論語詳解467A微子篇第十八(9)子路従いて後れたり

論語微子篇(9)要約:孔子先生の一行とはぐれてしまった弟子の子路。追い掛ける途中で老人に出会い、先生を見ませんでしたかと問います。汗をかいて働きもしない人が何で先生かね、と言いつつも、老人は子路をもてなすのでした。

論語:原文・白文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文・白文

子路從而後、遇丈人以杖荷蓧*。子路問曰、「子見夫子乎。」丈人曰、「四體不勤、五穀不分、孰爲夫子。」植*其杖而芸*。子路拱而立。止子路宿、殺雞爲黍而食之、見其二子焉。

(次回へ続く)

校訂

武内本:蓧説文莜に作る。釈文云、一本條に作り又莜に作る。漢石経植置に作り、芸耘に作る。

書き下し

子路しろしたがおくれたり、丈人じやうじんつゑあじかになふにへり。子路しろうていはく、夫子ふうしたる丈人じやうじんいはく、四たいつとめず、五こくわかたず、たれをか夫子ふうしさむと。つゑくさぎる。子路しろこまぬつ。子路しろとどめて宿やどせしめ、とりころきびめしつくこれくらはしめ、の二まみえしめたり

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

子路は(孔子の)一行に加わっていたが、遅れた時、杖をつきかごを背負った老人に出会った。子路が問うて言った。「あなたは先生を見ませんでしたか。」老人は言った。「手足を動かさず、穀物の見分けも付かない。(そんな人の)誰が先生だろうか。」持っていた杖を地面に突き立てて草を刈った。子路は手を組んで敬意を表しながら立った。(老人は)子路を引き止めて泊まらせ、鶏をさばいてキビ飯を炊いて子路に食べさせ、二人の子を引き合わせた。

意訳

子路が孔子の旅に付き従っていたとき、一行に遅れてしまった。追い掛ける道すがらで子路は老人に出会った。

子路「先生を見かけませんでしたか。」
老人「精出して働きもせず、穀物の見分けもつかないような人が、なんで先生かね。
そう言って杖を突き立て、草刈りを始めた。子路はひとかどの人物と見て、敬意を示すために手を組み、かたわらに立った。

作業を終えた老人は子路を引き止め、鶏肉とキビのご飯でご馳走し、二人の息子を引き合わせ、一晩泊めた。

従来訳

子路が先師の随行をしていて、道におくれた。たまたま一老人が杖に草籠をひっかけてかついでいるのに出あったので、彼はたずねた。――
「あなたは私の先生をお見かけではありませんでしたか。」
 老人がこたえた。――
「なに? 先生だって? お見かけするところ、その手足では百姓仕事をなさるようにも見えず、五穀の見分けもつかない方のようじゃが、それでいったいお前さんの先生というのはどんな人じゃな。」
 老人はそれだけいって杖を地につき立てて、草をかりはじめた。――
 子路は手を胸に組んで敬意を表し、そのそばにじっと立っていた。
 すると老人は何と思ったか、子路を自分の家に案内して一泊させ、鶏をしめたり、黍飯をたいたりして彼をもてなしたうえに、自分の二人の息子を彼にひきあわせ、ていねいにあいさつさせた。

下村湖人『現代訳論語』

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

子路

論語では、孔子の弟子・仲由子路のこと。最も早く入門した弟子で、一門の先輩格だった。

論語 遇 金文 論語 遇
(金文)

論語の本章では”出会う”。予期して会う「会」や「見」ではなく、たまたま出会うこと。

丈人

論語 丈 古文
「丈」(古文)

論語の本章では、杖をついた人・老人。「丈」は杖の意だが、甲骨文・金文には見られない。戦国文字や古文になって見られるようになる。その他の語義としては、長老への敬称・妻の父・祖父がある。

『学研漢和大字典』によると「丈」は会意文字。手の親指と他の四指とを左右に開き、手尺で長さをはかることを示した形の上に+が加わったのがもとの形。手尺の一幅は一尺をあらわし、十尺はつまり一丈を示す。ながい長さの意を含む。

長(チョウ)・暢(チョウ)(のびる)・裳(ショウ)(長いスカート)・杖(ジョウ)(長い木のつえ)などと同系のことば、という。

以杖

論語の本章では、”杖を手にする”。ここでの「以」は動詞の”持つ”。「杖を持った丈人」は畳語になるが、そのくだくだしさの理由は分からない。ただ丈人の描写を四字句にすると、リズムがよくなりはする。現代中国語で読んだ場合の音は以下の通り。

遇丈人、以杖荷蓧。
ユゥチャンレン、イーチャンフーヨウ。

中国語は四字句で読むと調子がよくなる。従って政治スローガンはたいてい、叫びやすい四字句になっている。文革期の「革命無罪」(クーミンウーツゥイ)や「造反有理」(ツァオファンヨウリー)はその代表例。

本年(2019年)の中国の建国記念日「国慶節」では、50周年を記念して軍事パレードが行われたが、パレードに先立った司令官と国家主席のやりとりを聞いていると、ほとんど四字句であることに気付く。

閲兵中の主席と兵士の挨拶は四字句ではない言葉が多いが、その代わり叫び声が何を言っているのか、聞き取りにくいことこの上ない。

主席:同志們好(トンチメンハオ)=同志諸君こんにちは!
兵士:主席好(チューシーハオ)=主席閣下こんにちは!
主席:同志們辛苦了(トンチメンシンクラ)=同志諸君ご苦労様!
兵士:為人民服務(ウェイレンミンフームー)=人民に奉仕します!

蓧(チョウ・ジョウ、あじか)

論語 蓧 古文
(古文)

論語の本章では”担ぎかご”。『学研漢和大字典』によると竹や木の枝などで編んだかごで、畑の収穫物や刈りとった草を入れるのに使う、という。この文字は甲骨文・金文・戦国文字には見られず、古文から見られる。

四體(体)

論語 体 金文
「体」(金文)

論語の本章では、四支と同義で、四肢。両手と両足。また、からだ。

『学研漢和大字典』によると「體」は会意、「体」は形声文字。本字の體(タイ)は「豊(レイ)(きちんと並べるの意)+骨」。体は「人+(音符)本(ホン)」で、もと笨(ホン)(太い)と同じくホンと読むが、中国でも古くから體の俗字として用いられた。

各部分が連なってまとまりをなした人体を意味する。のち広く、からだや姿の意、という。

論語 勤 金文
(金文)

論語の本章では”こまめに働く”。具体的には農作業に精を出すことを言う。西周末期の金文では、つくりの「力」が省かれた形で見える。

『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字。左側の字(音キン)は「廿(動物のあたま)+火+土」の会意文字で、燃やした動物の頭骨のように、熱気でかわいた土のこと。水気を出し尽くして、こなごなになる意を含む。

勤は、それを音符とし力を加えた字で、細かいところまで力を出し尽くして余力がないこと。それから、こまめに働く意をあらわす。饉(キン)(食物を食べ尽くして残り少ない)・僅(キン)(わずか)と同系のことば、という。

五穀

論語 穀 睡虎地秦墓竹簡
「穀」(秦系戦国文字)

論語の本章では、穀物類の総称。漢文では一般的に、稲(米)・黍(ショ)(もちきび)・稷(ショク)(こうりゃん)・麦・菽(シュク)(豆)のこと。また一説に、麻・黍・稷・麦・豆ともいう。

論語 植 金文
(金文)

論語の本章では、”地面に突き立てる”。

『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、直の原字は「━印(まっすぐ)+目」からなる会意文字で、目をまっすぐに向けること。植は「木+(音符)直」で、木をまっすぐにたてること。置(まっすぐたてておく)・徳(トク)(まっすぐな心と行い)などと同系のことば、という。

芸(ウン)

論語 芸 金文
(金文)

論語の本章では”草を刈る”。「藝」の新字体「芸」は本来別の字で、作物を”植える”が原義。

ただし『学研漢和大字典』によると同じ文字とし、会意文字。原字は「木+土+人が両手を差しのべたさま」。人が植物を土にうえ育てることを示す。不要な部分や枝葉を刈り捨ててよい形に育てること。刈と同系のことば。のち、艸をつけて、さらに藝の字となった、という。

論語 拱 古文
(古文)

論語の本章では、敬意をあらわすために、両手を胸の前で組みあわせること。

『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、共は、両手をそろえて物をささげるさま。拱は「手+(音符)共」で、両手をそろえて組むこと。共が「そろえる、いっしょ」の意に転用されたため、拱の字がその原義をあらわした。

恭(キョウ)(両手を組んでかしこまる→うやうやしい)・迅(キョウ)(両手を組ませた上にかける手かせ)と同系のことば、という。

雞(鶏)(ケイ)

論語 雞 金文
(金文)

論語の本章では”にわとり”。論語の時代、鶏は牛・羊・豚・犬とならぶ五畜の一つで、重要な家禽だった。

論語 黍 金文
(金文)

論語の本章では穀物の”キビ”。古代では上等の穀物とされ、五穀の筆頭であり、祭祀に用いる最高の供え物とされたことが『孔子家語』に見える。

論語:解説・付記

論語の本章は前々章、前章とセットとなった隠者の話で、儒家の立場からは内容が疑わしいとされると武内義雄『論語之研究』に言う。文字的には孔子在世当時の話ではない可能性があるが、確定は出来ない。しかし後世の儒者による付け足しと見るのが適切だろう。

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コメント

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