようとしたが、彼の家に着いてみると、彼は出掛けた後だった。子路が言った。「仕官しないのは間違いだ。年齢の上下による礼節は、捨てる事が出来ない。君臣の間の大義は、これまたどうして捨てられようか? 自分だけを清潔にしようとして、かえって君臣の間の大義を壊している。君子が仕官するのは、ただ人の臣下としての義務を果たすためだ。天下太平の理想が、実現できないのは党に分かりきっている。」

論語:語釈

明日

明 金文 明
「明」(金文)

論語の本章では日本語と同じく”明くる日・翌日”。

「明」の初出は甲骨文。語源は『学研漢和大字典』によると日+月ではなく、明かり取りの窓+月という。詳細は論語語釈「明」を参照。

子路

子路

論語では、孔子に最も早く入門した弟子。後世の儒者によって、一門きっての筋肉ダルマ、おバカだとされたが、その実像は武将ではなく腕利きの行政官。論語の人物・仲由子路を参照。また、孔門十哲の謎も参照。

行(コウ)

行 甲骨文 行 字解
(甲骨文)

論語の本章では”行く”・”行う”。初出は甲骨文。「ギョウ」は呉音。十字路を描いたもので、真ん中に「人」を加えると「道」の字になる。甲骨文や春秋時代の金文までは、”みち”・”ゆく”の語義で、”おこなう”の語義が見られるのは戦国末期から。詳細は論語語釈「行」を参照。

告 金文 吿 解字
(金文)

論語の本章では”告げる”。初出は甲骨文。新字体は「告」。『学研漢和大字典』によると、『説文解字』では、牛の角に付けた棒が、人に危険を告知することから、ことばで告知する意を生じたとする、という。詳細は論語語釈「告」を参照。

隱者

隠 古文
「隠」(古文)

論語の本章では、世間から隠れて生きる人。「隠」の字の初出は戦国文字で、論語の時代に存在しない。置換候補は近音の陰。『学研漢和大字典』によると、隱の右側の上部は「爪(手)+工印+ヨ(手)」の会意文字で、工形の物を上下の手で、おおいかくすさまをあらわす。隱はそれに心をそえた字を音符とし、阜(壁や、土べい)を加えた会意兼形声文字で、壁でかくして見えなくすることをあらわす。隠は工印をはぶいた略字、という。詳細は論語語釈「隠」を参照。

也(ヤ)

也 金文 也 字解
(金文)

論語の本章では、「なり」と読んで断定の意に、「や」と読んで、詠歎・主語の強調に用いている。初出は事実上春秋時代の金文。字形は口から強く語気を放つさまで、原義は”…こそは”。春秋末期までに句中で主格の強調、句末で詠歎、疑問や反語に用いたが、断定の意が明瞭に確認できるのは、戦国時代末期の金文からで、論語の時代には存在しない。詳細は論語語釈「也」を参照。

反→返

論語の本章では”戻って”。「反」の初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると「厂+又(て)」の会意文字で、布または薄い板を手で押して、そらせた姿。そったものはもとにかえり、また、薄い布や板はひらひらとひるがえるところから、かえる・ひるがえるの意となる、という。詳細は論語語釈「反」を参照。

定州竹簡論語の「返」の初出は斉系戦国文字。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補は同音の「反」。『学研漢和大字典』によると「辵+(音符)反(もとへもどる、はねかえる)」の会意兼形声文字。詳細は論語語釈「返」を参照。

之(シ)

之 甲骨文 之 字解
(甲骨文)

論語の本章では”これ”・動詞の強調・”~の”。初出は甲骨文。字形は”足”+「一」”地面”で、あしを止めたところ。原義はつま先でつ突くような、”まさにこれ”。殷代末期から”ゆく”の語義を持った可能性があり、春秋末期までに”~の”の語義を獲得した。詳細は論語語釈「之」を参照。

則(ソク)

則 甲骨文 則 字解
(甲骨文)

論語の本章では、”すると”。初出は甲骨文。字形は「テイ」”三本脚の青銅器”と「人」の組み合わせで、大きな青銅器の銘文に人が恐れ入るさま。原義は”法律”。論語の時代=金文の時代までに、”法”・”のっとる”・”刻む”の意と、「すなわち」と読む接続詞の用法が見える。詳細は論語語釈「則」を参照。

不仕無義

武内本では「仕えざるは義をなみするなり」と読んでおり、”あなたほどの見識がありながら、主君に仕えないのは、正義をないがしろにするものだ”と解している。しかし漢文の常で、どの解釈が正しいかの決定打は無い。

訳者としては、子路が出会った当初からひとかどの人物と見て敬意を払ったこと、老人も子路を好んで一晩泊め、貴重なニワトリをしめてご馳走したことから、両者の閒には相当な好意と、それを生み出した教養的な会話のやりとりがあったと見る。だから子路は老人を、かつてはどこかの諸侯に仕えた士族と見たのだろう。

従って、”なぜ浪人して、世間の秩序から離れてしまわれたのか”と解釈した。

廢/廃

廃 金文大篆
(金文大篆)

論語の本章では”やめる”。初出は後漢の『説文解字』で、論語の時代に存在しない同音は祓のみ、甲骨文のみ出土。この字に”とりのぞく”の語義がある。詳細は論語語釈「廃」を参照。

如之何其廢之也

論語の本章では”そのようなものを、それこそどうして捨て切ってしまえるでしょうか”。「如何」と見たらパブロフ犬のように「いかん」と読むのはいかがなものか。春秋時代の漢文には原則的に、熟語はないつもりで読むのが妥当である。なお「いかん」と読む一連の漢語のまとめは、漢文読解メモ「いかん」を参照。

ここでの「之」は代名詞では無く、直前の動詞を強調する記号で、”…し切ってしまう”。詳細は論語語釈「之」を参照。

「如」の初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると、「口+〔音符〕女」の会意兼形声文字で、もと、しなやかにいう、柔和に従うの意。ただし、一般には、若とともに、近くもなく遠くもない物をさす指示詞に当てる、という。詳細は論語語釈「如」を参照。

なおこれより前を含んだ部分、「長幼之節、不可廢。君臣之義、如之何其廢之也」を武内本では「長幼の節、廃つばからずんば、君臣の義も如何してかそれ廃つべけむや」と読んでいるので、”年齢による秩序が捨て去ることの出来ないものである以上、君臣の秩序をどうして捨て去ることが出来ましょうか」と因果関係に解している。

論語の本章では”~しようとする”。初出は戦国文字。論語の時代に存在しない。ただし『字通』に、「金文では谷を欲としてもちいる」とある。『学研漢和大字典』によると、谷は「ハ型に流れ出る形+口(あな)」の会意文字で、穴があいた意を含む。欲は「欠(からだをかがめたさま)+(音符)谷」の会意兼形声文字で、心中に空虚な穴があり、腹がへってからだがかがむことを示す。空虚な不満があり、それをうめたい気持ちのこと、という。詳細は論語語釈「欲」を参照。

其(キ)

其 甲骨文 其 字解
(甲骨文)

論語の本章では”その”という指示詞。初出は甲骨文。甲骨文の字形は「𠀠」”かご”。かごに盛った、それと指させる事物の意。金文から下に「二」”折敷”または「丌」”机”・”祭壇”を加えた。人称代名詞に用いた例は、殷代末期から、指示代名詞に用いた例は、戦国中期からになる。詳細は論語語釈「其」を参照。

身(シン)

身 甲骨文 身 字解
(甲骨文)

論語の本章では”自身”。初出は甲骨文。甲骨文では”お腹”を意味し、春秋時代には”からだ”の派生義が生まれた。詳細は論語語釈「身」を参照。

欲潔其身、而亂大倫

倫 篆書
「倫」(篆書)

論語の本章では、”自分の清らかさを保とうとして、大いなる人の道を乱す”。要するに潔癖症のあまり自分だけがいい子になり、社会を支える根本道徳をダメにしている、ということ。実際中国の南北長期に、貴族・知識人の間で老荘思想が流行すると、超絶無責任社会になった。

なお「倫」の字は始皇帝による文字の統一以降になって見られ、本章が秦末から漢代にかけて作られたお話である可能性を示している。ただし論語時代の置換候補として、「侖」が甲骨文から存在する。詳細は論語語釈「倫」を参照。

論語:付記

中国歴代王朝年表

中国歴代王朝年表(横幅=800年) クリックで拡大

論語の本章のこの部分は、「也」など句末の助字に目をつぶれば、前回と違って論語の時代に遡ることが出来る。となると、古く伝えられたのはこの後半であり、いきさつを語るために前半が作られたか、潤色されたのだろう。『春秋』に左氏伝が加わったのと同じ事情である。

本章について既存の論語本では、宮崎本に以下のように言う。

宮崎市定
この文章は難解な点はない。しかし全体として見た時に何だか甚だすっきりしないものを感じる。先ず第一にこの中に現れた子路は大へん偉い人のようである。論語の中の文章は多くの場合、孔子の言葉で終わっており、それが弟子たちに対する教訓になっているが、ここでは子路が長い説教をして、なんだか師匠の孔子をやりこめているように聞こえる。

併しその子路は同時に大へん人が悪い。子路は初め孔子と離れて、みちで隠者の老人とって立ち話をし、大いに意気投合したらしい。そこで老人は子路を家に連れ帰って、出来るだけの馳走をしてもてなした。ところが最後に子路は隠者の悪口をいって、大倫、すなわち人倫の道徳を乱すものだ、とまで言っている。

率直で聞こえた子路なら、なぜ老人の家に泊まった時に、そのことを言い出して議論しなかったのであろうか。更にここで描かれている孔子は全くのでくの坊である。何のために子路をもう一度老人に会わせにやったのか分からない。

子路の方ではまた、つまらぬ無駄足を踏んだと言って、あんな老人の所へ引返させられたことで、孔子を怨んでいるようにも聞こえる。そうすれば、こんな子路を喜んで接待した隠者の老人も全然人物を見抜く明がない。

要するにこの話に出てくる人物は三人とも至って足りない人間であり、話も人も死んでいるのである。どうしてこんなことになったか。それは文章にあやまりがあるに違いない。(『論語の新研究』)

訳者はそうは思わない。そもそも伝言させたとの情報は本文には無く、後半は子路のセリフと解した方が素直だろう。下掲の通り、説教は全て孔子の言葉だと、儒者がデタラメを言いふらしたのは仕方がないが、現代の読者まで孔子にあらぬ期待を掛けても、やはり仕方がない。

孔子使子路反見之,蓋欲告之以君臣之義。而丈人意子路必將復來,故先去之以滅其跡,亦接輿之意也。…(本文)…子路述夫子之意如此。


朱子「孔子は子路に戻らせて、再度会わせようとした。たぶん君臣の大義を説教したかったのだろう。そして老人は子路がまたやって来ると見抜いていた。だから先手を打って跡形も無く姿を消した。前々章の接輿がやったのと同じ手口である。…そして子路は孔子の伝言を述べた。」(『論語集注』)

宋儒のどうしようもないオカルトとメルヘンが、ここにも現れている。子路の再訪を見抜いたとは、それどこの妖怪サトリですか? そして朱子の解釈では、子供を含め誰一人居ないいおりあとで、子路が孔子の説教をブツブツと唱えたことになっている。間抜けにもほどがある。

これでは子路はまるでガキの使いだ。「師匠に伝言を命じられました。でも誰も居ませんでした。ですから独り言を言って帰ってきました。」言われた通りにすれば済むというのは、書類さえ揃っていれば何をしてもいいと言う、役人根性そのものだ。宋儒はそれで国を滅ぼした。

孔子 革命家
しかも孔子は、君子は必ず仕官し、それで身分秩序が保たれる、とは思っていなかった。そもそも社会の底辺から宰相格に出世した孔子が、身分秩序の大変な破壊者で、君子=貴族に成り上がりたい平民がいれば、誰にもその技能と教養を教えたに止まる(→論語における君子)。

子張 孔子 たしなめ
中には子張のように有力弟子であっても、宮仕えに向いた性格ではないと孔子が判断し、学者の道を勧めたふしさえある(論語為政篇18)。やはり平民から身を起こした子路が、意気投合した老人の浪人を惜しむのには理由が立つが、孔子がわざわざ説教を伝言させる動機がない。

かように論語の本章は古来議論の多い章だが、儒者のように勝手な妄想が許されるなら、どうとでも本章をこじつけられる。例えば翌日に尋ねると老人は「至則行矣」とあり、これを”すでに立ち去って行方知らずであった”と解する例がある。隠者なら朝飯前の遁走ということか?

だが子供二人と、何羽かのニワトリと共に住んでいる家を、そうホイホイと捨てられるだろうか? それに老人には逃げなければならない、一体どんなわけがあったというのか? 家を捨てたなら畑も捨てたのだろうが、せっかく草引きしたばかりの畑を、なぜ?

隠者はウルトラマンではない。「じょわ」の一言だけで、跡形も無く飛んで行けはしない。衣食住も必要で、子供がいたからにはおかみさんだっていたのだ。従来の論語センセイ方は誤読している。孔子は論語の前章とは違い、この老人を隠者としてひとかどだと評価しただけだ。

そして老人は畑仕事に出かけただけであり、子路はガキの使いではなく昨日出会った畑に移動して、お礼ついでに老人の浪人を惜しんだのだろう。それをしないでぶつぶつと独り言、または隠者の子供に伝言したと解するのは、例によって儒者のデタラメで根拠が無い。

註鄭𤣥曰留言以語丈人之二子也

鄭玄
鄭玄「老人の二人の子に伝言を託したのである。」(『論語集解義疏』)

『論語』微子篇:現代語訳・書き下し・原文
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