論語詳解468微子篇第十八(11)逸民は伯夷叔齊*

論語微子篇(11)要約:昔の隠者風味な賢者たちについて、孔子先生が論評します。その結論は”こいつらは身勝手にもほどがある”。あるいは隠者のまねをして、稽古や勉強をサボる弟子を、こう言って叱ったのかも知れません。

このページの凡例

論語:原文・白文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文・白文

逸民、伯夷、叔齊、虞仲、夷逸、朱張、柳下惠、少連。子曰、「不降其志、不辱其身者*、伯夷叔齊與。」謂柳下惠、少連、「降志辱身矣。言中倫、行中慮、其斯而已矣。」謂虞仲、夷逸、「隱居放言、身*中淸、廢*中權。」我則異於是、無可無不可。」

校訂

武内本

清家本により、不辱其身者の下に者の字を補う。身、史記世家行に作り、廢鄭本發に作る。

定州竹簡論語

……張、柳下惠、少連567……「不降其志,不唇a其身者b,伯夷、叔齊與!」「謂柳下惠、568……降志辱身矣,言中倫,569……廢中權c。我則異[任民d]570……

  1. 唇、今本作”辱”。
  2. 者、阮本無、皇本、高麗本有。
  3. 廢、『釋文』云”廢、馬云’重也’、鄭作’發’”。
  4. 任民、今本”異”字后為”於是”二字、無”任民”二字。

→逸民、伯夷、叔齊、虞仲、夷逸、朱張、柳下惠、少連。子曰、「不降其志、不唇其身者、伯夷、叔齊與。」謂柳下惠、少連、「降志辱身矣。言中倫、行中慮、其斯而已矣。」謂虞仲、夷逸、「隱居放言、身中淸、廢中權。我則異任民、無可無不可。」

復元白文(論語時代での表記)

逸 金文民 金文 伯 金文夷 金文 叔 金文斉 金文 虞 金文仲 金文 夷 金文逸 金文 朱 金文張 金文大篆 柳 金文下 金文恵 惠 金文 少 金文連 金文 子 金文曰 金文 不 金文降 金文其 金文 不 金文辰 金文其 金文身 金文者 諸 金文 伯 金文夷 金文 叔 金文斉 金文与 金文 謂 金文柳 金文下 金文恵 惠 金文 少 金文連 金文 降 金文辱 金文身 金文矣 金文 言 金文中 金文侖 甲骨文 行 金文中 金文慮 金文 其 金文斯 金文而 金文已 矣 金文矣 金文 謂 金文虞 金文仲 金文 夷 金文逸 金文 <img src=居 挙 舉 金文放 金文言 金文 身 金文中 金文淸 金文 祓 甲骨文中 金文県 金文 我 金文則 金文異 金文於 金文是 金文 無 金文可 金文無 金文不 金文可 金文

※張→(金文大篆)・唇→辰・倫→侖(甲骨文)・隱→陰・廢→祓・權→縣。論語の本章は、「志」の字が論語の時代に存在しない。「其」「身」「則」「行」の用法に疑問がある。

書き下し

逸民いつみんは、伯夷はくい叔齊しゆくせい虞仲ぐちう夷逸いいつ朱張しゆちやう柳下惠りうかけい少連せうれんなり。いはく、こころざしくださず、ふるはざざるものは、伯夷はくい叔齊しゆくせい柳下惠りうかけい少連せうれんふ、こころざしくだはづかしめり。ことみちあたり、おこなひのりあたる、くしり。虞仲ぐちう夷逸いいつふ、かくことほしいままにするも、きよきにあたり、いきほひあたるをてり。われすなはほしいままたみことなり、よろしきもよろしからるもし。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

世を隠れ住んだ者は、伯夷、叔斉、虞仲、夷逸、朱張、柳下惠、少連。先生が言った。「志を高く保ち、その身をびくびく振るわさなかったのは、伯夷叔斉だろうか。」柳下惠と少連を論評した。「志を曲げ、自分をおとしめたが、発言は人の道にかない、行動は思慮の範囲内だった。ただそれだけだ。」虞仲と夷逸を論評した。「隠れ住んで言いたい事を言ったが、自分を清潔に保ち、権力の中に居なかった。私はこれらのわがままな民とは違う。少々よいとも、少々よくないとも言わない。」

意訳

世を隠れ住んだ者に挙げられるのは、伯夷、叔斉、虞仲、夷逸、朱張、柳下惠、少連。

孔子「伯夷叔斉は立派だった。志を曲げず、孤高に生き、誰を恐れることも無く死んだ。

柳下惠と少連は志を曲げ、自分をおとしめて職に就いたが、言うことは人の道にかない、踏み外した行いはしなかった。しかしそれだけのことだ。

虞仲と夷逸は世をいとうて隠れ住み、代わりに言いたい放題のことを言ったが、後ろ暗い事はせず、権力を欲しがりもしなかった。だが私はこんな身勝手をしないぞ。これが良いとか悪いとか、勝手なことを言わない。」

従来訳

下村湖人

古来、野の賢者として名高いのは、伯夷・叔斉・虞仲・夷逸・朱張・柳下恵・少連などであるが、先師はいわれた。
「あくまでも志を曲げず、身を辱かしめなかったのは、伯夷と叔斉であろう。」
柳下恵と少連とについては、つぎのようにいわれた。――
「志をまげ、身を辱しめて仕えたこともあったが、いうことはあくまでも人倫の道にかなっていたし、行動にも筋道が立っていた。二人はその点だけで、十分立派だ。」
虞仲と夷逸については、つぎのようにいわれた。――
「隠遁して無遠慮な放言ばかりしていたが、しかし一身を守ることは清かったし、世を捨てたのは時宜に適した道だったと言えるだろう。」
先師は、それにつけ加えて更にいわれた。――
「私は、しかし、こうした人たちとはちがう。私は、はじめから隠遁がいいとかわるいとかを決めてかかるような、片意地な態度には出たくないのだ。」

下村湖人先生『現代訳論語』

現代中国での解釈例

隱士:伯夷、叔齊、虞仲、夷逸、朱張、柳下惠、少連。孔子說:「不降低自己的理想,不屈辱自己的身份,是伯夷、叔齊吧?」說柳下惠、少連是「降低志向、屈辱身份,但說話合乎倫理、行動合乎理智,他們衹做到了這些。」說虞仲、夷逸「隱居起來,言論自由,自身保持了清白,辭官合乎情理。」最後說:「我同他們不一樣,這樣也行,那樣也行。」

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隠者には伯夷、叔斉、虞仲、夷逸、朱張、柳下恵、少連がいる。孔子が言った。「自分の理想を崩さず、自分に恥もかかされなかったのは、伯夷と叔斉だろうか?」柳下恵について言った。「志を崩し、身分を落としたが、言う事は人の道にかなっており、行動は理知的だった。だが所詮それだけだ。」虞仲、夷逸について言った。「隠居してからは、好き勝手にものを言い、自分を清潔にしたが、役人を辞めた理由は、そうしたかったからだ。」最後に言った。「私は彼らとは同じではない。これもやり、あれもやる。」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

民(ビン)

民 甲骨文 論語 唐太宗李世民
(甲骨文)

論語の本章では”役人や貴族でない人”。初出は甲骨文。「ミン」は呉音(遣隋使より前に日本に伝わった音)。字形は「目」+「十」”針”で、視力を奪うさま。甲骨文では”奴隷”を意味し、金文以降になって”たみ”の意となった。唐の太宗李世民のいみ名であることから、避諱ヒキして「人」などに書き換えられることがある。一説に太宗が勅令を出して、「それこそ民の迷惑だから構わない」と言ったとされる。ただし論語学而編9の「民の徳」がなぜ避諱されなかったかは不明。詳細は論語語釈「民」を参照。

逸民

逸 金文 民 金文
(金文)

論語の本章では”隠者”。世を避けて隠れ住む人。体制からぬけ出た人。佚民・軼民(音は同じ)とも書く

「逸」の初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると会意文字で、「兎(うさぎ)+辶(足の動作)」。うさぎがぬけ去るように、するりとぬけること。失(ぬけさる)・佚(イツ)・軼(イツ)と同系のことば、という。詳細は論語語釈「逸」を参照。

伯夷…少連

伯夷、叔斉、柳下恵の三人を除き、古来誰だかよく分からない隠者。

書経図説 河朔誓師図
伯夷・叔斉は、殷周革命の際に周武王の革命軍の前でイヤガラセをし、官職を得ようとしたが、太公望に追い払われて失敗した、田舎出身のニート兄弟。やった事は街宣右翼やプロ市民と違わないし、中国では歴代、乞食を集めて騒ぐなど、同様の官職あさりはよく見られる。

叩馬諫曰、「父死不葬、爰及干戈、可謂孝乎。以臣弑君、可謂仁乎。」左右欲兵之。太公曰、「義士也。」扶而去之。

伯夷叔斉
草むらに潜んでいた伯夷と叔斉が、武王の車の引き馬に飛び付いて言った。「父上が亡くなったのに葬式も出さない。代わりに戦争を始めた。親不孝にもほどがある。家臣の分際で主君をそうとしている。お前さんはろくでなしだ。」怒った衛兵が武器を向けた。

太公望「ハイハイご立派ご立派、ちょっとあっちへ行こうね。」衛兵に言い付けて、しがみついている二人を馬から引きはがし、「オイ! こいつらをどっかに捨ててこい。」(『十八史略』)

及餓且死,作歌。其辭曰:「登彼西山兮,采其薇矣。以兮,不知其非矣。神農、虞、夏忽焉沒兮,我安適歸矣?于嗟徂兮,命之衰矣!」遂餓死於首陽山。

史記
二人は餓えて死にそうになり、恨みがましい歌を作った。

西の山に登ってワラビを取って食った。
紂王も成り代わった武王も、ろくでなしだ。
我らのような賢者を食わせてくれた王様は、とうに死んじまった。
あーあ。腹が減って死にそうだ。

そのまま首陽山で飢え死にした。(『史記』伯夷伝3)

子貢 遊説 孔子 居直り
子貢「先生、伯夷叔斉ってどんな人ですかね。」
孔子「何のなぞかけだ。昔の偉人だろうが。」

子貢「そうですかね。せっかく周王軍の前で、大義名分を持ち上げる演説をぶったのに、アブナイ人扱いはされる、食いはぐれて飢え死にはする、やるんじゃなかったと怨んだでしょう?」

孔子「いや。仁を看板にしてべらべら喋って、名前だけでも天下公認の仁者になれたんだ。怨んだら贅沢というものだ。」(論語述而篇14)

柳下恵は孔子が生まれる70年前に世を去った、カタブツで知られる魯国の家老。

魯人有獨處室者,鄰之釐婦亦獨處一室。夜,風雨至,釐婦室壞,趨而託焉,魯人閉戶而不納。釐婦自牖與之言:「子何不仁而不納我乎?」魯人曰:「吾聞男女*不六十不閒居。今子幼,吾亦幼,是以不敢納爾也。」婦人曰:「子何不如柳下惠然?嫗不逮門之女,國人不稱其亂。」魯人曰:「柳下惠則可,吾固不可。吾將以吾之不可、學柳下惠之可。」

孔子家語
魯に台風が来て、あるやもめの家が吹き飛んだ。女は隣家の独身男に「入れて下さい」と頼んだが、「あんたを入れたら国中から助平扱いされる」と断られた。

女「柳下恵さまは、一晩じゅう、年頃の娘を抱いて温めましたが、誰も怪しまなかったでしょう?」
男「俺は柳下恵さまじゃない。疑われるに決まっている。」(『孔子家語』好生6)。

伯夷を白川博士は「周と通婚関係にあった姜姓諸族の祖神である」と書くが(『字通』叩字条)、誰も知るよしの無い中国古代の祭祀なるものを、根拠も記さず見てきたようにベラベラと書く白川博士の駄ボラは信用し難い。

朱張は『経典釈文』が引用する王粛の注に、「朱張、あざ名は子弓。荀子は孔子と並ぶ儒家だと評価した」とあるが、もちろん根拠のある話ではない。

朱張並如字衆家亦為人姓名王弼注朱張字子弓荀卿以比孔子鄭作侏張云音陟留反


本文「朱張」。誰だかよく知らないが、昔から姓と名だと言われてきた。王弼は「…」と書いている。鄭玄は「侏張」(チビの張)と書いた。張の音は、陟-留の反切である。(巻二十四17)

「誰だかよく知らん」ならば書かねばよろしい。あとの隠者も含め、いろいろな儒者がそれぞれに、勝手な想像を膨大に書いているが、いずれも根拠が無いからここまでに止める。

「連」は論語では本章のみに登場。初出は春秋末期金文。『学研漢和大字典』によると「車+辵(すすむ)」の会意文字で、いくつも車がつらなって進むことを示す、という。ただし『字通』は原義を背負い篭のたぐいとし、「連属の意は聯と通用の義であるらしく、字の本義ではない」という。詳細は論語語釈「連」を参照。

其(キ)

其 甲骨文 其 字解
(甲骨文)

論語の本章では”その”という指示詞。初出は甲骨文。原義は農具の。ちりとりに用いる。金文になってから、その下に台の形を加えた。のち音を借りて、”それ”の意をあらわすようになった。人称代名詞に用いた例は、殷代末期から、指示代名詞に用いた例は、戦国中期からになる。詳細は論語語釈「其」を参照。

志(シ)

志 金文 志 字解
(金文)

論語の本章では”こころざし”。『大漢和辞典』の第一義も”こころざし”。初出は戦国末期の金文で、論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補は”知る”→「識」を除き存在しない。字形は「止」”ゆく”+「心」で、原義は”心の向かう先”。詳細は論語語釈「志」を参照。

辱→唇

辱 甲骨文 辱 字解
(甲骨文)

論語の本章では”恥をかかされる”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。甲骨文の字形は「辰」”大鎌”+「又」”手”で、原義は「くさぎる」、つまり大ガマで草を刈ることで、転じて”刈り取る”の意か。現在ではその意味には「耨」を用いる。”はじ”の語義は戦国時代から。詳細は論語語釈「辱」を参照。

定州竹簡論語の「唇」は、実は直下の「其」の一部を間違って取り込んだ可能性がある。”ふるえる”の語釈を『学研漢和大字典』が載せる。詳細は論語語釈「唇」を参照。

身(シン)

身 甲骨文 身 字解
(甲骨文)

論語の本章では”自身”。初出は甲骨文。甲骨文では”お腹”を意味し、春秋時代には”からだ”の派生義が生まれた。詳細は論語語釈「身」を参照。

倫 篆書
(篆書)

論語の本章では”人の道”「侖」は束ねた竹簡の象形。「倫」は人が生きるに当たってのおきてを箇条書きしたもの。初出は前漢隷書。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補は部品で同音の「侖」。詳細は論語語釈「倫」を参照。

行(コウ)

行 甲骨文 行 字解
(甲骨文)

論語の本章では”行い”。初出は甲骨文。「ギョウ」は呉音。十字路を描いたもので、真ん中に「人」を加えると「道」の字になる。甲骨文や春秋時代の金文までは、”みち”・”ゆく”の語義で、”おこなう”の語義が見られるのは戦国末期から。詳細は論語語釈「行」を参照。

慮 古文
(古文)

論語の本章では、藤堂本では”細かい心配り”といい、武内本では”法度”という。初出は春秋早期の金文。『学研漢和大字典』によると「心+(音符)盧の略体」の会意文字で、次々と関連したことをつらねて考えること、という。論語語釈「慮」も参照。

而已矣

伝統的には三字で「のみ」と読む。「而」について詳細は論語語釈「而」を参照。

隱居放言

放 金文 言 金文
「放言」(金文)

論語の本章では、「隠居」を”隠れ住む”と解するのは異論がないが、「放言」は”言いたいように言う”と”言うのをやめておく”の二通りの解釈がある。虞仲・夷逸(後者はおそらく創作の人物)が何者か分からないので、どちらとも決めかねるが、ここでは”言いたいように言う”と解した。

隱の字の初出は戦国文字で、論語の時代に存在しない。置換候補は近音の「陰」。詳細は論語語釈「隠」を参照。

廢(廃)中權(権)

廃 古文 権 古文
「廃」「権」(古文)

論語の本章では、”権力の中に居ない”。

鄭玄
「廢」(廃)は武内本が引く鄭本によって「発」の誤記とされ、下掲の通り”行動を発する”→”動く”と解せるようだが、デタラメばかり書く鄭玄は信用できない(論語解説「後漢というふざけた帝国」)。「廃」の原義は矢を放つさま。詳細は論語語釈「廃」を参照。

廢中方肺反馬云棄也鄭作發動貎


本文「廃中」。注釈。廃は方-肺の反切の音である。馬融は”捨てる”の意だと書いている。鄭玄は「発」と書き改めている。”容貌を動かす”という意だとある。(『経典釋文』巻二十四17)

「權」(権)の初出は秦系戦国文字。論語の時代に存在しないが、近音の「縣」(県)に”役人・はかる”の語釈が『大漢和辞典』にある。原義は計りの重りのことで、バランスを取る作用を言う。詳細は論語語釈「権」を参照。

則(ソク)

則 甲骨文 則 字解
(甲骨文)

論語の本章では、”…の場合は”。初出は甲骨文。字形は「テイ」”三本脚の青銅器”と「人」の組み合わせで、大きな青銅器の銘文に人が恐れ入るさま。原義は”法律”。論語の時代=金文の時代までに、”法”・”のっとる”・”刻む”の意と、「すなわち」と読む接続詞の用法が見える。詳細は論語語釈「則」を参照。

論語:付記

中国歴代王朝年表

中国歴代王朝年表(横幅=800年) クリックで拡大

伯夷叔斉
論語の本章は従来の解釈とは違って、孔子が存外、過去の「偉人」を冷徹に見ていたことを示す。「中庸の徳は、全く至れり尽くせりだ」(論語雍也篇29)と言った孔子は、何かへのこだわりや片寄りが、回り回って自分の損になる、と分かっている現実主義者だった。

だから「偉人」たちを片端から挙げつつも、”好き勝手なことを仕出かした者ども”と言ってのけたわけ。そもそも孔子が弟子に、隠者への道を勧めようものなら、弟子は逃げ出したに決まっている。仕官して貴族に成り上がりたいから、弟子は孔子のお説教を我慢して聞いたのだ。

従って上掲下村先生の従来訳は、存外本質を突いている。対して普段デタラメを書いている馬融は、半分だけ読み取りつつも、結論でやっぱりデタラメを書いている。

註馬融曰亦不必進亦不必退唯義所在也

馬融 東大応援団
馬融「可も無く不可も無くとは、仕官も隠居も、絶対にやらねばならないわけではない、との意だ。ただ一つ、”義”を守ればよいのだ。」(『論語集解義疏』)

どこぞの応援歌ではあるまいし、「ただ一つ」と言われても、「義」とは何かを説明しないから、何のことか分からない。孔子生前なら「義」とは、”筋が通っていること”の意でゆらぎがないが、後漢儒はもちろん、その時々に自分の都合のよいように解釈した。

ついでながら新注は、なぜか解釈を書かず、読者に投げている(『論語集注』)。さらに上掲現代中国での解釈で、「隱士」と書くのは些細ながら重大で、「隠者」でも「隠員」でもないからには、かつては役人として平民どもを土下座させていた、金に余裕の有る者の意。

文革期には決して許されない書き方で、これも現代中国をよく示している。



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