論語詳解469微子篇第十八(12)大師の摯は*

論語微子篇(12)要約:殷が滅んだ前後、その文化の一端を伝える楽師たちが、中国のあちこちに散り散りになって逃げたことを伝える話。孔子先生も弟子も誰一人出てこない、論語でも珍しい一節。

論語:原文・白文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文・白文

大師摯適齊、亞飯干適楚、三飯繚適蔡、四飯缺適秦。鼓方叔入於河、播鞀*武入於漢、少師陽、擊磬襄入於海。

校訂

武内本

唐石経、鞀を鼗に作る。

※鼗(トウ):ふりつづみ。でんでん太鼓。

定州竹簡論語

……叔入於河,[□□武入於□□]571……

復元白文

大 金文師 金文摯 甲骨文適 金文斉 金文 亜 金文飯 金文干 金文適 金文楚 金文 三 金文飯 金文適 金文蔡 金文 四 金文飯 金文適 金文秦 金文 鼓 金文方 金文叔 金文入 金文於 金文河 金文 播 金文武 金文入 金文於 金文 少 金文師 金文陽 金文 磬 金文襄 金文入 金文於 金文海 金文

※摯→(甲骨文)。論語の本章は、「鞀」以外の赤字は固有名詞だが、「鞀」が論語の時代に存在しない。本章は戦国時代以降の儒者による捏造である。

書き下し

大師たいしせいき、亞飯あはんかんき、三ぱんれうさいき、四はんけつしんく。方叔ほうしゆくり、播鞀はたうかんり、少師せうしやう擊磬げきけいじやううみる。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

宮廷楽団長のは斉にまっすぐ行き、王の二度目の食事に音楽を奏でる役の干は楚にまっすぐ行き、三度目の役のリョウは蔡にまっすぐ行き、四度目の役のケツは秦にまっすぐ行った。太鼓役の叔は黄河のほとりで隠れ住み、振り太鼓役の武は漢水のほとりに隠れ住み、楽団次長の陽と磬方の襄は海のほとりに隠れ住んだ。

意訳

殷が滅んだ。

宮廷楽団長のは斉に、王の二度目の食事に音楽を奏でる役の干は楚に、三度目の役のリョウは蔡に、四度目の役のケツは秦に飛んで逃げた。太鼓打ちの叔は黄河のほとりに隠れ、でんでん太鼓の武は漢水のほとりに隠れ、楽団次長の陽と磬方の襄は海のほとりに隠れた。

従来訳

論語 下村湖人

楽長の摯は斉に去った。亜飯の干は楚に去った。三飯の繚は蔡に去った。四飯の欠は秦に去った。鼓師の方叔は河内に逃げた。振鼓師の武は漢に逃げた。楽官補佐の陽と、磬打ち役の襄とは海をこえて島に逃げた。

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

天子的大樂師去了齊國,二樂師去了楚國,三樂師去了蔡國,四樂師去了秦國,擊師去了黃河附近,搖鼓師去了漢水附近,副樂師、擊磬師去了海邊。

中国哲学書電子化計画

天子の大楽師は斉国に行き、二番楽師は楚国に行き、三番楽師は蔡国に行き、四番楽師は秦国に行き、打楽器師は黄河流域に行き、でんでん太鼓師は漢水流域に行き、副楽師と磬叩きは海辺に行った。

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

大師

論語 大 金文 論語 師 金文
(金文)

論語の本章では、宮廷の楽団長。「大」も「師」も甲骨文より存在し、論語の時代は「師」だけで、楽師を意味したことが論語衛霊公篇42に見える。辞書的には論語語釈「大」論語語釈「師」を参照。

摯(シ)

論語の本章では個人名で、同名の楽人の名が論語泰伯篇15に見えるが、もちろん別人。

「摯」の初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると執(シュウ)・(シツ)は、両手に手かせをはめて、しっかり捕らえたさま。摯は「手+(音符)執」の会意兼形声文字で、手でしっかり持つこと、という。詳細は論語語釈「摯」を参照。

藤堂上古音はtied(去)。藤音tiəp(去)に「鷙」(シ、たか)があり、『三国志』呂蒙伝に「鷙鳥シチョウ百をかさぬるも、一ガク」と孫権が呂蒙を讃えた話が残る(『三国志』呂蒙伝9)。鶚とはミサゴ、魚を捕る猛禽。あまり大きくないが、それより弱いのだから小さな猛禽類を言うのだろう。

論語 適 金文 論語 適
(金文)

論語の本章では、”真っ直ぐ向かう”。初出は西周中期の金文。同音は存在しない。『学研漢和大字典』によると右側は、啻の変形したもので、一つにまとめる、まっすぐ一本になった、という意を含む。適はそれを音符とし、辶(足の動作)を加えた会意兼形声文字で、まっすぐひとすじにまともに向かうこと、という。詳細は論語語釈「適」を参照。

本章の文脈では、これはダメだと見捨てて、一目散に斉国に逃げた、を意味する。

亞飯…四飯

論語 亜 金文 論語 飯 金文
「亜飯」(金文)

論語の本章では、それぞれ王の二度目~四度目の食事に楽を奏でる役の楽師。

「亞」(亜)は論語では本章のみに登場。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると、はくぼんだ建物などの土台で、表に出ない下のささえとして、地面より一段低いことから、”次ぐ”の意になった、という。詳細は論語語釈「亜」を参照。

「飯」は粒がふやけてばらばらに煮えた、玄米のめしというが、論語の時代頃の華北には、稲があったかどうか定かではない。辞書的には論語語釈「飯」を参照。

論語の本章では”楚国”。名目上周王朝配下の諸侯国の一つだが、太古からの長江文明を引き継ぎ代表する歴とした独立国で、その君主は周と接触する頃から、すでに独自の君主号を名乗っており、のちに周王と同じく王を称した。周の昭王が楚の征服に乗り出すと撃退し、昭王を戦死させている。

従って周の臣下だったかは極めて怪しく、黄河文明を代表する周に対峙する異世界と見てよい。
論語 地図 周

こんにち周の家臣だったように言われるのは、中国を統一し帝政を開始した秦漢帝国が、黄河文明の末裔を名乗ったからである。論語の時代、楚は周王朝同様に国内に封建制を敷き、孔子と濃密な接触のあった葉公(論語子路篇16など)は、楚の封建諸侯の一人。

「楚」は”いばら”を意味し、それで作った”むち”をも意味した。楚は古くは「荊」(ケイ)とも言うが、意味はほぼ同じで”いばら”。周から「荊蛮」と呼ばれることもあり、”棘の生い茂った辺境に住む蛮族”の意。従って「楚」や「荊」が自称である保証はない。

辞書的には論語語釈「楚」を参照。

論語の本章では個人名。論語では本章のみに登場。初出は秦系戦国文字。論語の時代に存在しない。ただし固有名詞のため、同音・近音の全てが論語時代の置換候補になりうる。詳細は論語語釈「繚」を参照。

論語の本章では、周王朝下の諸侯国の一つ。孔子が放浪中に滞在し、政治工作を行った国でもあった。孔子存命中に呉国に攻撃され、ほとんど滅びかかっている。辞書的には論語語釈「蔡」を参照。

論語 楚国周辺地図

Map via http://shibakyumei.web.fc2.com/。クリックで拡大。

論語の本章は人名。論語では本章のみに登場。初出は秦の隷書。略体「欠」の初出は甲骨文。固有名詞のため、同音・近音の全てが論語時代の置換候補になりうる。辞書的には論語語釈「缺」を参照。

秦 金文
(金文)

論語の本章では、集王朝下の諸侯国の名。論語では本章のみに登場。のちにこの国から始皇帝が出て中国を統一し、帝政を開始した。『学研漢和大字典』によると「禾+舂(うすでつく)の略体」の会意文字で、もと、生長がはやい植物のこと、という。詳細は論語語釈「秦」を参照。

論語 地図 晋 周 秦

Map via http://shibakyumei.web.fc2.com/。クリックで拡大。

鼓方

論語 鼓 金文 論語 方 金文
(金文)

論語の本章では”太鼓役”。「方」は『学研漢和大字典』によると、”それをする人。係”の語義は「日本語での特別な意味」とするが、同じ藤堂博士の論語本では”役”の意味に解している。

「鼓」の初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると「上にひも飾り、下に台があるたいこのかたち+攴(棒をもってたたく)」の会意文字。詳細は論語語釈「鼓」を参照。

「方」の初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると左右に柄の張り出たすきを描いた象形文字で、←→のように左右に直線上に伸びる意を含み、東←→西、南←→北のような方向の意となる、という。詳細は論語語釈「方」を参照。

叔入於河

論語 河 金文
「河」(金文)

論語の本章では、”(太鼓役の)叔は黄河のほとりに隠れた”。「河」は固有名詞として黄河を指し、「入」は入水したと解しうるが、それは悲劇に解しすぎのように思う。

辞書的には以下も参照。

播鞀(ハトウ)

論語 播 古文 論語 鞀 古文
(古文)

論語の本章では”振り太鼓を振る役”。

「播」は論語では本章のみに登場。初出は西周早期あるいは中期の金文。ただし字形は播 外字の形。現行字体の初出は説文解字。ちらす、ばらまくことだが、ここでは振り太鼓や鈴を、ゆさぶって鳴らすことで、『学研漢和大字典』によると上声に読むという。詳細は論語語釈「播」を参照。

「鞀」は”ふりつづみ”の意。初出は楚系戦国文字。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補も無い。鼗・鞉は鞀の異体字。詳細は論語語釈「鞀」を参照。

漢/漢

論語 漢 金文
(金文)

論語の本章では、河川の名で”漢水”。初出は戦国中期の金文。論語の時代に存在しない。部品の「𦰩」については日本の音訓も初出も上古音も分からないが、漢語多効能字庫は、「漢」と同音という。従って論語時代の置換候補はない。詳細は論語語釈「漢」を参照。

漢水は現代では漢江とも呼ばれ、長江(揚子江)の最大の支流。論語の時代、「水」は川を意味する。

少師

論語 少 金文 論語 師 金文
(金文)

論語の本章では、宮廷楽団の次長。論語語釈「少」も参照。

擊磬(ゲキケイ)

論語 撃 古文 論語 磬 金文
「撃」(古文)・「磬」(金文)

論語の本章では、「磬」=くの字型に曲がった石の打楽器を演奏する役。「撃」(撃)は意外にも甲骨文・金文・戦国文字には見られず、一方で「磬」は甲骨文から見られる。論語語釈「撃」論語語釈「磬」を参照。

襄(ジョウ)

論語 襄 金文
(金文)

論語の本章では、楽師の個人名。「襄」は”のぼる”こと・『史記』に孔子が音楽を習った楽師として同名の人物が出てくるが、もちろん同一人物ではあり得ない。

論語 襄 解字
『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、右の形が襄の原字で、中にいろいろなものを入れてまぜることをあらわす会意文字。含まれている爻印はまぜあわせることをあらわす。襄は、この形と衣(外側のおおい)とをあわせたもので、中に割りこむの意をあらわす、という。詳細は論語語釈「襄」を参照。

論語:解説・付記

論語の本章は古来、殷最後のチュウ王が暴君だったから楽師が逃げたと解する。だが仮に本章が史実だったとしても、殷が抱えていたお雇い専門職が、攻め寄せた周を見て「こんな蛮族と付き合ってられるか」と逃げ出したと見るべき話で、紂王どうこうは一切原文に無い。

殷の紂王
閲覧者諸賢に前提としてご存じ頂きたいのは、儒者や漢学教授が何を言おうと、文字の無い時代の夏王朝など存在せず、殷王朝も半ばでないと文字が現れないので、それ以前の歴史は作り事だ、という事実。加えて紂王が暴君だったとか、酒池肉林も全部でっち上げ。

明治維新の元勲が幕末にやらかしたテロを、維新後に全て無いことにしてしまったように、殷の臣下だった周は、謀反を起こし大量殺人をした極悪非道を隠すため、紂王をむやみに「バカでスケベで贅沢で残忍だった」ともの書きに書かせた。現代人が真に受ける話ではない。

だが現中国政府は、御用学者を集めて夏殷周年表プロジェクトなるデタラメの補強をやった。頭のおかしな人間のすることで、中共にゴマをすらないと生きていけない、のでないなら、こんなでっち上げは小バカにしてせせら笑わないと、自分まで馬鹿の集まりに入ってしまう。

愚かな住民を抱える国ほど、自国の古さを誇るものだが、国の歴史はその国人だけが自分に誇ればよく、他国人に通じると思うのはガキのしわざだ。自他の人格に区別が付けられるのは、だいたい中学生ぐらいからと聞くが、大人がそれをやったら、精神医学上の病気である。

論語の本章について、殷王が一日四度の食事を摂っていたとか、そのたびに楽団がちんちんドンドンと奏でたとか、楽師が紂王から逃げ出したとか、それぞれの楽師の名が何でどこへ行ったとか、全てが後世の儒者によるでっち上げで、考古学的な物証は何一つ無い。

そして上記の検討通り、孔子生前から言われていた話ではない。論語の本章について、武内本に次のように言う。

書序云、殷紂斷棄先祖之樂、廼作淫聲、用變亂正聲、樂官師瞽抱其器而奔散、或適諸侯、或入河海。

書序に云く、殷紂先祖之楽を断ち棄て、廼ち淫声を作り、変を用いて正声を乱す。楽官師瞽、其の器を抱え而奔り散り、或いは諸侯に適き、或いは河海に入る。

論語 武内義雄
『書経』の序文にある。殷の紂王は祖先の音楽を捨て去って、とうとう淫らな音楽を作り、怪しげな調子を使って正しい曲調を乱した。楽師の瞽は、楽器を抱えて逃げ去り、その他はあるいは諸侯の元へ向かい、あるいは黄河や海に漕ぎ出して行方知れずになった。

ほぼ同文が『漢書』礼楽志に見える。また『論語之研究』では、篇末に付け足された章として記している。本章のような記事は、むしろ漢代にでっち上げられた儒教経典である、『書経』や『礼記』のたぐいにありそうな話で、なぜ論語に含まれたかは謎でしかない。

あるいは他の章の注釈が誤って独立したのだろうか。定州竹簡論語にあることから、前漢にはすでに一章として扱われていたようだが、似たような伝説が前漢の『史記』に見られること、戦国時代の文献にこの話がないことから、おそらく前漢異国の儒者による創作だろう。

下手人と目されるのは、もちろん董仲舒である。

至於殷紂,逆天暴物,殺戮賢知,殘賊百姓。伯夷、太公皆當世賢者,隱處而不為臣。守職之人皆奔走逃亡,入于河海。

董仲舒
(武帝陛下に申し上げます。…)殷の紂王の時代になりまして、天に逆らい万物を苦しめ、賢者や知者を殺し尽くし、万民をいたぶり苦しめました。伯夷や太公望は当時の賢者でしたが、この様子を見て仕えず隠れたのです。朝廷に仕える専門職の者も、みな辞めて逃げ出して、川や海に入りました。(『漢書』董仲舒伝22)

『史記』を編んだ司馬遷は、董仲舒と同じく武帝に仕えたが、武帝のお気に入りである董仲舒の、とりわけインチキを言ったり書いたりすれば、それこそナニだけでなく首までちょん切られるから、遠慮して何も書かなかった。一旦漢が滅んだからこそ、後漢の班固は遠慮無く、董仲舒について書けたわけ。

前漢武帝は、幼少期に祖母など帝室の女性から執拗ないじめを受けたらしい。それら女性が揃って道教を重んじたから、親政開始後に儒家を持ち上げたのは、ただのトラウマの作用である。それに応じるべく董仲舒は、顔回神格化など、ありとあらゆるでっち上げを行った。

煩瑣な礼儀作法はその一つで、論語の本章も、董仲舒の作品と見なしてよい。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だし、訳者に連絡のお気遣いも不要だが(ただしネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。

言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。もし長生きしたいなら、悪いことはせぬものだ。それでもやるなら、覚悟致せ。

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