論語:原文・書き下し
原文(唐開成石経)
子曰回也其庶乎屢空賜不受命而貨殖焉億則屢中
校訂
武内本
清家本により、億を憶に作る。唐石経、億に作り、漢書引意に作る。億憶意同義。
東洋文庫蔵清家本
子曰回也其庻乎屢空賜不受命而貨殖焉憶則屢中
後漢熹平石経
(なし)
定州竹簡論語
[也愚],參也魯,師也辟,由[也]獻。孔a子[曰:「回也其庶乎],282居b空。賜[不受命],○貨c殖焉,意d則居中。」283
- 孔、今本無。
- 居、今本作”屢”。以下同。”居”可能為省體。
- 今本”貨”前有”而”字。
- 意、阮本作”億”、皇本作”憶”。
標点文
孔子曰、「回也其庶乎、居空。賜不受命而貨殖焉。意則居中。」
復元白文(論語時代での表記)
貨殖焉
※論語の本章は上記の赤字が論語の時代に存在しない。「庶」「乎」「億」の用法に疑問がある。本章は漢代の儒者による創作である。
書き下し
孔子曰く、回也其れ庶き乎、空しきに居る。賜は命を受けずし而貨の殖すあり焉。意れば則ち中るに居る。
論語:現代日本語訳
逐語訳
孔子先生が言った。「顔回はまことにそれこそ近いな、だが空っぽの状態だ。子貢は命令を受けないのに財産を増やしてしまう。予想すれば必ず当たる状態だ。」
意訳
顔回はまあ完全に近い男だが、いつも貧乏している。子貢はワシが「そうせい」とも言わないのに金を儲け、バクチを張ってはいつも当てている。
従来訳
先師がいわれた。――
「囘の境地は先ず理想に近いだろう。財布が空になることはしばしばだが、いつも天命に安んじ、道を楽しんでいる。賜はまだ天命に安んじないで、財を作るのにかなり骨を折っているようだ。しかし、判断は正しいし、考えさえすれば、道にはずれるようなことはめったにないだろう。」下村湖人『現代訳論語』
現代中国での解釈例
孔子說:「顏回的學問不錯了吧?可他卻受窮。子貢不相信命運,卻能經商緻富,對市場行情判斷準確。」
孔子が言った。「顔回の学問は悪くないよな? だが彼は貧乏を押し付けられている。子貢は運命を信じず、かえって商売で大儲けができた。市況判断が正確だ。」
論語:語釈
子曰(シいわく)→孔子曰(コウシいわく)
論語の本章では”孔子先生が言った”。「子」は貴族や知識人に対する敬称で、論語では多くの場合孔子を指す。この二文字を、「し、のたまわく」と読み下す例がある。「言う」→「のたまう」の敬語化だが、漢語の「曰」に敬語の要素は無い。古来、論語業者が世間からお金をむしるためのハッタリで、現在の論語読者が従うべき理由はないだろう。
定州竹簡論語では「孔子曰」と記す。論語で「孔子○」とあり、○が動詞である場合、動作対象は孔子と同格以上であるのを原則とする。詳細は論語先進篇11語釈を参照。また定州竹簡論語では、前章と本章は一体化して記されており、これらの事情から前章と本章は、孔子と同格以上の貴族から弟子の評価を問われて、孔子が答えたことになる。同様の例は以下の通り。
論語雍也篇3 | 哀公問弟子孰爲好學。 | 孔子對曰有顏回者…。 |
論語先進篇6 | 季康子問弟子孰爲好學。 | 孔子對曰有顏回者…。 |
きりがないので2例に止めるが、論語顔淵篇11のように、弟子の評価を答えたのではなくても、斉の景公の問いに「孔子對曰」となっているから、原則と見なしうる。ただし論語雍也篇8のように「季康子問」に対して「子曰」となっている例外もある(定州竹簡論語も同じ)。
(金文)
「孔」の初出は西周早期の金文。字形は「子」+「乚」で、赤子の頭頂のさま。原義は未詳。春秋末期までに、”大いなる””はなはだ”の意に用いた。詳細は論語語釈「孔」を参照。
(甲骨文)
「子」の初出は甲骨文。字形は赤ん坊の象形。春秋時代では、貴族や知識人への敬称に用いた。季康子や孔子のように、大貴族や開祖級の知識人は「○子」と呼び、一般貴族や孔子の弟子などは「○子」と呼んだ。詳細は論語語釈「子」を参照。
(甲骨文)
「曰」の初出は甲骨文。原義は「𠙵」=「口」から声が出て来るさま。詳細は論語語釈「曰」を参照。
回(カイ)
「回」(甲骨文)
論語の本章では、顔回子淵のいみ名(本名)。いみ名は自分自身か、同格以上の者が呼ぶ際の呼称。人物の詳細は論語の人物:顔回子淵を参照。
「回」の初出は甲骨文。ただし「亘」と未分化。現行字体の初出は西周早期の金文。字形は渦巻きの象形で、原義は”まわる”。詳細は論語語釈「回」を参照。
也(ヤ)
(金文)
論語の本章では「や」と読んで主格の強調。「なり」と読んで断定の意”~である”や、「かな」と読んで詠嘆”だなあ”の意もあるが、断定の語義は春秋時代では確認できない。初出は事実上春秋時代の金文。字形は口から強く語気を放つさまで、原義は”…こそは”。春秋末期までに句中で主格の強調、句末で詠歎、疑問や反語に用いたが、断定の意が明瞭に確認できるのは、戦国時代末期の金文からで、論語の時代には存在しない。詳細は論語語釈「也」を参照。
其(キ)
(甲骨文)
論語の本章では”その者”という指示詞。初出は甲骨文。甲骨文の字形は「𠀠」”かご”。それと指させる事物の意。金文から下に「二」”折敷”または「丌」”机”・”祭壇”を加えた。人称代名詞に用いた例は、殷代末期から、指示代名詞に用いた例は、戦国中期からになる。詳細は論語語釈「其」を参照。
庶*(ショ)
(甲骨文)
論語の本章では”望ましい状態に近い”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。甲骨文・金文の字形は「𤇈」で「石」+「火」。原義は明らかでない。甲骨文の用例は数が少なく、欠損も激しいので、語義を確定しがたい。春秋末期までに、”多い”・”もろもろの”・”めかけばらの”の意に、また人名に用いたが、明らかに”庶民”を意味する用例は、戦国時代にならないと確認できない。詳細は論語語釈「庶」を参照。
乎(コ)
(甲骨文)
論語の本章では、「か」と読んで詠嘆の意。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。字形は持ち手の柄を取り付けた呼び鐘を、上向きに持って振り鳴らし、家臣を呼ぶさまで、原義は”呼ぶ”こと。甲骨文では”命じる”・”呼ぶ”を意味し、金文も同様で、「呼」の原字となった。句末の助辞として用いられたのは、戦国時代以降になるという。詳細は論語語釈「乎」を参照。
屢(ル)→居(キョ)
(前漢隷書)
論語の本章では”しばしば”。呉音もともに「ル」。初出は前漢の隷書。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補もない。同音は「婁」を部品とする漢字群。『大漢和辞典』で「しばしば」と読む字で、音を共有する文字は無い。字形は「尸」”ひとのさま”+「婁」”蚕の繭を手繰る女”で、どちらからも”しばしば”の語義は導けず、原義は不明。詳細は論語語釈「屢」を参照。
(金文)
定州竹簡論語では「居」と記す。論語の本章では”(…の状態)である”。初出は春秋時代の金文。字形は横向きに座った”人”+「古」で、金文以降の「古」は”ふるい”を意味する。全体で古くからその場に座ること。詳細は論語語釈「居」を参照。
空(コウ)
(金文)
論語の本章では”空っぽ”。初出は西周早期の金文。ただし字形は部品の「工」。現伝字形の初出は戦国末期の金文。字形は「穴」+「工」。加工して穴を開けたさま。人為的に造成した空間を言う。「悾」”まこと”、「孔」”通る・あな・大きい・空しい”、「控」。「クウ」は呉音。西周早期~末期までの用例は全て「司工」としるして「司空」と釈文している。司空は国家の最高官の一つで、土木工事とそれに使役する罪人の管理や司法を取り扱う。春秋時代の用例も同様で、ただし「司攻」と記した例がある。詳細は論語語釈「空」を参照。
賜(シ)
「賜」(金文)
孔子の弟子、端木賜子貢のいみ名(本名)。人物については論語の人物:端木賜子貢を参照。「賜」の現行字体の初出は西周末期の金文。字形は「貝」+「鳥」で、「貝」は宝物、「鳥」は「易」の変形。「易」は甲骨文から、”あたえる”を意味した。戦国早期の金文では人名に用い、越王家の姓氏名だったという。詳細は論語語釈「易」を参照。
不(フウ)
(甲骨文)
漢文で最も多用される否定辞。初出は甲骨文。「フ」は呉音、「ブ」は慣用音。原義は花のがく。否定辞に用いるのは音を借りた派生義だが、甲骨文から否定辞”…ない”の意に用いた。詳細は論語語釈「不」を参照。
受(シュウ)
(甲骨文)
論語の本章では”受ける”。初出は甲骨文。初出の字形は上下対になった「又」”手”の間に「舟」。「舟」の意味するところは不明だが、何かを受け渡しするさま。甲骨文の「舟」は”ふね”ではなく国名。”ふね”と釈文される「舟」の甲骨文は存在するが明らかに字形が違い、ほとんど現行の「舟」字に近い。論語の時代、「授」と書き分けられていない。「ジュ」は慣用音、呉音は「ズ」。春秋末期までに、”受け取る”・”渡す”の意に用いた。詳細は論語語釈「受」を参照。
命(メイ)
「令」(甲骨文)
論語の本章では”命令”。初出は甲骨文。ただし「令」と未分化。現行字体の初出は西周末期の金文。「令」の字形は「亼」”呼び集める”+「卩」”ひざまずいた人”で、下僕を集めるさま。「命」では「口」が加わり、集めた下僕に命令するさま。原義は”命じる”・”命令”。金文で原義、”任命”、”褒美”、”寿命”、官職名、地名の用例がある。詳細は論語語釈「命」を参照。
「命」と聞けば条件反射のように”天命”と解釈するのはどうかと思う。「天命」の書籍上の初出は『孟子』だが、該当箇所は『詩経』の引用であり、漢代に手を加えられ、あるいは偽作・竄入の可能性がある。論語の本章と同じ「億」の字を使うなど、本物と確信しがたい。地の文でも天命らしきものを担ぎ挙げてはいるが、楚系戦国文字が初出である「恥」を使うなど、訳者にはこれが孟子の肉声だと断じる手立てがない。
自分の言葉として「天命」を言い出したのは荀子で、その名もズバリ「天命篇」で取りあげるのだが、荀子の主張は天命をあてにするなと言い、天命を担ぎ回ったのではない。
つまり天命を担ぎ回ったのは前漢の儒者に始まり、具体的には天人感応説(災異説)を提唱した董仲舒による。董仲舒についてより詳しくは、論語公冶長篇24余話「人でなしの主君とろくでなしの家臣」を参照。
新古の注でも”天命”と解しているが、諸家の説を集めた古注が異説をさまざま挙げるのに対して、朱子は”天命”と断定している。
命,謂天命(命は天命を謂う)。(『論語集注』)
而(ジ)
(甲骨文)
論語の本章では”それなのに”。初出は甲骨文。原義は”あごひげ”とされるが用例が確認できない。甲骨文から”~と”を意味し、金文になると、二人称や”そして”の意に用いた。英語のandに当たるが、「A而B」は、AとBが分かちがたく一体となっている事を意味し、単なる時間の前後や類似を意味しない。詳細は論語語釈「而」を参照。
貨*(カ)
(楚系戦国文字)
論語の本章では”財産”。初出は楚系戦国文字。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補もない。字形は「化」”交換”+「貝」”価値あるもの”。交換できる価値あるものの意。同音は存在しない。戦国文字から”財宝”の意に用いた。詳細は論語語釈「貨」を参照。
殖*(ショク)
論語の本章では”増やす”。論語では本章のみに登場。初出は前漢の隷書。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補もない。字形は「歹」”農具”+「直」”植える”。農作して作物を増やすこと。同音は「植」、「埴」”粘土・泥・土”。甲金文・戦国文字には見られない。文献では論語の本章のほか、『墨子』『孟子』『荘子』『荀子』『韓非子』に見える。詳細は論語語釈「殖」を参照。
焉(エン)
(金文)
論語の本章では「ぬ」と読んで、”…てしまう”を意味する。初出は戦国早期の金文で、論語の時代に存在せず、論語時代の置換候補もない。漢学教授の諸説、「安」などに通じて疑問辞と解するが、いずれも春秋時代以前に存在しないか、疑問辞としての用例が確認できない。ただし春秋時代までの中国文語は、疑問辞無しで平叙文がそのまま疑問文になりうる。
字形は「鳥」+「也」”口から語気の漏れ出るさま”で、「鳥」は装飾で語義に関係が無く、「焉」は事実上「也」の異体字。「也」は春秋末期までに句中で主格の強調、句末で詠歎、疑問や反語に用いたが、断定の意が明瞭に確認できるのは、戦国時代末期の金文からで、論語の時代には存在しない。詳細は論語語釈「焉」を参照。
億*(ヨク)→意(イ)
(金文)
論語の本章では”思う”。初出は西周中期の金文。ただし字形は「𠶷」。現行字形の初出は戦国中期または末期の金文。初出の字形は〔䇂〕(漢音ケン)”細い刃物”+○形+「𠙵」”くち”。原義は不明。同音は「憶」、「臆」、「繶」”つかねる・うちひも”、「醷」”梅酢”、「檍」”モチノキ”、「抑」。春秋末期までに、”大勢の人民”・”長い年月”の意に用いた。戦国時代の用例も同じ。”思う”の用例は論語の本章のほか、『孟子』に詩の引用として見える。詳細は論語語釈「億」を参照。
(金文)
定州竹簡論語は「意」と記し、意味は同じ。初出は西周中期の金文で、ただし字形は「啻」または「𠶷」。西周金文の字形は「辛」”刃物”+「○」+「𠙵」”くち”で、”切り開いて口に出たもの”の意。現伝字形はその下にさらに「心」を加えた字で、”言いたいような思い”の意。「𠙵」が「曰」に変化しているのは、”言葉を口に出した”ことを意味する。同音に「医」の正字の他、意を部品とする漢字群。西周の金文で、おそらく”思い”の意に用いた。詳細は論語語釈「意」を参照。
則(ソク)
(甲骨文)
論語の本章では、”…すれば必ず…”。初出は甲骨文。字形は「鼎」”三本脚の青銅器”と「人」の組み合わせで、大きな青銅器の銘文に人が恐れ入るさま。原義は”法律”。論語の時代=金文の時代までに、”法”・”則る”・”刻む”の意と、「すなわち」と読む接続詞の用法が見える。詳細は論語語釈「則」を参照。
中(チュウ)
「中」(甲骨文)
論語の本章では”あたる”。バクチが当たる、の意。初出は甲骨文。甲骨文の字形には、上下の吹き流しのみになっているものもある。字形は軍司令部の位置を示す軍旗で、原義は”中央”。甲骨文では原義で、また子の生まれ順「伯仲叔季」の第二番目を意味した。金文でも同様だが、族名や地名人名などの固有名詞にも用いられた。また”終わり”を意味した。詳細は論語語釈「中」を参照。
論語:付記
検証
論語の本章は前漢中期の定州竹簡論語にあり、全体をやや先行する『史記』弟子伝が記す。「其庶乎」は『春秋左氏伝』にも見られる言い廻し。文字史的には前漢の漢語で、史実の孔子の発言ではない。ただし顔淵を評した前半に限れば、孔子の発言である可能性がある。
解説
定州竹簡論語は前章と本章を一つにまとめているが、前章には発言者が記されていない。そこへ「(孔)子曰…」で始まる本章を繋げると、前章が地の文で孔子以外の誰かによる評論、本章はそれを受けての孔子の評論となる。
論語の本章、新古の注は次の通り。
古注『論語集解義疏』
子曰囘也其庶乎屢空賜不受命而貨殖焉憶則屢中註言囘庶幾聖道雖数空匱而樂在其中矣賜不受敎命唯財貨是殖憶度是非蓋羙囘所以勵賜也一曰屢猶毎也空猶虛中也以聖人之善道敎數子之庶幾猶不至於知道者各內有此害其於庶幾每能虛中者唯囘懐道深遠不虛心不能知道子貢無數子病然亦不知道者雖不窮理而幸中雖非天命而偶富亦所以不虚心也
本文「子曰囘也其庶乎屢空賜不受命而貨殖焉憶則屢中」。
注釈。顔回は聖なる道にほとんど達しているのに、貧乏することが多かったが、その中に楽しみを見出していた(論語雍也篇11・偽作)。子貢は孔子の教えや指示を受けないで、ただ金儲けばかりに精を出し、その考えはろくでもなかった。本章はおそらく、顔回を誉めることで子貢を戒めたのである。
一説によると、屢とは”いつも”のような意である。空とは”むなしく空っぽ”のような意である。
このようにして聖人は弟子の生き方を正したのだが、正道に近づいている者たちを教えても、それでも正しい道を悟らない者は、自分自身で道を踏み外していたのである。ほとんど正道に達した者なら、ふだんから自分の勝手な思い込みを空っぽに出来たのだが、それが出来たのは顔淵だけで、正道の奥深さを思えた。心を謙虚に空しくしなければ、正道を知る事は出来ないのである。
子貢は他の弟子のような、自分で道を踏み外すような欠点は無かったが、やはり正道を悟らなかった。ものの道理を知り尽くさないのに、幸運に恵まれてバクチを当てた。つまり天命の定めではないのに、たまたま金持ちになったのである。つまり子貢も、自分の心を謙虚に空しく出来なかったのだ。
新注『論語集注』
子曰:「回也其庶乎,屢空。庶,近也,言近道也。屢空,數至空匱也。不以貧窶動心而求富,故屢至於空匱也。言其近道,又能安貧也。賜不受命,而貨殖焉,億則屢中。」中,去聲。命,謂天命。貨殖,貨財生殖也。億,意度也。言子貢不如顏子之安貧樂道,然其才識之明,亦能料事而多中也。程子曰:「子貢之貨殖,非若後人之豐財,但此心未忘耳。然此亦子貢少時事,至聞性與天道,則不為此矣。」范氏曰:「屢空者,簞食瓢飲屢絕而不改其樂也。天下之物,豈有可動其中者哉?貧富在天,而子貢以貨殖為心,則是不能安受天命矣。其言而多中者億而已,非窮理樂天者也。夫子嘗曰:『賜不幸言而中,是使賜多言也』,聖人之不貴言也如是。」
本文「子曰:回也其庶乎,屢空。」
庶とは近いの意である。正道に近いと言ったのである。屢空とは、たびたび貧乏したという事である。貧乏してもあくせくと金を欲しがらなかったから、たびたび貧乏するに至ったのである。正道に近いという事は、貧乏にも不満を思わないことでもある。
本文「賜不受命,而貨殖焉,億則屢中。」
中の字は尻下がりに読む。命とは、いわゆる天命である。貨殖とは、財産を殖やすことである。億とは、予想することである。子貢は顔淵先生のような清貧生活を楽しむことは出来なかったのだが、才能には優れていたので、何事も予想の類はうまく当たった。
程頤「子貢の金儲けは、後世の人間がやったような儲け方ではなかったが、金儲け精神は生涯忘れなかった。ただ本章に言う金儲け話は、子貢の若い頃のことで、孔子先生から人間の本質と天の運行法則を教わってからは(論語公冶長篇12)、こういう金儲けはしなかった。」
范祖禹「屢空とは、粗食(論語雍也篇11)でさえしばしば事欠いたのだが、それでもその清貧を楽しんでいたということだ。天下のあらゆるものごとの、どれが思いのままになるだろうか。貧富は天が決めることだが、子貢は金儲けに精を出したから、天の定めに安心して暮らすことが出来なかった。予想がよく当たったのはただの憶測で、もののことわりを知り尽くして世の動きを安楽に見られたわけでは無いのである。つまり孔子先生は、”子貢が不幸なのにものを言っては当たるのは、ベラベラと沢山のことを自分で言っているのではない、言わされているのだ”と暗に言っている。聖人がおしゃべりを嫌うのはこの通りであった。」
余話
ワイロをまじめに考える
現代文明は、あるいは蒸気船の実用化によって始まったかも知れない。季節にかかわらず定期外航船を運用できることが、帝国主義の基礎だった。これは反射的に給炭港の確保が国家経済を決めることにもなったわけで、ペリーが浦賀に押し込んできたのはそれが理由だった。
幕府も事情を呑み込んでいて、文化三年(1806)に薪水給与令を出して、とりあえず帰って下さいという態度を取った。それが文政八年(1825)に出した無二念打払令でひっくり返ったが、欧米が付き合ってくれないとアヘン戦争で悟り、天保十三年(1842)に薪水給与令に戻した。
英語で最下級の航海科船員をsailor”帆張り”と言うのに対して、機関科員をoiler”油差し”という。帆だけで航海すると頑張ってみても、油を差さなければすでに世界の貿易は回らない。同様に社会の潤滑油の一つがワイロで、ワイロ無しだと頑張ると、おそらく人生を棒に振る。
上掲新注の程頤の言い分、「子貢之貨殖,非若後人之豐財,但此心未忘耳。」の最終句を、とりあえず”子貢は金儲け精神を忘れないままだった”と訳したが、金儲け精神を忘れなかったのは子貢だけでなく、世のあらゆる人間がそうであり、そうであると思っていた方がいい。
なぜなら他人に高潔を求めると、必ず裏切られるからだ。そして自分は自分で思うほど、高潔でも有能でもない。自分もまた金の亡者だと心得た方が、世の中を生きやすくなる。もちろんこう書き付けた程頤も金の亡者であり、宋代はとりわけ「金が全て」の時代だった。
高校教科書的には、宋の開祖・趙匡胤は、軍閥にお金を配ることで反乱を防止し、異族にもお金など財宝を配ることで侵攻を防いだ。その方が巨大な軍隊を維持するより、安上がりだと知っていたからである。上がこうでは下はそれにならう道理で、宋人は大っぴらに金を使った。
宋を舞台にした『水滸伝』の豪傑に、入れ墨和尚こと花和尚魯智深がいる。同じく豪傑の豹子頭林沖が陰謀で流罪になり、護送途中に殺されかけるのだが、こっそり追跡していた魯智深が、護送役人を叩きのめして防いだ。叩きのめしで済んだのは、林沖が頼んだからである。
林沖勸道:「既然師兄救了我,你休害他兩個性命。」
林沖が弁護して言った。「兄者、もうオレの命は助けてくれたんだから、二人の殺生はやめて頂けないか。」(『水滸伝』第八回 柴進門招天下客 林沖棒打洪教頭)
魯智深は二人の護送役人を斬るつもりで、得意の戒刀を振り上げたのだが、「你這兩個撮鳥!…且看兄弟面皮,饒你兩個性命!」”このチン○゚コ野郎ども、兄弟の顔を立てて助けてやるんだぞ”と言い、別れる際には殺そうとまでした「野郎」に、しっかりワイロを渡している。
魯智深又取出一二十兩銀子與林沖;把三二兩與兩個公人,道:「你兩個撮鳥,本是路上砍了你兩個頭,兄弟面上,饒你兩個鳥命。如今沒多路了,休生歹心!」
魯智深は二十両ほどの銀子を林沖に贈り、二三両の銀子を役人に渡した。「オイ、このそチン野郎ども、本来ならお前らの頭など叩き斬っているところだが、兄弟の顔を立ててお前らを助けた。そこをよく考えろ。この先兄弟の命を狙ったら、お前らはおしまいだと覚悟するんだな!」(『水滸伝』同)
※撮鳥(そ○ン):「撮める鳥」、すなわちマガジンはともかく、小鳥の首みたいな粗末なバレルの意。現代では「撮」は一升の万分の一というきわめて小さな単位でもある。中国人はタマとツツを厳密に区別し、明末の『笑府』でもそれをネタにした話がある。
もちろん銀子は「兄弟をよろしく頼む」のつもりで、中華文明でワイロは悪ではない。当然の手数料を誰もが払うつもりでおり、払わない方がおかしいと思われる。中国人とワイロは付き合いが長いだけに、ワイロの分は働くという倫理が確立しており、取り逃げはまず無い。
ワイロの渡し方にも工夫があり、手付金と成功報酬にキチッと分かれてもいるし、しくじった際には払い戻しまである。だが日本社会にこうしたワイロの倫理は無い。本稿を書いている際に、先年の東京オリンピックでの汚職が報じられたが、日本人はワイロが下手と言うべきだ。
ワイロがなぜ表沙汰になり、世間から叩かれるかと言えば、日本に限ればおそらくは、渡しても取り逃げする馬鹿者がいるからだ。中国の特権階級の特権は、日本人の想像を絶してすさまじいが、その代わり中国人は権力者でも、自分が生まれながらに尊貴だとは思っていない。
だからワイロを貰ったら、その分はキッチリ仕事をする。対して日本人はワイロに対する考えがデタラメで、特権階級の多くが、自分は生まれながらに尊貴だと思っており、ワイロを貰っても仕事をせず、ワイロだという自覚すらない。これが社会の風通しを悪くしている。
ワイロがいいとは言わないが、ワイロが無いと思い込むのも良くない。高額な相続税が定められているのに、没落する財産家がめったに居ないのは、そうと考えるしか無いだろう。他人の高潔を求めて常に裏切られるのは、日本社会に隠された特権の闇の深さの現れでもある。
地位や権力に利権が伴うのは、人界に普遍の現象で、日本だけが例外ではあり得ない。そう覚悟しておかないと、いつまでも地位ある者の食い物にされ続ける。悪徳に染まれとまで言うつもりは無いが、悪徳を悪徳と見破るのは悪徳ではないし、生き延びるのに必要でもある。
「人生は 死ぬ間までの 暇つぶし」と誰かが言った。お金を集めるには運と才能が要るし、多くは他人と面倒なやりとりをせねばならない。政治家や役人がワイロを取るのを面白いとは思わないが、よくもまあ、面倒くさい連中と付き合うのが苦にならないものだと感心もする。
権力とは利害のぶつかり合う場で、権力者はその裁定をしてメシを食っている。裁定とは、誰かの利益を諦めさせることでもあるから、背景に必ず暴力が要るし、面倒くさい説得の作業も要る。いわゆるプロ市民がめしを食えるのは、騒がない代わりに黒いお金が貰えるからだ。
こういう世間師稼業は、つまりヤクザと同じ商売で、ただ権力がそう呼ばないだけだ。人界はそうやって黒いお金で回っている。ワイロは回すための血液で、ワイロを渡してきちんと仕事をするのなら、世の人だってそれほど怒ったりしない。問題は取り逃げの多さにある。
これはあるいは、日本が現存世界最古級の君主制国家だからだろうか。その当否は訳者如きには分かりかねるが、まことにお清潔な説教がはびこっている割には、割と多くの人が黒いお金で生きている、はず。選挙にお金がかかるからには、そういう人は少なくない道理だからだ。
訳者が間抜けで知らないだけで、選挙のたびにお金を貰っている人は多いのだろう。貰い方の教授をして、世を送っているらしき者を見かけもする。二度と見たくないような風貌の連中が、怪しげな所へ出入りしている風景で、そういう者はそういう顔になるよう出来ている。
30過ぎたら顔に責任を持たねばならないとは、よく言ったものだ。だがそういう連中も、好き好んで卑しくなったわけではなく、身過ぎ世過ぎのために、みっともない顔をぶら下げざるを得ないわけだ。決して他人事ではない。自分もいつ身を落とすか分からないからだ。
だからワイロは若いうちから、まじめに考えるに値する。
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