論語詳解162述而篇第七(15)疏食をくらい*

論語述而篇(15)要約:本章は論語にまま見られる、典型的な孔子先生の自分語りで、先生に感情移入していないと、ただの老人のつぶやきでしかありません。「はあそうですか」と読み飛ばしてもいい一節。ニセモノですし。

このページの凡例

論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子曰、「飯疏*食、飮水、曲肱而枕之、樂亦在其中矣。不義而富且貴、於我如浮雲。」

校訂

武内本

蔬、唐石経疏に作る。

定州竹簡論語

……枕之,樂亦[在其中矣。不]155……[富且]貴,於我如浮云。156


→子曰、「飯蔬食、飮水、曲肱而枕之、樂亦在其中矣。不義而富且貴、於我如浮云。」

復元白文(論語時代での表記)

子 金文曰 金文 論語 飯 金文ㄊ 甲骨文論語 食 金文 論語 飲 金文論語 水 金文 曲 金文肱 金文而 金文冘 甲骨文之 金文 楽 金文亦 金文在 金文其 金文中 金文已 矣金文 不 金文義 金文而 金文畐 金文且 金文 於 金文我 金文如 金文論語 浮 金文雲 金文

※蔬→ㄊ(甲骨文)・枕→冘(甲)・矣→已・富→畐。論語の本章は赤字が論語の時代に存在しない。本章だけに登場する漢字が多い。本章は漢帝国以降の儒者による捏造である。

書き下し

いはく、あらじきくらひ、みづみ、うでこれまくらとす、たのしみまたうちなりただしからずしたふときは、われおいぐもごとし。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 孔子別像
先生が言った。「粗末な食事を食べ、水を飲み、腕を曲げて枕にする。楽しみはまたそのような所にもきっとある。正しくない方法で富んで地位が高いのは、私にとって浮き雲のようなものだ。」

意訳

ニセ孔子
粗衣粗食に肘枕でごろ寝。それもまた楽し。悪事を働いて財産と地位を得ても、浮き雲のようにはかないものだ。

従来訳

論語 下村湖人
 先師がいわれた。――
「玄米飯を冷水でかきこみ、(ひじ)を枕にして寝るような貧しい境涯でも、その中に楽みはあるものだ。不義によって得た富や位は、私にとっては浮雲のようなものだ。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子說:「吃粗糧、喝白水、彎著胳膊當枕頭,樂也在其中了!缺少仁義的富貴,對我來說,就象天上的浮雲。」

中国哲学書電子化計画

孔子が言った。「粗末な穀物を食べ、ただの水を飲み、肱を曲げて枕にあてがう。楽しみはその中にもある!仁義を欠いた富や地位は、私に言わせれば、空に浮かぶ雲のようなものだ。」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

疏→蔬

疏の初出は戦国文字。蔬の初出は後漢の『説文解字』。結論として論語時代の置換候補はㄊ(トツ)。カールグレン上古音は共にʂi̯oで、同音に疋”あし”・所・糈”かて”。疋・所は論語時代に存在するが、”粗末な”の意は無い。

疏の異体字「疎」が琵琶湖疎水と言うように、『大漢和辞典』の第一義は”通る”。論語の本章では「粗」と音が通じて転用されている。

『学研漢和大字典』によると「疏」は会意兼形声文字で、「流(すらすらとながす)の略体+(音符)疋(ショ)」。「疎」に書き換えることがある。「疎水・疎通」▽「流れが通ずる」「親しくない」「まばら」の意味では「疎」とも書く、という。詳細は論語語釈「疏」を参照。

論語 疎水 南禅寺

京都南禅寺境内の琵琶湖疎水水路閣。Photo via http://photo53.com/

疏食(ソシ)

論語 疏 金文大篆 論語 疏
「疏」(金文)

論語の本章では、”粗末な食事”。

論語 食 金文 論語 食
「食」(金文)

「食」は会意文字で、「亼(シュウ)(あつまる・あつめて、ふたをする)+穀物を盛ったさま」をあわせたもの。容器に入れて手を加え、柔らかくしてたべることを意味する。詳細は論語語釈「食」を参照。

飮(飲)水

論語 飲 甲骨文 論語 飲 金文
「飲」(甲骨文・金文)

論語の本章では、”(余裕がないから)水を飲む”。詳細は論語語釈「飲」を参照。

食事と共に摂る飲料として、酒は論語でも確認できるが、茶ははっきりしない。唐の陸羽が書いた『茶経』には、「」の字で論語時代にも茶があったとするが、異論がある。茶の字そのものは甲骨文から確認できるが、苦菜を意味する。

しかし、当時から茶のような飲料があったことは想像に難くない。従って水を飲む=粗食を意味していると考えていい。

論語 水 金文
「水」(金文)

「水」はもと”川の流れ”。『学研漢和大字典』によると象形文字で、みずの流れの姿を描いたもの。追(ルートについて進む)・遂(ルートに従ってどこまでも進む)と同系。その語尾がnとなったのは順や巡(従う)、循(ルートに従う)などである。平准の准(ジュン)(平らに落ち着く)と同系だと考える説もある、という。詳細は論語語釈「水」を参照。

論語の本章では”まげる”。論語では本章のみに登場。

肱(コ)

論語 肱 金文大篆 論語 肱
(金文)

論語の本章では”ひじ”。論語では本章のみに登場。

『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、∠は、∠型にひじを張り出したさま。右側は「手のかたち+∠」の会意文字でひじのこと。肱はそれを音符とし、肉をそえた字。宏(コウ)(張り出てひろい)・紘(コウ)(広く張り出たわく)などと同系のことば、という。

『字通』によると形声文字で、声符は厷(こう)。厷は右の腕をまげて弓などを引く形。〔説文〕三下に「厷は臂(ひぢ)の上なり」という。〔易〕を伝えたという馯臂(かんび)子弓は臂と弓と名字対待。肱(厷)はその弓を引く腕をいう。〔論語、述而〕「肱を曲げて之れを枕とす」とは、世離れた気楽な生活をする意、という。

枕(チン)

論語 枕 金文大篆 論語 枕
(金文大篆)

論語の本章では”枕にする”。論語では本章のみに登場。初出は後漢の『説文解字』で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はȶi̯əmで、同音は存在しない。部品の「イン」は音を示すのみで、”ゆく”の意。ただし下記『学研漢和大字典』『字通』の説を採用すると、置換候補になるが、甲骨文のみで金文の出土が無い。

『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、冘(イン/チン)は、━印のかせで人の肩をおさえて、下に押しさげるさま。甲骨文字は、牛を川の中に沈めるさま。枕は「木+(音符)冘」で、頭でおしさげる木製のまくら。沈(水の下にしずめる)・耽(タン)(底にしずむ)などと同系のことば、という。

『字通』によると形声文字で、声符は冘(いん)。冘に沈・鴆(ちん)の声がある。冘は人が枕して臥している形。〔説文〕六上に「臥するとき、首に薦(し)く所以の所なり」(段注本)という。〔詩、唐風、葛生〕は挽歌、「角枕粲(さん)たり」と、棺中の人を歌っている、という。

論語 富 金文 論語 富 篆書
(金文・篆書)

論語の本章では”富む”。この文字の初出は上掲戦国時代の金文で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はpi̯ŭɡ。同音に不、否。部品の畐(カ音・藤音不明)に”満ちる”の語釈を『大漢和辞典』が載せており、甲骨文から存在する。詳細は論語語釈「富」を参照。

初出は戦国時代末期の金文で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はki̯wəd。同音は存在しない。詳細は論語語釈「貴」を参照。

浮雲

論語 浮 金文 論語 浮
「浮」(金文)

論語の本章では、”雲のように自分には関係ない”。雲のようにつかみ所がない、と解しても良い。論語の他の箇所に用例が無く、論語以外の典籍でも、どのようなたとえとして使っているのかはっきりしないからである。

「浮」は『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、孚は「爪(手をふせた形)+子」の会意文字で、親どりがたまごをつつむように手でおおうこと。浮は「水+(音符)孚」で、上から水をかかえるようにふせて、うくこと。抱(両手でだく)・覆(おおう)と同系のことば、という。『字通』による語源は溺死者。その詳細には一見の価値がある。論語語釈「浮」を参照。

論語 雲 甲骨文 雲 金文
「雲」(甲骨文・金文)

「雲」は論語では本章のみに登場。『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、云(ウン)は、たちのぼる湯気が━印につかえて、もやもやとこもったさまを描いた象形文字。雲は「雨+(音符)云」で、もやもやとたちこめた水蒸気。云(もぐもぐと口ごもる)・渾(コン)(もやもや)・魂(もやもやとしてさすらうたましい)と同系のことば、という。

『字通』によると形声文字で、声符は云(うん)。云は雲の初文。雲気の下に竜尾のみえる形。〔説文〕十一下に「山川の气なり」という、という。

ちなみに江戸の大久保彦左衛門は、『三河物語』で自分の不運を憤っているが、不運を「浮雲」と書いたらしい。原書を見ていないので断定しかねるが、彦左衛門の人物像をいっそう面白くしていると思う。

論語:解説・付記

孔子の生涯は財産の点で山あり谷ありだったようで、弟子の原憲にポンと年俸四十人分を出したこともあれば(論語雍也篇5)、最晩年に一人息子の鯉が先立った時に、棺を覆う外箱が買えないほどだったこともある(論語先進篇7)。

だから無欲恬淡な人だったとするのも間違いなら、貧乏生活を嫌ったというのも間違いで、環境がどうあろうと比較的自由自在に過ごせたようだ。

論語 吉川幸次郎
なお吉川本では「疏食」について古注・新注を引き、古注では菜食のことだと解するとする。また清代の考証学では、論語時代上等とされたアワめし・キビめしではなく、粗末なコウリャンめしのことだとするという。いずれも根拠の無い話で、話半分に聞いておいた方がいい。

コウリャン(モロコシ)は小麦と並んでナイアシン豊富な穀物で、現在でこそ中国の主要な穀物生産品になっているが、原産は熱帯アフリカで、栽培が中国で始まったのは950年ごろと言う。つまり論語よりも約15世紀後、宋帝国が始まる直前になる。

清朝考証学というのは、この通り論理や考古学、自然科学を無視したハッタリに過ぎない例が非常に多く、21世紀の今になっても触れ回る者の、神経が訳者には分からない。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だし、訳者に連絡のお気遣いも不要だが(ただしネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。

言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。もし長生きしたいなら、悪いことはせぬものだ。それでもやるなら、覚悟致せ。

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コメント

  1. […] 仲尼・顏子所樂:論語述而篇15「楽しみその中に在り」と、論語雍也篇11「回やその楽しみを改めず」を指すと林本に言う。 […]

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